3 横浜の夜
腹八分目程度にラーメンを食べた後、進は人気のない公園に一人で向かった。満腹になるまで食べなかったのは被弾したときに危ないからである。腹に胃の内容物が漏れると助かる確率がぐんと下がる。今回の作戦でそんな状況にはならないとは思うが、一応の用心だ。
進は周囲に人の目がないのを確認してから〈プロトノーヴァ〉を呼び出す。
「きやがれ! 〈プロトノーヴァ〉!」
進の影が真っ直ぐ前に伸び、白い鋼の巨人が立ち上がる。進は〈プロトノーヴァ〉に乗り込み、背中の大型バーニアを噴かして離陸する。
バーニアの轟音で近くの住人には気付かれただろうが、あまり問題はない。街中で急にGDが発進する光景は戦時中にはよく見られた。平時でも稀にはあることなのでほぼ気にされない。
進はそのまま東京まで飛行する。北極星は学校が終わってからすぐに東京入りし、陸戦部隊の準備をしていた。
進は南関東方面団司令部の隣に着陸し、機体から降りる。北極星と稲葉さんが進を迎えてくれた。
「進君、久しぶり。いや、今は煌中佐と呼んだ方がいいのかな?」
稲葉さんの言葉に進は恐縮する。
「よしてください。俺が佐官なんて、正直今でも信じられません」
軍○板ではハンドルネームに階級を入れるコテハンは階級が高い程頭が○いという法則もあることだし、進には中佐でも勘弁してほしい。一応学校の夏休みを利用して戦時用に短縮された即席錬成コースで士官教育は受けたが、今の進には足りないものが多すぎる。
「俺の方こそ、稲葉さんを少将と呼ばなきゃなりません」
稲葉さんも昇進し、大佐から少将となっていた。謀反を起こして始末された秋山中将の穴埋め人事である。
北極星は進の反応を見て笑った。
「私は准将にしてやろうと言ったのに、こいつときたら断るのだ」
尉官と佐官の間には超えられない壁がある。空軍でいえば尉官は一パイロットでしかないが、佐官は飛行隊を率いる指揮官なのだ。戦場全体を見渡す指揮官としての能力が求められ、責任も重大である。ガ○ダムでいえばア○ロ・レイでも大尉止まりで、佐官にはなれなかった。
ましてや佐官のさらに上、将官となると軍全体の指揮を執る司令官である。キ○・ヤマトのようにコネで准将になっても、進に務まるとはとても思えない。俺はコーディネーターじゃないんだよ。
「俺にはまだ、全然相応しくないよ」
進はぎこちなく笑う。死んだ父の階級は大佐だった。准将になれば、進は父を超えてしまう。
「私はそのうち自分を大元帥に昇進させようと思うのだが、そのときこそ貴様を将官にしてやろう」
冗談めかして北極星は言う。近年で大元帥なんて称号を使ってるのは北の将軍様くらいだぞ。
作戦は二十三時開始の予定だった。今回の作戦は戦略物資違法輸出の阻止である。稲葉さんが指揮する陸戦部隊が現場に踏み込み、ゲリラがGDで反撃してくれば進と北極星が出るという手はずだ。沖には海軍の駆逐艦が一隻であるが待ち構えており、貨物船程度では突破できない。
今夜、横浜港で不法取引が行われるという情報を掴んだのは特務飛行隊諜報部だ。停戦ライン内への日本軍侵入禁止は解除されているため、特務飛行隊の存在意義は消滅した。そのためすでに飛行隊そのものは春の戦争で壊滅した後再建されず、解体されている。隊長だった稲葉さんは秋山の後任で南関東方面軍司令に就任し、進とエレナも転属となった。
しかし停戦ライン内の状況を熟知しているのは特務飛行隊諜報部だけだ。諜報部だけは空軍唯一の情報機関として当分の間存続が決まり、活動を続けている。
進は横浜港に向かい、目標の船を視認できる位置に陣取った。東京から横浜港まで、進は〈プロトノーヴァ〉を徒歩で移動させた。空戦兵器であるGDだが、二本の足がある以上、歩いて移動することも可能だ。パイロットの神経系を利用した機体制御により、人間とほとんど同じように動ける。
