40 世界の果てで口づけを
D3:My world
真っ暗だった空が光を取り戻し、太陽の輝きが再び降り注ぐ。消失していた重力は元に戻り、世界は平穏を取り戻す。北の空で白い光が一瞬輝き、進に北極星の勝利を伝える。
「そうか……。勝ったんだな……!」
進は確信した。敗戦を悟った反大坂派アメリカ軍は抗戦を諦め、撤退を始めた。日本軍にも余力はないため、追撃戦は行わない。警戒のため部隊の一部を空に残し、日本空軍のGDは続々と硫黄島に着陸する。進も勝ったのだ。
にもかかわらず、胸騒ぎがした。北極星は無事なのだろうか。進は最後の力を振り絞り、別の次元にいる北極星へのアクセスを試みる。
○
D???:???
「ここはどこだ……?」
暗闇の中で、進はつぶやく。どうにか奇跡的に北極星がいると思われる次元まで、精神を飛ばすことができた。周囲を見回すが、何もない。ただ、無が広がっているだけだ。
進は精神を集中し、北極星を探す。微弱であるが、彼女の存在を感じた。進は闇の中を漂う北極星を発見する。
「北極星!」
すぐに進は北極星の元に駆け寄る。進も北極星も、一糸纏わぬ姿だった。
一瞬、進は北極星の美しさに見とれる。北極星は絹のように白い肌を晒し、黒髪を虚空に広げ、進の前に横たわっていた。
しかし、ぼんやりしている場合ではない。北極星の左手にあるグラヴィトンシードは砕け、北極星は苦悶の表情を浮かべていた。イカルス博士に勝ったは勝ったが、かなり無理をしたようだ。
「待ってろ、北極星……! 今助けてやるからな……!」
まだ北極星は死んでいない。進は北極星を抱き起こし、その唇に口付けた。進から注ぎ込まれたエネルギーによって北極星のグラヴィトンシードは修復されていく。やがて北極星は目を覚ました。
「進……?」
進は安堵し、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかった、目が覚めたんだな!」
北極星は穏やかな笑みを浮かべ、進の胸に寄り掛かる。
「当然だ。王子様のキスで目を覚まさない女の子はおらぬからな……」
「あ、ああ……。それより、ここはどこなんだ? いつもの世界じゃないみたいだけど……」
進は照れ隠しに訊いてみる。いつも進が出現するのは、鈍い闇色に輝く世界である。こんな真っ暗闇ではなかった。
「おそらく、ここは……」
そう言いながら、北極星は唇に付着していた小さな光の粒を拭う。北極星の指先に移動した光の粒は、みるみる一センチほどまで大きくなっていく。
「これは、宇宙だ……」
北極星がそう言った瞬間、光の粒は一気に大きくなって進と北極星を包み込んだ。光の粒が爆発したのだと進が理解したのは、全てが終わってからだ。
気付けば、進と北極星は光の海に浮かんでいた。辺り一面、何もない。ただ、光っているだけ。
北極星は進の手を握り、言う。
「新しい宇宙が誕生したのだ。私たちのキスで」
進たちがいたのは、宇宙ができる前の無の世界だった。エネルギーとなり得る、素粒子よりも小さな粒が満ちていた世界。小さな粒は生まれては消え、物質は生まれなかった。
ところがそこに進と北極星が現れ、キスをする。そのときに進の作り出したエネルギーが周囲と反応して、素粒子を作り出したのだ。
こうして生まれた素粒子が非常に小さな宇宙となった。進と北極星のキスで生まれた小さな宇宙は、周囲をエネルギーに変え、膨張する。エネルギーはやがて熱となって大爆発を起こし、一気に宇宙は広がる。ビッグバンである。そして今現在進と北極星がいる、光と素粒子の世界が生まれたのだ。
精神体だけの存在であるため進は何も影響を受けないが、この世界は太陽さえ比較にならない超高熱である。長い時間を掛けて温度が下がれば原子が生まれ、星が生まれ、やがて命が生まれるのだろう。進と北極星は新たな宇宙の誕生に立ち会ったのだった。
「人はいずれ、重力も時間も支配する。次元さえも超え、宇宙すら手中に収めるであろう。しかし私は思うのだ。どんな力を手にしても、人がこの両手で抱えられるものが増えることなどないのではないかと」
北極星は進の手を強く握った。確かにそうかもしれない。進がグラヴィトンイーターとなって以来、守ろうとしたのは一貫してごく身近な人だけだった。進は〈Xヴォルケノーヴァ〉を手に入れてさらに強くなったが、だからといって守りたい範囲が広がるわけではない。守りたいもののためなら、進はそれ以外のものを容赦なく切り捨てる。
「だから、人はこれからも永久に争い続けるであろう。人はこの世界の全てを抱えることはできぬ……。我々には感情がある。己のため、抱えていたいもののため、他者と争い、奪い合うことはやめられぬ……」
人類の進歩によって戦争がなくなることはない。人が人である限り、世界から戦いは消えない。イカルス博士が言ったとおり、人はどこまでも愚かな存在なのだ。
「しかしそれは、絶望を意味するわけではない……。ほら、充分ではないか。こうやって、愛する人と抱き合えるなら……。愛する人のために戦えるなら……。皆がそのことをわかれば、きっと世界は変わる」
「ああ……。そうだな……」
北極星は正面からぎゅっと進を抱きしめた。進も北極星の背中に手を回して、強く抱きしめる。北極星の力強い鼓動と、柔らかい温もりを感じた。お互い、自然と笑みがこぼれる。進は北極星のためなら、どんな傷を受けたとしても立ち上がり、最後まで戦い抜くことができるだろう。
人は愚かではない。愛する人のためなら何だってできる。
「進……。私が帰るまで、私たちの世界を頼む……」
「任せてくれ……」
進は北極星のために、北極星に代わって、戦い続ける。北極星が帰ってくる世界を、無くしたりしない。これからが進が世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなるのだ。
「そろそろ、しばしの別れの時間が来たようだな……」
北極星と進の体が薄くなっていく。この空間に留まれるのも後わずかだ。今一度、そっと北極星は進に口付けた。
「進……その、帰ってきたら、最後までしよう。だから、死ぬなよ」
「最後までって……えっ!? どういうことだよ!?」
進は慌て、北極星は赤面してうつむいた。
「ば、馬鹿者! 私に言わせる気か! 私はまだ処女なのだぞ……!」
「えっ、あっ、す、済まない……!」
進は目を白黒させる。北極星は口を尖らせた。
「と、とにかく! 生きて私を待て! 絶対だぞ!」
「あ、ああ……」
進がうなずくと、北極星は笑う。
「全く、締まらないやつだな……。では、さらばだ。また五十年後に会おう」
〈NXヴォルケノーヴァ〉が開発完了する頃に、北極星は帰ってくる。きっと約束が破られることはないだろう。
「ああ。おまえも、絶対生きて帰って来いよ」
今度は進からキスした。北極星も応えてくれる。次に北極星が帰ってくるのは、〈NXヴォルケノーヴァ〉が完成し、今の北極星に送られるであろうおよそ五十年後だ。それまで必ず進が世界を守り抜く。
午後に更新するエピローグで終了です。