1 新しい生活
ちなみに、本作の原型を作ったのは『葬送のデュオ・ノーツ』と同時期だったりします。両方とも成功したら、『斉天のヴォルケノーヴァ・ノーザンクロス vs 葬送のデュオ・ノーツ』を書こう、なんて考えてたり。なお、永久にまにあわんもよう。
2nd world:2025
「──成恵っ、成恵ーっ!」
進がそう叫んで手を伸ばした先は、部屋の天井だった。進はハッと我に返る。
「夢、か……」
ベッドの上で半身を起こし、進は一人つぶやく。汗でぐっしょりとパジャマが濡れ、痛いくらいに動悸が早くなっていた。進は本当に夢を見ていたのかと落ち着かず、部屋の中を見回す。
カーテンからは朝陽が差し込み、チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえる。安物の机に数冊の本が積み重ねられ、ハンガーには何着かの古びた服が釣り下げられているだけの殺風景な部屋だった。間違いなく進の部屋だ。先程までのリアルな戦場はどこにもない。進は誰もいないことを確認してから安堵の息をついた。ここは筑波市の進の家であって、東京の戦場ではない。
全く、悪夢を見て叫んでしまうなんて、十七歳にもなって恥ずかしい。うっかり己のリビドーを放出するところを美月に見られてしまったときも、ここまで大声では叫ばなかった。進は一人で赤面し、ぽりぽりと頭を掻く。今回は間違って美月が覗いていたりしていなかったのが救いだ。
進はベッドの脇に置かれた時計を見る。まだ午前六時半だった。十分に時間がある。進はベッドから降り、大きく背中を伸ばした。
進は左手に包帯を巻きつつ、昔のことを思い返す。
一人で起きられるようになったのは、いつからだっただろう。小学校のとき、進は朝が苦手で、毎朝近所に住んでいた成恵が起こしにきてくれたものだった。成恵なしでも起きられるようになったのは、進が大人になったということであり、成恵との別れからそれだけの時が過ぎたということでもある。成恵がいなくなってから、もう十年が経った。
「『空で、また会おう』か……」
進は成恵の最後の言葉を思い出す。これはパイロットになる夢をかなえて、進と一緒に空を飛びたかったということだったのか、それとも……。
全てのはじまりは、2011年のことだった。
突如、数千人の異世界からの来訪者とともに北米大陸に現れた「黒い渦」は瞬く間に北アメリカ全土を覆い、大陸を人の住めない不毛の地に変えたのだ。アメリカ人たちは異世界人に怒り詰め寄るが、「黒い渦」は異世界人たちにも手に負えるものではなかった。
アメリカ人たちは「黒い渦」に抗する術がないことを知ると、レミングの群れのごとく北アメリカ大陸から脱出を始める。発生した三億を超える難民は地続きの南アメリカのみならず、海を越えてヨーロッパや東アジアに押し寄せた。
すったもんだあった末、日本政府も難民を受け入れる。しかし「黒い渦」は電波障害や精密機器の故障を引き起こし、未曾有の経済混乱が世界を襲っているという状況だった。難民への支援策は行き届かず、アメリカ人たちは不満を募らせ、ついには在日米軍を中心に武力蜂起が起こってしまう。2016年のことだった。
辛くも関東近辺の在日米軍を日本軍は制圧するが、在日米軍主力は沖縄を拠点に九州に上陸した。関東に目を奪われていた日本軍は簡単に九州を失陥、日本軍は総崩れとなり、一気に西日本全域を制圧された。
進たちが巻き込まれたのは、これに続く東京の攻防戦だ。西日本を抑えた在日米軍は箱根の最終防衛線を突破して東京に雪崩れ込み、激しい市街戦となった。「冷静な対応」を呼びかけていた政府は麻痺状態に陥り、政府要人は我先に東京を脱出する始末である。畢竟、ただでさえ遅れていた市民の避難は完全にストップし、数百万人の犠牲者を出したのだった。
仙台へと逃走した政府は東京奪還に血道を上げ、何度も東京攻防戦が行われた。大戦末期にはアメリカ軍が箱根を越えては追い落とされるという繰り返しになり、完全に泥仕合と化してしまった。死力を尽くした両軍の攻防に双方の国民は疲弊、国力は限界に達し、ついに休戦協定が結ばれる。箱根と冨山を結ぶ停戦ラインが引かれ東側が日本、西側がアメリカ亡命政権のものとなる。
