0 はじまりのおわり
???:2030
闇よりも暗く、光さえも許さない黒。人類の叡智が生み出した貪欲にして制御不能な怪物。眼前に展開されているブラックホールは、おおよそ質量と呼べるもの全てを重力の鎖で絡め取り、底なしの井戸に飲み込んでいった。
全てが闇に流されていた。周囲にはもう何もない。どこまでも虚空が広がっているだけ。どうしようもなく世界は空っぽだ。
もしかして自分は、世界が始まる前の宇宙にいるのではないか。煌進はぼんやりと思った。
実際のところは逆である。世界はこれから始まるのではなく、終わったのだ。ブラックホールが発する強大な重力は数多の命を育んできた地球を歪めて砕き、約46億年に渡る蒼い星の歴史は幕を閉じた。ブラックホールは砕けた地球の残骸が宇宙に滞留することさえ許さない。ブラックホールはかつて地球だったものを塵一つ残さず吸い込み、ご丁寧にシュヴァルツシルト半径ですり潰した。
そしてこの惨状を招いたのは、他でもない進自身である。二十歳を過ぎても落ち着くことのなかった進は、とうとう破滅的な失敗をしてしまった。
「これからどうするか……」
コクピットのシートに背中を預け、進はつぶやく。応える者なんて、いるはずもない。進は一人だ。重力の影響を遮断できるグラヴィトンイーターたる進だけが、愛機たる人型機動兵器に守られ、今ものうのうと生きている。
この世界にはもう鮮やかな空はない。透き通った青い海もない。進の故郷も粉々になった。しかし、星だけは遠くで輝いていた。
星の海から、一筋の光がまっすぐな軌跡を描いて接近してくる。やってきたのは紅の甲冑に身を包んだ機械仕掛けの巨人だ。グラヴィトンイーターの手足として機能する巨大人型機動兵器、GDだった。
乗っているのは進と同じく重力そのものをエネルギーとできる超人、グラヴィトンイーターである。現れたGDのパイロットは通信機を介して進にコンタクトしてくる。
『進……!』
彼女の声を聞いて、進は少しだけ穏やかな気持ちになる。神父の前に立たされた死刑囚のような気分だ。もう何も怖くない。彼女は進の幼馴染み、保村成恵だった。
「どうしたんだ? 俺を殺しに来たのか?」
気心知れた幼馴染みに、進は冗談めかして尋ねた。成恵の顔は見えない。成恵は怒りに声を震わせる。
『これがグラヴィトンイーターになって貴様のやりたかったことなのか?』
「違うよ……。違うに決まってるだろ……。でも俺は、──のためなら、何人殺したって……!」
進は死んだ──を助けに行きたかっただけなのだ。時間さえねじ曲げる重力の力を利用して、過去に遡ることで。しかし進は失敗し、数十億の人間をブラックホールで粉々にした。
『──はもう死んだのだ、進!』
「わかってる。でも俺は、たとえ地球をいくつ犠牲にしたって……!」
『ならば進、私は貴様を……!』
成恵のGD〈ヴォルケノーヴァ〉は60ミリレールカノンを構え、進の機体に照準をつける。進も自らの機体に臨戦態勢をとらせた。
「戦うしかないみたいだな……!」
グラヴィトンイーター専用に調整された進と北極星のGDは、量産機とは隔絶した戦闘力を有する。勝負は一瞬で決まるだろう。
『我々にはなぜ質量があるのか。なぜ質量に縛られているのか。我々の意識は遙か十一次元から投影されるホログラムに過ぎない……。本来我々はもっと自由なはずなのだ……。我々はその意味を考えなければならない……。我々が争う必要はない……』
オープンチャンネルからは、かつて技術者集団〈スコンクワークス〉が発表したお決まりの反戦演説が、ノイズ交じりで流れていた。進や成恵のように、〈スコンクワークス〉も生き残っているのだろう。彼らは時空航行艦を保有している。演説内容に反して、進と成恵は世界が滅びてもなお争おうとしていた。
進は〈ヴォルケノーヴァ〉を凝視する。白いシャープなボディに分厚い紅の装甲。コンパクトに纏められた各部のスラスター類からは、機能美すら感じられる。あまりに高すぎる機動性のため、成恵しか扱えない機体。進の前に、世界最強のGDが立ちはだかっていた。
「俺だって、グラヴィトンイーターになったんだ!」
進は咆吼し、かっぱらってきた試験機を駆動させる。全体的に角張ったデザインで、背部には大型バーニアを背負った機体だ。直線でのスピードなら〈ヴォルケノーヴァ〉に負けない。
滅びた世界で星空を背に、世界最後の戦いが始まった。進はバーニアをフルスロットルにして突撃する。成恵は正面からの激突を避け、進の側面に回り込みながら手持ちの火器を撃ち込んできた。進は盾で耐えながらGDの標準装備である60ミリレールカノンや72ミリショットカノンで応戦し、あくまで正面から最短距離で成恵に食いついていく。
あっという間に進の機体はズタボロにされた。右に左に凄まじい速度で動き回る〈ヴォルケノーヴァ〉に対応しきれないのだ。進は一方的に装甲の薄い側面、背面を狙い撃たれ、機体は各部から黒煙を吐き出し、計器は異常を訴え続ける。たとえ砲弾を喰らってもバイタルポイントへの被弾だけは避けることで、進は辛うじてスピードを維持し続けるが、限界は近い。
しかし進に全く勝機がないわけではない。攻撃を受け続けながら進は一切加速を緩めなかった。充分な加速により、最高速度近くまでスピードは上がっている。今なら、進は成恵に追いつける。
進は愛機を〈ヴォルケノーヴァ〉に組みつかせた。進の機体は左手と右足を失っており、〈ヴォルケノーヴァ〉を押さえ込むなんてとても無理だ。しかし一瞬接触できれば充分である。進は首の付け根にある搭乗口から飛び出し、〈ヴォルケノーヴァ〉に飛び移った。
グラヴィトンイーターとなった進は宇宙空間でも生身で活動可能だ。グラヴィトンイーターは常人を遙かに超えた強靱な肉体を持っている。進はコクピットに侵入して成恵を直接攻撃すべく〈ヴォルケノーヴァ〉の腕を伝って首の付け根を目指す。だが成恵は進の作戦を読んでいた。
紅の長髪を靡かせた女が、〈ヴォルケノーヴァ〉の肩口に立っていた。腰に軍刀を差した女は、険しい顔で進を見下ろす。
整っているが、どこか幼さが残る美少女然とした容貌。ぱっちりとしていて、肉食獣獣のように眼光鋭い両の目。赤い唇はきりりと結ばれ、彼女の複雑な心境を物語っている。
身長は女性としては大きめであるが、決して体のバランスは崩れていない。長い手足がたおやかな体から伸びる様は、モデルか何かのように美しい。傷ついたパイロットスーツの隙間からは絹のように白い肌が覗いていた。
薔薇の華やかさと狼の獰猛さが同居した、秀麗な女性。美しく成長した成恵が、進を待ち構えていた。
「進!」
「成恵!」
二人とも、拳銃を手にして引き金に指を掛けていた。進も成恵も、互いの名を叫びながら引き金を引く。結末は、放たれた銃弾に委ねられた。
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