30 決着
東京を離れた進と北極星は南西に進路をとり、伊豆半島沖を目指す。北極星の読みでは、その辺りまでアメリカ海軍の空母戦隊が進出しているということだった。
ファウストを倒し、秋山の始末をつけたことで戦いは終わったかといいえば否である。西日本アメリカ合衆国亡命政権が筑波を落とす千載一遇の好機は、まだまだ続いている。
いくら秋山を潰しても、すぐに南関東方面軍が再び日本軍として活動できるわけではない。筑波を守る盾がそっくり消失したという事実には変わりないのだ。筑波が陸と海から同時多方面攻撃を受ければ、地方の日本軍が寝返る可能性は十二分にある。
無理をしてでも、アメリカ軍に打撃を与えなければ戦争は終わらない。そこでノーヴァシリーズ二機によって米海軍空母艦隊を強襲するという作戦の実施を北極星は決断した。
いかにノーヴァシリーズが強力でも、空母の艦載されているGDに飽和攻撃を受ければ勝敗は五分五分といったところだ。加えて進と北極星には連戦の疲れがある。リスクの高い作戦だ。
しかしここで進と北極星がリスクを冒さなければ、筑波を米軍の攻撃のリスクにさらすことになる。進たちが空母艦隊を看過すれば米軍のGDによる爆撃で自分、家族、友人の命を失う人が大勢出る可能性が高い。
米軍の爆撃に備えて筑波の空の守りを固めればいいという話でもない。この艦隊を陸地に少しでも近づけると、レールカノンの艦砲射撃で地上に大きな被害が出る可能性が出てくるのだ。戦闘艦のレールカノンはGDのそれより射程も威力も高い。位置取り次第では洋上から筑波を充分狙える。
艦砲射撃は「黒い渦」のせいで索敵が機能しない現在の環境では、同士討ちの危険が高い作戦である。また、艦砲射撃を行えば位置が露見するのでGDによる反撃も覚悟しなければならない。制空権を確保できていない状況では実行をためらわれる作戦だが、ファウストが死んだと知ればアメリカ海軍は日本軍による反撃を覚悟で勝負に出るかもしれない。今、叩くしかない。
北極星の予想通り、米艦隊は静岡近海にいるようだった。進たちは空母が飛ばした偵察機と遭遇したのである。
すぐに北極星はアメリカ海軍の偵察機を叩き落とし、敵機の飛行コースから敵空母の位置を割り出す。予測位置に向かって飛ぶと、レーダーは敵艦隊を捉えた。
「こりゃすごいな……」
モニターに映った情報を見て、進はうめく。空母二隻を十隻近くの駆逐艦、巡洋艦が囲んで護衛している。この艦隊だけで中小国の海空軍は簡単に制圧できるであろうという戦力だ。前の戦争で戦力の大半を喪失した日本海軍などでは全く相手にならない。
『進、貴様は私を護衛しろ。私が空母を沈める……!』
北極星の通信を受けて、進は首をひねる。
「おまえがやるのか……? 俺の荷電粒子ビームカノンなら一撃だぞ?」
〈ヴォルケノーヴァ〉の武装は基本的に空戦用である。対艦ミサイルなどを装備してくれば別だったが、今の武装では空母を沈めるのはほとんど不可能に近い。
『たわけ。貴様のビームは射程が短すぎる。どうやって空母に近づくつもりだ』
言われてみれば、北極星の言う通りだ。空母を護衛している駆逐艦、巡洋艦はビーム兵器こそ搭載していないものの、対空用レールカノンでハリネズミのように武装している。わずか射程一キロの荷電粒子ビームカノンでは近づくことができず蜂の巣だ。
「でもおまえの武器でどうやって空母を沈めるんだ……?」
『安心しろ、相手がグラヴィトンイーターでないなら、使える手段がある……!』
北極星がそこまで言ったところで、敵艦隊から多数の迎撃機が上がってくる。これは問答をしている余裕はなさそうだ。進は北極星の邪魔にならないように注意しながら、北極星を守って戦い始める。正直数が多すぎるので、保って五分だ。
〈ヴォルケノーヴァ〉は海面すれすれまで降下して、右手を上に掲げる。
『ここなら他に被害もあるまい……! 運が悪かったな……!』
