23 激突
進は〈疾風〉をトレーラーに積み、市内北東部にある木星級重力炉の近くまで移動していた。目立ちすぎたせいか一度警察に止められたが、北極星の名前を出せば簡単に解放してくれた。進が亡命しやすいよう、事前に手を回していたのだろう。
重力炉とは人工ブラックホール生成装置とグラヴィトンドライブを組み合わせた発電装置のことである。人工ブラックホールでワームホールを開いて大型のブラックホールと接続し、ブラックホールが放つ重力子から発電するという仕組みだ。ブラックホールの超重力で地球上ではありえないほどに振動する重力子からは、大きなエネルギーを取り出せる。
重力炉の中でも特に巨大なものが、木星級重力炉だった。理論上木星表面の全重力子と同程度の量を発することが可能なので、そう呼ばれる。木星級重力炉はこの世界では異世界人が持ち込んだハワイ、日本が建造した筑波の二ヶ所しかない。周計約三キロメートルの巨大な円形施設である木星級重力炉はまさに筑波の心臓で、市内に安定して電力を供給し、霞ヶ浦周辺を一大工業地域とならしめていた。
グラヴィトンイーターが木星級重力炉に接続されているブラックホールの重力子を使えば、時間を歪めてワームホールを作り出し、過去への扉を開くだけのエネルギーを計算上は絞り出せる。
おそらくファウストは筑波を開城させてから目的を果たそうとなど、全く考えていないに違いない。筑波の周囲には多数の陣地が構築されていて、筑波市自体も地下に陣地やシェルターが張り巡らされている。仮に日本軍の主力を南関東におびき寄せて決戦に持ち込み、大勝したとしても筑波に籠城されれば攻略するのに一週間は掛かるだろう。
それだけあれば、北極星は筑波の木星級重力炉を安全に破壊できる。木星級重力炉はただ上部だけを破壊しても暴走して「黒い渦」を作り出すだけだ。安全に機能を停止させ、ファウストが利用できないように壊してしまうには時間が必要だった。
木星級重力炉を止めてしまえば、当然筑波を取り囲む陣地に配置された対空レールカノン砲塔が機能停止してしまう。しかし北極星が日本軍が敗色濃厚と見ているなら、重力炉の破壊に動いてもおかしくない。
北極星によって重力炉が破壊される可能性は無視できないので、ファウストは今夜にでも襲撃を仕掛けてくるだろう。それを止めるのが自分の役目だ。〈疾風〉一機では厳しいかもしれないが、ここには試験機の指輪も保管されていると北極星が言っていた。いざとなったら、指輪を強奪してでもファウストを倒す。
進はトレーラーの運転席で仮眠しつつ、日が暮れるのを待った。
やがて日は沈んで暗くなり、入れ替わるようにして月が浮かび上がる。雲一つない空で丸い満月は静かな光を放ち続けていた。
進は充分に暗くなってからトレーラーの荷台の上で〈疾風〉を起き上がらせ、ファウストが侵入してくると思われる南の方角を監視し続ける。レーダーを使って電波を出すと軍が来るかもしれないし、高度な対レーダーステルスを備える〈エヴォルノーヴァ〉には効果が薄い。
よって使えるのは光学監視機材だけだ。赤外線捜査追跡システム(IRST)が積まれていれば起動させていたところだが、あいにく特務飛行隊向けの機体は高価な機材がオミットされている。〈疾風〉の各部に仕込まれたカメラだけが頼りだった。
進は監視圏内に高速で移動する物体が映れば警報が鳴るようにセットして、ひたすら事が起きるのを待った。
日付が変わり、午前三時を回った頃、コクピットの中にけたたましいアラーム音が鳴り響く。まどろんでいた進は飛び起き、機体光学センサーの脳内への画像投影をオンにした。飛行しているわけでもないのに脳に画像投影し続けていると非常に疲れるので、切っていたのだ。すぐに進の頭に低空を真っ直ぐ進んでくる淡い光が映った。
「〈エヴォルノーヴァ〉!」
プラズマの光であれだけ目立ってもアラートも何もなかったのは、プラズマステルスのなせる技だろう。もはやファウストを止められるのは進だけだ。進は機体を離陸させようとするが、視界に一機のGDが〈エヴォルノーヴァ〉に向かっていくのが映る。赤い機影はレールカノンを撃ち、〈エヴォルノーヴァ〉と戦闘状態に入った。
「〈ヴォルケノーヴァ〉……北極星か!」
北極星もファウストが筑波を直接突いてくることを見越して張っていたのだろう。グラヴィトンイーターの北極星なら、重力子の変動を察知してファウストの動きを掴める。進も加勢すべく空に上がる。
両機はレールカノンの砲身冷却時間に入り、双方プラズマレンチを抜いて斬り合っていた。心なしか、〈ヴォルケノーヴァ〉の動きが鈍い。ファウストの剣を捌くのに精一杯で、北極星が押されている。進はレールカノンの照準をつけ、通信回線を介して北極星に呼びかけた。
