10 学校でのサプライズ
「……進、進!」
誰かが進を呼ぶ声が聞こえる。進は声に応じて、身を起こした。
「ここは……」
進はぼんやりと周囲を見回す。真っ暗な空間がひたすら広がり、ぽつりぽつりと光の点が瞬いている。足を着ける地面はなく、進は妙な空間の中を浮遊していた。まるで星空に浮かんでいるかのようだ。
「なんだ、夢か……」
進は事態を把握し、つぶやいた。夢の中で名前を呼ばれて目を覚ますとは、滑稽極まりない。
進は再び眠ろうと目を閉じるが、体を揺さぶられる。
「進、夢じゃないよ、起きて……」
「うるさいな、寝かせろよ……」
そう言いつつも進は再び目を開け、言葉を失う。北極星が進を覗き込んでいた。
「成恵……? 髪、どうしたんだ?」
思わず進はその名で北極星を呼ぶ。北極星の紅に染まった髪は、子どものときのように綺麗な黒髪に戻っていた。髪の毛が黒に戻ると、全くもって成恵にしかみえない。
「髪の色はグラヴィトンシードの影響で変わるだけだから」
北極星は成恵と呼ばれても否定せず、いつになく優しい口調で言った。北極星は全裸であるが、大事なところはぼやけていてうまく見ることができない。進がその部分を一切見たことがないからだろうか。しかし北極星の美しい白い肌と、女神のようなボディラインを見ているだけで幸せな気分になれる。
進はこんがらがる頭を整理しつつ、訊いた。
「ここはどこなんだ? あと……その喋り方、どうした?」
北極星は微笑み、答える。
「ここは進の無意識の中。グラヴィトンシードは、グラヴィトンシード同士で通信してるの。だからこんな風に、グラヴィトンシード保持者同士の意識がつながることがある。ここ数日で進のグラヴィトンシードが成長して、私の通信を受け取れるようになった。無意識下でつながってるから、私は進に嘘をつけない。強がったりできない。だからこんな喋り方になってしまうの」
「じゃあやっぱり、おまえは成恵なんだな……?」
進がそう尋ねると北極星は、優しい笑みを浮かべたままうなずいた。思わず進は北極星、いや、成恵を抱きしめる。
「よかった……本当によかった……」
感極まった進は涙を流す。夢の中なのに成恵はしっかり温かくて、柔らかくて、進は成恵が生きているのを実感した。
ずっと成恵ともう一度会えることを夢見て生きてきた。どんな形であれ、成恵がいてくれて嬉しい。
「進も、大きくなったね……。ちゃんと生きていてくれて、よかった」
進の腕の中でそう言って成恵ははにかんだ。九年前よりずっと綺麗になって、かわいくなって、成恵の全てが愛おしい。
「今日は、伝えに来たの」
成恵は進に抱かれたまま言った。進は訊き返す。
「伝える……? 何を?」
「明日、学校が狙われる。あの人はやる気。美月ちゃんを守って」
簡潔な成恵の言葉から、進は類推する。
「あの人……学校……。ファウストが学校で美月を襲うってことか……?」
進の言葉に成恵はこくりとうなずき、進の胸から離れる。そのまま成恵は遠ざかっていった。
「進ならきっとできる……。信じてるよ、進。あの人を……助けてあげて」
「ああ、絶対に守るさ」
進の決意を聞いて成恵は微笑み、やがて成恵の姿は消えた。
○
次の日の朝、目を覚ました進は、ベッドから起き上がってつぶやく。
「夢だったのか……?」
北極星が自分は成恵だと明かし、進の高校が狙われると警鐘を鳴らした。夢にしてはリアルだった気がする。進の手には、まだ温かい成恵の感触が残っているような気がした。
しかし進の高校が狙われるというのはありえる話だ。敵も市内でGDを持ち出すくらいだから、手段を選ばないと考えた方がいい。なぜか敵は進の事を知っている。高校の中でも進の身内、美月に危険が及ぶ可能性は高い。夢の話も合わせて、その辺りを北極星に相談しておいた方がよさそうだ。
考えながらリビングに行くと、北極星が台所に立っていた。
「おはよう、北極星」
「ああ、おはよう。冷蔵庫の食材を勝手に使わせてもらっているぞ」
北極星はパジャマの上からエプロンをつけて料理していた。昔からなんでもできるやつだったが、料理までできるというのは初耳だ。進は北極星の手元を覗き込む。
