29 救済
D10:World of world
「さぁ、どうかな? 私に協力してくれるだろうか? 君もそろそろ、逃げるのをやめるべきではないかね?」
「私が逃げている、だと……? どういう意味だ?」
イカルス博士に指摘され、北極星は固い声で尋ねる。イカルス博士は笑顔で言った。
「君は逃げているだろう? 力を振るうことから」
なんだそんなことか、と北極星は少し余裕を取り戻した。
「私は世界をあまねく照らし、全てのみちしるべとなる星だ。貴様のように、世界を引っかき回すのは趣味ではない」
正義のために力を振るった瞬間、正義ではなくなってしまう。当たり前だ。暴力による強制に他ならないからである。なので北極星は正義ではなく命のために力を振るう。それも自分の命ではなく、他人の命のために。皆がそうすれば、世界はよくなると信じて。北極星はあくまでみちしるべなのだ。生き様で語っても、絶対に強制はしない。
「それが逃げなのだよ。今まで誰も君を導くことのできる人間がいなかったのは、不幸としか言い様がない……。君は恐れているのだよ。力を振るった結果と、その責任をとることを」
「何を馬鹿げたことを……! 仮に世界を滅ぼしたとして、その責任をとることなど、誰にもできないであろう!?」
グラヴィトンイーターであれば、冗談抜きに世界を滅ぼすなどたやすいことだ。力の使い道を間違え、世界崩壊かそれに準ずるくらいの被害を出したとき、土下座しようが切腹しようが、責任などとりようがない。北極星が正義のため、理想のためなどとほざいて好き勝手をやるとするなら、悪と呼べる存在に墜ちることだろう。
怒る北極星をイカルス博士は笑った。
「君はそうやって自分を縛るから成長がないのだよ。なぜ君のグラヴィトンイーターとしての力が私に全く及ばないのかわかるかね? 私の才能が規格外という見方は間違いだ。君には強い目的意識がない。君は神に等しき力を持つグラヴィトンイーターになりきれていないのだよ。ただ、その場の感情に振り回されている」
「貴様にはあるというのか。何としても成し遂げなければならない目的が」
北極星の問いに対し、イカルス博士は断言した。
「ある。私は人類を救わなければならない」
「……」
イカルス博士の瞳は底の見えない井戸のように暗く、それでいて輝いている。嘘は言っていないのだろう。イカルス博士は、本気で人類を救うつもりだ。
「私は何としても君を覚醒させなければならない。人類を救うためにね」
ここでイカルス博士は唐突に話を変えた。
「さて、どうして私がマリー・カスターをグラヴィトンイーターにしたか、わかったかな? 彼女こそが君にとってのキーパーソンだ」
「ジュダ・ランペイジの穴埋め、ではなかったのだな……」
イカルス博士の話によると、一度突き放されたジュダが戻ってくるのは計算に入っている。戦力の補充というわけではない。ならば、イカルス博士の目的は……。
「マリー・カスターには煌進を始末してもらう。君の枷になっているのは煌進だ……!」
「なんだと……!?」
北極星は絶句する。なぜ進が殺されなければならない。
「君は煌進のため、自分の成長を無意識にセーブしているのだよ……! 煌進を置いて行ってしまわないようにね……!」
いや、そんなはずはない。即座に北極星は自分の中でイカルス博士の言葉を打ち消そうとする。しかし、心のどこかで認めている自分がいた。
北極星がイカルス博士並みに別格のグラヴィトンイーターになったら、進はどうするだろう。それでも進は追いかけてくれるだろうか。そうは思えない。きっと進は自分にできることはないと考え、別の道へ行くだろう。北極星を選ばず、エレナとともに。
「……」
黙り込んで震える北極星に、イカルス博士は追い討ちを掛ける。
「どうして君がそんなことになっているのか、わかるかね? 煌進がいるからだよ。君は煌進への思慕から正常な判断ができなくなっている。思い出してみたまえ。こちらの世界に来てからの全ての件で、もっとうまくやれたはずだ」
まず北極星がこちらの世界に来るとき、一人目の進──ファウストを処断していれば春の戦争は起きなかった。春の戦争だって北極星がファウストを本気で殺す気で戦っていれば、もっと早くに終結していただろう。
