19 仮面の下
千代田区の南関東方面軍司令部に戻った稲葉は門の前にいた衛兵を通じて、もう一度秋山との面談を申し入れた。秋山は快く面談に応じ、再び司令官執務室に通される。稲葉が執務室のドアをノックして開けるなり、中で立っていた秋山は言った。
「焔の命令で説得しに来たのかね?」
稲葉は壁際に腕組みして立っている黒の仮面をつけた男を見て、両手を挙げる。
「……どうやら無理みたいだね」
「その通りだ。すでに賽は投げられている」
ファウストがつまらなさそうな様子で言った。秋山とファウストは稲葉が来ることを予見していたようだ。
「ではこちらが説得する番だな。稲葉、私たちの仲間にならないか?」
秋山の提案に稲葉は肩をすくめる。
「僕にも裏切り者になれというのかい?」
秋山は淡々と言った。
「今の日本政府は、君が忠義を尽くすに足る存在かね? 君を戦犯扱いして、軍中枢からはずしたのは政府だろう」
先の大戦時、西日本アメリカ亡命政権は関東侵攻作戦において、主攻撃を東海道の箱根口からとしながらも、中山道、甲州街道からも攻撃を仕掛けた。支作戦とはいえアメリカの攻撃は苛烈を極めた。ほぼ一週間で八王子、高崎の防衛ラインを突破され、箱根の日本軍も撤退、東京は西日本アメリカ亡命政権の手に落ちる。
群馬から埼玉にかけての空の守りを任されていたのは、稲葉だった。
敗因は、明らかに戦力不足である。首脳陣は東海道に攻めてきたアメリカ軍の主戦力を過大に評価し、早い段階で予備兵力を箱根に投入してしまっていたのだ。
結果箱根では一時的に優勢となったが、北は百機近いGD部隊を二個飛行隊四十機程度で支える事態に陥った。むしろ一週間もったのが奇跡的である。しかし、首脳陣は見せしめに稲葉を更迭し、敗退の責任を押しつけた。
戦後、稲葉は戦史編纂室や軍学校をたらい回しにされた後、実態のない近衛飛行隊の副隊長に任ぜられた。特務飛行隊に配属されたのである。閑職部門を巡ったときの人脈のおかげで優秀な特務飛行隊の入隊希望者を募れるため、冷や飯を食わされたのも稲葉としては悪くはなかった。進も航空学校の指導員からの口利きで連れてこられた人材である。
「……確かに、全く恨んでいないといえば嘘になる」
稲葉は正直な心情を吐露した。負けたのは自分だ。だから、自分が罵られるのはまだ許せる。だが非情にも大衆の怒りの矛先は、稲葉の家族にも向けられた。
「克也君のことは今でも済まないと思っている」
秋山はうなだれる。暴動を起こした市民に、稲葉の一人息子は殺された。当時秋山は臨時首都防衛の責任者で、暴動の鎮圧に当たっていた。
ここでファウストが口を開く。
「……あんたが望むなら、俺が過去に飛んであんたの息子を助けてやってもいい。俺にはその力がある。どうする?」
稲葉は、まっすぐに視線をファウストに向けた。
○
稲葉さんは一人で南関東方面軍司令部に向かい、残された三人でさらに聞き込みを進めて指輪の輸送ルートを確定することになった。東京では携帯電話がほぼ通じないので、もしすでに指輪が司令部に運び込まれていれば、秋山中将の説得に向かった稲葉さんだけが頼りである。
幸い、進たちはつい今朝方に多摩方面から秋葉原に帰ってきたという人に出会い、今朝まで現場が封鎖されていたという情報を得られた。その情報を秋葉原のセーフハウスに詰めている特務飛行隊諜報員に回したところ、機密任務に従事している車両のリストが送られてきて、指輪を輸送していると思われる車両のナンバーがわかった。進たちは急いで千代田区の司令部に戻り、張り込みを始めることにする。
司令部には物資搬入口は東と西の二ヶ所があった。やむなく三人は二手に分かれることにする。北極星が東口、進とエレナが西口を担当することになった。
「よいか、該当する車両を見つけても決して独力でなんとかしようとせず、私を呼ぶのだぞ? 指輪に手を着けようとするとファウストが出てくる可能性が高いのでな」
進は神妙な顔をしてうなずく。
「わかってる。おまえこそ、ファウストと戦って大丈夫なのか?」
昨日は高校で生身で戦い、北極星はファウストに敗れた。進が足を引っ張ったとはいえ、事実である。対策なしに挑んでも同じ事を繰り返すだけだ。
進の質問に北極星は答えた。
「屋外なので〈ヴォルケノーヴァ〉を呼び出せる。GDでの戦いでは負けぬ。グラヴィトンイーターとしての能力だけなら、ファウストより私の方がずっと上だ」
進は首を傾げる。
「じゃあお前も拳銃の弾止めるとかできるのか?」
