15 辛酸
「進、伏せろ!」
北極星が言い終わるか言い終わらないかのところで、進は反射的に床に伏せる。ファウストは人質の美月に銃を突きつけていたが、引き金を引けない。
ファウストの後方の階段から現れた北極星は短機関銃を肩に掛け、拳銃を構えていた。即座に北極星はこちらに走りながら短機関銃を拳銃に持ち替えて発砲し、ファウストは手で防ぐ。北極星の短機関銃──イングラムM10ならファウストを倒せたかもしれないが、確実に進や美月を巻き込むので使えない。
北極星は驚きの表情を見せながらもそのまま勢いを緩めず拳銃を捨てて、腰の元帥刀を抜き斬りかかった。銃弾を受け止めるというのは同じグラヴィトンイーターである北極星にも想定外の出来事だったらしい。
多少驚いても北極星の勢いは止まらない。応射したファウストの拳銃を刀で跳ね上げて弾道を逸らし、刀はファウストの腕を掠める。
ファウストは後退し、一瞬美月を確保していた左手が弛んだ。すかさず進はファウストの後方から突っ込んで、美月の体を前に押しやる。北極星は気絶したままの美月を抱き止め、確保する。
美月の奪還に成功し、二対一だ。勝ち目が出てきた。一瞬そんな考えが進の頭をよぎったのが油断だったのだろう。進はファウストに首元を掴まれ、頭に銃を突きつけられた。
「指輪はどこだ。こいつの命が惜しければ、喋れ」
淡々とファウストは北極星に要求する。北極星はとっさに一度地面に捨てた拳銃を拾ってファウストに向けていたが、進が邪魔で撃てない。ファウストの話を妨害するように進は喚いた。
「俺に構うな! こいつを殺せ! 俺が死んだら美月を頼む!」
進が死ねば、美月が狙われる理由はなくなる。少なくとも美月が助かるのなら、進は喜んで自分の命を差しだそう。
極度に興奮しているせいか、恐怖はなかった。いかにファウストといえど、進の体越しにイングラムの連射を受ければ防ぎきれないだろう。北極星がイングラムを撃てば進は死ぬが、ファウストに勝てる。
しかし北極星は最も確実な方法を選ばなかった。北極星は肩から下げたイングラムに手を着けることなく、すばやくファウストの側面に回り込んで拳銃を発砲する。ほぼ同時にファウストも進を突き飛ばして両手を空け、北極星を撃った。
膝をついたのは北極星だった。至近距離にもかかわらずファウストは銃弾を片手で受け止め、ファウストの放った弾は北極星の腹部を貫いていた。
進はファウストの後ろで尻餅をついた格好のまま、尋ねる。
「どうして俺ごと撃たなかったんだよ……!」
イングラムを使わず、余計な動作を挟んだせいで、北極星はファウストに敗れた。進さえ犠牲にすれば勝っていたのに。北極星は自分の腹から零れた血溜まりに座り込んだまま答えた。
「先に報酬をもらっていたからな……。ポッキー三箱。貴様の家でもらっただろう……?」
進は絶句する。北極星は確かに進の家でポッキーを三箱食べていた。確かに子どもの頃はポッキーを報酬として何でもやっていたが、そんなレベルを遙かに超えている。
今度はファウストは、北極星の頭に銃を突きつけ、進に尋ねる。
「指輪はどこだ」
「……〈エヴォルノーヴァ〉の指輪は東京だ。東京方面を飛行中に撃墜されて、行方不明になった」
大人しく答えた進に、北極星は悔しげにうなだれるだけだった。
「東京か……。それならおまえらがまだ動向を掴んでいないのも納得できるな……」
ほとんど独り言のようにファウストはつぶやく。まだ予断は許さない。ここからファウストが進たちを皆殺しにすることもありえる。ファウストが何かするなら、刺し違えてでも進がファウストを倒す。密かに決意し、進は固唾を飲んでファウストの動向を見守る。
ファウストは進に銃を向けることはなかった。その代わり北極星に向けて言葉を投げかける。
「北極星。いや、成恵……。俺に必要なのは、あとは指輪だけだ。俺は、必ず……!」
「グッ……! 貴様……!」
北極星は立ち上がろうとするが、力が入らないようでわずかに全身を震わせただけだった。腹から零れた血が、リノリウムの床を赤く染めている。ファウストに撃たれた傷はかなりの深傷らしい。
ファウストは踵を返し、悠々と階段へと向かう。進が後ろから襲ったところで仕留めるのは難しいだろう。後ろに殺気を向けているのを感じる。
ファウストが見えなくなったところで、進は北極星の隣にしゃがみ声を掛けた。
「すぐに救急車を呼ぶ! 止血するぞ!」
