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斉天のヴォルケノーヴァ・ノーザンクロス ~異世界からの侵略者~  作者: ニート鳥
斉天のヴォルケノーヴァ・ノーザンクロス ~異世界からの侵略者~
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プロローグ② 北極星(後)

???:???


 空が橙色に燃えていた。


 つい先日まで駆け回っていたぴかぴかの小学校、小さな公園、丘の上にある神社、少し古びた町並み。もう二度と見ることはない。一切が黒い瓦礫に変えられ、その上を真っ赤な炎が狂ったように踊っていた。


 バチバチと建材が燃える音が辺りを支配し、遠くの方で叫び声が聞こえる。


「助けて、助けて~!」


「うわああああっ」


「ふざけるなよ、あんまりだ……あんまりだ……!」


 助けを求める声もあれば、理不尽な破壊への怒りの声もあった。しかしそんな声を聞いていられるほどの余裕は、誰にもない。圧倒的な暴力の前では、誰もが平等なのだ。大人も子どもも、男も女も、ひたすら炎に追い立てられるように逃げるしかなかった。


 周囲の全てが熱を孕み、飲み込む空気さえ肺を焼きそうなほどに熱い。空気は煙と粉塵で汚れ、息をするたびに涙が溢れそうになる。


 充満する化学臭には時折肉が焼ける臭いが混じる。人間が焼ける臭いだ。つい数ヶ月前に親戚の葬儀で訪れた火葬場に漂っていた臭いを、進は思い出した。町全体が、巨大な火葬場になっているのである。無機物が燃焼する臭いと混じったそれは酷い悪臭に感じられ、進はこみ上げる吐き気を必死に抑えなければならなかった。


 やがて一同は川沿いの広い遊歩道に出る。悪魔でもここまではしないだろうという地獄が、そこにはあった。道のあちこちで人が倒れ、斜面の草むらは焼き払われて真っ黒な焼け跡が残るばかりだ。川を覗き込むと水面は燃える町並みを映して紅に染まり、川の中ではうつぶせになった人々が堰に引っかかってゴミか何かのようにぷかぷかと浮いていた。


「お兄ちゃん、もうだめ……。私を置いて逃げて」


「馬鹿言うな! もうちょっとで逃げられるから、がんばるんだ! ずっと傍にいるって、約束しただろ?」


 進は座り込んだ妹の美月の手を引いて立たせ、励ます。進の二つ下の妹である美月は、今年小学校に入ったばかりだ。進だってまだ小学生だが、小学生の二歳差は大きい。先に美月がへばってしまうのも、仕方のないことだ。


「進の言う通りだ。川の向こうの地下鉄に逃げ込めれば、一息つける。もう少しだから、美月ちゃんもがんばろう」


 成恵が落ち着いた口調で言った。保護者たちとは混乱の中ではぐれてしまっていた。破天荒な幼馴染みの存在を今日ほどありがたいと思ったことはない。


「……橋を渡れば安全だよな?」


 進は尋ねる。向こう岸に渡るための橋はすぐ近くだ。がんばればすぐにでも着く。


「わからぬ。だが、ここにいるよりはマシだ」


 進の質問に成恵は答え、進はうなずいた。


「美月、行こう」


 それでも美月は目に涙を一杯に溜め、かたくなに動こうとしない。美月はいやいやと首を振った。両側で美月の髪を結んだピンク色のリボンが揺れる。


「私、もう……!」


 進は弱音を吐こうとする美月に即座に言う。


「いいから諦めるな!」


 もう少しで逃げ切れると自分にも言い聞かせ、美月の手を引いて進は歩き出す。


「しかし、おまえは落ち着いてるな。助かるよ」


 進は成恵に話しかけ、成恵は答える。


「フン……これくらいで取り乱していては、GD(グラヴィトンドライバー)のパイロットになど、なれないからな」


「やっぱりまだパイロットになりたいのか」


 続けて進は成恵に尋ねる。しゃべり続けていないと、気が変になりそうだった。


「当たり前だ。私がパイロットになったら、絶対こんなことはさせない……!」


 成恵は灰燼に帰した町に目をやり、強く拳を握って言った。白い頬には怒りで赤みが差し、細い腕からは手を強く握りすぎたせいか、血管が浮き出ている。この惨状に、成恵は憤怒しているのだった。進は成恵に言う。


