17 反逆者
旧東京千代田区に本拠を構える日本の南関東方面軍は陸軍二個師団、空軍二個飛行隊を隷下に収める日本軍有数の勢力である。非武装停戦ラインを挟んで直接アメリカ軍と対峙しており、指揮官である空軍中将秋山公平は皇族の末席に名を連ねる名家出身で、政府の信任は厚い。本人が固辞したので流れたが、焔北極星ではなく彼を空軍元帥に推す声もあったほどだ。
ファウストはその秋山公平と、千代田の地下司令部で面会していた。カビ臭い一室に机が一つ。ファウストと秋山以外には誰もおらず、二人は向かい合って机に掛けて交渉を進める。
「昨日連絡を受けたときには驚いたが、本当に一人で来るとはな。私が君に危害を加えるとは思わなかったのかね?」
白髪交じりの髪をオールバックに撫でつけた隻眼の秋山は、眼光鋭くファウストを見据える。顔に刻まれた皺と傷跡が、彼が歴戦の勇士であることを物語っていた。ファウストは落ち着いた声で言う。
「あんたが俺に何かしようとしても返り討ちに遭うだけだ。わかっているだろう? 逆にこちらが訊きたいくらいだ。なぜ、俺と二人きりで会談するのを許可した? あんたも知っているだろう? 俺は前の世界であんたを殺してるんだぞ?」
ファウストは前の世界で秋山を殺した日のことを今でも鮮明に覚えている。秋山はファウストに裏切られたのが信じられないという表情で、ファウストに銃で眉間を撃ち抜かれて死んだ。
「君らの世界の私と、今この場にいる私は別人だ。そのくらいは君もわきまえているだろう? それとも君と、こちらの世界の君は同じ人間なのかね?」
「いや、別人だな」
秋山の質問にファウストは即答した。こちらの自分とは二回ほど遭遇しているが、あんなくだらないガキが自分だとは全く思えなかった。
「ならば問題ないだろう。で、用件は何だね?」
秋山は本題に入る。秋山の残っている目が、ぎろりとファウストを正面に捉えた。ファウストはストレートに伝える。
「〈エヴォルノーヴァ〉の指輪をよこせ。指輪があんたの支配域に落ちていることは調べがついている」
進は「指輪は東京にある」と証言していた。指輪を載せていたと思われる機体を進の証言から割り出すと、該当する機体はちょうど非武装停戦ラインと南関東方面軍の支配域の境目付近でファウストの部下が撃墜している。非武装停戦ラインに潜むゲリラが持ち去った可能性も否定できないが、第一に当たるべきは秋山だ。
秋山は静かに言った。
「指輪を私が入手しているとして、それを君に渡すメリットはあるかな?」
想定通りの態度だ。前のこいつと何も変わっていない。ファウストは二本角の黒いマスクの下でほくそ微笑んだ。
「ある。指輪さえあれば、俺がアメリカ軍を動かして筑波を陥落させてやる。あんたは一番槍の手柄を立てて、アメリカ合衆国政府が決定した日本人自治区の皇帝にでもなればいい」
「なかなか愉快な提案だな。私が乗るとでも思っているのかね?」
秋山は本当に愉快そうに微笑みながら、ファウストに訊く。ファウストは言った。
「あんたは焔北極星が気に入らないはずだ。あの女のやり方は真っ直ぐすぎる」
水を向けられた秋山は鼻を鳴らしながら肯定した。
「まあ、その通りだな。あの女は自分一人で何でもできると思い込んでいる。最前線の私たちの重圧など、全く考えずにな。大方あの女はアメリカ軍が侵攻しても、私たちが盾になっている間に反撃できると考えているのだろう」
北米大陸の「黒い渦」は戦争の様相を大きく変えた。「黒い渦」による電波障害でレーダーの機能が著しく低下し、敵味方共に遠距離索敵がはなはだ困難になったのだ。この事実は、瞬時に投入できる火力が過去のどの時代よりも大きくなった現在で、攻撃側圧倒的有利の状況を生み出した。
秋山は吐き捨てる。
「焔北極星はパイロットとしては超一流、戦術家としても一流だが、戦略家としては二流、政治家としては三流だ。私たちに前線を守らせ続けたいなら、相応の根回しをするべきだった。捨て石扱いでは、士気が上がらん」
南関東方面軍は最前線であるにも関わらず、充分な資金や物資を支給されているとは言い難かった。政治家たちが南関東方面軍が軍閥化することを恐れているためだ。