「北極星! 離れろ!」
〈ヴォルケノーヴァ〉は即座に〈エヴォルノーヴァ〉から距離をとり、進はトリガーを引いた。ファウストもすばやく反応して後ろに下がり、進が撃った弾は両機の間を抜ける形となる。
進の視界の端に〈ヴォルケノーヴァ〉のコクピットが映る。北極星側も通信を開いたのだ。北極星は元帥専用の真っ赤なスーツを装着していた。
『進……! なぜ貴様が……! クッ……!』
「な……北極星! なんでそんなに苦しそうなんだ!?」
画面の向こうの北極星は呼吸を乱しながら顔を真っ青にして、苦しげに胸を押さえていた。こんな状態でファウストと戦って勝てるはずがない。
今度はファウストから通信が入る。
『おまえのせいだよ、煌進』
北極星は『やつの言葉に耳を貸すな!』と遮ろうとするが、進はファウストに尋ねる。
「どういうことだよ……!」
ファウストは淡々と言葉を重ねる。
『そのままの意味だ。おまえの傷を治すために焔北極星は力を使い過ぎた。力の逆流でまともに戦える状態ではないはずだ』
進はハッと気付く。学校が襲撃されて傷を負い、時間を巻き戻した後、北極星はグラヴィトンシードの暴走に苦しんでいた。
そのときは進にエネルギーを分けてもらい、グラヴィトンシードを安定させた。しかし進の傷を治した後、怪我人の進からからエネルギーを補給するなんてことを北極星がするはずがない。他のグラヴィトンシード保持者を呼び出すようなことも北極星はしなかっただろう。進以外に弱みは見せない。成恵はそういう女だった。
『進、本気にするな……! 貴様の負傷は私のミスだ……!』
北極星はそう言うが、進が北極星の足を引っ張り続けてきたのは事実だ。噛み締めた奥歯がぎりりと音を立てた。
「大丈夫だ……! こいつは、俺が命に代えても……!」
進は自分を鼓舞するように言うが、ファウストが割り込んでくる。
『おまえがそれだけする価値が、この女にあるのか?』
「なっ……! おまえ……!」
進は言い返そうとするが、その前にファウストは畳みかけるように言う。
『現実を直視しろ。この女は、おまえの知る保村成恵ではない』
「……」
進は何も言わなかった。北極星はコクピットでうつむいていた。ファウストは続ける。
『おまえは俺だ。おまえが保村成恵を失ったように……俺は美月を失った』
事情はシンプルだった。こちらの世界では進が小学三年生のとき、向こうの世界ではファウストが小学五年生のとき。北米大陸を失った在日米軍が西日本を占領し、東京へと侵攻した。そして進もファウストも、同じように東京の市街戦に巻き込まれる。どちらの進も成恵、美月とともに逃げるが、途中でアメリカ軍の攻撃を受けてしまう。
進の世界では成恵が死んで美月が生き残った。ファウストの世界では美月が死んで成恵が生き残った。ファウストの世界で生き残った成恵は、やがて成長してパイロットとなり、保村成恵の名を捨て焔北極星を名乗った。ただそれだけの、とてもつまらない話である。
『俺とおまえは正しく同じ人間だ。俺たち「異世界人」は未来から来たんだからな……!』
結局、進が目は目を逸らしていただけだった。ファウストが進だった時点で、認めなければならなかったのだ。にもかかわらず進は問題を曖昧なまま放置した。
進が失った成恵は帰ってこない。しかしファウストは、失った美月を取り戻す方法を見つけた。
『俺の目的はグラヴィトンイーターの力で過去へと遡り、美月を助けることだ。おまえに邪魔をする権利はない』
この世界では九年前、美月が死なず成恵が炎の中に消えた。ファウストはまだ目的を達成していない。自分の手で美月を助けられていないのだ。
「そんな、ことは……!」
十年以上前に死んだ人間のために、この世界を危険に晒すのは間違っている。進はそう言いたかったが、進の十年間も、死んだ成恵の影を追いかけるような人生だった。成恵の夢を追うべく母や妹を放り出して福島の航空学校に入った挙げ句に退学して、それでも諦めきれずこの国の裏側に足を踏み入れた。
この一年で進は何人殺しただろう。GDでの砲撃や爆撃なので進はコクピットで操作するだけであり、感覚が麻痺しがちだが、進が引き金を引く度、ボタンを押す度、いくつもの命が爆炎の中に消えていった。
生活のためでもあったが、それなら普通の仕事に就けばいいだけだ。進が成恵への妄執から百人以上を殺しているのは紛れもない事実である。
