28 連星
高重力下では時間の流れは遅くなる。相対性理論によってウラシマ効果が発生するのだ。よって進たちがブラックホールの中で主観的にかなりの時間を過ごしたとしても、ブラックホールから脱出すればほんのわずかしか時間は経っていないことになる。
午前三時三十四分、〈ヴォルケノーヴァ〉と〈プロトノーヴァ〉はブラックホールから脱出し、木星級重力炉直上に舞い戻った。
ファウストは施設の破壊を取りやめ、進たちと対峙する。
『なぜ俺の邪魔をする……!』
ファウストの言葉に〈プロトノーヴァ〉に乗った進は言う。
「おまえは自分がやっていることが正しいとでも思ってるのか?」
『おまえこそ、俺を止める権利があるとでも?』
ファウストの一言を進は笑う。
「関係ないね。おまえがこの世界を犠牲にしてでも美月を生き返らせたいっていうなら、俺はおまえを殺してでも美月やエレナのために、俺の隣にいる焔北極星のために、この世界を守りたい。それだけだ」
『ハハハハハッ! 開き直ってエゴを通すか! やはりおまえは俺と同じだな! いつかおまえは、世界を滅ぼすだろう! 俺と同じように!』
ファウストは美月を助けるため、時間を遡ろうとして失敗し、世界を滅ぼした。今のところ進に、失った成恵を助けるために時間を遡ろうという意志はない。しかしこれからもそうだとは限らない。例えばこれから美月を、エレナを、そして北極星を失ったとしたら、冷静でいられる自信はなかった。ファウストの言っていることを進は否定できない。
「あんたを見て、よくわかったよ……。俺はどこまで行っても俺なんだってな!」
たとえグラヴィトンイーターになっても、人間の本質が変わるわけではない。ファウストほどに強くなったとしても、そのとき進がやろうとすることはファウストと何一つ変わらないだろう。相変わらず九年前の成恵のことは忘れられないし、誰か大切な人が傷つけられれば何を引き替えにしても助けようとする。
「だけど俺は忘れていたよ……。俺には、最高に頼れる相棒がいる!」
進の後を受けて〈ヴォルケノーヴァ〉のコクピットから北極星は言う。
『今日この時より進が唯一無二の私のパートナーだ! 私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……! 私は北極星だ! 私の背中が進を導く! もう私たちに負ける要素はない! 貴様との長年に渡る付き合いも、そろそろ終わりにしようではないか!』
もう北極星に迷いはなかった。〈ヴォルケノーヴァ〉がレールカノンを構えてファウストに狙いをつける。ファウストは30ミリハンドバルカンで牽制しつつ後退するが、進が側面に回り込んでレールカノンを向けて十字砲火を浴びせられる位置取りをする。
『ならばおまえたちをこの場で叩き落として、消してやる……!』
「それはこっちの台詞だ。おまえだけは絶対に殺す」
ファウストがうなるように吠え、進も強い言葉で応じた。同じ人間だからこそ、譲れない。この戦いは外交の延長にして政治の決着手段である戦争などではないのだ。どちらか一方が消えるまで殺し合うしかない、自らの存在意義を賭けた戦いである。進にとってファウストは決してわかり合うことのできない異世界人であり、倒すべき侵略者だった。
ファウストは盾で側面をガードしながら進の方に突っ込んでくる。一対多数なら弱い者から落としていくのはセオリーだ。強者の相手をしているときに、弱者に隙を突かれて墜とされてはたまらない。
進はレールカノンを撃って迎撃するが、真正面なのにはずしてしまう。プラズマステルスが効いているため、レーダー照準が怪しくなっているのだ。北極星もファウストに盾で攻撃を防がれた。
ファウストは進にレールカノンを放つ。なんとか進は盾でレールカノンを防ぐが、ファウストは構わずプラズマレンチを抜き、突進してくる。
「くっ!」
進は慌ててファウストの攻撃を避けようと旋回を試みるが、直線加速重視でピーキーな調整の〈プロトノーヴァ〉は思うように動いてくれない。簡単にファウストは進に追いつき、プラズマレンチを振り降ろそうとする。
そこに北極星が30ミリハンドバルカンを乱射しながら接近し、カットに入る。
『焦るな、進! 私に任せろ!』
