第65-1話 信念を貫いた男達
ジョーカーがゲームの開始を宣言し、アルノーとエミリアンが勝ち目のない戦いをバヤールに挑んだ頃。
「何で……! こんな……ことに!」
村の礼拝堂では一人の少女が銀色の髪を振り乱し、赤黒い渦を巻く半透明の壁に向かって必死に体当たりをしていた。
壁にぶつかるごとに全身に走る痛みを堪えて術を編み、肩を強化して壁に何度も何度もぶつかる。
しかしジョーカーの作り上げたその物理障壁はビクともせず、ノエルは無駄に時間と体力を浪費するのみであった。
「スタニックさん……アルノーさん……エミリアンさん……誰か……誰か彼らを助けて……」
神の教えに絶望した彼女に、祈る相手は居なかった。
教会には裏切られ、ノエルにとって大事な幼馴染も天使に殺された。
唯一彼女に力を貸していたかに見えた堕天使ですら、本当の味方ではなかったのだ。
人々を傷つけることを恐れてテスタ村から逃げ出した彼女たちは、同じ人間であり、彼女らを守るべき存在であるはずのアルストリア騎士団にも追われることとなった。
全てが敵に回った彼女たちを唯一庇ってくれた存在が、将来全ての国民を敵に回すことになるテオドールだけだったのは皮肉と言うべきだっただろうか。
術の使用と、数知れない体当たりによって体力を消耗した彼女は、地面に倒れこむ。
しかし息を切らせながらもノエルはすぐに立ち上がると、諦めずに再び体当たりを繰り返していった。
礼拝堂の扉をジョーカーが開け、中に入ってくるまで、それは何度も何度も続けられたのだった。
(ノエルが腐敗する……!?)
ジョーカーの叫びを聞いたアルバトールが焦りを覚えた時、スタニックが嘲るような声で語り掛けてくる。
「聞いての通りだ天使よ。私としてもノエルが死んでしまっては大変困るのでね。すぐにでも君を倒したいのだが」
だがアルバトールは先ほどスタニックに感じた違和感が消えず、それどころか増すばかりであった。
(僕を倒したいなら、話し掛けずにそのまま切りかかってくればいいだけだ。わざわざ戦いの宣誓を行うなんて、未だに騎士としての誇りを失っていないみたいじゃないか……いや、最初に会った時はいきなり切りかかって来たけど、一体何のつもりだ)
相手の行動に統一性が無いことに気付いたアルバトールは困惑する。
そのまま返事をせずにアルバトールが黙り込んでいると、業を煮やしたかのようにスタニックが叫びをあげた。
「無視かね。それではこちらから行くぞ!」
「待て! ノエルが大事ならこちらと手を組んで……!」
アルバトールはオーブのことを思い出し、途中で口を閉じる。
だがジョーカーが今回も嘘をついていると言う可能性もあるのだ。
ジョーカーの口車に乗って、共同作戦の可能性を否定するのは愚行と思い直した彼は、再びスタニックに手を組もうと提案をする。
だがそれはスタニックに一蹴されただけだった。
「愚かだな! 君と今ここで手を組んだところで、ノエルを奪い返したその時点で仲違いをして再び争うことは明白! それならばジョーカーと手を組んだままの方が、手間が省けると言うもの!」
アルバトールは斬りかかってくるスタニックの視線を見切り、体捌きに視線を落とした後、術の種類を観察する。
技能は人としては水準より上、だが武器や鎧は普通の鉄製。
強化術が一応かかってはいるものの、それでも天使である自分に到底及ぶものではなかった。
「貴方では僕に敵わない。投降しないか? なぜだかは判らないが、僕には貴方がそれほど悪い人物には見えない」
よって彼は降伏を呼びかけるが、その返事は予想していた通りのものだった。
「それが見下していると言うのだ!」
スタニックは一心不乱に剣をアルバトールに振り下ろしてくる。