この出血量だと命に関わる。進は止血のために北極星の服に手を掛けようとするが、北極星は進の手を払いのける。
「無用だ……。それより私を人目につかないところに運べ……!」
「止血しないと命が危ないぞ!」
「……上官命令だ。早くしろ!」
荒い息をつきながら北極星は言った。北極星がここまで言うからには、何か考えがあるのだろう。幸いエレナが手引きしたのか、教室のドアは閉まっていて、開く気配はなかった。進は北極星を背負い、廊下の影まで運ぶ。気絶したままの美月を放置していくのは心苦しいが、優先順位を間違えてはいけない。
進が北極星を降ろすと北極星は壁に背を預け、精神集中し始める。北極星の右手に埋め込まれた真っ赤なグラヴィトンシードが輝くと同時に北極星の胴が薄ぼんやりとした青い光に包まれ、逆再生のように傷が塞がり、服まで元に戻る。
北極星は不敵な笑みを浮かべて言う。
「これがグラヴィトンイーターの力だ……!」
なんでも傷口の周りの重力を操作して時間の流れをねじ曲げ、時間が逆に流れる空間を作成したということらしい。川辺から流れとは逆に溝を掘ったようなものである。ある程度までなら勢いで水が逆流する。グラヴィトンイーターは専用GDの補助を受ければこんなことまでできるのだ。
〈ヴォルケノーヴァ〉は時間遡行も可能だと知識としては知っていたが、目の当たりにすると筆舌に尽くし難い凄まじさだと実感する。グラヴィトンイーターの超人ぶりに、進は舌を巻いた。
「本来ならこの力でブラックホールでも作って、ファウストにぶつけてやりたいところだがな……。肩を貸せ。体力までは回復せぬ」
進は北極星を立たせて、一緒に階段を降り始めた。
そこから先が大変だった。銃声が止んだことで教室にいた生徒たちが外に出始め、避難先に指定された体育館へ移動し始めたのだ。校内に残っていたファウストの部下は北極星が待機させていた部隊が制圧していた。
負傷した上に北極星を背負って制服を血まみれにした進は出て行くことができず、こっそり裏庭に出て稲葉さんに替えの制服を持ってきてもらうはめになった。北極星の時間操作で直してもらうという手もなくはなかったが、北極星が体力を使ってしまうのでやるべきでない。
幸いファウストに撃たれた進の右肩は弾が抜けていて、骨折もしていなかった。簡単な治療ですぐに動けるようになる。
裏門に止めた車の中で着替えながら、進は稲葉さんに言う。
「すみません……。わざわざこんなことをしてもらって」
運転席に座っている稲葉さんはにこやかに笑って返す。
「いやいや。僕もさすがに歳だから、戦えなかったのが残念なくらいだよ。それに僕も本当ならこうやって、息子の世話をしていたはずなんだ。このくらいは任せてくれ」
「息子さんがいたんですか?」
進の問いに稲葉さんは不気味なほどにゆっくりとうなずく。
「ああ。前の戦争で死んだけどね。生きていれば君と同じくらいだった……」
「……お悔やみ申し上げます」
進が目を伏せて言うと、稲葉さんは苦笑混じりに手を振った。
「そんなに深刻にならないでくれ。もう随分昔のことだから……」
稲葉さんは遠い目をして、進はぎこちなく作り笑いを浮かべた。前の戦争から十年しか経っていない今、戦争の被害者は捜せばいくらでも見つかった。
「だいたい、君のような子どもを戦わせている僕に何かを言う資格はもうないんだよ」
「……俺は自分の意志で戦ってますから」
自虐する稲葉さんに進は言ったが、どこか白々しかった。
「銃はここで稲葉に渡しておけ」
車の外にいる北極星が言った。もう警察も来ている。面倒を避けるためにはそうすべきだろう。進の着替えが終わると、二人は体育館に向かった。
体育館では全校生徒が集合し、進だけが行方不明という状態だった。進は担任に怒られつつ、やってきた警察に事情聴取を受ける。進がテロリストと銃撃戦をしていたという目撃証言があったらしい。進はもちろん素知らぬ顔をしてとぼける。銃を持っているわけでもないので、簡単な身体検査を受けただけで釈放された。
検査が終わると進はクラスメイトたちのところに戻る。すぐにクラスメイトの集団の中から美月とエレナが出てきて、両側から進に抱きつく。
「お兄ちゃん!」
「進さん、よかった……! 無事でしたのね」
「ごめん。ちょっとトイレに行こうとしたらテロリストに遭って、逃げ回ってたんだよ」
進は謝った。事情はどうあれ、美月を不安にさせてしまった。本当のことは言えないにしても、謝罪しないと進の気が済まない。
エレナも、しっかり美月を守ってくれた。後でお礼を言おう。