今まで、北極星にしてもファウストにしても、ノーヴァシリーズのパイロットは一人で戦うのが基本で、他の機体と編隊を組んで連携することはなかった。量産機ではノーヴァシリーズの機動性についていけず、足手まといになるからだ。他の味方はせいぜい囮くらいにしか使えない。
しかし北極星に進が加わり、事情は変わった。二人でコンビを組めば、一方がミスしても一方がカバーできる。
ファウストは接近する北極星への対処に迫られ、北極星の方にターンしてプラズマレンチをハンドバルカンに持ち替えて撃ち返す。進はロッテ戦術の教本通りに高度を稼ぎながらファウストの後ろについた。
後ろから追いかけてくる進に対して回避機動をとりながら、ファウストは北極星とハンドバルカンで撃ち合う。空中で何度も弾同士がぶつかって火花が散り、やがて双方のハンドバルカンが爆発した。お互いハンドバルカンを狙って射撃したのだ。
その時点で両機はかなり接近していたため、二機ともプラズマレンチを抜き、剣での勝負に移る。二機は空中をぐるぐると回りながら鍔迫り合いし、進は射線を確保できない。
二人ともプラズマレンチを両手持ちにして、相手に剣を押し込もうとしていた。機体のスペックだけならファウストの〈エヴォルノーヴァ〉の方が上だ。単純な力比べでは、北極星は勝てない。進に射線をとらせないように機動しつつ、機体のスペックを活かして力尽くで北極星を押さえ込むファウストのパイロットとしての技術は、凄まじいものがある。
「だったら俺も……!」
進はプラズマレンチを抜いた。射撃が不可能なら進も斬り込むまでだ。
実のところ、進はプラズマレンチを実戦で使った経験はない。接近戦になれば72ミリショットカノンを使うのが普通だし、さらに言えばできるだけ接近戦を避けるのが普通だ。接近戦はパイロットに高い技量が必要とされ、不測の事態が起きやすいからである。
鍔迫り合いが成立しているのは、二人のパイロットとしての力量が確かである証拠だ。今のところ北極星が押されているが実戦──特に接近戦、格闘戦ではちょっとしたことで戦況がひっくり返るものだ。そのきっかけを進が作る。
「うおおおっ!」
気合いとともに進はバーニアを全開にして、揉み合いながら滅茶苦茶に飛ぶ〈ヴォルケノーヴァ〉と〈エヴォルノーヴァ〉に向かって突撃する。
『チイッ!』
突っ込んでくる進を見てファウストは舌打ちし、一旦北極星から距離をとろうとする。しかし、それが隙になった。
『そこだ!』
北極星は進と同士討ちになっても構わない、くらいの勢いでファウストに食いつき、プラズマレンチを振り降ろす。
『こんなところで負けられるか!』
ファウストは絶叫してプラズマレンチの出力を上限を超えて引き上げ、迎撃する。〈エヴォルノーヴァ〉の手の中でプラズマレンチ本体が耐えきれず爆発し、同時にその出力に当てられた〈ヴォルケノーヴァ〉のプラズマレンチも故障、高熱の刃が消える。
二人は同時に装備をレールカノンに換装し、ほとんど零距離で撃とうとする。そこにようやく追いついた進はファウストの脚部に斬撃を見舞い、ファウストはバランスを崩す。
北極星の撃った砲弾は〈エヴォルノーヴァ〉の胸部に当たるが角度が悪く、表面を削り取っただけに終わる。〈エヴォルノーヴァ〉はほとんど横倒しになっていて、北極星の砲弾は掠っただけという格好である。進の攻撃でバランスを崩していたのがファウストに幸いしたのだ。一方、ファウストの放った砲弾は北極星のレールカノンを掠めて砲身を破壊し、見当違いの方向へ飛んでいった。
北極星は追撃の手を緩めず72ミリショットカノンを放とうとするが、ファウストはとっさに頭部機銃を北極星の手元に撃ち込み、ショットカノンは大破してしまう。
ファウストは何とか北極星の攻撃を凌ぎきり、距離をとることに成功した。
『どうやら勝負は決まったようだな……! おまえの負けだ、北極星』
〈エヴォルノーヴァ〉は脚部を損傷していて〈ヴォルケノーヴァ〉は無傷だが、〈ヴォルケノーヴァ〉は全ての武装を失っていた。
「くっ……どうすれば……」
進は思わず弱音をこぼす。進の武装を北極星に渡すのが妥当だが、そんな悠長なことをしている間にファウストは攻撃し放題だ。
しかし北極星は全く動じていなかった。
『案ずるな、進。ファウストの言う通り、すでに勝負はついている。私の勝ちだ……!』
『強がりはよせ……! いくらおまえでも、武器がなければどうしようもないはずだ』
画面の向こうの北極星は、にやりと笑った。