「ご飯に卵スープ、ポテトサラダだ。すぐにできるから待っていろ」
「ああ……」
進は大人しくできあがるのを待った。へたに手伝う方が邪魔になりそうだ。やがて朝食はできあがり、北極星はサッとテーブルに料理を並べる。派手さはないものの綺麗な盛りつけで、まず見た目はバッチリだ。
「フッ、存分に味わうといい」
「いただきます」
お言葉に甘えて、進は箸をつける。少し薄味のどこか懐かしいような味付けだ。少なくとも、普段進が作っている適当極まりない料理に比べればずっとおいしい。
「どうだ?」
北極星は進の正面に座り、感想を求める。進は答えた。
「すっごくおいしいよ。なんか懐かしい感じがする」
「フフッ、そうだろう?」
北極星は顔を綻ばせる。北極星の料理はなんとなくだが、死んだ進の母に似ている気がした。北極星の料理の師匠は、進の母なのだろうか。進が知らないうちに習ったのかもしれない。進は訊いてみる。
「ひょっとして誰かに習ったのか?」
「どうだろうなぁ?」
北極星は答えようとしなかった。その話をするにはまだ早いということだろう。まぁいい。進は話を切り出すことにする。まずは無難なところから始めよう。
「なぁ、グラヴィトンシード保持者同士で意識がつながることってあるのか?」
進の問いに北極星は顎に手をやり、答えた。
「ふむ……聞いたことはあるな。誰かとつながったのか? 貴様もわずかだが保持者として成長しているのかもしれぬな……」
「あれ? 覚えてない?」
進は尋ねるが、北極星は怪訝な顔をするばかりだ。どうやら進にしか記憶が残ってないらしい。無意識下でのリンクなので、こういうこともあるのだろう。進は本題に入る。
「今日学校が襲われるって言われた」
「なるほど、ファウストならやるかもしれぬ……」
北極星はふむふむとうなずく。進は料理の手を休めず、さらに話を続ける。
「俺はどうすればいい? 美月も学校に行かせない方がいいか? 俺はともかく、美月だけでもなんとか守らないと……」
北極星は即答した。
「普通に学校に行け」
「えっ……? いいのか?」
振り返って訊き返す進に北極星は言う。
「どうせやつらは、貴様が登校してもしなくても高校を襲うであろう。守るべき対象が分散した方が私はやりにくい」
ファウストに対抗できるのは北極星だけだ。しかし北極星といえど、同時に二ヶ所を守ることはできない。学校の皆を見捨てず、進も美月も守るには学校に行くしかない。
「……わかった。そうする」
「うむ、私も準備はしている。是非そうしてくれ」
北極星の言葉を聞き、進は頭を切り換える。これで敵の襲撃についての協議は終わりだ。次の話に移らなければならない。北極星の策というのも気になるが、進にはもっと大事な用件がある。
「あと……もう一つだけ。北極星、おまえは保村成恵なんだろ?」
進は北極星の目をじっと見る。北極星は否定しようと口を開きかけるが、進は手で制した。
「待て。言わなくてもわかる。おまえは成恵だ。俺が言うんだから間違いない」
「進……」
北極星は進の言葉に驚いているようで、キョトンとしている。進は構わず言った。
「俺はおまえが成恵だと確信している。何か話せない事情があるんだろ? だから俺は詮索しない。その代わり、話せるときになったら必ず本当のことを教えてくれ」
進の真剣な様子にさすがの北極星も気圧されたのか、北極星はしばらく間を置いてから
「……わかった。約束する」
とうなずいた。北極星の返事を聞いて進は表情を崩し、話に区切りをつける。
「じゃあこの話はこれで終わりだ。美月を呼んでくるから、少し待っててくれ」
「……あ、ああ」
進は朝食を食べ終わり、キッチンを出る。北極星は昔の成恵の顔で進を見ていて、進が近づくと慌てたように顔を伏せた。
登校時間になってから、進は美月とともに家を出た。懐には拳銃を忍ばせている。特務飛行隊で配布されている中国製のマカロフだ。どこかの暴力団が密輸したものを入手したのだと思われる。特務飛行隊は一応軍組織なのに、犯罪者のようなことをやっているのだった。
このちゃちな拳銃が本当に敵に襲撃されたとき役に立つのかと言われれば疑問だが、ないよりはマシである。