東京こそ守りきったもの日本は西半分をとられ、休戦という形式ではあるが実質的には敗戦である。箱根付近を含む停戦ライン近辺は非武装地帯とされ、戦力の配置を禁止された。アメリカ軍はいつでも関東に侵入できてしまう。
運良く母の実家がある茨城に逃れられた進と美月の兄妹は、荒れ果てた東京に戻らず、そのまま茨城に住んでいる。このアメリカ軍との戦争以来大きな戦争はなく、兄妹はどうにか平和な暮らしを送っているのだった。
進は二階の自室から出て階段を降り、キッチンへ向かう。仕事がないときは、朝食を作るのは進の役目だった。家事は妹と分担しているが、仕事で忙しい進は実のところほとんどやれていないので、暇なときは積極的に家事をすることにしている。断じて家でも会社でも容赦なく働かされる悲しいお父さんの図ではない。
煌家に両親はいない。父は軍人で九年前の戦争でパイロットとして戦って撃墜され、行方不明となった。女手一つで進たちを育てた母は無理が祟ったのか一昨年に病気で倒れ、逝ってしまった。
進は前日のうちにセットしておいたご飯が炊きあがっているのを確認し、電子レンジで昨日の残り物を温めつつ、手早くクッキングヒーターで味噌汁を作る。食材に全く肉が無いなど、ここ十年で日本がずいぶん貧しくなったことを肌で経験している進だが、この町は電気にだけは困らない。市内北部の木星級重力炉様々だ。進は左手に巻いた包帯を濡らさないように注意しつつ、調理を進めた。
朝食ができる頃には食べ物の臭いに釣られたのか、美月が起き出してくる。
「おはよう、お兄ちゃん……」
目を擦りながらテーブルに着く美月に進は「おはよう」と手短に返す。美月も夢で見た九年前に比べると、当たり前だがすいぶん成長した。人懐っこそうなかわいらしい顔はそのままに身長も伸びて、随分女の子らしくなっている。胸だけは全く成長していないが、きっと遺伝だろう。死んだ母も胸は小さかった。
「おはよう、服はちゃんと着ろよ……」
進は苦笑いを浮かべながら挨拶を返す。美月はパジャマの下をはいていなかった。寝苦しくて脱いでしまったらしい。子どもっぽい白の下着が上着の裾からチラチラと覗いている。
「……お兄ちゃんの変態」
美月はジト目で冷たい声を浴びせてくるが、みっともないので注意しただけである。断じて妹のパンチラになど興奮していない。見慣れているからね!
進がテーブルに料理を並べると、美月は眠たそうな顔のまま食べ始めた。進は美月のために牛乳を用意する。美月は朝、牛乳派なのだ。進も軽く片付けを済ませた後、美月の向かいに座って朝食を食べる。朝は低血圧なせいで美月が大人しいので、進も無理に話しかけたりしない。テレビのニュースを眺めながら、進は黙々と朝食をかき込む。
朝食を食べ終わる頃には美月も日中の元気を取り戻していた。美月はおろしたてのセーラー服に着替え、鏡の前でポーズをとったりしている。うかうかはしていられない。自分も着替えなければならないのだ。なぜなら進も今日から学校に通うからである。
「美月、こんなもんでどうかな」
真新しい紺色のブレザーに身を包んでネクタイを締め、進は美月に尋ねた。
「うん、似合ってるよ、お兄ちゃん」
美月は白いシュシュで纏めたポニーテイルを揺らしながら、笑顔でうなずく。シュシュは去年の誕生日、進がプレゼントしたものだ。母が亡くなった去年は何かと入り用で、こんな程度が精一杯だった。今年はもっといいものをやりたい。
進は美月の様子にホッとして、鞄を手にした。今日は入学式だ。初日から気の抜けた格好をしているわけにはいかない。
「前々から思ってたのよね。お兄ちゃんには、軍服なんか似合わないって。お兄ちゃん、自分の小学校の頃のあだ名、覚えてる?」
美月は神妙な顔をして腕組みする。進はちょっと考えてから、答える。
「……三歩下がって二歩進?」
