12 悲しき再会
「ねぇ、エレナちゃん。いい加減、お兄ちゃんがどんな仕事してるか教えてくれてもいいんじゃない?」
どうにかエレナが美月をなだめて教室に戻ってみれば、進は衣装を取りに水戸まで行ってしまったところだった。作業は一段落ついていたので、美月とエレナは進が勉強していた空き教室に入り、進の帰りを待つことにする。そこでエレナは美月に尋ねられたのである。
エレナは一瞬言葉に詰まるが、すぐに答える。
「GDの輸出取り扱い業ですわ。非合法スレスレなので、夜のお仕事が多いのです」
これは特務飛行隊時代に所属していることになっていたダミー企業のことだった。正式に軍に加入してからは退社したことになっている。北極星からは何も言われていないので正規軍の一員であることを明かしてもいいのだろうが、進は嘘をつき続けていた。
進が掛けて勉強をしていた椅子に座っている美月は、対面に座っているエレナの顔をじっと見る。エレナは表情で気取られないように澄ました表情を保った。美月はジト目になる。
「絶対嘘でしょう。あれだけ楽しそうにしてるんだから、絶対非合法なことをしてるに違いないわ」
「どういう基準ですか……」
エレナは苦笑する。進はそこまで反社会的な気質の持ち主ではないのだが。
「お兄ちゃんはね、全てに反抗的なのよ。危ないことをしているときほど楽しそうなの。去年のはしゃぎ振りから察するに生半可なことはやってないわ。絶対自分の命を危険に晒してる。非合法スレスレじゃ、せいぜい逮捕されるかもしれないって程度でしょ。もっと凄いことしてるに決まってるじゃない。察するに、軍関係ね。北極星さんは初めてうちにきたとき、軍の制服を着てたわ。軍の秘密部隊にでも入ってるんじゃないの」
「いえ、私は嘘は言っていないですよ」
エレナはそう言ってみるが、美月の予測は当たっている。美月はエレナの話を決して信じない。
「だとしたらエレナちゃんが知らないところで危ないことをやってるに決まってるわ。四月も爆撃を受けた木星級重力炉の復旧作業に参加してたらしいし」
進は四月の事件をそのように美月に報告したらしかった。エレナはすっとぼける。
「そうですか。それは知りませんでしたわ」
「やっぱりエレナちゃんに隠れて危険な仕事してるんだね。本当に馬鹿な人なんだから」
美月は嘆息し、エレナに尋ねる。
「いい加減にエレナちゃんも、お兄ちゃんに愛想尽かしてもいいんじゃないの? エレナちゃんがあれだけアピールしてるのに、お兄ちゃんったら全然そっけなくて。おまけに北極星さんと……! 思い出したらムカムカしてきたわ」
美月はぐりぐりと机の上にある消しゴムをいじる。エレナはまた苦笑いを浮かべるしかない。
「いえ、私はずっと待ってますから。まだ進さんから返事はもらえてないので」
「どうしてお兄ちゃんなの? エレナちゃんなら、他にいい人見つかるでしょう? 私は家族だから覚悟してるけど、お兄ちゃんに関わってると多分ろくな死に方できないと思うよ?」
美月はさらりととんでもない発言をする。確かに今の仕事を続けていれば畳の上では死ねないだろう。エレナは困った顔をしながらも胸に手を当てて言った。
「詳しいことは言えませんが、私は進さんに命を助けられています。この命は進さんにもらったものです。私は進さんより勇敢で、無謀な人を見たことがありません。私は進さんのことが心配で、放っておけないのです」
グラヴィトンイーターとなる前から、進はそういう男だった。進は何かあれば徒手空拳でも強敵に挑むだろう。そんな進のブレーキになれるのは、美月の他にはエレナしかいない。
