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第62話 三つの手段

 潮が引くように速やかに。


 いや、その退却する姿は遥かなる高みから叩きつけてくる巨大な滝の如き勢いと言った方が正しかっただろうか。


 アルストリア騎士団は戦っていた吸血鬼から殆ど被害を受けていないにも関わらず、現在の彼らに可能な最大限の速度で本陣へ戻ってきていた。


 彼らの内に発症した、最悪の事態を解決する為に……



「簡易結界を使用! 銀の器に聖水を満たし、しかる後にスタニスラスに振り撒いてその体を清めよ! 銀の十字架を心臓の上に置いてよこしまなる血が全身に回るのを防ぎ、また樫木の十字架を頭部の近くに打ち込んで動きを封じるのだ!」


 流石に幾度も戦場を経験してきたジルダは、衝撃から立ち直るのも早かった。


 スタニスラスの負傷に動揺しながらも、厳しい声をあげて吸血されたスタニスラスの処置を命じ、更に通常の傷を負ったと思わしき者のなかにも吸血鬼化の兆候が無いかどうかを確認、人員の点呼を命じて他に吸血された者がいないか調べ上げていく。


 一方、アルバトールも冷静に見えた。


 いや、正確には呆然としていたとの表現が正しかっただろう。


 自分がやるべきことが判っていても、その手段が見いだせない、まとまらない。


「我が主、会議を開くそうです」


「……判った」


 バヤールに呼ばれて振り返ったアルバトールの顔は、いずれ人を率いる領主となる立場であるにも関わらず、自分の行動を他人に決めてもらえる安心感が垣間見えた。





「アルバトール殿、こちらへ」


 アルバトールが天幕の中に入ると、そこは今朝とはまるで違う空気で満ちていた。


 言うなれば、瀕死の重篤患者を見守っている家族のような重い雰囲気。


 ジルダの声、そして彼女の隣の座を指し示す指に誘われて、アルバトールは皆の視線を居心地悪そうに受け止めながら敷物の上に腰を下ろし、同時に話が始まった。


「貴殿も知っての通り、先ほど騎士団の小隊長を務めているスタニスラスが肩を噛まれ、吸血された。通常であれば命を絶った後に、焼却処分を、する……のだが……」


 しかしすぐにジルダの唇は震え始め、刹那の間、場を沈黙が包んだ。


「……彼の才能は惜しい。若干二十歳を過ぎた、ばかりの身でありながら、我がアルストリア騎士団の、小隊長を務める、務めている……このいくさで死んだ者たちには申し訳ないが、私は彼を、この得がたい人材を死なせるわけにはいかないと考えている」


 必死に話す言葉を選びながらジルダは説明すると、そこで言葉を区切って場に居る全員の顔を見渡す。


 特に不満を持っているらしき者が居ないと判ると、ジルダはわずかに顔と声を明るくして再び口を開いた。


「そこで、ここに居るアルバトール殿に吸血鬼どもの長を処分してもらい、スタニスラスの身に降りかかった呪縛を消し去ってもらおうと思う。異存のある者は申し出よ」


 ジルダは再び場を見渡す。


「……不満か? それとも他に妙案があるのか? アルバトール殿」


 そこには顔に覇気を取り戻し、右手をはっきりと挙げてジルダの視線を真っ向から受け止めるアルバトールの姿があった。


「不満ですが、しかし妙案を持ち合わせている訳でもありません」


「天使様、それは余りに無責任な発言ではございませぬかな?」


 昨日アルバトールに戦況を説明した年かさの騎士が憤りを見せるが、しかしアルバトールはその憤りを当然の物といなし、落ち着いた態度で説明を始める。


「確かに吸血された者の呪いを解くには吸血した本人、あるいはそれらを支配する者の死が必要とされております。ですがそれは本当ですか?」


 アルバトールは全員の顔を見渡し、そのすべてが平静とは縁遠い物であることを確認するが、そこにジルダより反論が口にされた。


「古来より吸血鬼と相対し、倒して愛する……いや、吸血された者を救い出したという話は幾らでもある」


「ジルダ殿、それは民間の間に口伝で伝わっている伝承であり、公式の記録として残っているわけではありません。そうであればいいだろうな、といった願望を問題解決の手段として考えるのは、現実からの逃避と一緒です」