今回は相手に見つからないことが優先されたため、徒歩移動と相成った。空を飛べば夜間とはいえ視認される危険があるし、何より推進剤を使うのでかなりうるさい。その点徒歩移動であれば実質的な重量はかなり軽減されているので、GDは比較的静かに動ける。
〈プロトノーヴァ〉は北極星の〈ヴォルケノーヴァ〉と並んで港を見渡せる高台に待機する。両機とも白と赤という目立つ色なので、今はGD用の黒いマントを着せている。機体色そのものを塗り替えてもよかったが、いざ戦うときには目立った方がよいという北極星の判断でマントをかぶせるに留まった。ノーヴァシリーズの驚異的な戦闘力を喧伝すると同時に、味方の士気を高揚させたいらしい。
稲葉さんの率いる陸軍の歩兵部隊は手際よく船に積み込まれる直前のコンテナを止め、臨検を開始する。コンテナを開けられて中身を確認された時点で敵も穏便に済ませることを諦めたようで、船から小銃を抱えた一団が現れ発砲した。
稲葉さんは即座に反撃を開始し、部隊は散開して撃ち返す。後方からはジープに迷彩柄の装甲を巡らせたような外見の軽装甲機動車が駆けつけ、天上ハッチを開けて軽機関銃ミニミで歩兵部隊を支援する。相手の反応も早く、同じように船からミニミを持ち出してきた。これで火力は互角だ。
同時に港付近にある倉庫の天井が破られ、何体もの〈疾風〉が姿を現す。やはり彼らはGDを隠し持っていたのだ。
『私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……! GDは貴様らには過ぎた力だ。片付けてやる!』
〈ヴォルケノーヴァ〉はマントを脱ぎ捨て、空へと舞い上がった。
「出番だな!」
進も北極星にならい、マントを捨ててバーニアを全開にする。
〈プロトノーヴァ〉、〈ヴォルケノーヴァ〉の参戦を合図に地上の稲葉隊は突撃を掛けた。乱戦に持ち込んで、敵GDに狙われないようにするためだ。進と北極星の役目は、彼らを守ることである。早急に敵GDを殲滅しなければならない。
『想定より敵の数が多い! 一気に決めるぞ!』
敵GDは想定の五倍といったところで、二十機以上いた。度重なる討伐によりゲリラたちはかなりのダメージを被っているはずだが、いったいどこから支援を受けているのだろうか。
二対二十。いくらノーヴァシリーズでも、普通ならここまで数に差があると厳しい。しかし焔北極星は、世界最高級の技量を持つパイロットだ。
北極星は編隊を組んで突っ込んでくる〈疾風〉にまず60ミリレールカノンを撃ち込む。砲弾は右端の一機に命中した。哀れな最初の生け贄は脚部を撃ち抜かれ、ロケットエンジンに引火して爆散する。
敵の〈疾風〉は胸部にしかまともな装甲がない初期型らしい。装甲のない部分を狙えば一撃で確実に仕留められるため、やりやすい相手だ。
残っている敵は怯まずに撃ち返してくるが北極星はバレルロールでかわし、敵機とすれ違いざまににショットカノンを放つ。APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)は〈疾風〉の側面装甲を貫き、パイロットは即死だ。燃え上がりながら〈疾風〉は墜落した。
ここで終わらないのが北極星だ。〈ヴォルケノーヴァ〉はその機動性を活かして機体をくるりと反転させ、背を向けている敵機にショットカノンの乱れ撃ちを浴びせる。敵機は次々と撃破され、北極星はさらに接近してプラズマレンチで白兵戦に持ち込む。剣の勝負で北極星に対抗できる者はおらず、敵勢は一方的に押されまくった。
進も北極星ほどうまくはやれなかったが〈プロトノーヴァ〉の機動性で敵機を圧倒した。