「そっか。おまえはすごいよな。俺なんか怖くなって……」


 しかしここで、成恵が叫んだ。


「まずい! 伏せろ!」


 成恵の声に、進は空を見上げる。異世界人が持ち込んだ忌々しい人型機動兵器──GD(グラヴィトンドライバー)の編隊が、町の方からこちらに飛行してきていた。


 青地に白い星のアメリカ空軍国籍マークを肩につけた12メートルほどの鋼の巨人たちは、手にしていたライフルをこちらに向け、発砲する。民間人を狙うなんて軍人として失格だと悪態をつきたかったが、そんな暇はない。鼓膜が破れそうなほどの爆音が響き、進たちの体は宙に投げ出された。


 一瞬の浮遊感の後に、進は地面に叩きつけられた。トラックにはねられたのかという衝撃が進を襲う。強制的に息が吐き出されて、進は全身の苦痛にうめいた。


「クッ……。ここは……!」


 進は辺りを見回しながら立ち上がる。体のあちこちに鈍い痛みを感じるが、幸い大きな外傷はない。


 燃え尽きた民家の跡のようだった。進は灰を吸い込んで軽く咳き込む。四隅に炭化した柱が焼け残っていて、足の裏には冷えた炭の感触を感じる。服には炭と灰が、ないまぜになってこびりついていた。辛うじて崩落せずに残っているブロック塀も、煙で真っ黒になっている。


 美月と成恵の姿は見当たらない。進は服に付着した炭や灰を払って歩き出した。


 前へ進むと川へと続く斜面が見えた。どうやら着弾の衝撃で、川の向こう岸まで飛ばされてしまったようだ。これで大きな怪我がないのは運が良かったという他ない。燃えてしまった民家の灰が雪のように降り積もっていて、クッションになったらしい。


 進は民家跡の敷地に面した道路に出る。道路上で、進は美月と成恵を見つけた。思わず進は叫ぶ。


「美月! 成恵!」


 美月と成恵は道路上でそれぞれ進の右側、左側に横たわっていた。どちらの方に駆け寄るか進は迷い、立ち尽くす。


「ん……お兄ちゃん……」


 進の声に反応し、美月は目を覚ますが、起き上がることができない。おそらく美月はアスファルトにまともに叩きつけられたのだろう。着ている服は破れてボロボロになっていて、綺麗なピンク色だった頭のリボンは煤で薄汚れている。骨や内臓に損傷があってもおかしくない。


 対する成恵は道路脇に止まっていた車の上に落ちたのか、意識ははっきりしていて、進の呼びかけにも応じてくれた。


「進……! 無事だったか!」


 成恵は立ち上がろうともがくが、足を怪我しているのかうまく立てない。車に寄り掛かって立とうとするが、足が伸びきらないうちに転んでしまう。


 ここでさっさとどちらかに駆け寄り、助け起こしていれば、あるいは二人とも助かったのかもしれない。時間にして十秒にも満たないロスが、致命的になった。


 遠くから聞こえる、キーンという耳をつんざく音に進は我に返る。バックパックから伸びるデルタ翼にたっぷり爆弾を積んだGD(グラヴィトンドライバー)が向こうから飛んできたのだ。


 進が飛び出したのと成恵が叫んだのはほとんど同時だった。


「進! 美月ちゃんを連れて逃げろ!」


 とにかく、ここから離れないと助からない。少なくとも、どこかに隠れなければ。そう判断はついたが、二人同時には助けられない。直後、近くに爆弾が投下され、轟音とともに進の視界は真っ白になった。



 どうも川にかかていた橋を狙ったらしく、直撃はなかった。橋の方からはもうもうと煙が上がっていて、敵の目的が達成されたことをうかがわせている。


「糞っ……! 無事か?」


 進は周りに漂う粉塵を払いながら、とっさに体の下に隠した美月に尋ねる。進は美月の手を引いて、民家のブロック塀の影に伏せたのだ。しかし火事で傷んでいたブロック塀は爆風にひとたまりもなく崩落し、進たちも吹き飛ばされた。


「う……ん……」


「美月! 美月!」


 美月は意識がはっきりしていないようで、小さくうめくばかりだ。進は慌てて美月の呼吸や脈を確かめるが、正常だった。頭を打っているのは心配だが、これ以上のことは進にはわからない。続いて進は成恵がいた方に目をやり、息を飲んだ。