〈ヴォルケノーヴァ〉の右手に黒い塊が現れ、同時に海が荒れ始める。ファウストを倒したときのように、高濃度の重力子にエネルギーを加えて北極星はブラックホールを作っているのだ。ブラックホールは熱を放出しながら蒸発し続けるため、黒い塊の周囲は白っぽく光っている。
ファウストにブラックホールを直接ぶつけなかったのは、ファウストもグラヴィトンイーターなのでブラックホールを無効化できるからだ。標的となっている艦は一部にグラヴィトンドライブを搭載しているとはいえ、重力子の分解上限は低い。グラヴィトンドライブを搭載していない艦さえある。グラヴィトンイーターのいない艦隊はブラックホールによる直接攻撃に抗する術はない。
史上初のグラヴィトンイーターによる戦略攻撃は北極星によって敢行された。〈ヴォルケノーヴァ〉は重力球を投げつける動作をする。重力球は海中に沈み込みながら艦隊を一直線に目指し、次々と船が転覆していく。まるで巨大な渦潮が移動しているかのような風景だ。
輪形陣の真ん中に陣取った二隻の巨大原子力空母さえ例外ではなかった。空母は異様に小さな水柱を上げつつ真ん中から真っ二つに割れ、海中のブラックホールに引き寄せられて沈没する。この程度では原子炉の容器は破損しないので、大きな放射能漏れの心配はない。北極星が重力子濃度を戻してブラックホールを消したとき、海上を巨大な魔物のように進んでいた艦隊群は、綺麗さっぱり消えていた。
ちなみに今回北極星は海中でブラックホールを使ったので、宇宙へのブラックホール廃棄は行っていない。水素原子は中性子の動きを効率よく阻害するので、水中に沈めればブラックホールの核である中性子の塊は急速にエネルギーを失う。中性子はβ崩壊して重水となり、莫大な量の海水によって薄められるので実質的に害はない。発生した熱によって海面に少し湯気が立っただけだった。
『撤退するぞ、進!』
「了解!」
すぐさま進と北極星は撤退を開始する。まだ空には敵GDが残っていたが、構うことはない。
これでこの戦争は終わった。万全の状態となった北極星は同じ攻撃を都市に仕掛けることが可能だ。アメリカ亡命政権側は戦意を喪失したことだろう。艦隊の喪失によって同時多方面攻撃が不可能となり、逆に西日本アメリカ亡命政権の諸都市は北極星の奇襲に常に怯えなければならなくなる。
ファウストがいない今、アメリカ軍の迎撃をかいくぐって大坂に戦略核級のブラックホールを撃ち込むという作戦は充分に現実的なものなのだ。単機ならほとんど賭けのような作戦であるが、進が随伴することで成功率は十倍以上に跳ね上がる。ブラックホールを生み出すときの隙を進が埋められるからだ。
前の戦争で核兵器が使われなかったのは、亡命政権が確保できた核戦力があまりに貧弱だったという事情もあるが、基本的にはアメリカ側の目的が北米大陸に代わる土地の占領だったからである。移民を入植させる土地に放射能をばらまくのは本末転倒だ。またアメリカ亡命政権を支持していた欧州諸国の援助を失う可能性があったため、亡命政権は核の使用に踏み切れなかった。
同様に日本側も国土を汚染する兵器を使うのは論外だった。そもそも日本は核兵器を保有していない。
アメリカ亡命政権が進退窮まれば核攻撃という最後のカードを使うこともありえるので、日本側から西日本に攻め込むことはない。しかし北極星という抑止力が機能することによって、なし崩し的に始まった今回の侵攻は止まるだろう。
一刻も早く和平を結ぶことだけが、アメリカ亡命政権にできる唯一のことだった。
○
長い一夜が明けて、進は久しぶりの自宅に戻る。この場所を守るため、進は戦ったのだ。進と北極星は自宅近くの大通りに機体を着陸させ、機体から降りる。
北極星は進の目を見て、手鏡を渡す。
「貴様はまだまだ半人前だな。目の色が戻っているぞ」
「あ……本当だ」
