11 一休憩
教師・北極星と別れて教室に戻ると、美月が駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん、どういうこと?」
「俺だって寝耳に水だよ……。サプライズ、ってやつじゃないかな」
進はぼやくように言った。思えば成恵もいちいち行動が心臓に悪い女だった。成長して爆弾ぶりに拍車が掛かっている。
「本当にビックリだよ」
未だに信じられないのか美月は目をパチクリさせていた。進も同感である。
教室の方はというと、特に北極星を怪しむような反応は示していなかった。童顔で若い美人な先生が来たなあ、と驚いている程度である。まあ一応軍人の進でさえ、自分の所属する空軍の元帥にして前大戦の英雄を知らなかったのだ。メディアでの露出がほとんどない北極星のことを、普通の高校生が知っているはずがない。この国の住人は昔から軍事には疎いのである。
次はエレナに説明しなくてはならない。北極星以外で有事の際に頼りになるのはエレナだけだからだ。稲葉さんたちが近くに待機しているとしても、校内までは潜り込んでいないだろう。エレナは小声で尋ねてくる。
「進さん、彼女が昨日あなたを助けたという人ですか?」
「ああ。俺の幼馴染み……だと思う」
進のはっきりしない返事にエレナは首を傾げる。
「幼馴染み……? でも、彼女は元帥閣下なのでございましょう?」
「まぁ……いろいろ事情があるんだよ。それよりエレナは、何か命令とか聞いてるか?」
進は説明するのが面倒なので言葉を濁し、話を変える。
「いえ、私は特に何も。しかし私は、時がくれば命を賭してでも進さんを助けるつもりです。この命は進さんにもらったものですから……。進さんを守って死ねるなら、『我が生涯に一辺の悔いなし』ですわ!」
エレナは茶化すように言った。冗談のような口調とは裏腹に、エレナは本気の顔をしている。進がエレナの命を助けたのは事実だが、そんな覚悟をされても困る。進は苦笑いしながら切り出した。
「エレナには俺より美月のこと頼みたいんだけど……」
「美月さんですか……? 進さん、まさか自分の身を犠牲にして……!」
あらぬ方向に想像を広げるエレナを、進は慌てて止める。
「待て待て、俺だって死ぬ気はないよ。俺一人なら逃げられても、美月を守りながらは無理だからさ」
エレナは不安そうに進の顔を見て言う。
「本当ですか? 進さんは、いつも守るべきものの中に自分自身が入ってない感じがして、心配で……」
「そんなことはないよ。ただ、目の前で大事な人を亡くすのは、もう嫌なんだ……」
進は寂しく笑った。あのとき成恵を見捨てて逃げたことは、進の心にずっと引っかかっていた。進はもう、目の前で誰も亡くしたくない。
「私だって進さんを亡くしたくないと思っています。どうか、ご自愛を忘れずに……」
「わかってる、わかってるよ。それより美月のことは……」
「私にできることは何でもします。ですから、進さんも死なないでください」
エレナの言葉に進はうなずいた。
「ああ。約束する」
何事も起きずに昼休みになり、進はとりあえず一息つく。校庭や廊下に人が溢れ、進を狙いにくくなる昼休みには、敵も襲ってこないだろう。
入学早々ぼっち飯となるのもなんなので、進はエレナに声を掛けて食堂に向かう。外国人っぽい容貌のせいでエレナはクラスメイトに怖がられているようだった。九年前に戦争した相手なので仕方ない。まあ、進が普通に接していればエレナがそんな危険人物ではないことはすぐにわかってくれるだろう。
進もエレナも弁当持参だったが、飲食は食堂で行う校則があった。この決まりがほとんど有名無実と化していることを知るのは、もう少し学校に慣れてからである。
食堂への道中、思い出したようにエレナは進に尋ねる。
「結局進さんと焔元帥とはどういう関係なんですか? 先程は幼馴染みと言ってましたけど、年齢から考えて明らかにおかしいでしょう?」
焔北極星の年齢は三十代ということになっている。異世界出身でGDの扱いに熟練していた彼女は日米の戦争が始まってすぐに義勇兵として日本軍に参加し、日本軍の主力として活躍した。当時の日本軍はGDこそ導入されていたもののその運用法に関しては手探りで、指揮を執れる人間がいなかったのだ。そのため焔北極星は異例の速さで昇進し、ついには元帥の地位まで上り詰めたのである。