 成恵のいた辺りは赤々とした炎に囲まれていた。炎の中心で成恵は立ち上がることもできず片膝を立てて座り、じっとこちらを見ている。


「成恵! 待ってろ! 今助ける!」


 進は叫ぶが、成恵は静かに言った。


「馬鹿者、美月ちゃんを連れて逃げろ」


「でも!」


 それでも進が食い下がろうとすると、成恵は声を荒げた。


「状況を見ろ! おまえたちまで火に巻かれるぞ!」


「でも、おまえを置いてなんて行けない!」


 進は絶叫するが、頭ではわかっていた。この炎の中から成恵を救出するのは無理だ。自分も焼かれるのがオチである。仮に救出できても、美月も成恵も歩けないのに、二人とも連れて行けるはずがない。


 ぐずぐずと喚く進に、成恵は声を震わせながらも冷静に告げた。


「私はもう、助からないのだ……」


 改めて成恵の体を見て、進は言葉を失う。どこから飛んできたのか、成恵の腹部を二本の太いパイプが貫き、赤い血がこぼれていた。成恵の右手にはさらにもう一本のパイプが突き刺さっていて、成恵を昆虫の標本のように地面に磔にしている。



 なんだ……これは……? 夢でも見ているのか……?



 目の前の光景が信じられず、進は目を見開く。


「な、成恵……」


 進は成恵に何か言葉をかけようとするが、カラカラの喉からは何も出てこなかった。そんな進を見て成恵はフッと気障に笑う。成恵の体は、震えていた。成恵は、進のために無理して笑ってくれている。


「私は、星になりたい」


「成恵、何言って……」


 突然意味のわからないことを言い出した成恵に、進は混乱する。


 不吉だ。やめてほしい。進はそう叫ぼうとするが、構わず成恵は続ける。


「星になって、ずっと進の傍にいる。ずっと離れない」


 成恵はスッと左手を上げ、天頂を指さす。


「星は星でも、北極星だ……。空の一番てっぺんから、進を照らし続ける。いつまでも進のみちしるべになる」


 そして成恵は、静かに目を閉じた。一筋の涙が、成恵の頬を伝う。


「行って……進。最後は見られたくないから」


 成恵はいつもの強気な口調がなりを潜め、今にも泣き出しそうな声で言った。本当は恥も外聞もなく、助けてと泣き叫びたいに違いない。だが成恵が助けを求めて泣き叫んだら、進は絶対に無理に成恵を助けようとして、共倒れになる。そのことがわかっているから、成恵は必死にこらえている。


 進は体を動かすことができなかった。成恵の命を助けたいという気持ちはもちろんある。しかしそれを実行に移せば、せめて進たちには助かってほしいという成恵の気持ちを無駄にすることになる。「友情か、死か」。メロスのような葛藤が、進の中で膨らみ、胸を締め付ける。気持ち悪いくらいに熱の塊が胃の辺りからこみ上げてきて、いっそこのまま止まってしまいたいという誘惑に駆られる。


「空で、また会おう」


 成恵はぽつりと言った。


 空を見上げると、青紫色の敵軍GDがこちらに向けて飛んできていた。いっそう炎も強くなり、進は決断する。進は唇を噛み、美月を背負って走り出す。



 どれくらい走っただろうか、進は美月を背負ったまま前のめりに倒れる。


 顔を出した太陽がうっすらと焼け野原を照らしていた。敵軍もさすがに引き上げたのか、空に敵機の姿はない。昨晩町中を舐め尽くした炎も消えていて、周囲は静寂に支配されていた。


 進は美月を地面に横たえ、後ろを振り返る。成恵がいたあたりだけに、ぼんやりとした炎が小さく浮かんでいた。


 改めて進は実感する。自分は、命惜しさに成恵を置き去りにして逃げたのだ。


 美月だけは助けられたし、あの場に留まれば共倒れだったことは想像に難くない。


 だからといって許されるわけではない。成恵を捨てて逃げたことには変わりない。進は成恵を助けられなかった。これからもずっと、成恵の背中を守ると約束したのに。


「あれ……? お兄ちゃん? ここはどこ? 成恵さんは?」


 ようやく目を覚ました美月が体を起こし、進に尋ねる。どこかで落としたのか美月の頭からはリボンが消えていて、髪がほどけていた。


 成恵はもう、戻ってこない。


「うわああああああっ! 成恵っ、成恵ーっ!」


 進は誰もいない空に向かって、泣き叫んだ。

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