27 永遠に
光さえも逃がさない空虚を、進はひたすら奥へと飛び続ける。木星級重力炉のブラックホールは、生成したマイクロブラックホールをワームホールとして使って宇宙につなげ、適切な大きさのブラックホールと結合させたものだ。
すでに事象の地平を越えてシュヴァルツシルト半径に侵入している。光さえ中心に向かって吸引され続けているので、外の様子は全くわからない。進の目に見えるのは、グラヴィトンイーターの能力で重力を無効化している範囲──進が最大限まで力を使っても、せいぜい機体の周囲十メートルだけだ。闇雲に捜したところで、北極星が見つかるわけがないのだが、手掛かりはある。
進はグラヴィトンイーターとなったことで、重力子の変動をかなり敏感に察知できるようになっていた。北極星も自分を保護するために周囲の重力子を分解しているはずだ。ブラックホールの中で1G環境が保たれている点が、北極星の居場所である。
進は神経を研ぎ澄ませて、北極星の場所を探る。かなりの精神集中を要するので戦闘に応用するのは無理そうだが、今この場においては役に立った。
やがて進は重力子が異常に薄い場所を見つける。〈プロトノーヴァ〉はその一点に一直線に急行した。そこには機能停止したまま漂う〈ヴォルケノーヴァ〉の姿があった。
「北極星!」
進は〈ヴォルケノーヴァ〉に通信を試みるが、応答はない。まだ意識を失っているようだ。進はコクピットから出て〈ヴォルケノーヴァ〉に乗り移る。北極星は真っ赤なパイロットスーツ姿でシートでぐったりとしていた。
「大丈夫か、北極星!」
「進……なぜ、ここに……」
北極星はよろよろと顔を上げて、弱々しく進に尋ねる。グラヴィトンシードの暴走に、ファウストとの戦闘で北極星は消耗しきっていた。進が声を掛けるまで意識を失っていたことから察するに、北極星は今まで自分の時間を止めて休眠状態になっていたようだ。
まずは、同じグラヴィトンイーターである進の力で北極星のグラヴィトンシードを安定化しなければならない。そのためには肌を触れあわせる以上のことをする必要がある。
「決まってるだろ。おまえを助けに来たんだ」
進の言葉に、北極星はゆっくりとかぶりを振る。
「たわけ……。私など助けてどうするのだ……。私は、貴様の成恵ではない……」
「そんなこと、関係ないよ。おまえ、言っただろ? 俺に会えて嬉しかった、って。俺も、同じだよ。もう一度成恵に会えて、俺は嬉しかった」
進が紡げるのは、ありふれた言葉だけだ。不器用で、まっすぐで、飾り気がない言葉。気障な台詞の一つも混ぜられない自分に、進は内心苦笑する。
それでも、進の口から零れる一言一言が特別なものだと、確信を持って言える。なぜなら今進が紡いでいるのは、特別な人に宛てた言葉だから。進の言葉なら、北極星の心臓を真正面から貫ける。
「おまえがいないと、悲しいんだ。おまえがいると、胸が躍るんだ。わくわくするんだ。楽しいんだ。成恵。俺はもうおまえを離さないよ」
北極星がいるだけで、色あせていた毎日が鮮やかに彩られた。世界は百八十度回転し、暗い海の底から澄み切った蒼空へと突き抜けた。この気持ちは、嘘ではない。だから北極星が戦うときは進が背中を守って戦うし、北極星が危なくなれば進が助ける。
「フッ……そんなことを言って、貴様もいつか私の前からいなくなってしまうのだろう?」
北極星は憂いを帯びた瞳で進を見上げる。前の世界の進──ファウストはそうした。だが、進は違う。
進は強い確信に満ちた視線を北極星に向け、ゆっくりと首を振った。
「言ったろ? もうおまえを離さないって。おまえは北極星なんだろう? 北極星は、空の中心で永遠に輝き続ける。だったら俺は永遠に、おまえの隣にいる。そのための力を、俺は手に入れたんだ」
進は北極星の体をぎゅっと抱きしめた。北極星の体は強く抱けば壊れそうなくらいに華奢で小さかったが、進は火傷しそうなくらいに熱く感じた。
なおも北極星は懐疑的に問い掛ける。
「……私はこれからも戦い、人を殺し続ける。私自身の理想のために。私と一緒にいれば、進も同じ事をしなければならぬだろう。それでもか……?」
ファウストはエレナを撃ち殺したときに己の罪を自覚し、過去に戻って美月を助けることだけが贖罪になると信じて、さらに多くの命を犠牲にした。進も同じように罪を背負っていることを、ファウストを見て悟っている。そして殺した人数でいえば、北極星もファウストに次ぐものがあるだろう。グラヴィトンイーターとして活動を続ける限り、戦いは終わらない。
進は即答した。
「俺も罪を背負う。それだけだ」
何をやっても罪が消えるわけではない。だったら一緒に罪を背負うことだけが進にできることだ。北極星のためなら、恐れない。
北極星は潤んだ目で進を見つめながら、震える手で進の背中に手を回す。
「前言撤回は許さないぞ……」
「当然だ。おまえの隣を、誰かに渡してたまるか」
「進……!」
北極星は願いを掴み取ろうとするかのように進の顔に手を伸ばし、そっと撫でる。
「北極星……!」
壊れてしまった約束はもう一度結び直さなければならない。生まれた世界は違っても、進の左手の赤い糸は必ず北極星の小指に続いていると信じている。進はいっそう強く北極星を抱きしめた。
進は北極星に唇を近づける。北極星は、わずかに震えながら唇を差し出した。二人は、ほとんど同時に唇を重ねる。お互いの強さが、体の奥の奥を叩いた。このキスから全てが始まる。
「……知っているか? 北極星は連星であることを。本星の輝きに隠れ、いくつもの星が隠れていることを」
北極星の言葉に、進は笑う。
「知ってるよ。俺は昔から成恵の背中を守ってきたんだからな」
北極星はフッと粋に笑い、言った。
「私の連星は一つだけで充分だ。……行くぞ、進!」
「ああ、ファウストを止めよう!」
進は北極星に応え、力強く言った。