プロローグ① 北極星(前)
ラノベ作家になろう大賞二次落ち
???:2016
地面に散らばるガラス片は、曇天のせいで弱い陽光を反映して、鈍いプリズム色に輝いていた。ガラス片には、半透明の自分の顔が映り込んでいる。緊張して、うっすらと汗をかいている線の細いがきんちょ。煌進は護身用に持ってきた木刀を改めて強く握る。
東京は今日も平和だった。
テレビはひっきりなしに九州に上陸したアメリカ軍の動向を伝え、人々は落ち着かない様子だった。しかしそれでも町は、少々の事故ではダイヤが乱れない鉄道のように、平常運行である。スーパーに行けば普通にものは売っているし、蛇口を捻れば水も出る。町の住人も最近は何事もないかのように普通に出歩くようになっていた。
ただし、煌進という一男子小学生の周囲も平和かというと、全くそんなことはない。主に保村成恵という幼馴染みのせいで。
「貴様らがみっちゃんたちからカードを奪ったという輩か?」
一人の少女が三人の中学生を前に、腕組みして立っていた。少女は小学三年生らしく幼い顔立ちをしていたが、口元に湛える笑みは攻撃的で、中学生相手だというのに一歩も引く様子がない。少女は背中に木刀を背負い、話合いに来たわけではないと示していた。
この少女こそが誠に遺憾ながら進の幼馴染み、保村成恵である。進は小さくため息をつきながら、空き地の脇に転がっているドラム缶の影に隠れていた。
三人の中学生のうち一番体格のいいリーダー格と思われる一人が尋ねる。
「ガキが何の用だよ? チョーシこいてんじゃねーぞ」
身を隠している進は少しビクッとしたが、中学生たちの真正面に立っている成恵は少しも動じずに言い返す。
「ハッ、小学生からカードを奪って調子に乗っている中学生のが言うことか? カード遊びなど小学生で卒業することだな。カードを返してもらおうか」
発端は、近くのゲーム屋でトレーディングカードをこの中学生たちが進たちと同じクラスの小学生から奪ったことだった。その話を聞いた成恵は取り返してくると勇んで飛び出し、進も駆り出されたのである。準備を整え、中学生たちを呼び出すまでに一日が経過していた。
「やれるもんならやってみろよ、糞ガキ」
中学生のリーダー格は偉そうにそう言って、ぺっと地面に唾を吐いた。
「なるほど、交渉決裂ということだな? 進、背中は任せた」
進が隠れているのが台無しの一言にあきれながら、進はドラム缶の影から顔を出し、「わかってる」と答えた。成恵は背中の木刀を抜き、構える。その動作はさながら達人で、木刀を握ったまま静止している成恵は美しかった。
その姿がカンに障ったのか、中学生たちは拳を振り上げ、飛びかかってくる。
「ガキのお遊戯に付き合うほど、俺たちは人間できてねぇんだよ!」
いかに成恵といえど、体格に勝る中学生男子三人を相手にしては勝ち目はない。一、二回の打ち込みができても囲まれて袋にされるだけだ。
しかし、中学生たちの拳が成恵に届くことはなかった。中学生たちは成恵の前に掘られていた落とし穴にまんまと引っかかったのだ。
かなり深い落とし穴だったので、三人の中学生のうち二人は落とし穴に落ちてしまう。残るリーダー格の一人も驚愕のあまりとっさに動けない。昨日一日をかけ、苦労して掘った甲斐があった。
すかさず進が飛び出して、落とし穴にあらかじめ用意しておいた網を投げ入れる。網に絡め取られた上に落とし穴の中には油を仕込んでおいたので、中学生たちは簡単には出られない。
勝負あったとばかりににやりと笑って、成恵は一人残ったリーダー格の中学生に木刀を向ける。
「さて、カードを返してもらおうか」
「クソッ……! 俺だって、小学生の頃は剣道やってたんだよ!」
リーダー格は地面に転がっていた棒切れを手に取る。だが成恵はじりじりと後退りしながらも、余裕だった。
「ほう、剣の腕に覚えがあるのか。やりやすいな。私も剣道で相手をしてやろう」
「適当こいてるんじゃねぇぞ!」
成恵の言葉をはったりだと考えたのだろう、リーダー格は棒切れを構えてじりじりと成恵に近づく。
実際、体格によるリーチの差と男子の筋力による打ち込みの速さは、普通なら如何ともしがたい。しかし成恵は惰性で道場に通っているような普通の剣道少女とは格が違った。
「はぁっ!」
成恵は掛け声とともに相手の小手を打ち、相手の動きを止める。最初から面や胴を捨て、体の末端を狙えばリーチ差は少ない。
思わず棒切れを取り落とした相手に、成恵は突きを見舞う。身長差があるので、成恵の突きは下腹部を打った。相手は一瞬何が起こったのかわからないという顔をして動きを止め、やがて苦痛に下腹部を抑えうずくまる。高校まで、剣道では突き技は禁止だ。しかも突き技で下腹部は狙わない。相手が小学生まで剣道をやっていたという情報を有効活用し、成恵は相手にとって未知の技を繰り出して仕留めたのだった。
「畜生……! 卑怯だぞ……!」
相手のうめくような一言に、成恵はつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「フン、小学生をいじめるのは卑怯ではないのか? 言っておくが、これ以上妙な気を起こすならこちらも手加減はできぬぞ。貴様の汚いモノを潰してしまうかもしれぬなあ。大怪我したくなければ、さっさとカードを返せ」