『どうしてGDが人型なのか知っているか……?』
GDは戦闘機にとって代わった空戦兵器だ。二本の足で地上戦もこなせるが、おまけに過ぎない。人間の反射神経を利用した機体制御のためではあるが、理由としては弱い。
GDは機体の向きなどほとんど関係なく動けるので、被弾率を下げたければ地面と水平になるように飛べばいいだけであり、戦闘機型にしてもあまり関係ない。戦闘機型を採用しても、GD同士の戦闘では直線のスピードより上方向、横方向への動きの方が重要となるので、どのみち相手に腹を晒すような格好での戦闘になる。
また、人型の複雑な機構も重力子分解によってパーツの負荷を軽くして無理なく組み込めるので、技術的なハードルはないに等しい。
しかしこれらは人型が可能な理由であり、あえて人型にしている理由ではない。では人型である理由は何か。
北極星は、正答を出した。
『〈ヴォルケノーヴァ〉の最強の武装を、最大限に活かすためだ……! 焔北極星という、最強の武装をな……!』
〈ヴォルケノーヴァ〉が破壊されたレールカノンを持ったまま北の空へ腕を伸ばす。
『私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……! 北極星は消えない……!』
北極星が掲げた壊れたレールカノンを黒い塊が覆う。夜の闇よりも、さらに黒い黒。北極星は、ブラックホールを生成したのだ。
グラヴィトンイーターは重力子をエネルギーとすることが可能だが、変換効率は落ちるものの逆にエネルギーを重力子にもできる。ブラックホールに落ちていたときに蓄えていたエネルギーを、北極星は解放したのだ。
異様に濃くなった重力子は質量の作用を何倍にも増幅する。つまり、周囲に作用する重力は通常の数十倍となった。空気でさえ一立方メートルあたり数十キログラムもの重量となる空間に、北極星はエネルギーを加える。粒子の運動による効果が高濃度の重力子により増幅される空間で、大型の粒子加速器にしか起こせない現象が、北極星の手で起こされようとしていた。
強烈なエネルギーにより通常は休眠状態のヒッグス粒子が姿を現す。神の素粒子と呼ばれる、質量を作り出せる素粒子だ。ヒッグス粒子は無秩序に飛び回っている素粒子の動きを阻害して一ヶ所に固め、大きな質量が生まれる。
高濃度の重力子は効果を発揮していた。ヒッグス粒子が創り出した質量は誕生と同時に数十倍に増幅された自らの重力で圧縮され、核融合反応を起こしながら固まってブラックホールの核を形成。こうして光をも飲み込むブラックホールが完成した。北極星はブラックホール周辺の重力子を分解してブラックホールの影響を最小限に抑えつつ、その吸引力を利用する。
こんなことができるのは、GDが人型だからだ。あたかも自分の肉体のように扱える人型の機体を脳波で直接制御することにより、グラヴィトンイーターの莫大なエネルギーの精密制御を可能とする。搭乗するグラヴィトンイーターの能力を最大限に増幅するために、GDは人型なのである。
即席のブラックホールを北極星はすぐに処分する。周囲の重力子を濃くしていって空間を歪め、ブラックホールを北極星は宇宙に放り出したのである。ブラックホールの核は限界まで核融合が進み、中性子の塊と化しているため、非常に危険だ。グラヴィトンイーターである北極星や進なら中性子線による被曝など恐れる必要はないが、一般市民は即死待ったなしである。なので北極星はブラックホールが自分の手に負えなくなる前に宇宙へ廃棄した。
ブラックホールが消えたとき、北極星の手に握られていたのは壊れたレールカノンではなく一本の剣だった。北極星はブラックホールでレールカノンを圧縮し、剣に鍛え上げたのだ。
ブラックホールを直接ファウストにぶつけなかったのは、ファウストもグラヴィトンイーターだからだ。重力による攻撃は、グラヴィトンイーターには効かない。相手が反応できない速度でぶつければ別だが、普通は重力子分解で無効化される。
また、空間に遍在するヒッグス粒子を励起状態にできるほどのエネルギーを使っての直接攻撃もできない。相手がグラヴィトンイーターなら、近づいて攻撃しようとしても高濃度の重力子を消されて不発に終わるだけだ。高温、高圧のエネルギーで自分が焼かれる可能性だってある。原子力潜水艦や原子力空母だって、原子炉を暴走させて自爆するなんて戦術は絶対にとらない。人の手に余るエネルギーを、コントロール可能な形に変換する。世界と自分を守るために必要なことだった。