それができれば北極星はファウストに負けなかったはずだが。
北極星は苦笑する。
「あれは血の滲むような努力の賜物であろう。私にも真似できぬ」
ファウストの〈ノーヴァ・フィックス〉は、北極星の〈ヴォルケノーヴァ〉より機体性能は劣る。グラヴィトンイーターとしてのスキルの問題で、出力も〈ヴォルケノーヴァ〉の方がかなり上だ。ファウストは機体の不利を補うため、生身での戦いでは有利となるよう、訓練を積んだらしかった。
それでもファウストが有利となるのは、屋内だけだ。屋外なら生身同士で相対しても機体を呼び出せばいい。
そこまで聞いても、進にはどうもピンとこなかった。
「機体性能で有利なのはわかってるんだけど、もっと何かないのか? 〈ヴォルケノーヴァ〉の武装は全部量産機の流用だろ? 敵を一撃で倒せるような必殺の武器とかさ」
〈ヴォルケノーヴァ〉の装備はレールカノン、ショットカノン、ハンドバルカン、プラズマレンチと量産機と全く同じある。ノーヴァシリーズの出力は量産機とは比較にならないほど高いはずだが、これでは宝の持ち腐れではないか。
ちなみにレールカノンを複数用意して順番に使い、砲身冷却時間の隙を小さくすることは不可能である。冷却装置は機体側に組み込まれているためだ。射撃後のレールカノンはかなりの高熱を持つので、GD一機に搭載できる冷却装置では一丁を運用するのが限界だ。
「開発中だ。今あるもので戦う他ない。何、貴様に心配されるほど私は落ちぶれておらぬ。〈ヴォルケノーヴァ〉には最強の武装も積まれているからな……!」
北極星は自信満々な笑みを浮かべた。北極星がそこまで言うのならそうなのだろう。北極星の説明に納得し、進は決意を口にした。
「わかったよ。絶対に指輪は守ってみせる」
「口だけにならぬようにな」
北極星はにやりと笑い、自分の持ち場へと向かった。進とエレナも西の物資搬入口で何気ない風を装い、やってくる車をチェックしていく。
そうして一時間ほどが経った頃、リストにあるナンバープレートを下げた車がやってくる。進とエレナはうなずきあって、すぐに対処しようとする。
「俺が車を止めておくから、エレナは北極星を呼んできてくれ」
「了解しました!」
エレナは北極星の元に走り、車庫に入ろうとする車を進は止める。
「私はと、近衛飛行隊所属、煌進大尉である! 秋山中将の命で荷物の受け取りに来た!」
柄にもなく軍人らしい鋭い大声で、進は言った。うっかり「特務飛行隊所属」と言いかけたのはご愛敬だ。
車に乗っている運転席と助手席の二人は顔を見合わせ、うさんくさそうに進の姿を眺める。制服は本物なので疑われる要素はない。強いていえば年齢にしては階級が高すぎるのだが、最精鋭とされている近衛飛行隊ということで、だまされてくれれば嬉しい。
二人がどうするか相談している間に、進はこっそり後部席を覗く。見覚えのあるトランクが、シートの上に鎮座していた。ビンゴである。
「秋山中将に確認をとらせていただきます」
運転席に座っている方が言った。北極星はまだ来ない。時間を稼がなければ……と進は焦るが、何かを思いつく前に後ろから声を掛けられる。
「それには及ばない」
進は振り向き、あ然とする。悪魔を思わせる黒の仮面を被った男、ファウストだった。
「言ったはずだ……。次は見逃さないと!」
ファウストは進に銃を向け、慌てて進は車の影に隠れる。乾いた発砲音とともに、車の防弾ガラスに銃弾でヒビが入った。
「糞っ……!」
進は顔をしかめながら、車の中のトランクを一瞥する。防弾なので銃で撃って無理矢理開けることも不可能だ。進は車のドアを叩き、中から鍵を開けさせようとする。
「おい! 鍵を開けろ! 指輪を渡してくれ!」
運転手は車を出して逃げようとアクセルを踏み込むが、ファウストの銃弾でタイヤがパンクしていたため、動かせない。やむなく進は車を盾にして、ファウストに銃撃戦を挑む。
ファウストは例によって素手で銃弾を受け止めながら進に近づいてくる。進は車の回りを逃げ惑いながら銃を撃つが、全く効果がない。そのうち進は弾を撃ち尽くした。
万事休すかと思われたが、そこにようやく北極星が現れる。ファウストの後方に現れた北極星はすぐに〈ヴォルケノーヴァ〉を呼び出した。〈ヴォルケノーヴァ〉は北極星を乗せることなく、遠隔操作でファウストに襲いかかる。
「クッ! 北極星か! 〈ノーヴァ・フィックス〉!」