進は丁寧に敵の攻撃を回避し、避けきれなければ頑丈な最新型複合装甲で耐える。敵は〈プロトノーヴァ〉を追いかけるのに夢中で各自バラバラに散開する。こうなれば敵はお互いが邪魔になり、相互支援することができない。進は背部大型バーニアをフルスロットルにして攻撃に転じる。
『我々にはなぜ質量があるのか。なぜ質量に縛られているのか。我々の意識は遙か十一次元から投影されるホログラムに過ぎない……。本来我々はもっと自由なはずなのだ……。我々はその意味を考えなければならない……。我々が争う必要はない……』
進はどこかでバカが流し始めた〈スコンクワークス〉の反戦演説をスルーし、戦いに集中する。
〈プロトノーヴァ〉は敵が反応できないスピードで加速し、進は敵の弱点を狙ってレールカノンやショットカノンを次々と見舞った。
百発百中で敵の弱点を撃ち抜くとまではいかないが、それなりの損害は与えられる。無理に一撃で倒そうと思わず、被弾して動きが鈍った相手を落ち着いて仕留めればいい。不測の事態を避けるため、プラズマレンチは封印安定だ。北極星に比べれば拙い戦いぶりであるが、ゲリラの初期型〈疾風〉相手なら負ける要素はない。
初期型〈疾風〉は前大戦において緒戦で本格的な装甲を備えたアメリカ軍の〈バイパー〉相手に苦戦し、西日本失陥の原因になった機体だ。胸部以外にレールカノンが命中すれば一撃で爆発炎上していたため、アメリカ軍には「ワンショットライター」、「フライングジッポー」などというあだ名で呼ばれた。
当時の日本はようやくGDの独自開発に成功したばかりで、運用も手探りだったのだ。日本軍首脳はGDに必要なのは装甲ではなく機動性だと判断し、また強靱なフレームの開発が難航するなどGDに充分な防御力を持たせるノウハウが不足していた。そのため防御力軽視の〈疾風〉を正式に配備したのである。
ところが実戦に投入してみれば、思いの外〈疾風〉の被弾は多かった。初速マッハ十を超えるレールカノンの砲弾を全て避けるのは、いくらGDでも難しい。しかもそのレールカノンを使用する敵もGDなのだ。
一方、アメリカ軍は独自開発にこだわらず、〈スコンクワークス〉が持ち込んだ量産型GDのライセンス生産、独自改良を続けていた。こうして防御力の差でアメリカ軍を相手に初期型〈疾風〉は大損害を被ったというわけである。
その後フレームを強化して新型の軽量複合装甲を装着し、ロケットエンジンや燃料タンクにも着火対策を施した後期型〈疾風〉が登場した。現在の正規軍にはこちらが主に配備されている。押し出される形で初期型〈疾風〉は市場に流れ、ゲリラたちの主力として依然使われているのだった。
進は戦いながら特務飛行隊時代のことを思い出す。特務飛行隊には後期型〈疾風〉などほとんど入ってきておらず、敵も味方も初期型〈疾風〉で被弾したら終わりという綱渡りの戦いを続けていた。
進が生き残れたのは、後期型〈疾風〉を割り当てられることが多かったからだ。貴重なグラヴィトンイーターの被験者ということで、稲葉さんが優先的に後期型を回してくれたのである。ベテランには後期型より挙動の軽い初期型を好む者が多かったので、特にパイロット仲間から文句が出ることもなかった。
パーツが手に入りづらいため後期型を出せないときは進も初期型に乗ったが二、三回だけである。装甲の差は生存率の差に現れる。ゲリラの初期型〈疾風〉は今の進には恐るべき敵ではなかった。
進は次第に敵勢を追い詰めていった。進はレールカノンとショットカノンを雨あられと撃ち込み、這々の体で敵は逃げ回る。こんな風に単機で無数の敵を撃破したのは、進にとって初めての経験だ。〈プロトノーヴァ〉の性能頼みとはいえ、自分もこれだけやれる。感じられた手応えに、サイドスティックを握る手が熱くなる。