『そんな鉄くずで何ができる!』
ファウストは吠え、ショットカノンと盾を構えて北極星の方へ向かう。しかし進はファウストが自由に動くことを許さない。
「俺を忘れてもらっちゃ困るぜ!」
進はファウストの左後方から左手でハンドバルカンを撃ち下ろしつつ、右手のレールカノンの照準を合わせる。脚部のダメージで〈エヴォルノーヴァ〉は進が追いつける程度まで機動性が落ちていた。しばらくファウストはレールカノンを使えないので、進に盾は必要ない。もしこっちに転進してきても、弾幕で押し切る。
ファウストは進の攻撃を避けつつ、銀色に輝く剣を構える北極星の方に向かう。進の弾幕に邪魔されて思うような機動ができず、ファウストは正面から北極星に突っ込むことになった。ボロボロの〈エヴォルノーヴァ〉でも実体剣以外の武器を持たない北極星相手なら、何とかなると思ったのだろう。
実際問題、ただの金属の塊である北極星の剣はGDの装甲を貫くことはできない。関節ならダメージを与えられるかもしれないが、撃墜には至らないだろう。ファウストはショットカノンを北極星の側面にでも撃ち込めば勝てる。すでに盾を失っている北極星がショットカノンのAPFSDSや散弾を防ぐのは難しい。決して分の悪い勝負ではなかった。
ファウストは盾で関節を隠しながら北極星に突進する。北極星は盾の隙間から強引に剣を突き出す。勝負は一瞬で決まった。
『馬鹿な……!』
ファウストはうめき、北極星は勝ち誇る。
『私には、造作もないことだ……!』
北極星の剣は〈エヴォルノーヴァ〉を貫き、串刺しにしていた。
〈エヴォルノーヴァ〉の正面を覆っている装甲は均質圧延鋼とセラミックを組み合わせた複合装甲だ。加えてGDの周囲は重力子が薄いので、被弾の衝撃はある程度緩和される。装甲内部に封入されたセラミックはレールカノンの直撃にさえ耐えるし、表面の均質圧延鋼も30ミリバルカン程度なら弾いてしまうくらいの厚さを有している。
そのため何の変哲もない金属の塊に貫かれることは本来ありえない。しかし北極星が狙ったのは一度レールカノンが命中し、表面の均質圧延鋼が削れていた部分だった。
セラミックがレールカノンを防げるのは、弾の速さよりセラミックが割れる速度の方が遅いからである。よってレールカノンより圧倒的に遅い剣による突きをセラミックは防げない。簡単に割れて通すだけだ。そして低速の攻撃を弾くはずの均質圧延鋼は破壊されていた。
『どうしてだ、成恵……! 俺は、戻りたかっただけなのに……!』
『私の迷いが、貴様をこうなるまで苦しめてしまった……! 本当は私も戻りたかったのだ。だから私は、世界が滅びたときに過去の世界に……』
北極星も、ずっと苦しんでいたのだ。自分ではなく、美月が生き残ればファウストが世界を滅ぼすようなことをしなかったのではないか。だからといって、自分の理想を曲げてファウストに協力するわけにもいかない。北極星はファウストに約束したのだ。もうファウストのように戦争で家族を失う人々を出さないと。
『だが私にもう迷いはない。進がいてくれるから……! いつか貴様に約束したように、私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる……!』
現実として戦争は今起きているし、これからも起きるだろう。北極星は誰も死なないようにするために、戦うしかない。守るために殺す矛盾は、呪いのように北極星について回る。ならば呪いを一緒に進が受けるだけだ。
『なら、俺がや……!』
それがファウストの最後の言葉になった。電気系統が破壊されて燃料に引火し、〈エヴォルノーヴァ〉は派手に爆散する。いくらグラヴィトンイーターでもこの爆発に巻き込まれれば生きてはいまい。
「終わったのか……?」
進のつぶやきに、北極星は言う。
『まだだ。秋山とアメリカ軍をなんとかせねばならぬ』
彼らの侵攻を止めなければ、世界は滅亡しなくても筑波が火の海になる。アメリカ陸軍、海軍の増援がまだ到着しない今の内に勝負を決さなければならない。
北極星は一度地上に降りて〈ヴォルケノーヴァ〉に武装を積み直し、原型を留めていた〈エヴォルノーヴァ〉の頭部をむんずと掴む。
『行くぞ。今度こそ終わらせる』