22 対抗策
稲葉は筑波市内の大学病院を訪れていた。受付で軍の人間であることを説明し、ある入院患者との面会を申し込む。病院側は当惑しつつも、強権を発動した稲葉を追い出せない。面会はすぐに許可された。
全く、気の進まない仕事だ。こんな仕事をするくらいなら、一軍を率いて硫黄島の戦いに参加したかった。負傷した老兵には許されないことであるが、稲葉はそう思わずにいられない。
とはいえ稲葉がこの仕事を完遂できなければ、この町は地上から跡形もなく吹き飛ぶ。何としても、彼女を説得しなければならない。病室を前にして、稲葉は緊張で吹き出た汗をハンカチで拭いた。
稲葉はノックしてから病室に入る。中で待っていたのは進の妹、煌美月だ。
「……何しにいらしたんですか?」
病室のベッドに腰掛けて病院着を羽織った美月は、あからさまに警戒と嫌悪の視線を稲葉に向ける。嫌われるのも当然だ。稲葉は進を戦いの道に引き込んだ張本人である。
努めて冷静さを保ちつつ、稲葉は切り出した。
「君にお願いがあって来たんだ。どうか聞いてほしい」
「……」
美月は何も言わない。ただ、顔に不信感を浮かべて稲葉の姿を眺めるだけだ。説得は成功するだろうか。何の手応えも掴めないまま、稲葉は本題に入った。
「ロシアが核兵器を筑波に向けて撃とうとしていると情報が入っている。君に核ミサイルを迎撃してほしい」
宇宙空間を通過し、極音速で地上に突っ込んでくる弾道ミサイルを迎撃できる可能性があるのは専用GDだけだ。現在、筑波にいる日本のグラヴィトンイーターは美月のみ。稲葉には、選択肢がなかった。
要は、美月に進が対中戦でやったような弾道ミサイル迎撃をやらせたいのである。
「どうして私なんですか? お兄ちゃんか、北極星さんがやればいいでしょう? 核が来るなんて緊急事態なら、どっちかに戻ってきてもらうべきだと思います」
「それは無理だ。二人とも硫黄島でイカルス博士と戦闘中だからね。二人がかりでも勝てるかどうか……」
稲葉はそう説明する。美月が言うことも正論だが、稲葉が告げた理由もまた納得できるものだろう。実際には進は出撃を拒否し、行方をくらましているので硫黄島で戦っているのは北極星一人だ。しかし進ならどこかで翻意し、硫黄島の戦いに参加しているのではないかと思えた。
美月は稲葉の話をどこか怪しいと思っているようで、探るように目を細める。しかし追求するまでの確信に至れないらしく、別の方面に話を展開させる。
「私には無理ですよ。まっすぐ飛ぶこともできないんですから」
美月の言っていることは本当だろう。先日の対テロリスト戦で、美月は〈XXヴォルケノーヴァ〉を全く飛行させずに使っていた。普通に飛ぶことさえできれば、〈疾風〉など一瞬で潰せるにもかかわらず、である。
「私が途中まで引率して、責任を持って宇宙まで上げよう。射撃に関してはコンピュータの補助があるから大丈夫だ」
逆に言えば、射撃をはずしてしまえば為す術がないということだ。秋の対中戦で進が弾道ミサイルを迎撃したときは、越智のガトリングレールカノンを使っても多数の撃ち漏らしが出た。進は〈プロトノーヴァ〉の速度と機動性を活かして弾道ミサイルに接近し、通常武装で撃破したが、美月に同じ活躍は期待できない。長丁場となることが確実なので感情制御システムも使えず、打つ手はない。
また、行きは稲葉が補助するとして帰りはどうするのかという問題がある。パイロットとしての技量が皆無の美月は無事に宇宙空間から地上に降りられるのか。一定以上のスピードが出ていれば、稲葉が量産GDで迎えに行っても何もできない。片道切符になってもおかしくなかった。
〈XXヴォルケノーヴァ〉を複座に改造してもう一人オペレーターを乗せるというのも無理だ。専用GDの出力制御は自分の操縦に合わせて、グラヴィトンイーターが無意識のうちに行っている。操縦者と動力源を別にしては、まともに専用GDは動かない。
そこまでわかっていてなお、稲葉は美月を宇宙に上げようとしている。他に手段がないからだ。
美月は首を縦に振ることなく、また違う質問をしてくる。
「市民を避難させたりはしないんですか?」
ちらりと美月は窓の外を見やった。町は平時と変わることなく人や車が往来し、避難している様子はない。
「こちらの防御態勢は君だけじゃないんだ。二重三重の防空網で、万全の迎撃態勢を敷いている。避難勧告を出すとかえって混乱を招くだけなんだ……」
稲葉はそう答えたが実は政府首脳はすでに筑波を脱出し、仙台に移っている。二重三重の防空網を敷いているのは本当だが、全く万全などではないのだ。筑波上空に待機しているGDも、弾道ミサイル迎撃用のパトリオットも、防空陣地のレールカノン砲塔も、ミサイルを迎撃できる可能性はわずかなものである。美月に賭けるしかないという状況だ。