「ですので、仮に進さんのことで命を落とすというなら、本望ですわ。私は進さんのように誰に対しても命を賭けられる人間ではありません。ですが、進さんには命を賭けたいと思っています」
よどみなく言い切ったエレナを、美月はあきれ顔で見る。
「エレナちゃん、将来悪い男に引っかかるよ。いや、もう手遅れか……」
美月は大きくため息をついてから言った。
「帰りましょう。水戸まで行ったなら、お兄ちゃん一時間は帰ってこないよ。高速使って片道三十分くらいだし」
「そうですわね。あまり遅くなってもいけませんし」
エレナも立ち上がる。進はおそらく車など使わずに〈プロトノーヴァ〉で飛んでいるので、すぐにでも帰ってくるのではないかと思う。だからこそ美月に訝しまれないために、ここら辺で帰るべきだった。
「ふうん? 待つって言うと思ったのに」
「台風のこともありますし、あまり心配を掛けてもいけませんから。さぁ、急ぎましょう」
エレナは美月が向けた疑いの視線をさらりとかわし、美月を急かした。
「まあいいわ……」
美月もどうにか納得し、エレナは美月とともに学校を出る。
いつかは本当のことを話さなければならないが、それは今ではない。
エレナはこの平穏ができるだけ長く続くように祈った。
○
進は首尾よく衣装を手に入れ、筑波へと戻る。三十分も掛からなかった。GDで衣装屋の前に乗り付けたときはさすがに驚かれたが、近くで軍の任務があってついでに家族に頼まれたとごまかした。
「うーん、ここからどうするか……」
衣装を入れた袋は無理矢理〈プロトノーヴァ〉のコクピットに詰め込んでいる。いくらなんでも学校の校庭に〈プロトノーヴァ〉を着陸させるわけにはいかないため、思案のしどころだ。進の正体などどうでもよかった水戸のように乱暴なことはできない。かといってあまり遠いところに着陸すると荷物を運ぶのが面倒臭い。
迷った挙げ句、進は学校近くの道路に着陸することにした。まだ大通りは車の往来があるため、慎重に狭い路地に降りる。
冷戦期、筑波が要塞都市だった頃には緊急時に大通りを戦闘機が着陸する滑走路として利用する計画があったらしいが、GDならスペースさえあればどこでも着陸できる。進は荷物を持って〈プロトノーヴァ〉から飛び降り、重力軽減してかろやかに着地した。
「お疲れさん」
進が声を掛けると〈プロトノーヴァ〉は進の影に沈み、異次元へと転送された。後は歩いて衣装を学校に運び込むだけだ。進は両手に荷物袋を提げ、歩き出そうとして立ち止まる。
目の前に一人の少女が立っていた。青紫色の長髪を風に流した少女は黒い制帽を目深に被り、ローブ風のゆったりした軍服を身につけている。帽子に隠された目は凛と輝いていて、進に強い視線を向けていた。
「……成恵?」
進が彼女を見間違えようはずがない。進は荷物を取り落とし、成恵は天使のように微笑んだ。
「私は流南極星。この間違った世界を正しに来たわ……!」
成恵、いや流南極星はそう言って笑顔のまま腰に差していた拳銃を進に向ける。北極星と張り合っているのだろうか。
「成恵、目が覚めたんだな! でも、どうして……!」
どうして成恵は進に銃を向けているのだ。どうして成恵はファウストと同じ格好、すなわちアメリカ軍の軍服を着ているのだ。
南極星は進に勧告する。
「進、私と一緒に来て」
「一緒にって……どこへ行くっていうんだよ!?」
「もちろん、大坂へ。一緒にもう一人の私──焔北極星を倒しましょう」
「どうしてそんなことをする必要がある!?」
進は絶叫した。まるで話が見えない。どうして進が北極星を、成恵を倒さなければならないのか。
昔の成恵とは違い、南極星は普通の女の子みたいに喋る。
