第65-2話 礼拝堂での戦い
村の中央にある広場近くに建っている礼拝堂は、ひどく焼け焦げた姿を周囲に晒していた。
辺りには矢尻と思われる錆びた金属片が散らばっており、アルバトールはそれを見て騎士団に攻め入られた時にここに立て籠もった人々でも居たのだろうかと考える。
「……やっぱりいるな」
アルバトールはまだ昼の光が降り注いでいる離れた場所から、礼拝堂正面の開け放たれた扉を通して中の様子を窺う。
窓を塞がれでもしているのか、外から採光されていない中の様子は通常の視覚では見ることが出来なかったが、天使である彼の眼には多くの精霊を精霊界への扉の向こうに常駐させている堕天使らしき姿を見ることが出来た。
わざわざ扉を開けている、つまり不意打ちは無いだろうとアルバトールとバヤールは予想したものの、それでも結界と障壁を組み合わせて相手の攻撃に備えながら礼拝堂の中に堂々と踏み込んだ。
[これまでのゲームの内容はどうだったかね、お二人とも]
「反吐が出そうだよ。さっさと終わらせようじゃないかこんなもの」
[それは残念だ。こちらとしては、かなり趣向を凝らしたものを用意したつもりだったのだがね。ゲストに気に入ってもらえなかったとは私の力不足を痛感するばかりだよ]
ジョーカーは大げさな身振り手振りを交えて話しかけてくる。
その様子を見たバヤールは、森の中、また村の入り口で会った時のジョーカーと雰囲気がまるで違うことに軽く驚き、アルバトールに説明を求めた。
「ああ、あの堕天使は変だからね」
「なるほど、そう言えば全く意味のなさそうな仮面の反転と言い、個性を見せようとするだけの言葉遣いと言い、納得できる説明です我が主」
ぞんざいな説明をするアルバトールと、その説明に納得する様子を見せたバヤールに対して、ジョーカーは心底嫌そうな視線を送る。
[それが宿敵に対する態度かね。教える者がいい加減だと、その弟子もいい加減になるらしいな]
「エルザ司祭に対する悪口は許しても、僕に対する悪口は許さない」
即答するアルバトールを見たジョーカーは、大袈裟に身を退かせて首を振った。
[……その思考と結論のつけかた、言い草も似てきたな。まぁいい、それでは最後のルールについての説明だ。ノエルの物理障壁を消すための最後の一つのオーブは私が持っている。当然、私と戦わなければ手に入らないわけだな]
「だが、別にむしりとっても構わんのだろう?」
バヤールが不遜な態度で言い放つと、ジョーカーは軽く首を傾けた後に鷹揚に頷く。
[もちろんだが、君程度の力で私がどこにオーブを持っているか判るのかね]
ジョーカーの返答に、珍しくバヤールが押し黙る。
それは彼女とジョーカーの間の実力に、大きな開きがあることを意味していた。
[それでは始めよう。おっと、君たちが気にかけているノエルはまだ無事でいるから安心したまえ]
ジョーカーが指を鳴らすと十字架の奥に垂れ下がっていた幕が上がり、そこから赤く渦巻く半透明の物理障壁と、その向こうにいるノエルの姿が現れる。
大人しく座っている少女の姿を確認したアルバトールは、ジョーカーに向かって外に出ようと提案をするが、ジョーカーは首を振ってそれを否定した。
[ノエルが居る所では、彼女を巻き添えにする恐れがある聖天術を使いにくいかね]
「正解。君も礼拝堂の中だと十分な力を発揮出来ないんじゃないかい?」
アルバトールの提案に、ジョーカーは感嘆の意を漏らす。
[先ほど私が言った、君が野蛮という言葉は訂正しよう、君は天使であり紳士だ。その君に敬意を表して私から君に告げる事実がある。魔神と違って元々天使であった堕天使、その中でも特別な生い立ちを持つ私にとっては十字架の枷など問題にならぬよ]
「それはどう言う……」
アルバトールが最後まで言い切らぬうちに、ジョーカーの側面に回りこんでいたバヤールが走り込み、右の拳を渾身の力で道化師の仮面に叩きつける。
しかしジョーカーはその拳を顔で受け止めたまま小揺るぎもせず、逆にバヤールのみぞおちに右手をめりこませた。
「ぐぬぉっ!?」
壁を突き破り、礼拝堂の外まで飛んでいくかのような勢いでジョーカーに殴り飛ばされたバヤールは、壁の手前に存在する不可視の壁に当たって動きを止められ、その場に膝を落とし、床に両手をつく。
「馬鹿……な……このバヤールが貴様如き堕天使に……ガッハァ」
口の端に血をにじませて咳き込むバヤール。
結界を張っていて尚このような衝撃を受けるとは、彼女の予想にはなかったのだ。