美月は進の胸に顔を埋めたまま言う。
「本当に……本当に心配したんだからね! もうお兄ちゃんがいなくなっちゃうかもしれないって……」
美月の様子を見るに、進がファウストと交戦していたところを美月は覚えていないようだ。刺激が強すぎたらしい。助かった。
「私がついていながら、申し訳なかったな。目を離した私の責任だ」
「まぁ、こうしてちゃんと戻ってきたし……」
北極星も謝り、美月の態度も少し軟化する。美月は顔を上げて言った。
「でも、もう絶対危ないことしちゃだめなんだからね! 危なそうになったら巻き込まれる前に逃げてよ!」
「わかってるよ」
進はそう言ったが、すでに現在進行形で危険の渦中にいる。北極星がいなければ、何度死んだかわからなかった。
○
騒ぎが一段落すると、集団下校することになった。警察の随伴で生徒たちは次々と帰宅する。進と美月も北極星とともに家に帰った。
今日も北極星は泊まるようだった。三人で夕食を食べ、昨日と同じく美月は北極星とともにゲームに打ち込む。北極星は「先生は五時で終わりだから」と自分を名前で呼ばせ、美月と仲良く盛り上がっていた。
事件のおかげで学校はしばらく休校になった。これでしばらくは仕事の方に集中できる。しかし、指輪に関して進ができることなどあるのだろうか。
進は一足早くベッドに潜り込み、明日からどうするか考える。今日の戦いで、進は何もできなかった。それどころかファウストに捕まって、北極星が指輪の在処を喋る直接の原因となった。ファウストが引いてくれたからよかったものの、進も北極星も美月も、殺されていてもおかしくなかった。
進は左手の包帯を解き、埋め込まれたグラヴィトンシードを眺める。
「俺は……あのときから何も変わってないな」
進は戦災によって成恵を失った日を思い出す。あの日、自分は逃げ回るしかないただのガキで、何の力もなかった。成恵を救えず、成恵に救われた。
ずっと力がほしいと思っていた。だから無理してパイロットになったし、稲葉さんが持ってきたグラヴィトンイーターの被験者にならないかという誘いに飛び乗った。グラヴィトンイーターになれば過去に戻ってあの日の成恵を救える。左手にグラヴィトンシードを埋め込んで以来、それだけを考えていた。
しかし〈ヴォルケノーヴァ〉の指輪には拒否され、再会した成恵──北極星には助けられてばかり。悲しくなるくらいに進は役立たずで、足手まといだ。今日は進の独断専行のせいでファウストに敗れる結果となった。
進は寝転んだまま頭を傾け、夜空を見る。雲一つない空に、月が光っていた。
成恵と一緒だった頃、進は密かに自分を月だと思っていた。成恵という太陽がいれば自分も輝ける。成恵がいれば、自分も目立たないながらも活躍できる。
現実はどうだろう。進は、ただの争奪されるアイテムだった。引き金に指を掛けても、何一つなしえなかった。本当なら北極星は、口封じのために進を殺して終わりでもよかったのだ。
進を見逃してくれたファウストも同じである。ファウストの場合、西日本アメリカ亡命政権との関係があるため北極星を殺せなかった。
ファウストはアメリカ人ではなく傭兵だと聞いている。古今東西、強敵を打倒した傭兵が用済みとなり、雇い主に殺されるのはよくあることだ。北極星を殺してしまえばファウストは亡命政権にとってただの厄介者となり、味方に刺される危険があったので北極星を生かしておいたのだ。
進を殺さなかったのは、そのついででしかない。進はファウストの気まぐれで生き残っただけなのである。
今進が生きているのは北極星とファウストが情けを掛けてくれたからであり、進の力は介在していなかった。
進の収穫といえば、北極星が進の知る成恵であると確認できたことくらいだ。そうでなければ進を助けるわけがない。それに、ファウストが北極星のことを成恵と呼んでいた。よって北極星は成恵だ。確実である。
進の暴走に、北極星は何も言わなかった。昔から彼女は身内には甘かったし、進が何かあった後ちゃんと反省するのも知っている。北極星は進が煮詰まって自分の所に来るのを待っていると思われる。
せめて、お礼を言うべきだろう。余裕がなくて、北極星に言えていなかった。
進は体を起こす。北極星にお礼を言うついでに、今後の方針も訊こう。そして進に役割があるなら、全力で取り組む。進がしてしまった失敗は取り返しがつかないが、せめて穴埋めしたい。進はそう決意して、北極星の寝室を目指した。