ファウストも対抗して〈ノーヴァ・フィックス〉を呼び出した。ファウストの影から立ち上がった〈ノーヴァ・フィックス〉は遠隔操作で〈ヴォルケノーヴァ〉に掴みかかる。両機とも下にパイロットがいるため、危なくて火器を使用できないのだ。古式ゆかしいロボットアニメさながらの格闘戦を両機は演じ、その間にも北極星とファウストは生身で銃撃戦を繰り広げる。
やがて北極星は勝負に出た。
「進! 指輪を頼む!」
北極星は進に拳銃を投げて寄越す。北極星は重力子を分解して首の付け根の搭乗口まで一っ飛びで跳躍し、〈ヴォルケノーヴァ〉に乗り込む。
やはり遠隔操作とパイロットが乗り込んで直接操縦するのとでは、後者に分があるようだった。それまで一回り大きい〈ノーヴァ・フィックス〉に押されていた〈ヴォルケノーヴァ〉は水を得た魚のように動きが機敏になり、逆に〈ノーヴァ・フィックス〉を圧倒するようになる。
優勢となった〈ヴォルケノーヴァ〉は器用に〈ノーヴァ・フィックス〉にコブラツイストを掛けて動きを封じつつ、空いている片足で指輪を積んだ車を軽く蹴った。地面が揺れ、進とファウストは立っていられず地面に伏せる。車は進の方に押しやられ、ドアがへこんで防弾ガラスが砕けた。すかさず進は車に飛びつく。
「これ、頂きます!」
車の中で目を回している二人に一応断って、進はトランクを車から出す。この中に〈エヴォルノーヴァ〉の指輪がある。
「クッ……! 逃がさん!」
ファウストは進に向けて立て続けに発砲する。進はトランクを盾にしてなんとか難を逃れるが、トランクが開いた。トランクの中にあったのは小さな指輪ケースだ。指輪ケースには言うまでもなく〈エヴォルノーヴァ〉の指輪が収められている。あの日の夜と同じだ。自分がこの指輪をはめられれば、この窮地も脱出できる。
『進! 今助ける! 指輪を使うな!』
〈ヴォルケノーヴァ〉の外部スピーカーから、北極星が声を上げた。即座にファウストが反応する。
「させるか!」
〈ノーヴァ・フィックス〉がいきなりロケットエンジンを全開にする。北極星もすぐに〈ヴォルケノーヴァ〉のアークジェットスラスターを噴かして対抗するが、こういうときにGDの重力軽減は裏目に出る。北極星が反応するコンマ数秒のうちに、〈ヴォルケノーヴァ〉はかなり遠くまで運ばれてしまう。
一刻の猶予もなかったが、進は指輪ケースを前に迷う。自分が〈エヴォルノーヴァ〉を呼び出せるとは思えない。さりとて〈エヴォルノーヴァ〉を呼び出さずにこの難局を切り抜けられるかというと、それも怪しい。一か八か指輪をはめるのが上策のようにも思える。
一瞬の逡巡の後、進は指輪ケースを持ってファウストに背を向け駆け出した。北極星は、進に指輪の使用を禁じた。進は軍人として、上官である北極星の命令を守るべきだ。
ファウストが見逃してくれるはずもなく、進は足と腕を相次いで撃たれ、指輪ケースを取り落として倒れる。
ファウストは激痛に呻く進の横を素通りして、地面に転がっていた指輪ケースを手に取った。ちょうど、北極星の〈ヴォルケノーヴァ〉が組み合っていた〈ノーヴァ・フィックス〉に至近距離でレールカノンを放った。〈ノーヴァ・フィックス〉もさすがにレールカノンのゼロ距離射撃には耐えられず、背部のバーニアまで弾が抜けて大破。〈ノーヴァ・フィックス〉は搭載していた燃料が燃え上がり、火だるまになって墜落する。同時にファウストが左手にはめていた〈ノーヴァ・フィックス〉の指輪は砕け散った。
「やめろ……!」
進は掠れ声を絞り出す。ファウストは進の姿を嘲笑う。
「無様だな、煌進。指輪をはめれば俺に勝てただろうに、おまえの覚悟はその程度だったのか?」
「覚悟だと……? 俺は……!」
進は反論しようとするが、乾いた唇を熱い息が撫でるだけだった。結果が全てを物語っている。
結局のところ、進は北極星に甘えていたのだ。昨日は進が失敗しても北極星が何とかしてくれるだろうと暴走して足を引っ張り、負けた。今日は進が北極星に頼り切って臆病風に吹かれて何もできず、負けた。
さらにファウストは追い討ちを掛けるように言う。
「全く成恵は哀れだな! こんなバカのせいで俺に好き勝手をやられる!」
まさにファウストが言った通り、進には覚悟が足りなかった。北極星がいることに安心して、自分が強くあろうとしていたことを忘れていた。成恵を助けるためにグラヴィトンイーターになろうとしていたのではなかったのか? なぜ北極星の言葉に応じ、グラヴィトンイーターとなる道を頭から消した?