[この建物にはあらかじめ使用者の力を増幅し、敵対者の力を弱体させるように調整した簡易結界を張り巡らしている。この世に存在する聖霊を媒介する物と違って、ダークマターを呼び出す必要があるから数は作れないが、その性能は折り紙つきだよ]
「……なるほど。つまり今この礼拝堂の中は、聖霊とダークマターがせめぎあってる状態ってことかな」
[正解。君もこの中では今まで相手にした吸血鬼のように、一方的に私を攻撃することは難しいぞ]
「一方的……か」
アルバトールは剣を抜く。
先ほどまでの相手だったスタニックの姿を思い出しながら。
[いい鎧と盾を手に入れたな。バアル=ゼブルと互角に戦うことが出来たのはその装備のおかげか]
「スタニックは強かった。技術も体力も、それを増幅する装備を持っていた訳でもない。だが彼には……」
アルバトールは術を使う。
「他者を守るために死力を尽くす誇りが、その内に宿っていた」
胸に刻んだスタニックの死に顔を思い出しながら。
その時アルバトールは、障壁、自己強化、装備強化の三種類を発動させていた。
「光の矢」
そして自分の正面に光の矢の術を展開させ、発動すると同時に巨大化させた光る剣を持ってジョーカーに突っ込む。
「もらっ……なッ!?」
光の矢を防ぐことに集中したジョーカーに対して側面から剣の一撃を与えようとした彼は、だが思わぬ方向から妨害を受けることとなった。
足元に張り巡らされていた糸に彼は引っかかり、それによって天井にくくりつけられた紐に固定されていた椅子が振り子のように落ちて来て、後頭部を直撃されたのだ。
[言っただろう、ゲームだと。トラップには十分に気をつけたまえ]
「なるほどね……これは楽しくなりそうだ」
後頭部を押さえ、アルバトールはジョーカーに鋭い視線を向ける。
その向こうでは治療を終えたバヤールが怒りに燃えた目で仁王立ちとなり、主であるアルバトールとの連携のタイミングを図っていた。
[それではゲームの続きをするとしよう。そうそう、ノエルに残された時間がそれほど多いわけではない。せいぜい頑張ることだ]
「君と長い間同じ建物にいるような趣味はないのでね。全力で行かせて貰おう」
アルバトールは数個の巨大な火球を呼び出すとジョーカーに叩きつける。
緩やかな曲線を描くそれらの火球が次々とジョーカーに着弾すると、少し遅れて飛び込んだバヤールが前蹴りをジョーカーに叩きつけ、反動の勢いで体を回転させながら続けて肘撃ちをわき腹に叩き込む。
うめき声を上げたジョーカーは反撃の掌打をバヤールの胸に打とうとするも、彼女はそれを捌いて腕を取り、肩の関節を極めてジョーカーを押し倒そうとする。
[ふむ、いい攻めだ]
しかし前転によって肩の関節を回したジョーカーに回避されてしまい、バヤールは逆に後ろ回し蹴りを喰らって再び壁に飛ばされてしまっていた。
「クラウ・ソラス」
そこにジョーカーの背後、ノエルに背中を向けた状態で、アルバトールが聖天術をジョーカーに向けて撃ちこむ。
だが森の中とは違ってそれは予想されていたようで、バヤールに回し蹴りを喰らわした勢いのままにジョーカーは飛び上がってすぐさま足の裏を天井に張り付かせ、そこからアルバトールたちを見下ろした。
[定石ゆえに読まれやすい、と言った感じだな君の戦い方は]
「だけどそちらの簡易結界は破れたようだね」
[それは仕方が無い。結界を残して私が先に滅びても意味がないからな]
そのやりとりが示すように、先ほどまでアルバトールとバヤールが感じていた体の重さは消え失せていた。
しかしジョーカーは少しも焦ること無く、壁に吹き飛んだバヤールに天井から飛び降りて一瞬で近づき、その首を締めあげる。
[簡易結界が消されたのなら、こちらも邪魔な結界の原因を消すまでの話だ。まるで問題は無い]
「それはこちらに問題が出るから止めて欲しいね!」
天井にジョーカーがいる間に神に感謝の祈りを捧げていたアルバトールは、再び巨大化させた剣でジョーカーの背中に切りつけるが、それはジョーカーが背中に張り巡らした障壁で弾かれてしまう。
「うご……ぅ……ッ」
苦悶の声をあげるバヤール。
[さらばだ、神馬バヤール……む?]
その首を静かに、だが規格外の力で締め上げていたジョーカーは、背中に巨大な殺気を感じて思わず振り返る。
そこには今まででは考えられないほどの数の精霊を扉の向こうに集めたアルバトールが、巨大な術を安定状態にまで成長させていた。
「炎の森」
[待て待て待て! その術だとバヤールも……!]
礼拝堂はジョーカーの叫びと、十字架の奥に存在する部屋を残して全てが消滅した。