しかしその剣先は全て空を切り、あるいは掌で受け流され、それどころかアルバトールに足を引っ掛けられたスタニックは、無様に地面に転がってしまう。
「ぬぐっ……!」
すぐに立ち上がるも、既にスタニックの目の先にはアルバトールの剣があった。
「最後の警告だ。ノエルの身に危険が迫っているのなら、僕は急いで彼女を助けに行かなければならない。かつての過ちを正し、罪を質す為に」
「……助ける? 光と共に歩む天使が、闇に落ちた吸血鬼をか?」
「そうだ」
断言するその顔をスタニックはしばらく見つめると、急に視線をアルバトールから外し、その背後に何かを見つけたように目を凝らして表情を明るくする。
その様子を見たアルバトールは、背後にスタニックの仲間が現れたのかと注意を向けるが、そこには誰もおらず。
「クッ!?」
次の瞬間、アルバトールの周囲には緑色の煙が立ち込め、彼は激しい目の痛みと全身のかゆみに怯むこととなっていた。
「やはり甘い。戦場で追い詰めた敵に止めを刺さず、そればかりか敵の行動や表情をそのまま信用するとは」
スタニックは緑色の粉が入った袋を地面に投げ捨て、苦しむアルバトールの頭上に剣を振りかざす。
「さらばだ、真に天使たる者よ……!? ガッ……ハ……グホッ」
毒粉に苦しむ天使に剣を振り上げたスタニック。
だがその胸には、アルバトールの剣が深く突き刺さっていた。
(ここまで、か……)
スタニックは自らの胸を見下ろし、そこにある剣を見て絶望の呻きをあげる。
(だが、悔いは無い。我々は信念を貫き通したのだ。教会に所属する者の教えではなく、教会に伝えられている教えに基づいた信念を)
心の中で満足そうに呟いたスタニックの目の前には、毒粉を振り払い、法術で自らを癒す天使の姿があった。
私利私欲で動いていると言った自分を、毒粉をかけてだまし討ちをしようとした自分を最後まで信用し、そしてこの世から消えた後も信用するであろうお人よしの天使が。
「まだ今なら助かるだろう。吸血鬼の貴方なら」
「見下すな……人の……矜持を……見くびる……な……」
スタニックは自らの血によって咳き込んだ。
聖銀ミスリルの剣によって開けられた胸の傷は、普段であればすぐに治癒するはずの穴をいつまでも塞ぐこと無く、血と力を彼の体から奪っていく。
もはや意識も混濁しているであろう彼が呻くように搾り出した言葉は、アルバトールに向けられたものだったろうか、それともジョーカーに向けたものだったろうか。
「誤魔化すな! 私利私欲に目が眩むような愚か者が、死ぬ間際に人の矜持などと言い出すものか!」
スタニックを信じ、救おうとする天使の声。
だが目の前が暗くなり、耳も聞こえづらくなり、口も満足に動かせなくなっていたスタニックは、その言葉に反応することは出来なかった。
(大丈夫だ……アルバトール……あのフォルセール候の御子息……この天使になら、後事を預けて間違いない……強く、正しく、清らかで、人をいたわる心を持ち合わせているこの御方になら……アルノー、エミリアン、悪いが先に逝かせて貰うぞ)
呟いた二人は既にこの世にいなかったが、別の場所で戦っていたスタニックがそれを知るはずも無く。
そして彼の姿は白い蝋のように変化し、動かなくなった。
「……オーブを割らせてもらうよ、スタニック殿」
戦闘中に一言も呼ぶことの無かったスタニックの名をアルバトールは呟き。
そしてオーブに力を込めて砕き割った。
「終わりましたか、我が主」
いきなり草むらの向こうから姿を現したバヤールに驚くことも無く、アルバトールは彼女に頷く。
「行こう。あの仰々しい行動しか取れない堕天使がノエルと共に居そうな場所で、まだ探索していない建物……礼拝堂へ」
アルバトールはスタニックの亡骸を一瞥し、簡素な祈りを捧げてその場を去った。