12 焔先生の保健体育
昼休みが終わって五時間目が北極星の授業である。北極星が受け持つのは保健体育で、着替えずに教室に待機しておくようにとの旨が、昼休み前に周知されていた。
昼休みの終了を告げるチャイムとともに北極星がつかつかとやってきて、教壇に上がる。普段から偉そうなのが板についているので、なかなか様になっていた。
「今日は急遽予定を変更してDVDを見る。後で感想を書いてもらうので真面目に見るように」
北極星はそう言って教室に据え付けのテレビをつけ、DVDプレイヤーにDVDを差し込む。すぐに画面にテロップが表示された。
『映像でわかる性教育シリーズ① 避妊 ~パートナーと対話しよう~』
「ちょっと待て!」
進は思わず声を上げてしまう。北極星は眉間に皺を寄せつつ、「どうした、煌進?」と訊く。進は胸に手を当てて自分を落ち着かせつつ、指摘した。
「こういうのは普通男女別でやるものだろ。だいたい、なんで新年度最初の体育がこれなんだよ。普通、体力測定とかじゃないのか?」
北極星は一つ一つ答えていく。
「まず今日がDVD学習である理由だが、とある事情でグラウンドは使えぬのでな。皆には悪いがこういう形になった」
「とある事情」とはファウストのことだろう。グラウンドなどにいれば、ファウストが来れば真っ先に標的になる。体育をやれないのは進のせいだった。進は自分の浅慮さに消えてなくなりたい気持ちになる。
北極星は続ける。
「男女一緒なのは、このクラスが余ったからだ。一年生のクラス数は奇数なのでな。先生の手も足りぬので、一辺にやることになった」
本来二クラス一組で男女別に授業するが、そうすると一クラス余る。それがこのクラスだった。先生の手が足りないのも本当だろう。でなければいくら北極星でも、こんなにあっさり潜り込めるわけがない。
北極星は困ったように顎に手を当てる。
「しかし男女一緒なのは確かに問題ではある。女の私が男子を教えるのは配慮が足りぬかもしれぬな……。男子、どうだ?」
北極星の言葉にクラスの男子は次々と声を上げる。
「いえ! 全然無問題です!」
「先生のような美人が教えてくれるなんて!」
「我々の業界ではご褒美です!」
どこの業界だよ……。男子どもは美人なら何でもいいらしい。続けて北極星は女子にも訊く。
「女子はどうだ? 男子と一緒は嫌か? どうしても嫌なら別の場所で自習を許可する」
北極星と目があったエレナは早口でまくし立てる。
「そ、そ、そんなことはありません! これも大事な勉強ですから! 進さんがちゃんと聞いてるか監視もできますし!」
ちょっと待て、なぜ俺が出てくる。
エレナの発言を聞いた美月もぼそりと言った。
「そうね。お兄ちゃんがちゃんと聞いてるか、チェックしないと。外に女を作るのはまだ許せるけど、赤ちゃんまで作られたらたまらないわ」
何言ってるんだ美月……。俺は彼女いない歴十八年だぞ……。美月の発言を受けて、教室はざわめく。
「やっぱ俺たちより年上だけあって、経験は豊富なようだな……!」
「もう経験済みか……! クソッ、うらやましい!」
「やっぱり楠木さんはもう煌の毒牙に掛かって……!」
まず男子どものアホな発言が漏れ聞こえ、女子にも波及する。
「美月ちゃんのお兄ちゃん、凄いんだ~!」
「軍の学校やめたみたいだけど、ひょっとしてシモの関係で……!」
「軍の教官を妊娠させたらしいよ」
「えっ!? 煌君って隠し子が三人いるの!?」
「養育費払うために仕事がんばってるんだって」
どこからか根も葉もないデマが流れ始め、もう無茶苦茶である。進は自席で頭を抱えた。
「ふむ。女子にも異存はないようだな。ではちゃんと視聴するように」
北極星は一時停止していたDVDを再生し、仕方なく進は真面目に見た。
二十分ほどのDVDを見終わった後、北極星はプリントを配り、一人ずつ指名して音読させ始める。内容については何も言うまい。
集中力が切れた進は窓の外を見ながら、思索に耽る。仮にこの教室が敵に襲撃されたとして、進は美月を守りきれるだろうか。中学校のときにした妄想なら誰も傷つけさせず、進が敵を返り討ちにしてしまうところだが、現実を知った今となっては100%無理なことはわかっている。