リーダー格は成恵の目を見て本気だと確信したのだろう、「クソッ!」と吐き捨ててから道路にカードを投げ出した。他の二人も進が網を引き上げると穴から這い出てきてカードを出し、駆け去る。進と成恵はカードを回収して、皆が待つ公園に戻った。
皆にカードを返した後、夕暮れの公園には進と成恵だけが残った。カードを分別するのに結構手間が掛かったのだ。そういう雑務は進の仕事であり、成恵も進を待ってくれた。
成恵はジャングルジムのてっぺんに昇り、好物のポッキーを囓りながらぼんやりと夕焼けを見つめていた。
ようやくカードを返し終えた進は被害者の皆に帰ってもらう。いつもは皆成恵と話をしたがってなかなか帰らないのだが、今日は皆ものわかりよく帰って行った。一応戦時中だからあまり遅くまで外を出歩かないようにと、皆の親は厳しく言っていたそうだ。
進の妹である美月だけが、なかなか帰らずに残っていた。
「私はお兄ちゃんと一緒に帰るの!」
「俺はもうちょっと用があるから先に帰ってろって。な?」
小学一年生の美月は、あどけない顔をしかめてヤダヤダと首を振る。ピンク色のリボンで結んだ美月の髪が揺れた。
「お兄ちゃんは私がいないと何するかわからないじゃない!」
自分ではそんなつもりはないのだが、進は美月に暴走特急のような兄だと思われているらしい。進は苦笑する。
「大丈夫だよ、そんな危ないことしないって」
「本当? 約束だよ?」
進は顔を膨らませる美月と指切りげんまんをする。
「ああ。俺はずっと美月と一緒にいるって、前に約束しただろ? ほら、指切った」
進はなんとか美月をなだめすかして帰らせ、皆の姿が見えなくなったのを見計らって、成恵に声を掛ける。
「お疲れさん! 成恵のおかげでみんな喜んでたよ!」
「そうか」
成恵はそっけなく答え、ジャングルジムから飛び降りる。成恵は皆にお礼を言われても、直接聞くことはない。お礼は全部進が聞いて、成恵に伝えていた。
「今日も凄かったなあ。あっちが剣持ったときはやばいって思ったけど……。やっぱり成恵は強いなあ」
進はそう言いながら成恵にポッキーを一箱渡す。皆からの報酬である。成恵はポッキー一箱でだいたいのお願いを請け負っていた。
「当然だ。そこらの中学生程度に私が負けるものか」
成恵は進の言葉にニコッと笑って胸を張った。成恵は近所の剣道場に通っているが、すでに小学校高学年でも圧倒できる腕の持ち主だ。成恵がいれば、何があっても安心である。
「みんな成恵を頼りにしてるよ。これからも頼むぜ」
進がそう言うと、成恵は空を見上げて寂しそうにつぶやいた。
「これからも、か……」
何かまずいことを言ったのかと、進は慌てる。
「急にどうしたんだ? 俺、おかしなこと言ったか?」
「いや……こんなことはいつまでも続けられぬと思ってな……。女の子は、大人になったら男より弱くなるのだ」
進は戸惑いながら言った。
「いや、でも、今日男子の中学生に勝ったじゃないか」
成恵は首を振る。
「高校生、大学生には勝てぬよ。体力が、違いすぎる……」
成恵は今にもしおれそうな花のように悲しげな目で、進に尋ねる。
「なあ、進。大人になって私が弱くなったら、守ってくれるか?」
気心知れた幼馴染みがこんなことを言うとは思っておらず、進は面食らう。しばらく考えてから、進はようやく言葉をひねり出した。
「もし俺が成恵より強くなったら、何があっても成恵を守るよ。でも成恵は、きっと大人になっても俺より強いままだ。GDのパイロットになるんだろ?」
「なんだ、知ってたのか」
成恵は意外そうな顔をして、進は苦笑する。
「そりゃうちの父さんに相談してたら、俺の耳にも入るよ」
進の父は軍のGDのパイロットだった。今は九州でアメリカ軍と戦っている。
改めて進は言葉を重ねる。
「俺もずっと、父さんみたいなパイロットになりたいと思ってた。俺もパイロットを目指す。だから大人になっても、俺たちは今まで通りだよ。成恵がみんなを守って、俺が成恵の背中を守るんだ」
進の話を聞き終えると、成恵は「そうか……」とつぶやき、一歩前に出て進に近づく。思わず進は後退るが、成恵は進の肩をがっしりと掴んだ。
「ずっと……私の背中を守ってくれるのか?」
成恵はまっすぐに進の目を見据えて訊いてくる。進は成恵の突然の行動に戸惑いながらもうなずいた。
「ああ……。もちろんだ」
「では私の全てを進に預けよう」
成恵は顔を近づけ、そっと進の唇に口付けた。突然の柔らかい感触に、進は声も上げられずに硬直する。初めてのキスは、女の子の甘酸っぱい香りと、チョコレートの甘い味がした。
ようやく進が動けるようになったときには、成恵は唇を離していた。
「い、いきなり何だよ……」
頭がついていかず、進はこう訊くのが精一杯だった。成恵はフフッと笑って言った。
「報酬の先払いだ。しっかり守ってくれ」
成恵は進に背を向け、公園の出口に歩き出す。進も慌てて後を追う。
後から思えばこのとき、すでに成恵は東京まで戦火に覆われることを予見していたのかもしれない。東京が灰燼に帰することを予測していたからこそ、突拍子もない行動に出た。
東京にアメリカ軍が攻め込んできたのは、この日から二週間後のことだった。
実在の兵器等も登場しますが、本作での描写をあまり本気にしすぎないでください。種々の事情で大袈裟に書いたりフィクションを混ぜたりしている部分があります。あくまで現実とは別の歴史を辿ったこの世界の兵器等であると考えていただければ幸いです。