にもかかわらず避難勧告が出ないのは、今言ったとおり混乱を招くからである。避難誘導等に割ける人員はおらず、避難先の手配もできていない。いよいよ発射が差し迫れば地下シェルターを開放して市民を収容する予定だが、果たして間に合うかどうか。今からシェルターを開けた方がいいと思うのだが、政府の決定なので稲葉は逆らえない。
だいたい、核ミサイルに狙われているという発表があれば国民は即時講和を求める。しかしロシア側は〈スコンクワークス〉との戦闘に乗じて日本の領土を少しでも切り取るのが目的なので、核の発射をやめたりしない。かといって、例えば北海道を全て明け渡すというような屈辱的な講和条件を提示するのもためらわれる。核から筑波を守るのが難しい以上、ここまでやってもロシア側が引く理由がないのだ。
交渉決裂は必至で、政府は無能扱いされて支持を失う。なのでギリギリまで見極めるといって決断を先延ばしにする。日本政府はロシア側の気が変わらないかと淡い期待を抱いて待っているのが現状だった。仮に核ミサイル迎撃に失敗すれば軍をスケープゴートにして逃げ切るという算段である。政治家にとって、支持率は何十万の命より重要なのだった。
「……私しかできないのならやらないとは言えません。でも私のところに来る前に、やるべきことをやりきっておかなきゃいけないんじゃないですか? あまりに杜撰すぎて、私は稲葉さんの言うことを信じることができません」
稲葉が用意した言い訳は通用せず、美月は稲葉への不信を強めたようだった。説得は失敗である。美月が基地に行って実情を知れば、何をするかわからない。ロシアの核兵器が発射寸前だとマスコミにリークする程度のことはやるだろう。そんなことをされれば蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは目に見えていて、稲葉は政府の意図に背くことになる。
北極星ならむしろさっさとマスコミに情報を開示し、政府の尻を叩くのだろう。しかし、稲葉にはできない。文民統制に反することになるからだ。軍人としては、黙って政府の命令に従うのが正しい。なんとしても美月を説得し、弾道ミサイル防衛の任務に就かせるのが稲葉の仕事だった。
理屈で説得できないなら、感情に訴えるしかない。
「……君の言いたいことはわかる。しかしどうか、何も言わずに引き受けてほしい。このとおりだ」
稲葉は正座して額を床にこすりつける位置まで頭を下げる。即ち、稲葉は土下座していた。
大人として責任は取ると進に大見得を切っていながら、やっていることは何とも情けない。去りゆく進を何としても説得するのが本来、大人としての責任だった。それができなかった以上、稲葉は何をしてでも美月を説き伏せなければならない。
進であれば、稲葉が土下座まですればこちらの言うことを聞いてくれるだろう。だが、美月はそんな甘い相手ではなかった。
「……頭を上げてください、稲葉さん。稲葉さんに事情があるのはわかりました。だからその事情を話してください。そうでないと、私も何も言えません」
事情を話せば、美月はマスコミに駆け込む。稲葉は黙秘するしかない。稲葉は頭を下げたまま弱々しく言う。
「それは話せないんだ……」
「……」
美月は話にならない、といったような顔をする。彼女はすでにグラヴィトンシードを捨てることに同意した身なのだ。今さら戦ってくれ、と言われてもこんな反応になるのは当然だった。
稲葉がいよいよ進退窮まったとき、病室のドアが開いた。稲葉は思わず頭を上げ、振り向いた。入室してきたのはジュダである。ジュダは自分の足でしっかりと歩き、稲葉のところまでやってくる。
「その辺にしましょう、ミス・ミツキ。大方、日本政府が国民の支持を失うことを恐れて、正式発表を躊躇しているのでしょう。彼に罪はありません」
ジュダはずばり状況を言い当てた。どうやら部屋の外で立ち聞きしていたようだ。稲葉も盗み聞きには気をつけていたが、おそらくジュダは重力子を消すことで気配を悟らせなかったのだろう。
これは計算外だ。事前に入手していた情報と違う。ジュダは心神喪失状態で入院していたのではなかったのか。ジュダの動き次第で、ロシアによる核ミサイル発射を待たずして日本は終わる。
稲葉は冷や汗を垂らしながら立ち上がってジュダと向き合う。どう対処すべきなのだ。考え始める稲葉に向かって、ジュダは言い放った。
「私が弾道ミサイルを撃ち落としましょう」