きっとファウストは、エレナを自分の手で殺めた時点で、誰かのために自分が殺戮を繰り返していたことに、気付いていたのだろう。人を殺してしまった以上、もう戻れないのだ。だから、何億人を犠牲にしても美月を生き返らせようとしている。せめて自分の目的を果たすことで、今まで殺した人の死が無駄にならないように。
ファウストのいうとおりだ。自分の罪の重さを自覚せず、罰を受ける覚悟もなかった進には、ファウストを止める権利はない。
「俺は……」
『おまえはおまえの成恵のために戦え。でなければ……死ね!』
〈エヴォルノーヴァ〉は進の乗る〈疾風〉にレールカノンを向ける。進はとっさに反応できず、空で棒立ちのままだ。ファウストは迷わず引き金を引く。
けれどもファウストの放った砲弾が進を貫くことはなかった。北極星が前に出て、盾でファウストの攻撃を受け止めたのだ。
「北極星……!」
死神の鎌をすり抜けた進は、呆けたような声を出す。北極星は一言、通信を入れただけだった。
『だましていて……済まなかった』
〈ヴォルケノーヴァ〉はファウストに向かっていく。北極星とファウストは激しい接近戦を繰り広げ、いつしか戦域は木星級重力炉の直上に移っていた。流れ弾がドーム状の上部構造に当たって穴を開け、夜の闇より暗い黒が隙間から覗く。重力炉に封じ込められているブラックホールが顔を出しているのだ。
木星級重力炉の本体は周縁部に設置されたグラヴィトンドライブと地下の人工ブラックホール生成装置であり、本体の機能が生きている限りはブラックホールが解き放たれることはない。しかしこの調子で戦い続ければどこが破壊されるかわからず、何が起きるかわからない。
最悪の場合、重力炉のセーフティが働いてブラックホールの接続を強制的に絶ち切り、処理しきれなかったエネルギーで「黒い渦」を生み出すが、この状態が続くとブラックホールがそのまま外に解き放たれるという最悪のさらに先の事態を引き起こすかもしれない。
にもかかわらず進は動くことができなかった。専用GD同士の戦いに進の機体ではついていけないというのもある。しかし最も大きいのは、北極星が進の知る成恵ではなかったという残酷な現実だった。
強くあろうという覚悟はあった。何をしてでもファウストを止める。進はそう心に決めていたはずである。
北極星が成恵ではないことは、薄々わかっていた。その上で北極星を助けるつもりだった。だが剥き身の現実は進の手足を貫き、虫ピンのように冷たく進の動きを止めていた。
ボロボロの体で戦う北極星はとっくに限界を超えていて、〈ヴォルケノーヴァ〉のスピードがどんどん鈍くなる。なんとかファウストの攻撃を凌ぎきっているが、ファウストに敗れ去るのは時間の問題だ。
進はコクピットで叫ぶ。
「どうして……! どうしてなんだよ、北極星! 成恵じゃないなら、どうして俺を助けたんだ!」
北極星は、青色吐息といった様相で答えた。
『決まっているだろう……。貴様が進だからだ!』
ファウストがレールカノンを放ち、北極星は盾で受ける。何発もの弾を受けていた盾はついに真ん中から亀裂が入って割れ、右半分が地上に落ちた。北極星は空いた左手にプラズマレンチを装備し、右手のレールカノンをファウストに向ける。ファウストは距離をとろうとするが、北極星は最後の力を振り絞って猛追撃する。
右のレールカノンか、左のプラズマレンチか。ファウストは前者を防ぐためには盾を、後者を防ぐためにはプラズマレンチを構えなければならない。北極星が相討ち覚悟の勢いなのでハンドバルカンやショットカノンでは役者不足だ。
ファウストのレールカノンは砲身冷却中だ。レールカノンもプラズマレンチも強力な武装である。北極星の初撃がどちらかを読み切れなければ、ファウストは一撃で倒されることはないにしても、連撃を受けて撃墜されるだろう。逆に北極星も初撃をガードされれば終わりだ。反撃する余力はないし、ファウストのレールカノンが再び使用可能になる。
確率は二分の一。北極星はプラズマレンチで斬りかかり、ファウストはプラズマレンチで受けた。
ファウストは言う。
『最後に剣を選ぶのはわかっていた……。俺も「煌進」だからな』
『クッ……』
〈ヴォルケノーヴァ〉が構えていたプラズマレンチの輝く刀身が消えた。機体各部のアークジェットスラスターも推進力を生み出すことをやめ、沈黙する。
『短い間だったが進……私は貴様に会えて嬉しかったぞ。過ごした時間は違えども、進は進だった……。それだけで、充分だ……』
北極星の声を聞いて、進は叫ぶ。
「成恵ぇっ!」
〈ヴォルケノーヴァ〉はまるで木枯らしに吹かれて落ち葉が地面に落ちるように、ひらひらと落下し、真下の木星級重力炉に空いた穴からブラックホールに消えていった。