「そう! あんまりにもぼーっとしてたから、先生にそう言われてたんだよね。そんな人が軍隊なんて絶対無理だよ。帰ってきて正解だったね」
「はは……そうかな?」
美月に進の本当の仕事を教えたら、どんな反応をするだろうか。きっとあまりの驚きに卒倒するに違いない。
美月は自信たっぷりに言う。
「絶対そうだよ! 稲葉さんの会社にも入れたし。あの人は本当にいい人だよ。働かせてもらえて、その上高校にまで行かせてもらえるんだから」
そこまで言って美月はポン、と進に抱きついた。
「もうどこにも行かないでね、お兄ちゃん」
「わかってるよ。そろそろ時間だ。行くか」
進は美月に同意して頭を撫でてから、時計を指す。いつの間にかギリギリの時間になっていた。初日から遅刻はしたくない。
「うん!」
美月は進から離れ、家を出る準備を始めた。
数年前に建てられたばかりという高校は小綺麗で、緊張の面持ちをした新入生たちがぽつりぽつりと正門をくぐっていた。
2016年に始まった戦争でほとんど全土が焼け野原になった日本だが、こと進たちの住む筑波市だけに限っては戦後に復興と開発が進み、戦前よりも賑わっている。筑波は他の地域より食料事情もよく、夜中に出歩いても問題ない程度には治安も回復していた。この高校のように人口増加で新しい施設もどんどん建てられている。
進も美月と二人で学校の敷地に入る。靴箱前にクラス分け表が張り出されていて、人だかりができていた。進たちは人混みをかき分け、自分の名前を探す。先に名前を見つけたのは美月だった。
「あ! お兄ちゃん、一組だよ! 私も同じクラスだ」
「ん? あ、本当だ」
まさか兄妹同じクラスとは。進は苦笑いを浮かべながら教室に向かう。
教室に入ると、意外な顔がいた。彼女は進に話しかけてくる。
「進さん、同じクラスですね」
「エレナ!」
仕事仲間の楠木エレナだった。エレナは愛嬌のある顔をほころばせて、笑う。
エレナは癖のある金髪が美しい、ハーフの少女である。お子様体型の美月と違って出るところが出ていて、非常にエロい……もとい、魅力的な体をしている。体型のせいでとてもそうとは思えないが、美月と同い年だ。少し垂れ目の優しそうな顔をしているが、いろんな意味で過激派だったりもする困った子である。
エレナはとある場所で監禁されていたが一年前、進によって救出され、今では進とともに稲葉さんのところで働いていた。同年代でそんな経緯があるせいか、エレナは進によく懐いていて、仕事以外でも付き合いがあった。
「エレナもこの学校だったのか」
意外そうに進が言うと、エレナは笑って返す。
「同じ学校に受かったと、この前お教えしたではありませんか。覚えてらっしゃらない?」
「あれ? そうだっけ?」
素で忘れていた進は首を傾げるが、エレナは意に介することなく進の上着のボタンに手を掛ける。
「あら進さん、ボタンを掛け違っていますよ」
「え、おう……」
エレナは進のボタンを直し、そのまま流れるように進の手を取って進の胸にしなだれかかった。左手に巻いている包帯がずれてしまい、進はやきもきする。
航空学校での古傷を隠していると美月には説明しているが、それは嘘だ。包帯の下には、見せられないものがある。ずれた包帯の隙間からは、白い鉱石のようなものが見えていた。
この白い鉱石のようなもの──グラヴィトンシードは、国家機密級の代物である。グラヴィトンシードが覚醒すれば進は重力から解き放たれた超人、グラヴィトンイーターとなれる。
「三年間、一緒に思い出を作っていきましょう、進さん……」
エレナは顔を赤らめてそんなことを言う。こういうことをされると、非常に反応に困る。進は目を白黒させながら「え、ああ……」とはっきりしない返事をしつつ、さりげなく包帯を直した。
そこに割って入ったのは美月だった。
「は~い、ストップ! エレナ、アウト~!」
美月は進からエレナを引き剥がし、進は内心ホッとする。エレナはニヤリと笑って美月に言う。
「あら美月さん、ジェラシーですか? そろそろお兄さん離れした方がよいのでは?」
負けずに美月もやり返す。
