7 正義は揺れて
テストの結果は散々だった。一睡もしていない状況で数学の証明問題など解けるはずがない。現代文では問題を読んでいる間に寝てしまうという始末だった。
すぐに進は地獄を見ることになる。文化祭直前ということで先生方も早くテスト関係を済ませたいのか、次の授業から早速テストの答え合わせを始めたのだ。返ってきた進の答案は赤点、赤点、赤点の嵐である。担任は文化祭の後に追試をやると事務的に通知し、進は茫然と教壇の前で立ち尽くした。
午後、意気消沈しながらも進は文化祭の準備に取りかかる。テスト明けで文化祭が近いので、今日の授業は午前中だけだった。来週には文化祭本番なのに、まだ完成していない小道具がいくつかある。進は誰とも話したくない気分だったので道具を持って教室の隅に陣取り、一人で黙々と作業した。
そうして三十分ほど経過し小道具の色塗りが終わったところで、ポッキーを口にくわえた北極星が教室に顔を出す。
「煌進、補習の時間だ。ついてこい」
補習など進は聞いていないが、どういうことだろう。首を傾げながらも進は北極星の後に続く。
北極星は近くの空き教室に進を案内した。中にはなぜか美月とエレナが仁王立ちしていて、進を待ち構えていた。ますます状況がわからない。
「……? どういうことだ?」
進の疑問に北極星が答えた。
「二人に依頼されたのだ。貴様の勉強を見てくれとな」
見れば教室の真ん中に用意された机には、ポッキーの箱が山積みされていた。進に補習を受けさせる報酬だろう。小さい頃からそうだったが、北極星は報酬にポッキーを差し出せば何でも請け負うのだ。
「お兄ちゃん、いくら仕事があるからって、留年なんか許さないんだからね! せっかく今、同じクラスでいられるのに……!」
「そうですわ! 違う学年になったら一緒に思い出を作れないではないですか!」
美月とエレナは口々に主張し、進は額に手をやる。大きなお世話だ。
「ちゃんと寝てれば赤点なんかありえないから、そんな心配するなよ」
進はそう言って立ち去ろうとする。しかし美月とエレナは許してくれなかった。
美月とエレナは左右から進の腕をつかみ、机に連行する。まるで黒服に連れて行かれる宇宙人のようだ。しかしエレナに掴まれた右腕では大きな胸の感触を楽しめてちょっと嬉しい。こんなに柔らかいんだなぁ……。
進は無理矢理北極星の前に座らされた。
「今回は仕事のせいで酷い点数になったようだが、元々貴様の成績は下降傾向だった。ここら辺でみっちりと復習しておいた方がよいだろう。仕事を勉強ができない言い訳には金輪際させぬぞ……!」
北極星はニッコリと微笑む。北極星も乗り気のようだ。これは逃げられない。進は引きつった笑みを浮かべた。
下校時間まではたっぷり六時間ほどもある。進は北極星からマンツーマンで指導を受け、数理系科目を中心に教科書をおさらいする。
進には大学を受験する予定はないが、これから軍で生きていくに当たって、基礎的な教養を身につけることは必要である。せめて高校レベルの数学、物理、化学くらいは理解しておかないと試験飛行隊パイロットとして任務に差し支える。試験飛行隊で行っている最先端の研究に全くついていけないままでは困るのだ。
北極星は用意されたポッキーをつまみつつ進に問題を解かせ、間違えればわかるまで解説してくれる。高一レベルなので大したことはないはずなのに、なぜか進は苦戦する。
GDに乗っているとき、進は高校一年で習うよりは高度な数学を使っているはずだ。空には目印などないので、角度や速度から常に自機の位置を把握していないと目標まで飛ぶことなどできない。よって、微積くらいは理解していないと話にならない。力学や気象学もわかっている必要がある。
計算自体はコンピュータ任せだが、機械は融通が利かないし故障するものだ。計器が当てにならないとき、進は自分で計算をしている。直感と経験だけではまっすぐ飛ぶことさえおぼつかない。半壊したGDで敵機に勝利することなどとても無理だ。
実際、進は各種物理学の公式や数ⅢCまでの公式を暗記している。飛行中にどれを使えばいいのかもわかるし、概算してほぼ正しい答えも出せる。しかし机の上で教科書を出されると途端に頭がフリーズするのだった。
空の上ならざっとした計算で出た答えに直感を足して正解とすることができるが、テストは答えが決まっている。きっちり正しい数字を出さなければ点数にならない。良い意味でのアバウトさも受け入れられず、肌に合わない。
航空学校時代にはそんなことはなかったのだが、どうしてだろう。勉強に対するモチベーションの違いだろうか。
近くの教室では、クラスの皆が演劇の練習をしていた。進は勉強に集中しようとするが、つい聞き耳を立ててしまう。
「七人の小人よ! 我が愛しの白雪姫を返してもらおう!」
「それはできない……! 白雪姫が目覚めれば、白雪姫に掛けられた呪いが外に出て災いをもたらす! 世界は滅びてしまう!」
「だとしても私は白雪姫を求める! 白雪姫の愛ゆえに!」
「ならば我々は王子と戦わなければならない!」
「よかろう! 愛とは貫き通すものだ! 私は白雪姫のために剣をとろう!」
王子は舌足らずな感じではあるが、七人の小人に対して勇ましく叫んだ。王子の役をやっているのは美月である。
まず外見から白雪姫役がエレナに決まり、男子から王子役を募ったのだが誰も立候補しなかった。進に遠慮してくれたらしいのだが、仕事があるため進が王子役は無理だ。エレナと違い進はたびたび実戦に駆り出されるし、書類仕事もずっと多いのだ。
そこで、もう女子でいいや、と美月に白羽の矢が立った。いささかちんちくりんな王子になってしまうが、男子人気のある美月なら集客の目玉になる。
机に向かいながら、進は首を傾げる。進は多忙のため参加していなかったが、脚本はクラスの有志数人で作ったと聞いている。「愛と正義のファンタジー」らしいが、やけにシリアスな展開だ。ここからハッピーエンドに持っていくのはかなり骨だろう。
ひょっとしたらバッドエンドで話を終わらせるつもりなのかもしれない。進たちは戦争直撃世代であり、争いというものが不幸しか生まないということを肌で知っている。殺し合いをしていて愛も正義もない。殺すか殺されるかだけだ。バッドエンドで争いのむなしさを表現する気なのだろうか。
脚本の内容を想像していると、ポッキーを咥えたままの北極星に頭を叩かれた。
「貴様、何をぼんやりしているのだ?」
「いや、愛と正義って何だろうなって思って……」
進は慌てて手を動かし始める。とりあえず勉強が終わるまで文化祭のことは忘れよう。演劇も気になるが、学生の本分は勉強だ。留年回避のため、進は机に集中する。