進の武器は懐に忍ばせているマカロフ拳銃一丁。敵は昨日の例を見るにアサルトライフルくらいは持っていそうで、数も多い。多少進に抵抗されても、クラスメイトや教師を人質にとればイチコロだ。普通にやれば余裕で進の負けである。
(北極星に頼るしかないんだよなぁ……)
そもそも、北極星がいたとしても全員を守りきるのは全くもって無理である。稲葉さんたちも待機してくれているが、攻撃側というのは攻め込む場所と時間を自由に選べる。この学校だけでも、敵の侵入を完全に防ぐのは不可能だ。
よって北極星たちは敵のターゲットになっている進と、あとはせいぜい進が無茶をしないように美月を守る程度だろう。一般生徒や教師は、間違いなく見殺しにされる。
(なんとかなんねぇかな……)
無理だとわかっていながら、進はそう考えずにいられない。かといって進が雲隠れしても無駄だというのもわかっている。進が学校にいなくても敵勢は学校に侵入し、人質をとるだろう。
仮に学校が占拠されて進の身柄を要求されるようなことになれば、正規軍人でない進はあっさり見捨てられるに違いない。事態が大きくなれば、進は機密保持のため口封じされて死体で敵の所に送られるはめになるだろう。もちろん美月も一緒だ。北極星の対応は、かなり優しいものなのである。
(俺が、あのとき指輪を使えてたら……)
進は北極星に初めて会ったときのことを、思い出さずにはいられない。あのとき〈ヴォルケノーヴァ〉に拒絶されず、進がグラヴィトンイーターになれていれば、自分の無力に苛まれずに済んだ。グラヴィトンイーターとなれば身体能力は上がり、重力を軽減できるようになるため、たとえ機体がなくても一騎当千の活躍ができるはずだった。
「煌進! おい、煌!」
進が俯いて唇を噛んだところで、進はようやく自分の名前が呼ばれていることに気付く。のろのろと顔を上げると、教壇に立つ北極星はチョークを振りかぶっていた。
「名前を呼ばれたら返事くらい……しろ!」
目にも止まらぬモーションで北極星がチョークを投擲し、ズドンと机の上に突き刺さる。おそるおそる机を見て、進は目を剥いた。刃渡り十センチはあろうかというアーミーナイフが机に刺さっていたのである。どういう手品だ。
「全くボォっとして……。死にかけのセミでも貴様よりは俊敏だぞ!」
酷すぎる北極星のたとえに、進は顔をしかめる。いや、確かにあいつらアリに運ばれながら鳴いてたり、しぶといけどさ……。
進が立ち上がって板書に向かおうとしたところで、北極星の胸ポケットの携帯電話がチカチカと光る。北極星は携帯の画面を見て、険しい表情になった。
「どうやら客のようだな……。進、ついてこい。他の者は自習していろ」
北極星が廊下に出る。進は机に突き刺さったナイフを抜いて北極星に続いた。敵が来たということだろう。
「……状況は?」
「武装した集団が車で正門近くまで来ている。特務飛行隊諜報部に迎撃させるが、水際で全滅させるのは無理だろう……。あと五分ほどで乗り込んでくる」
正規軍を動かせなかったのは、敵の正確な情報を掴めなかったからだ。陸軍は昨日のGDによる襲撃で厳戒態勢に入り、他に筑波へとGDが持ち込まれていないか調べるのに躍起になっている。また今回の事件で尻尾を出したスパイも大勢見つかり、陸軍はこちらへの対応にも追われていた。あやふやな情報のために人員を割く余裕はないので、陸軍は北極星の協力要請を断る他なかった。今回使える駒は特務飛行隊諜報部だけである。
「なんとか食い止めないと……!」
進は懐の銃の感触を確認して、唾を飲み下した。唇が乾いて仕方ない。
「私が校庭で迎撃するから、貴様は放送室に行って不審者が学校に入ったので教室から出ないように、と放送しろ。防弾チョッキは着ているな?」
「もちろんだ」
北極星は進の返答に満足そうにうなずき、続ける。
「裏門からも来るかもしれぬから、油断はするなよ。敵に遭ったら無理に戦うな、逃げろ。放送が終わったら校内のどこかに隠れているがよい」
「わかった」
敵はあくまで進が持っていると思われる情報を狙っているので、進はいきなり殺されることはない。北極星の指示は的確だ。
体育の授業をしていなくてよかった。北極星は校庭で〈ヴォルケノーヴァ〉を使って戦える。
放送室は校舎の二階の奥だった。進は北極星と別れて階段を駆け下り、放送室へ急いだ。