北極星自身は結構な頻度で前線を視察するなど、南関東方面軍の元を激励に訪れ、気を遣っている。しかしいくら北極星がこちらにやってきたところで物資の窮乏が解消されるわけではない。
一方で北極星自身が率いる首都防衛軍は潤沢な予算で最新式の装備に身を固め、綺麗な設備を利用している。古い装備を使い回し、今にも崩れそうなボロ屋に住んでいる南関東方面軍とは大違いだ。不要になったGDをゲリラに横流しして稼いでも、なお予算が足りない。秋山たちが不満を持つのは当然だった。
本来なら北極星は予算について政府に陳情すべきである。しかし北極星が政治家たちに根回しをすることはなく、北極星は軍の実務にしか興味を示さない。政治に口出しせずに黙って政府に従う武人の鑑ともいえるが、空軍の最高指導者としては失格だ。もっとも、北極星が軍のためにまともに働いていれば、政府に煙たがられてとっくの昔に消されていただろうが。
現状に憤った南関東方面軍の青年将校の一部は、西日本アメリカ亡命政権とコンタクトをとるなど、怪しい動きを始めていた。ファウストの情報では秋山は今のところ青年将校を宥めているらしいが、この男が大人しくし続けているはずがない。そのことは前の世界で秋山の部下だったファウストが一番よく知っている。
秋山は、タイミングを計っているだけなのだ。いつ裏切れば最も自分の利益になるのか。この男は徹頭徹尾、合理主義者で利己主義者である。自分のためなら平気で友を裏切り部下を洗脳し、使い捨てる。
「今俺に協力するなら、戦後に然るべき地位を約束する」
ファウストは言い、秋山はあごに手をやる。
「協力しないなら、殲滅かね……?」
「俺はあんたとは仲良くやれると思っているよ」
やがて秋山は決断した。
「よかろう……。指輪はくれてやる。私たちの力で筑波を落とすことにしよう」
この一言で、長年に渡る日米対立の趨勢は決した。第二次世界大戦以来およそ60年続いてきた日本国は、歴史から消える。
かつて戦国最強を誇った武田家は織田軍の侵攻を前にわずか一ヶ月で滅び去った。そのきっかけとなったのは織田との最前線を守る一門、木曽氏の裏切りである。最前線の重圧と重い賦役に耐えかねた木曽氏は織田に寝返り、織田の大軍を武田領に引き入れる。一族を含む諸将は織田の大軍に恐れをなし次々と逃亡、降伏し、雪崩を打って武田は瓦解した。
言うまでもなく日本は武田で、秋山公平が木曽である。首都防衛軍は練度も士気も高いが、焔北極星という最高指揮官があってこそだ。ファウストが〈エヴォルノーヴァ〉で北極星を討ち取れば、戦意を喪失する。一週間で日本政府は崩壊するだろう。
「交渉成立だな。ではさっそく……」
さっさと指輪を手に入れようとファウストは考えていたが、秋山は制する。
「まあ待て。指輪は今、部下に回収に行かせているところだ。現場の封鎖に手間取ってな……。今日の午後、この基地に運ばれる手はずになっている。到着するまで君は姿を隠していたまえ。我らの元帥も、手を打つのだけは早いのでね……」
○
ファウストに学校が襲撃された翌日、進は北極星に従い、東京に向かった。予告通り稲葉さんとエレナも一緒である。特務飛行隊諜報部の皆さんは南関東方面軍内部の内偵に忙しいため、直接指輪を探すのはこの四人だ。まずは南関東方面軍の司令官、秋山公平と会談するため全員正規の紺色の軍服である。
筑波から東京までは、二時間ほどだった。まず鉄道で千葉まで行き、千葉からは軍が手配したバスに乗る。稲葉さんの手配で軍が用意したバスなので、千代田区の南関東方面軍司令部まで直で送ってくれた。
「ここが東京か……」
進はバスから降りて背伸びしながら辺りを見回す。進が戦争後に東京に来たのは初めてだった。東京の空をGDで飛行したことはあるが、夜間ばかりでまともに見たことがない。
造りが安っぽいのは気になるが、瓦礫の山ということは全然なく、整然と建物が並んでいる。南関東方面軍司令部の近くということで軍服姿ばかりというのは特殊だが、人通りも多い。
驚いている進に、つい去年まで東京に在住していたエレナは言った。
「この辺は再開発が進んでいます。旧二十三区から出たら、全然ですけど……」