「私は〈スコンクワークス〉と接触して確信したわ。この世界が狂っている原因は焔北極星よ。私は焔北極星を倒し、世界の滅亡を止める。戦争誘発工作をしている〈スコンクワークス〉も潰す。ここまでして、ようやく世界は平和になるの」
「世界が狂っている原因……? 世界の滅亡……? 俺には意味がわからないな。北極星に罪はないだろ。……やったのは、もう一人の俺だ」
南極星の言葉に進はそう返すしかなかった。日本で戦争が起きた原因は異世界人(未来人)の襲来と「黒い渦」だろう。北米大陸が不毛の地とならなければ、まさかアメリカ人も日本を占領しようとは思わなかったはずだ。
そして異世界人がこの世界に逃げ込まざるをえなかった理由は、一周目の進──ファウストにある。ファウストは美月を失った過去を変えるため時間遡行を敢行して失敗、世界を滅ぼした。
明らかに原因はファウストだ。北極星はファウストを止められなかったという意味では責任があるのかもしれないが、北極星自身に罪はない。
南極星は静かに首を振る。
「焔北極星は存在すること自体が罪なのよ。彼女の性質と大きすぎる力は望む望まざるに関わらず、戦いの運命を導くの……! これは裏でチマチマと工作をしてる〈スコンクワークス〉なんかよりずっと根深くて、どうしようもない問題よ……!」
確かに、強すぎる力が争いを呼ぶという側面は否定できない。ファウスト亡き今、北極星の動向次第で世界のパワーバランスは変わる。しかし北極星は自分の力をよくわかっている。軽率な振るまいで世界を危機に陥れるほど未熟ではない。進は全く納得できなかった。
「言い掛かりだ! 北極星を倒したとしても、次は成恵が倒される対象になるだけだろ! 何の解決にもならない!」
力そのものが罪というなら、北極星を倒した者こそさらなる悪だ。きりがない。
「イカルス博士の未来予知で結果は出ているわ! 世界を破壊に導くのは焔北極星よ!」
ここでなぜ、〈スコンクワークス〉の指導者の名が出てくるのだろう。進は疑問に思うが、南極星に銃を向けられている現実と向き合わなければならない。
南極星の指は引き金に掛かっていた。信じられないという気持ちが頭を支配する中、軍人・進は勝手に対応策を考える。
防弾チョッキの類は着ていないので、進は南極星に撃たれたら終わりだ。漫画か何かのように銃弾を避けることなどできない。狭い路地で隠れる場所もない。グラヴィトンイーターの力を使っても進程度ではファウストのように銃弾を止めるのは無理だ。撃たれる前に南極星を倒すというのが現実的な回答である。
といっても現実は非情だ。進には南極星を攻撃する手段がない。懐にはマカロフを忍ばせているが、進が少しでも怪しい動きを見せれば南極星は引き金を引くだろう。〈プロトノーヴァ〉を呼び出すのにも数秒は掛かる。
進にできるのは両手を挙げて攻撃の意思がないことを示すくらいだった。南極星は銃を降ろすことなく尋ねる。
「私についてきてくれるの?」
「降伏はする。だけど今の成恵──流南極星の言うことは聞けない」
進の答えを聞いて、南極星の顔が般若の如く歪む。
「やっぱり進はあの女を選ぶんだ……! 私のことなんて、忘れちゃったんだ……! 私はずっと進のことを思っていたのに!」
進は必死に自分の気持ちを伝えようとする。
「違う! 俺はずっと成恵のことを思っていた! でも俺はファウストの分まで『煌進』をやるって決めてるんだ! 俺は成恵も、北極星も裏切れない!」
進の言葉は南極星を刺激しただけだった。南極星はヒステリックに叫ぶ。
「もう一人の私に裏切られたあの人の気持ちなんて、進にはわからないでしょう!? 私はもう一人の私を許せない! 進のことだって取り戻す! 私は焔北極星と戦う!」
南極星の背後から空間を破り、青紫色に塗装された〈エヴォルノーヴァ〉が姿を現した。