進は鏡を覗き込んで〈プロトノーヴァ〉に乗っていたときは青色になっていた目が普通に戻っていることに気付いた。グラヴィトンイーターになってまだ間もないため、力が弱いらしい。青い目で日常生活を送るのもなんなので、とりあえずはありがたい。
家に入る前に、進は北極星に言った。
「ありがとな。おまえのおかげで……俺はここに帰ってこられた」
「何を言う……。助けられたのは私の方だ。貴様がいなければ、私は重力炉の中から脱出できなかった」
北極星はたおやかな笑みを浮かべ、進は頭を掻く。
「それでもおまえのおかげさ……。おまえがグラヴィトンイーターの精神世界で、指輪の場所を教えてくれたから、俺はおまえを助けに行くことができたんだ」
進の発言に北極星は首を傾げる。
「私が指輪の場所を……? 何のことだ?」
「やっぱり覚えてないのか。ずっとおまえは俺を助けてくれてたんだよ」
北極星はしばらく考え込み、何かに気付いたようにニヤリと笑って顔を上げる。
「ふむ……。そうか、そういうことであったか……!」
「? どうしたんだ?」
進は一人で合点がいったとばかりにニヤニヤしている北極星に訊いてみるが、北極星は教えてくれない。
「いや、こちらの話だ。それより早く美月ちゃんに顔を見せるがよい」
まあ、北極星が考えることは自分のような下っ端にはわかるまい。そうでなくても昔からぶっ飛んだ頭をしていたのだ。進が詮索するだけ無駄である。進は頭を切り換える。
「それもそうだな」
進は達成感の余韻に浸りつつ、ドアを開けて家に入った。
「ただいま~」
「進さん……! 絶対、無事に戻ってきてくれるって信じていましたわ!」
まず進を迎えてくれたのはエレナだった。エレナは進の胸に飛び込み、きつく進を抱きしめる。
「エレナ、ありがとうな……。エレナがいなきゃ、俺は何もできなかったよ……」
進はエレナの頭を撫でて感謝の意を示す。エレナは喉を撫でられた猫のように気持ちよさそうな顔をして、進にいっそう強くしがみつく。
「お兄ちゃん……」
エレナの後ろで美月は少しうつむき、不満げな表情をしていた。エレナを優しく引き剥がし、進は美月のところに行く。
「ごめんな。でも、ちゃんと帰ってきたから……」
「わかってる……。もういいの。ちゃんと北極星さんと一緒に帰ってきてくれたから」
進の言葉に美月は吹っ切れたように笑顔を浮かべ、言った。
「おかえりなさい」
その言葉を聞いて、後ろから二人の様子を眺めていた北極星も、玄関に入ってくる。
「北極星さんは、お兄ちゃんとずっと一緒だったの?」
「ふふっ、二人で星空をランデブーしてきたのだよ」
美月の質問に、そう言って北極星はもう明るくなった空を指した。美月は目を丸くして驚き、エレナは悲痛な叫びを上げる。
「ええっ、それって……」
「進さん、私を置いて大人の階段を昇ってしまったのですか!?」
「待て美月、エレナ。おまえたちは何か誤解している」
慌てて進は疑惑を否定する。一緒にGDで空を飛んだのは事実だが、それは話が飛びすぎである。
「さて、私は寝させてもらおう。昨日は寝させてもらえなかったからな」
そう言って北極星は一足先に客間に消える。
「お兄ちゃん~~!」
「酷いですわ、進さん! 私というものがありながら!」
美月は顔を膨らませる。エレナは半泣きだ。
「だから、誤解だっての!」
困った顔をしながら、進は笑っていた。これでいい。これでいいのだ。
「あれ? お兄ちゃんいつの間に指輪なんて買ったの?」
美月が左手の薬指を見て首をかしげた。
「いや、これは、その……」
〈プロトノーヴァ〉の指輪だと言うわけにもいかず、進はしどろもどろになる。
「進さんがけ、結婚!? う~ん……」
エレナはショックのあまりひっくり返り、目ざとい美月はある事実を思い出す。
「そういえば北極星さんも同じ指輪してたよね……?」
美月が半目で下から進の顔を覗き込んだ。
「お兄ちゃん、ゆっくりお話しようか……」
美月がニッコリと笑う。どうやら進はまだ寝させてもらえないようだった。