もっと凄惨な街を予想していた進には拍子抜けである。もっとも、戦争の名残が全くないかというとそんなことはない。巨大すぎて手がつけられなかったのだろう、錆びつき、折れ曲がった東京タワーが遠くに見える。爆撃で崩れたのか国会議事堂はあちこちにヒビが入り、薄汚れた廃屋のまま放置されていた。手入れのされていない旧皇居も石垣に草が生い茂って所々石が欠落しており、お堀はどす黒く濁っているという悲惨な有様だった。
「では方面軍司令部に行くぞ。打ち合わせ通り、粗相のないようにな」
北極星の号令に従い、進たちは国会議事堂の隣に建っている南関東方面軍司令部へと足を踏み入れた。
鉄条網に囲まれ、コンクリートで固められた司令部は戦時中に急いで作られたというだけあって、居住性は最悪である。上部の建物の中でもあちこちにカビが生え、監獄のような建物をより陰気にしている。一同は自然と押し黙り、廊下を進んでいく。
地下に入ると陰気さはより深刻になった。釣り下げられた蛍光灯は具合が悪いのかチカチカと明滅し、換気扇もないため空気が淀んでいる。思わず進は鼻に手を当てた。
北極星と稲葉さんを前に、進とエレナが後ろから続く。今日は北極星が空軍元帥、稲葉さんが近衛飛行隊副隊長という立場で、進とエレナはそれぞれの秘書という設定だ。進とエレナは別行動をしてもよかったのだが、分散すると何があるかわからないという北極星の判断でついてくることになった。東京の治安は、北関東在住者の想像を絶する酷さなのだ。若い男女が無防備に歩いていれば、いつ拉致されてもおかしくない。
北極星一行が通されたのは、司令官執務室だった。コンクリートが剥き出しの無味乾燥な部屋に、壊れかけたソファーと机が並べてあるだけの場所だった。北極星と稲葉さんはソファーに腰掛け、進とエレナはその傍らに立つ。南関東方面軍司令官である秋山中将もソファーに腰を下ろし、会談は始まった。
口火を切ったのは北極星だった。
「単刀直入に訊こう。指輪は見つかったか?」
「部下に調べさせたが、まだ見つかっていない。かなりジャンク屋どもに荒らされていてね……。一応これが報告書だ」
秋山中将は書類の束を北極星に渡す。階級では北極星の方が上だが、他の将校たちの方が年齢は上なので、北極星は将校たちにはあえて敬語を使わせていない。隻眼の秋山中将はさすがは歴戦の勇士という貫禄で、立っているだけの進が緊張で汗をかいた。
北極星は書面を一瞥する。
「ふむ……。特におかしなところはないな」
「当然だ。私は元帥閣下の忠実なるしもべなのでね」
秋山中将は冗談めかして言ったが、進には正直怖いだけだった。
「焔元帥が独自に調査するというなら、人員を用意するが……」
秋山中将の提案を北極星は断った。
「いや、それには及ばぬ。私は中将ならやってくれると信じている……。果報は寝て待つこととしよう」
「それではこちらからも訊いていいかね? 稲葉の件、どうなっている? 是非南関東方面軍の副司令にほしいのだが……」
進は顔には出さずに驚く。稲葉さんにそんな話が来ていたとは。
「転属の件であれば却下だ。私としても優秀な副官を失うわけにはいかぬのでな」
北極星に拒否され、秋山中将は直接稲葉さんに尋ねる。
「稲葉、君自身はどうなんだね? 幽霊部隊の副官で危険な仕事ばかり任されて、苦労しているのではないのかね? いくら前の戦争のことがあるからといって、君がそんな仕事に甘んじているのはもったいないと私は感じるが……」
このクラスの人になると特務飛行隊のことも知っているらしい。稲葉さんは即答した。
「私は今の立場に満足しているよ。これでなかなかやり甲斐があってね。それに、与えられた職務に全力で尽くすのが軍人の本懐だろう?」
秋山中将は稲葉さんの返答に、苦笑いを浮かべる。
「全く君は、士官学校時代から変わらないな……。焔元帥、無礼なことをして斉まなかった。それだけ稲葉のことを評価しているということを理解してほしい……」
聞いた話によると、秋山中将は稲葉さんと同期で士官学校の主席と次席だったそうだ。
頭を下げる秋山中将に、北極星は鷹揚に言う。
「構わぬ。よい人材を集め、部隊をさらに強くしようという心意気を忘れぬようにな」
ここで会談は終了した。




