8 南極星の軌跡
四月、あの戦争が始まる前。
「……進、また行くの?」
グラヴィトンイーターの交感が創り出す精神世界の中。南極星は出撃を控えるファウストに声を掛けた。
ファウストは黒の仮面をはずし、素顔で南極星に言う。
「ああ……。俺は美月を救わなきゃいけないからな……」
二周目の成恵──南極星は一周目の進──ファウストがやっていることに反対だった。たった一人の死人を救うためにこの世界の人々を危険に晒すなんて許されるはずはない。そして何よりファウスト自身の命が危ない。
日本軍ともう一人の成恵──焔北極星は全力でファウストの時間遡行を阻止しようとするだろう。〈ノーヴァ・フィックス〉とアメリカ軍の支援があっても、ファウストが目的を達成できる可能性は限りなく低い。北極星がファウストへの情からミスをしない限り、ファウストは過去へは飛べないというのが南極星の見立てだった。
また南極星はファウストの美月への執念も本当の意味で理解しているとは言い難い。二周目の世界で美月は南極星の代わりに助かっているのだ。南極星には、美月が死んだという実感がない。
しかし美月はあくまで偶然助かっただけなので、逆にファウストには歴史を変えたという実感がなかった。ファウストは自分の手で美月を救わなければ気が済まない。ファウストはとっくの昔に壊れているのだ。それでもファウストの中に残った煌進の残滓が、彼を前へと突き動かす。
「死なないでね」
「当たり前だ。死んだら美月を救えない……!」
そう言い残してファウストは南極星の前から消える。結局、これがファウスト最後の戦いとなった。
ファウストが死んで一週間が経った頃、南極星の病室に進が現れる。ファウストが死んだことは悲しかった。でも、自分にとっての進が来てくれて、南極星は嬉しかった。
さっそく南極星はグラヴィトンイーターの精神世界にダイブして進とつながろうとするが、何度試行してもうまくいかない。お互いに共有できるものがあり、かつ無意識下での拒絶を受けなければ南極星は精神世界へと入り込める。しかし、周波数が合わない。今まではファウストを介してではあるが、進のホログラムにアクセスできていたのに。
ここで南極星は、進が自分の方を向いていないことに気付いた。進は北極星と何やらやりとりしていて、完全に北極星しか見えていない。
「おまえの背中は、俺がずっと守る……!」
「ならば私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなろう……」
進の言葉に北極星が応える。二人が完璧に通じ合っているのがわかった。進の少年のように純粋な瞳には、自分が何度アクセスを試みても拒絶しか返さないもう一人の自分だけが映っている。
(こっちを向いてよ、進! その女は、私じゃない!)
南極星の声なき声は、進には届かない。
二人が去った後、暗い病室には南極星がただ一人残された。どうしてこんなことになってしまったのだろう。誰ともつながれず、棺桶に生きたまま閉じ込められたかのような孤独に苛まれながら、南極星は一人思索する。手掛かりはファウストを通して見た進の様子だけだが、充分だ。
この世界は間違っている。そうとしか考えられない。本当ならファウストが美月に対してそうしたように、進がどんな障壁も乗り越えて南極星を救いに来たはずなのだ。それくらいに進はまっすぐで、責任感の強い男だった。自分の隣に立つのは進以外に考えられない。
ところが進の隣には自分と同じ顔をした女がいて、南極星の居場所はない。
(進は往くべき道を間違えた……!)
南極星にとっての進は、迷いが多すぎるからこうなったのだ。もちろん進が優柔不断だったことを南極星は知っている。進はこれと決めるまでがいつも長い。だから南極星がアドバイスして進の爆発力をコントロールし、二人は最高のコンビになれた。
しかし東京で戦火に見舞われた際、進の迷いは最悪の目を出してしまう。とっさに成恵か美月のどちらを助けるか迷ってしまった進は「両方助ける」という最善の手を打てなかった。
このときの後悔から一周目の進──ファウストは成長する。ファウストは迷いを絶ち切り、彼にとっての成恵と戦ってでも美月のために一直線に過去への道を目指していた。進も同様に迷うことなく南極星のところに来なければならなかったのだ。
では進がずれてしまった原因、一周目の世界と二周目の世界の違いとは何か。言うまでもなくもう一人の成恵、北極星の存在が大きい。北極星は南極星の居場所を乗っ取り、進のパートナーの位置に納まってしまった。進は南極星のことを忘れてしまったわけではないだろうが、かけがえのないただ一人の相棒ではなくなった。
そしてエレナも進を変えた一因だ。進はエレナを殺すことでもう後戻りできないと悟り、自らの罪を認めた上で美月のために戦い続けることを決意した。だが進はエレナを殺さずに済ましてしまい、成長の機会を逃している。
(進は戦争がどういうものか知らなくちゃならないわ……!)
そうしなければ進は本当の意味で罪を自覚できず、戦う決意もできないだろう。いっそ自分が進の敵になるべきでは……。そうすれば自分から進を奪ったあの女と戦える。しかし……
(そんなことをしていてはやつの思うつぼだわ)
ファウストが教えてくれた。真の敵は〈スコンクワークス〉だ。体が治り次第、〈スコンクワークス〉の首領、イカルス博士を倒す。
自分をこんな状態にした戦争が憎い。そして、戦争を誘発しているのは〈スコンクワークス〉だ。敵は明白なのである。
このときの南極星は、イカルス博士が「北極星と戦え」と誘惑するなど、全く予想していなかった。
ちょっと少ないので午後にもう1話更新します。