「何言ってるの、お兄ちゃんは一生私のお兄ちゃんだよ? お兄ちゃんは私がいないとだめな人だし。エレナちゃんは、お兄ちゃんの何なのかな?」
「あら、言わなければわかりませんか?」
そう言ってエレナが不気味に笑うと、美月は「エレナちゃんが、何か勘違いしてるのはわかったわ」とやはり不気味に笑う。
どうも女の子というのは苦手だ。普段は仲がいいのに、突然陰湿なやり合いをする。本気で仲が悪いわけではないことはわかっているが、人間の汚い部分を見せつけられている気になる。
その点、成恵は潔かった。男だろうが女だろうが、気に入らなければはっきり言う。そしてぶん殴る。相手の数が多かろうが、相手が大人であろうがお構いなしだ。容赦なく武器を使ったり罠を仕掛けたりして、見事に勝ってしまう。あれほど勝利の神に愛された女は見たことがない。
そしてそんな成恵の相棒を務めていたのが進だ。「背中は任せた、進」。そう言って成恵はどんなに相手の人数が多くても飛び込み、滅茶苦茶にしてしまう。全く、嵐のような女だった。今でも目を閉じれば、まぶたの裏にその光景が浮かんでくる。
「進さん!」
「お兄ちゃん!」
エレナと美月が続けて進を呼ぶ。慌てて進は反応した。
「な、なんだ?」
「「今、他の女の子のこと考えてたでしょう!」」
エレナと美月の二人に詰め寄られ、進は後退る。こういうときだけは息がピッタリな二人だった。
やがて先生が教室に入ってきて、ホームルーム、入学式とつつがなく予定を消化していく。入学式の後には再びホームルームで、自己紹介が待っていた。進は少し悩んだが、本当のことを話してしまうことにする。変に隠す方がおかしいだろう。
すぐに進の番は回ってきた。進は立ち上がり、自己紹介を始める。
「春日中出身、煌進です。一昨年までは福島の航空学校に行ってました。皆さんより二歳年上ですが、気にしないでください。よろしくお願いします」
進の言葉を聞いて教室の中が若干ざわめくが、それだけだった。むしろ級友たちは進の年齢より名字を気にする。
「煌って珍しい名字だな~」
「煌ってひょっとして、前の戦争で活躍した……?」
進の父のことを知っている者もいるようだが、戦争など九年も前の出来事だ。そこから話が広がることはなかった。申し訳程度に拍手され、次の人が自己紹介を始める。進は席について、フゥッと一息ついた。
自己紹介が終わると教科書の配布や授業の説明などが行われ、十一時過ぎに解散になる。進が帰宅の準備をしていると、エレナが駆け寄ってきた。
「進さん、一緒に帰りませんか?」
美月もすぐに来て、
「お兄ちゃん、一緒に帰ろう!」
「ん、ああ……」
進は曖昧な返事をするが、エレナと美月は向かい合って火花を散らす。
「美月さん、ここは遠慮してくれませんか。進さんをエスコートするのは正妻の役目でしょう?」
エレナが言えば、美月も言い返す。
「私、エレナちゃんが何を言ってるのかわかんないな。私はお兄ちゃんに悪い虫がつかないように、監視しなくちゃいけないの」
二人の笑顔が怖い。進としてはどちらでもいいので、早く帰りたいのだが、そうもいかないようだった。
進たちを遠巻きにしている男子の集団は、進に羨望のまなざしを向ける。
「初日から美少女二人に迫られるなんて……!」
「クソっ、これが年上の魔力か!」
「女子には俺たちはガキに見えるんだろうなあ……」
見当違いの妄想を膨らませる男子たちに、進はため息をつきたくなった。どうせなら進もエレナと美月だけでなく、クラスメイトとも親睦を深めたいのだが……。
そう思った矢先に、進の携帯電話が鳴る。送られてきたメールを見て、進はすぐにエレナに声を掛けた。
「エレナ、仕事だ」
「はい!」
エレナは返事をして、美月も尋ねる。
「お兄ちゃん、仕事?」
「ああ。夕飯はいらない」
「わかった。お仕事、がんばってね~!」
美月が手を振ってくれるの見てから進は美月に背を向け、走り出す。エレナも「美月さん、また明日会いましょう!」と手を振り、進に合わせて駆け出した。
午後も更新します。