第64話 天の報いとは
「じゃあ僕は村の中を偵察に行って来るから」
「判りました。私はこの不貞な輩を一万回ほど天に還してからすぐに後を追います」
「なるべく早く頼むよ」(……すぐって何だっけ)
既に村に来た目的を忘れていそうなバヤールを残し、アルバトールは探索に出る。
「廃村、か……」
長い間放置されていたのだろう。
テスタ村は荒れ放題でそこら中に雑草が生い茂り、中には彼の視界を遮るほどに育った物もあった。
かつて住居だったと思われる建物は崩れ落ち、そこまでいかないにしても屋根が落ち、壁が剥がれ落ちるなど、既にここに人が居なくなって久しいことを伝えてくる。
(つまり、吸血鬼たちはここをずっと拠点の一つにしている訳ではなく、今回の遠征でこちらにたまたま来る予定があったから拠点にしたのか、それとも何か考えがあってノエルだけここに居るのか……)
アルバトールは風にそよぐ雑草、戦いとはまるで縁のない風景につい見入ってしまい、ここに来た目的を覚えてはいても、心を穏やかなものとしていく。
(いや、ノエルだけってことは無いか。あの堕天使がいるってことは、他の魔族がここに潜伏していても不思議じゃない)
しかしジョーカーのことを思い出したアルバトールは、首を振ると注意深く周囲に視線を送り、いきなり襲われても対処できるように、正中線を意識しながらゆっくりと歩いていく。
しかし時々物音はするものの、それらはすべてここの近くに住む動物たちであり、更に鹿や狐、穴熊などの無害な物が殆どで、珍しそうに彼を見るとすぐに去って行った。
ふと見渡せば、村の所々には野生化した小麦が実をつけて穂を垂れており、その姿はまるでアルバトールを彼らが帰りをずっと待ち望んでいた、実を収穫してくれる村人と思い、頭を下げて迎えているかのようだった。
「建物も所々燃えているな。これは神殿騎士がテスタ村に攻め入った時のもの……?」
「正しい読みだ、天使よ」
いきなり背後よりかけられた声に驚き、アルバトールは振り返る。
そこにはアルストリア騎士団と似た鎧をつけた、壮年を少し過ぎた感じの男が歩み寄ってきていた。
「それでは質問だ。君はここに何の用があって来た? ここは廃村で、おそらく君の役に立つものは何も無いぞ」
「そちらに用が無くても、こちらに用がある場合もある。僕の名はアルバ=トール。フォルセール領はトール家の一子にして大天使の一人。ここにノエルと言う吸血鬼がいるはずだ。彼女に破門してもらいたい男がいるので、着いてきてもらいたい」
アルバトールは自分を一目で天使と見抜いた男に向き直り、いつでも剣を抜けるように右足を半歩ほど踏み出す。
「道中の無事は、僕の名誉とトール家の家名にかけて保障するし、そちらに何か要求があるなら、その内容を伝えて善処もしよう」
「なるほど、あのフォルセール候の息子か」
「さて、そちらの質問には答えたのだから、こちらも質問させてもらう。なぜ貴方は廃村にいるのだ?」
「なぜと言えば」
騎士らしき男は、返事の途中でいきなり剣を抜き、アルバトールに切りかかる。
慌ててアルバトールがその剣先を避けると、男は笑いながら続きを答えた。
「我々の目的を邪魔する者を排除する為だ、若い天使よ」
すぐにでも戦うかとばかりに、吸血鬼の一人とアルバトールが睨み合いを始めた頃。
「なかなかにしぶとい奴だったな。堕天使とはあのような頑丈な奴ばかりなのか?」
バヤールは良い汗をかいたとばかりに、額を手で拭っていた。
ジョーカーが動かなくなったのを確認し、更に精霊の手を借りて絶命を確認すると、バヤールはアルバトールの後を追って村の中に入り込む。
「む、これは……何者かの妨害が入ったか?」
村の中の至る所に生えている草木、それに宿る妖精。
その助けを借りれば、すぐに後を追えると踏んでバヤールはアルバトールを先に行かせたのだが、村の中に生い茂る雑草は要請に応えず、彼女は主人の行く先を完全に見失っていた。
「ふん、気に入らんな。私たちを分断し、一人にしてしまえば主や私を倒せるとでも考えている愚か者がいるらしい」
バヤールはぼそりと呟いて足元の石を拾うと、やや離れた所に建つ朽ちかけた物置小屋に向かって投げつける。
石は正確に小屋の柱を貫いて倒壊させ、中から外の様子を窺っていた男を白日の下に晒すことに成功させていた。
「驚いたな。気付いていたのかなお嬢さ……ん……? あ、あれ?」
小屋の中から出てきた若い騎士は、バヤールの顔、そして体つきを見て戸惑いを隠せずに再び質問をする。
「お父さんの方が正しい?」
「殺すぞ若造」
「いや、そう脅されてもお嬢さんと言うには生物学的に無理があるんだが。どちらかと言えば雄」
「ほう? このバヤールを愚弄するとは、その身を粉と化してもまだ足りんぞ」