詰めを誤ったのは、経験不足が原因だろう。残り三機というところで、敵に向けていたショットカノンの弾が切れたのだ。敵は砲を向けたまま撃ってこない進を見て何が起きたか察し、レールカノン片手に突っ込んでくる。
レールカノンは砲身冷却中で使えない。ショットカノンの弾倉を交換する余裕はない。北極星は離れた位置にいて、支援は間に合わない。調子に乗って敵機に接近しすぎていたので、逃げることもままならない。敵機はレールカノンを撃ち、〈プロトノーヴァ〉が被弾の衝撃で揺れる。このままでは、次に来るショットカノンの雨に耐えられないだろう。
進は焦りながらも対応する。
「あークソ、こうなったら!」
〈プロトノーヴァ〉は右肩に下げている荷電粒子ビームカノンを手にして、敵勢に向かって放つ。敵勢は進の行動から何をしようとしているのか察知し、回避機動をとった。進はビームが掠めた一機だけを何とか撃破する。
荷電粒子ビームカノンは改良の結果、射程は四キロメートルまで伸びていた。72ミリショットカノンの有効射程と同程度であり、ようやく実戦に投入できるスペックを獲得したといえる。しかし射程を伸ばせばその分進に負担が掛かるため、連射は禁物だ。グラヴィトンイーターになったばかりの進では耐えられない可能性が高い。ビームカノンの砲身も、自らの熱に耐えられず溶けてしまうだろう。
だが自分の体を気にしていられる状況ではない。撃てなければ、撃たれて殺される。
進は荷電粒子ビームカノンの二射目を撃った。心臓が握りつぶされたように痛み、左手のグラヴィトンシードは苦しげに黒い光を放つ。目眩と動悸を覚えながらも進の照準は正確で、二機目を撃破。
まだあと一機残っている。最後の〈疾風〉はショットカノンの発射態勢に入っていた。〈疾風〉は進とほぼ同時に引き金を引く。
超高温のビームは〈疾風〉の放った砲弾さえも溶かし、〈疾風〉を消し炭にした。進は心臓に激痛を感じて飛行していられなくなり、着陸する。〈プロトノーヴァ〉も無理をしたせいか各部から黒煙が上がり、機能停止状態に陥る。計器類は全て異常な数値を示し、液晶モニターは真っ白だ。
『進! 大丈夫か!』
敵を全滅させた北極星は〈ヴォルケノーヴァ〉を進の直上に移動させて尋ねる。敵の奇襲を警戒してくれているのだ。荒い息をつきながら、進は答えた。
「ああ、平気だ」
未だに胸が痛み、全身がびりびりと痺れていたが、とりあえず命の危険はなさそうだ。荷電粒子ビームカノンは熱で真っ赤になりながら白い蒸気を噴き、右曲がりに変形していた。進は機体を傷つけないため荷電粒子ビームカノンを眼前の海に投棄する。ビームカノンのデータは機体側でモニターしているため、データは持ち帰れる。
大きな水柱が上がり、〈プロトノーヴァ〉は海水を浴びた。
稲葉さんは船の制圧を完了し、コンテナを確保していた。沖で待機していた海軍の駆逐艦は通せんぼするように貨物船に砲塔を向けて万が一に備える。
GDと違ってスペースを気にする必要がない駆逐艦は充分な冷却装置を積み込み、三連砲塔のレールカノンで毎分三十発の弾幕を張れる。たとえ無理矢理船を出港させようとしても、一瞬で撃沈だろう。
進は軽装甲機動車の中で休ませてもらい、稲葉さんたちはコンテナをチェック、整理する。稲葉さんたちの仕事が終わる頃には進も回復していたので、北極星と一緒にGDで帰ることになった。ただし、今日の戦いで回収したコンテナとともにである。
「なあ、この中身は結局何なんだ? そろそろ教えてくれてもいいだろ?」
コンテナを前にして、進は北極星に訊く。北極星は教えてくれない。
「フフフ、それは帰ってからのお楽しみだ」
そう言われるとますます気になる。北極星と進が作戦に参加した程だし、よほど貴重なものがコンテナには詰まっているのだろう。進はそわそわと基地に帰る準備を始めた。