この情報が正しいのなら北極星は成恵ではない。年齢に十歳以上の差がある。
進は困ったように頭を掻く。
「でも本当にそっくりなんだよ。美月もそっくりだって言ってたし。どこからどう見ても保村成恵だよ」
写真でも残っていれば簡単だったが、あいにくその類のものは戦災で綺麗さっぱり焼失してしまっていた。それでも進は成恵を見間違えることはないと確信している。
進の話を聞いてエレナはかわいらしくちょこんとあごに手を当ててしばらく考え込み、やがて顔を上げる。
「わかりましたわ! 焔元帥は異世界人ですよね?」
「ああ、そういうことになってるな」
進の答えを聞いて、エレナは得意げに自説を披露する。
「元帥は異世界の保村成恵さんなんですよ。こちらと向こうで二十年ほどの差があるので、年齢差も説明がつきます!」
この世界には、少数ながらもGDを持ち込んだ異世界人たちが確実に存在している。やってきた数千人の異世界人のほとんどは〈ノアズ・アーク〉が不時着したハワイに住んでいるが、日本に渡ってきた者も少数ながらいた。
異世界人などといってもこちらの世界の人間と何も変わらない。存在していた国や地域の名前もこちらの世界と同じで、よく似た世界だったらしい。また異世界人たちの世界は、こちらの世界より二十年ほど時間が進んでいたため、年齢の差も合う。
つまりエレナは元帥として現れた北極星が、進の幼馴染みである成恵の異世界同位体だと言いたいわけである。
「でもそんなことありえるのかなあ……」
「さぁ……? 私も聞いたことはありませんが」
進とエレナは揃って首をひねった。平行世界の間で同じ人間がいるなんて話は、寡聞にして聞かない。仮に同じ人間が揃っているのだとしたら、それは年代がズレているだけで平行世界とはいえないのではないか。
実のところ、進は北極星=成恵だと思っている。
北極星が進の知る成恵だとしたら、年齢の差は何なのだという話になるが、こちらはこちらで説明がつく。なぜなら北極星がグラヴィトンイーターで、〈ヴォルケノーヴァ〉の所有者だからだ。
〈ヴォルケノーヴァ〉は時空を超えることができるとされている。少なくとも異世界人の技術力で平行世界間の移動ができることは、来襲した異世界人が証明していた。強大な重力は時間をもねじ曲げる。〈ヴォルケノーヴァ〉を使えば過去に遡ることも可能なはずだった。
進の知る成恵がどこかの時点で〈ヴォルケノーヴァ〉を受け取って前大戦期、あるいはもっと前にタイムスリップして焔北極星を名乗ったのではないかと、進は考えているのだ。十代の小娘に軍のトップが大人しく従っているのも変なので、シンプルに成恵が年齢を詐称していると考えるよりは、辻褄が合うだろう。
しかしこの考えをエレナの前で披露する気にはなれなかった。状況を客観的に考察すれば、エレナの説の方がより辻褄が合ってしまうからだ。エレナの説なら進が考えたややこしい過程が全ていらなくなる。
エレナは自分の説に自信を持っているのか、強い調子で言う。
「きっとそうですよ! ですから、その、元帥閣下をあまり意識しすぎるのは……」
進を不安げに見上げてくるエレナに、進は苦笑した。
「それは大丈夫。わかってるさ」
話せるようになるまで詮索しないと、進は北極星に約束した。だから進はこの件に関しては何も言わない。
「本当ですか?」
「ああ、別にそういうのじゃないから……」
進は自分に言い聞かせるように言った。とにかく、北極星の正体についての話題を打ち切りたかったのだ。北極星が向こうの世界の成恵だなんて、考えたくもない。もしそうだとするなら、向こうの世界の進はどこへ行ったというのだ。何かなければ、自分が成恵の傍を離れるはずがない。
食堂にはテレビが設置されていてニュースが流れていた。筑波市内は新たに南部の宇宙センター敷地内に建てられた電波塔のおかげで概ねテレビ放送に支障はないが、少し離れたところだと電波が入りにくいところも多い。テレビの設置はそういう所に住んでいる生徒への配慮だろう。
進は席を確保しつつテレビを眺める。画面には国会の様子が映っていた。
『……徴兵制法案が反対多数で否決されました。総理の……氏は、……と……』
テレビが伝えていたのはタカ派の野党が提出した徴兵制法案が否決されたという内容だった。