結局、進が力を得ようとしたのは自分のためだけだったのだ。あの日に戻って成恵を助け、成恵を見捨てた罪悪感から逃れたかった。だから成恵が生きていたとわかった途端に気が抜けて、昔のように成恵に頼った。パイロットとして二流でしかない今の自分は、成恵の力にはなれないというのに。挙げ句がこのザマである。
ファウストは〈エヴォルノーヴァ〉の指輪をはめる。
進はファウストの手から指輪を奪おうと試みるが、わずかに右手が動いただけだった。右手と左足に穿たれた銃創から血が広がっていき、思うように体が動かない。傷口が熱を持って、焼きごてでも押し当てられたかのように熱い。どうやら、動脈を傷つけられたらしい。みるみるうちに体から血が失われていく。
〈ノーヴァ・フィックス〉を墜とした〈ヴォルケノーヴァ〉も南関東方面軍の〈疾風〉に囲まれ、空戦を余儀なくされていた。こちらに戻るまでには、まだ時間が掛かる。
ファウストは進を見下ろし、フンと笑った。
「鈍いおまえもいい加減俺の正体に気付いてるんだろう?」
「……やっぱり、あんたは俺なのか?」
進はうなるように言った。ファウストはゆっくりと首を縦に振り、仮面をはずした。そこには青紫色の長い髪を垂らした、進と瓜二つの男がいた。髪の色はグラヴィトンイーターになった影響だろう。北極星も本来の黒髪が紅に染まっている。
「その通りだ……。俺とおまえは同一人物だよ」
ファウストの進に対する思わせぶりな態度を見ていれば、自ずと見当は付いた。自分が将来、こんな凄腕パイロットに成長するかと思うと、胸が熱くなる。
確証はなかったが、それはファウストについて考えるのを避けていたからに過ぎない。北極星なり、稲葉さんなりに訊けば一発でわかったはずだ。
そういえば稲葉さんはどうなったのだろう。北極星は稲葉さんに何か作戦を授け、この司令部に送り出していた。ファウストが堂々とこんなところに現れているのを見るに、捕まっているか殺されているかだろうか。
進が稲葉さんのことを思い出していると、当人が現れた。稲葉さんはいつもの穏やかな調子でファウストに話しかける。
「君が勝ったのか。進君は私の元部下だから、寛大な扱いをお願いするよ」
「ああ。こいつには特に価値もないしな」
ファウストも稲葉さんに普通に応対し、進の中に絶望が広がる。
「そんな……! 稲葉さん……! どうして……!」
情けない声をあげる進に、稲葉さんはまるで今日の天気の話でもしているかのように語りかける。
「悪いね、進君。私は悪魔に魂を売ることにしたんだ。僕は克也を助けるためなら……君たちの敵にもなる」
「糞っ……」
進は拳を握り地面を叩く。そんな進に、ファウストは言う。
「おまえも同じだろう、煌進」
「何が同じなんだよ……!」
進は怒りで声を震わせる。ファウストは淡々と言葉を重ねた。
「失ったことが、だよ。俺とおまえは同じだ。おまえは俺がやりたいことがわかるはずだ。もう邪魔はしないでくれ」
感情の昂ぶりと、極度の失血で頭の中が真っ赤になって脳がオーバーヒートを起こす。進は動けなくなり、ようやく南関東方面軍のGDを撃退した北極星が〈ヴォルケノーヴァ〉で舞い戻る。〈ヴォルケノーヴァ〉はその手で進を拾い上げ、筑波方面へと離脱した。
進は薄れ行く意識の中で考えていた。進とファウストは、失ったことが同じ。いったいどういうことなのだ。
心当たりなど九年前の東京しかない。進が東京での市街戦で成恵を失ったように、ファウストも誰かを失ったのか。
進とファウストが同じ人間で、同じ体験をしているというなら、これしか思いつかない。しかしだとすると、平行世界ではなく、やはり……