「そういえば北極星さんはどこに行ったの?」
道すがら、思い出したように美月は尋ねる。北極星は朝食後、進たちより一足早く家を出ていた。ファウストに備えるためだろう。
「さぁ……? そういえば仕事があるとか言ってたような」
進は曖昧に答える。美月は「そうなの?」と首をかしげたが、進はそれ以上何も言わなかった。
教室に着くと席に座り、鞄の中身を机に詰める。隣のエレナもすでに登校していた。
「おはようございます、進さん。昨日は大変でしたわね」
笑ってエレナは挨拶する。昨日進が襲撃された件はすでにエレナにも伝わっているらしい。進は訊いた。
「エレナは登校したの?」
エレナは答える。
「午後からだけですわ」
「俺はそれどころじゃなかったから……」
エレナが困ったように笑う。その件についてはここで話さない方がよさそうだ。
昨日休んでしまったこともあり、進にはまだエレナと美月くらいしか特定の話し相手はいない。しかしクラスでは、もうなんとなく仲良しグループが形成されつつあるようだった。教室のあちこちで数人ずつにわかれ、話の輪ができている。
「まあ、私たちがすぐに皆さんと仲良くなるのは難しいかもしれませんね」
エレナの言葉に進は同意した。
「そうだなあ……」
やはり仕事が忙しくて学校に来られないというのは大きい。夜間にするという手も検討したが、任務は大抵深夜に行われるのでそれも難しい。結局、大きな仕事が入れば昼夜問わず招集されるのだ。去年の出勤ペースなら出席日数が足りることは確認済みだが、誰かと遊びに行く時間まで確保するのは無理だろう。
そこまでエレナと会話したところで担任の先生が教室に入ってきて、進は自分の席に帰る。静かになったところでホームルームだ。神経質そうな担任の中年教師は壇上に立ち、話を始める。
「え~、今日は皆さんに新しい先生を紹介します。では先生、どうぞ」
担任の合図とともに教室のドアが勢いよく開かれ、背の高い女教師が入ってくる。女教師はカッカッとヒールの音を立てながら壇上に進み、不敵な笑みを浮かべて言った。
「今日から皆さんの副担になる焔だ。よろしく」
「……ってなんでおまえがここにいるんだよ!」
思わず進は席から立って叫んでいた。スーツの腰から元帥刀を釣り下げて、右手だけに白い手袋をはめているけったいな女など、焔北極星以外にありえない。
「そこ! 人が話しているのに無礼だぞ、座れ!」
「ぐっ……!」
すました顔で北極星は進を注意する。仕方なく進は席に着く。
「焔先生には保健体育を担当してもらいます。先生が何かわからないことがあれば教えてあげるように」
そう言って担任は出て行った。成恵の考えそうなことはだいたいわかっていたつもりだが、これは読めなかった。せいぜいうちの制服を着て忍び込んでくるかも、と思っていたくらいだ。
授業開始時刻には、まだ少しだけ余裕がある。進は席から立って北極星のところに行き、二人で廊下に出る。
「これがおまえの言う対策か?」
進は北極星に訊いた。確かに教師として潜入すれば、進のすぐそばで護衛することができる。しかし年齢的に明らかに不自然で、目立ちすぎるのではないだろうか。
「その一つだな。私が目立った方が他の者が安全になるのでな」
高校生程度にしか見えない幼い顔を綻ばせ、北極星は得意げに言った。北極星がいるからには、敵は真っ先に北極星を排除しようと動くと推測される。その間、学校の生徒や教師は逃げる時間ができる。
どうせなら生徒として来ればいいのにと思ったが、一般生徒や教師に言うことを聞かせるには教師の方が都合がいいのだろう。学校が始まって三日で転校生というのもおかしすぎる。教師はちょうど欠員があったとのことだ。
「人員を学校の近くに待機させている。貴様は余計なことをせず、私の指示に従うことだな」
「わかってるよ」
銃の扱いにも慣れていない自分が一人でできることなどない。北極星の言葉を進は素直に受け入れた。
「それから……念のためだ。これを着ておけ」
北極星はそう言って黒い防弾チョッキを進に渡す。かなりかさばるがワイシャツの下に着込めばギリギリばれない……と思いたい。