画面はスタジオに移り、討論会が始まる。「前の戦争のときも軍は役に立ちませんでしたからねぇ……」などと嫌らしい口調で長机に並んだコメンテーターの一人が発言する。それに対して右派のコメンテーターが顔を真っ赤にして反論し、討論会が罵り合いになっていた。さすが日本人、議論ができない。
進は小さく息をついて画面から目を離す。
「やっぱりまだ軍への不信は根強いんだなぁ……」
「仕方ありませんわ。前の戦争で散々大丈夫と言っておきながらあのザマでしたから。私たちも一応、軍の人間ですものね。気になりますか?」
エレナの問い掛けに進は答える。
「俺は親父が軍人だったから、あまり気分はよくないかな……」
父親もそうだが、今は北極星が軍のトップだ。自分のことはどうでもいいが、彼らが非難されていると思うと気分が悪い。こういう風潮だから不穏な動きに走る軍人が後を絶たないのだ。
「この分だと米軍を日本から追い出すのは当分先のことになりそうですわね」
日本に住んでいるアメリカ人の人口は日本人よりずっと少ないが、徴兵制が施行されており、軍にもずっと協力的だ。今の日本軍では西日本のアメリカ軍にはまず勝てないだろう。一方でアメリカ軍も前の戦争が証明しているように、箱根を越えて補給線を維持するだけの能力はなく、関東に侵攻するのは難しい。完全に膠着状態だった。
「私はいつになったらお父様に会えるのかしら……」
エレナはぼやく。エレナの父は仕事で全国を飛び回っていた武器商人で、今は西側に拘留されているはずだった。
「すぐには無理だろうなあ……。二十年、いや三十年かかってもおかしくないよな……」
その間、西日本に住んでいる日本人は、アメリカの二等市民に甘んじ続けることになる。アメリカ国籍保有者の住む大都市には入れず郊外に締め出され、税金や医療、福祉で差別的な待遇を受け続ける。東側と引き裂かれた親族、友人にも会えない。
『我々にはなぜ質量があるのか。なぜ質量に縛られているのか。我々の意識は遙か十一次元から投影されるホログラムに過ぎない……。本来我々はもっと自由なはずなのだ……。我々はその意味を考えなければならない……。我々が争う必要はない……』
テレビの画面は転換して、ハワイの異世界人が枠を買い取って流している反戦CMに切り替わっていた。最初のグラヴィトンイーターとなった科学者が戦時中に発表した反戦演説らしいが、今の日本では虚しいだけだった。
「貴様らが思っているより統一は近いぞ」
進に後ろから声を掛けたのは北極星だった。
「やつらは本土から持ち込んだ戦力の貯金が尽きれば終わりだ。いずれ我々に膝を屈することになる」
北極星がトレイを持って隣に座る。北極星の言うことは正しい。西日本アメリカ亡命政権の巨大戦力は、まだ北米大陸が健在だった頃に作られたものだ。西日本アメリカ亡命政権にはもはやGDを開発、大量生産する能力がない。アメリカ人技術者のほとんどは欧州に渡り、西日本にはGDを開発、生産する設備が不足していた。
西日本アメリカ亡命政権は設備投資や技術者の教育に力を入れつつ欧州との連携を模索しているが、一方で西日本アメリカ亡命政権は沖縄や台湾の帰属を巡って中国とも対立している。欧州は中国の市場に魅力を感じ、西日本アメリカ亡命政権への本格的な援助を渋っているのが現状だった。長い目で見ればいずれ日本軍の戦力はアメリカ軍を追い抜く。
だからこそ逆に、今が一番危険だともいえる。貯金が尽きる前にアメリカ軍が乾坤一擲の大博打に出る可能性は大きかった。ファウストの〈エヴォルノーヴァ〉奪取計画もその一環だろう。
エレナがぺこりと北極星に頭を下げる。
「進さんがいつもお世話になっています」
「気にするな。私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる大空の頂点に立つ星なのだ」
素面で北極星は言った。こんな馬鹿な台詞を真顔で言うのも成恵らしい。
「つーかそんなに食って大丈夫なのか……?」
トレイの上の定食を見て、進は言った。芋や豆ばかりだが、ここの食堂は安い割に量が多いようだ。次から食堂を利用してもいいかもしれない。
「次の時間は貴様らの授業だからな。体力をつけておかねばなるまい」
「どういう意味だよそれは……」
進は嘆息した。