バヤールが野太い声で警告を発し、嬉しそうにニタァと笑みを浮かべた時。
「アルノーさん、悪ふざけはそれくらいにしておいた方がいいんじゃないですかね」
小屋の隣に建っていた民家の影から、もう一人騎士と見える男が出てくる。
こちらは更に若く、見たところ二十歳にもなっていないようにも見え、いいところ十代半ばと言った感じだろうか。
「そう言うなよ。エミリアンだってこの……ああ、お名前をお伺いしてもいいかな、どうにもやりにくくて仕方が無い」
「バヤールだ。神馬バヤールと言った方が通りがいいかもしれんな、人間よ」
「へぇ、バヤール……あのバヤールか!」
つい先ほどまで、吸血鬼が巣食う村とは思えぬほどに和やかな雰囲気だった三人。
だがバヤールが名乗った瞬間、それまで軽薄な態度だったアルノーと呼ばれた若い騎士は、嬉しそうにバヤールの名を復唱すると、口の端から鋭い牙を剥き出しにして舌なめずりをした。
「こいつぁ僥倖だ。俺は一度お前さんの血を飲んでみたかったのさぁ。どんな力が得られるのかってねぇ!」
「このバヤールの血を飲む、か。吸血鬼にしては機微の利いたいい冗談だ」
ついに吸血鬼の本性を現したか。
バヤールが嬉しそうにアルノーの方を向いてゴキリと指を鳴らし、一歩を踏み出そうとしたその瞬間。
「悪ふざけをやめろって言ってるのに、判らない人ですね、まったく」
エミリアンと呼ばれた少年が、後ろを見せたバヤールの首に短剣を突き立てていた。
「目的? 何の目的かは知らないが、我々に出来ることであれば……」
先ほどいきなり吸血鬼に斬りかかられたアルバトール。
それでも彼は、交渉の余地がないかを探していた。
しかし吸血鬼は、アルバトールにゆっくりと首を振る。
「我々が永遠の時を生き、各地の領主を殺し、その富を得るにはある人物の助力が必要でね。吸血鬼の仲間になって、彼らの味方になったのはその為だ。君もその恩恵に預かりに来たというのであれば我々の仲間に加えなくも無いが、どうするかね」
「……貴方は、テスタ村の者ではないのか?」
男はその質問を聞いて目を丸くし、大声で笑い出して罵倒を始める。
「ハハハ! 確かに行動は一緒にしているが、我々があのように愚鈍な連中の仲間なはずがないだろう! 天使というのは本当にお人よしなのだな! 私の名はスタニック! 元々は栄光ある神殿騎士団に所属していた者だ!」
態度を豹変させた男、スタニックに少々の違和感を覚えつつ、アルバトールは幾つかの質問をする。
「行動を共にしていると言うことは、貴方はテスタ村がなぜ神殿騎士の成敗を受けたのか知っているのではないか? それでも貴方は私利私欲で動くのか?」
「君は随分と甘い性格をしているようだな。なぜ成敗を受けたかの理由を知り、教会の暗部を知り、それを教会への対抗手段に出来ると思ったからこそ、我々は望みを叶えるためにここにいるのだよ」
「私利私欲を叶えるために、神殿騎士団から脱走したのか」
スタニックは頷き、そして下品な笑みを浮かべる。
「そしてテスタ村の住民のように逆境に追い込まれ、誰が味方なのか、敵なのかも判らなくなった人間は、差し伸べた手を振り払わない。その差し伸べた手にどのような思惑があるかを考える余裕が無いからな」
「つまり貴方はテスタ村の者たちに自分たちを信用させる為に、わざと彼らを守るふりをしていたと?」
「その通りだ。それにしても、ここまで説明しなければ理解できぬとはな。いかに力持つ存在、天使が人間を見下しているか判るというものだ。人間が大人しく神や天使に従うだけの存在とでも思っているのか?」
アルバトールは残念そうに首を振り、スタニックを憐みの目で見つめる。
「理解したくなかっただけ、という言い方も出来るけどね。後一つ聞きたいことがある。僕はノエルという吸血鬼に会いたいんだけど、そこまで案内してくれるかい?」
アルバトールは状況の改善を望み、その質問をした訳ではなかった。
しかしアルバトールの質問を受けたスタニックは彼の予想に反し、何かを考え込むような様子を見せる。
(何だ……? てっきりこちらの提案を受け付けず、そのまま切りかかってくるとばかり思っていたのに)
アルバトールはスタニックに対して新しい質問をしようとした瞬間。
[野蛮な天使と、兇暴な馬に告ぐ。君たちに私はゲームの提案をする]
村中に声が響き渡った。
[ルールは単純。村の中に元神殿騎士だった三人の男がいて、彼らは一人につき一つずつオーブを持っている。君たちは彼らを倒し、オーブをすべて割らないとノエルの所までは辿り着けない。それとノエルには腐敗の術をかけているから、あまりゆっくり戦っているとノエルは腐り果て、地に還るからせいぜい頑張ってくれ。以上だ]