秋の流南極星との戦いだって同じだ。北極星は殺す気で戦っていたが、進はそうでなかった。北極星なら進をその気にさせて決着を早めることもできただろう。しかし北極星は進に正論を説く以上のことをしなかった。どんな手を使っても勝ちに行くという北極星の主義を貫くなら、進をだましてでも本気にさせるべきだったのに。
北極星が決断してれば、エレナも死ななかったかもしれない。そもそも北極星は春の戦争の後、エレナを退役させる気だった。彼女の活躍ぶりは聞いていたが、何をしでかすかわからない危うさも感じていたのである。結局北極星はエレナの希望を聞き入れて軍に残したが、機密保持のため退役した上で地方への移住を命じてもよかった。
そして美月の件も、北極星は間違っていた。美月とは北極星が大人として、きちんと話をすべきだったのだ。そうすればきっと彼女の暴走を抑えられた。手を出すことができず、何もしなかった結果がテロによる千人を超える死傷者だった。美月が暴れなければ、テロリストとの交渉は可能だったやもしれない。犠牲者はもっと少なく済んだ。
「煌進にとっても君は足枷だ。君の背中ばかりを見ているから、煌進の成長は阻害されている。母親に甘えきっている子どものようにね。君たちはお互いがいれば強くなれると信じているようだが、真実は逆だよ。君たちは切り離されない限り、強くなどなれない」
進は北極星に頼り切っているから、強くなれない。北極星は進を置き去りにするのを躊躇しているから、強くなれない。お互いが、お互いの足を引っ張っている。
「私は不安定すぎる煌進を切って、君を成長させるルートを選択した。君は理性に服して、世界のために戦うべきなのだ。煌進は君にとってはずされるべき足枷でしかないことを認めたまえ。今、彼は最期の時を迎えようとしている……!」
イカルス博士が足下に目をやる。風景が水面に映り込むように、三次元世界での様子が流され始めた。〈ノアズ・アーク〉艦内で進が〈スコンクワークス〉相手に孤軍奮闘しているが、状況は絶望的だ。
「彼は楠木エレナの父親、楠木トーマスに説得されたようだね」
北極星はすぐ助けに行かなければならない。しかし、体が動かなかった。イカルス博士はニヤリと笑う。
「動けないだろう? 感情に縛られているからだ。君は怖がっているのだよ、煌進に失望されることを。煌進に裏切られることを」
「……」
北極星は進の前で、全てのみちしるべとなる星として振る舞ってきた。が、内実を検証すれば必ずしもその時点でのベストの行動をとっていない。進がかわいいあまりに、判断を誤った案件ばかりだ。どの面を下げて、進の前に出られるというのか。
そして進は、結局戦場に現れたものの一度は出撃を拒否している。ファウストのときと同じだ。北極星と進の願いが同じであるとは限らない。
北極星は前の世界が滅びたときのことを思い出す。北極星は一人目の進を撃てなかった。あのときの悲しみが、北極星の胸の中で甦る。
(私は進のことを理解していなかった……。進も、私のことを理解してくれていなかった……。私たちは、銃を向け合った……)
また進に裏切られるくらいなら。また進を自分の手で殺すことになるくらいなら。そんな気持ちが湧き上がってくるのを抑えられない。
「君に必要なのは煌進を切り捨てる勇気だ。ここで見ているといい。煌進が殺されるところを」
言われなくても、北極星にはそうすることしかできない。十次元世界まで上がったことでグラヴィトンイーターとしての力は強まっているが、欠けているものが多すぎる。左手を切断された北極星にはグラヴィトンシードも、〈ヴォルケノーヴァ〉の指輪もないのだ。イカルス博士は興奮を抑えきれない様子で喋り続ける。
「全ては私の計画通りだ……! ここで煌進が死ぬのを見れば、君は感情の爆発によりグラヴィトンイーターとしてさらなる高みへ到達するだろう……!」
進が死ぬところを見せて北極星を成長させ、手駒にするというのがイカルス博士の計画だった。はらわたが煮えくり返って、嘔吐しそうだ。拳を震わせ、北極星は尋ねる。
「……私がその後、貴様を殺すとは思わないのか?」
「それは不可能だろう。いくら君が成長しても、次元を超えて私の精神を破壊することはできないよ。それに私は、君がそこまで愚かでないと信じている」
ここでイカルス博士はニッコリと笑った。
「これで未来は開けるだろう……。人類は、救われる……!」