そして間を置かずに、ジョーカーのからかう様な声が流れていく。
[ああ、本来であれば村の入り口で説明するはずだったのだが、その暇が無かったのでな。既にノエルが腐敗し始めていたのに、時間をとる原因になった馬は反省したまえ]
……そして、救いの無い戦闘が幕を開けた。
「ほう、あの堕天使、まだ生きているとは確かにしぶといな。これで貴様らを倒した後の楽しみが増えたと言うものよ……さて」
バヤールは首筋に突き立てられた短剣を、二本の指で摘み上げる。
「術も通っていないなまくらで、このバヤールの皮膚を突き通せるとでも思ったか? 浅はかな人間よ」
「普通は通るんだけどな。非常識なオバサンだ」
「どうやら年長者に対する敬いと言うものを、神殿では教えていないようだな」
怒りで額に青筋を浮かばせると、バヤールはエミリアンの腕を掴み、力を入れて投げ飛ばす。
吸血鬼であるはずの彼の骨はあっさりと砕け、力なくぶら下がる右腕を垂れ降ろしながら、エミリアンは術を使って民家にぶつからずに、その屋根に飛び退った。
「本当に非常識だ。吸血鬼とは言っても、痛覚は残ってるんだよ? 神馬と呼ばれる存在とは言っても所詮は畜生。子供をいたわる優しさを持ち合わせていないのかな」
「呆れたものだな。お前が吸血鬼となって何十年経つのだ? 呪うのであれば、吸血鬼となった我が身を呪うのだな。ぬぅん!」
バヤールは気合を入れて地面を蹴ると、未だ地上にいるアルノーへ一気に詰め寄る。
その恐ろしい表情にアルノーは顔を引きつらせ、エミリアンの後を追うように民家の屋根へ飛び移ると頬に一筋の汗を流した。
「何て力だ……これほど雄を前面に出しながら若い女性の扱いを望むとは、まさに天をも恐れぬ行為」
「今決めた。アルノーとか言ったか、貴様はミートボールにしてくれる」
「本当のことを言っただけなのにか!?」
アルノーの抗議の声はバヤールに届くこと無く、そのまま重い足音が民家に近づいていくと、屋根の上からエミリアンが諦め半分といった調子で口を動かした。
「オバサンどころか悪人要素まで備えてるなんてね。どうだい? 僕たちの仲間にならない? 何なら今の堕天使に紹介してあげてもいいよ」
その提案に対し、バヤールは鼻息で返答する。
単なる鼻息と見えたそれは嵐と化し、脆くなっていた民家を物置小屋に続けて倒壊させ、それに従ってエミリアンとアルノーは地面に叩き落されていた。
「さて始めるか。言っておくが貴様らは吸血鬼だ。楽に死ねるとは思うな」
その宣告を聞き、エミリアンは思わずため息をつく。
(楽に死ねる、か……あの時以来、楽に死ねるなんて希望は捨てちゃったよ)
エミリアンは内心愚痴をこぼしながら、アルノーにオーブの所在を聞いた。
「ああ、さっき隠してきたけど、これ手元に無いと怒られるパターンかね」
二人はまるで悪魔のような恐ろしい形相をしてこちらへ歩いてくるバヤールの方を向き、同時にため息をついた。
「どうせ勝てない戦いなら、とことん悪あがきをしてみましょう。その間に事態が好転するかもしれませんから」
「えらく消極的だが、それしか無いわな」
アルノーは短く答えると、晴れやかな顔となって剣を構える。
「ま、俺たちが仲間になった時に比べれば皆強くなったし、俺たちの役目は殆ど終わってる。それに天使殿は、ノエルに害を加える為に来たんじゃなさそうだしな」
「まだ終わってませんよアルノーさん。僕たちが居なくなったら、きっとノエルさんや村の皆が悲しみます。最後まで諦めないで頑張りましょう」
相談を終えると、彼らはバヤールの不意打ちを防ぐ為に二人で物理攻撃に対する障壁を前面に張り巡らす。
騎士であった頃には使えなかった術だが、テスタ村の村人を守る為に彼らの仲間となって吸血鬼になった後、テオドールの私兵に組み込まれた時に習った術だ。
今までに何度も世話になり、そして村人たちを守ってきた思い出深い術。
だが神馬であるバヤールに対し、その術はまるで役に立たなかった。
エミリアンが気付いた時には、隣にいたアルノーは走り込んできたバヤールが繰り出した拳によって吹き飛ばされ、原型を留めないものとなっていたのだ。
「おや、これでも多少加減はしてやったのだがな」
バヤールはエミリアンの方に振り向くとそう言い、ゆっくりと近づいてくる。
「僕たちは楽に死ねないんじゃなかったのかな? オバサン」
「声が震えているな。だが今更後悔しても遅い。天の道から外れた穢れた存在、吸血鬼よ。今までの非道な行いを悔いながら滅びよ」
(非道な行い……! 自らの過ちを悔いるどころか知ろうともせず、そのまま闇に葬り去ろうとした非道な教会には何も無く、何故弱き者達を救おうとした僕達が……)
「涙か、脆弱な」
バヤールは地の底に埋まった何かにそう呟き、その場を去った。