「ではどうすれば良いと言うのだ! このまま手をこまねいていれば……!」


 ジルダは色仕掛けをしてきた今朝方とは打って変わった厳しい声、厳しい形相でアルバトールに迫り寄り、その激しい感情をぶつける。


 そのジルダの怒りや迷いに巻き込まれることなく、アルバトールは冷静にこれからの方針を口にした。


「しっかりと事実を見据え、先人の経験、積み重ねてきた情報を拠りどころにし、確実にスタニスラス殿を救える方法を採ることです」


 そう言うと、アルバトールはジルダの肩に手を置く。


「さもなければ彼を救うどころか逆にみすみす失うこととなり、更なる被害をアルストリアにもたらす呼び水になる可能性すら出てくるでしょう」


 アルバトールの発言の軽重を図りかねたアルストリア騎士団の者たちは、互いの顔を見やってざわめき始める。


 しかしその中にあって騎士団を率いる者、ジルダはアルバトールの真意を看破するが如く、冷たい視線で彼を射抜いた。


「アルバトール殿、それでは話の筋が通らぬ。スタニスラスの吸血鬼化を止める、または解消する方法をそなたが知っているというのであれば、私も意見に従おう」


 ジルダは肩に置かれた手をそっと持ち上げ、静かに下へおろす。


「だが今の話を聞く限りでは、そなたが吸血鬼と戦いたくない、倒したくない。それだけで吸血鬼を倒さない他の方法を模索せよと提案しているようにしか見えぬ」


「……その通りです」


 物理的な距離、心理的な距離をとるために置かれていた手は取り除かれ、ジルダの言葉は直接にアルバトールへと刺さっていく。


「そなたは我が父にとって憎き相手であるフィリップ候の子息なれど、この度の天魔大戦で天使となった尊き身でもある。そう思って今までこのジルダも遠慮してきたが」


 ジルダは厳しい顔つきとなり、アルバトールに選択を迫った。


「呪われた存在である吸血鬼を庇うとあれば、こちらも余計な詮索をしない訳にはいかぬ。それを考えに入れた上で、先ほどの要請に対しての返答をしていただきたい」


「……判りました」


 話題の内容を摩り替えようとし、しかしそれをあっさりとジルダに見抜かれたアルバトールは返答に窮した。


 テスタ村の悲劇に関する経緯と顛末は彼の喉まで出掛かっていたが、それをここで話しても信じてもらえない可能性の方が高い。


 また信じてもらったとしても、吸血鬼たちがスタニスラスを吸血した事実が覆って彼の身体が治癒するわけでもない。


 かと言ってエカルラート=コミュヌを全滅させても、スタニスラスが人間に戻る保障は無いこともまた事実であった。



「邪魔をするぞ小娘」



 場の雰囲気が硬直を見せたその時、天幕の入り口が勢いよく開かれて光が中に奔流となって射し込み、中にいた者はその眩しさに幻惑する。


 しかしその原因となった当人は何事かと抗する面々に臆すること無く、それどころか遠慮の欠片も見られない様子でずかずかと中に踏み入り、ジルダの前……いや、アルバトールの面前に膝をついた。


「我が主、ベルトラム殿に伝言を承りました。話がある故に、急いでスタニスラスの所へ来て欲しいとのことです」


「……我らは会議の最中で忙しい。控えよバヤール」


 だがその伝言は、あっさりとジルダに却下される。


 神馬であり、アルストリア領の安寧の象徴とも称されるバヤールに向かって傲岸な口調で言い放つジルダ。


 その表情は、先ほど以上に冷たいものであった。


 しかしバヤールには何の変化も認められず、その口から発されたのはおおよそ侮辱に分類されるものだった。


「結論はおろか、推論すら出せない程度の情報しか持ち寄れなかった会議に何の意味がある。単に時間を浪費したいだけなら昼寝でもしておれ小娘」


「話し合いをすればそこから妙案が出ることもある。意味が無いと言うのであれば、無益な争いの元になる貴様の発言や態度こそが無意味であろう」


「妙案が出ることもある、だと? では出なければどうする。それは会議ではなく自己満足と言うのだ。最初から神頼みを期待するとは愚かの極みよ」


 激昂したジルダが即座に立ち上がり、バヤールに切りかかろうとするが、隣にいたアルバトールに制止されて何とか事なきを得る。


 それを見ても、バヤールの態度は平然としたものだった。


「ふん、野蛮な人間どもはすぐに腕ずくで解決しようとするから始末に終えん。解決に至る情報が無ければ、それを得る行動に出ればいいものを」


 そして彼女はアルバトールへと頭を下げ。



「それより我が主、このような小娘は放って置いて急ぎベルトラム殿の所へ。彼が主に小僧の解呪の方法を伝えたいと言っておりました」


 場が静まり返るほどの重要な情報を口にする。



「それを最初に言ええぇぇぇえ!!」


 すぐに天幕の中を複数の怒声が包み、中に居た者は全員スタニスラスの下へ走って行ったのだった。




「おお、お待ちしておりましたアルバ様……おや、何やらお疲れのようですが大丈夫でございますか?」


「それより早くスタニスラスの解呪の方法を!」


「おやジルダ様たちも御一緒でしたか。何やらお疲れ……」


「いいから早く解呪の方法を」


「はい」


 敷物の上に寝かせられたスタニスラスは胸に銀製の十字架を置かれ、頭の近くにはかし製の白い十字架が打ち込まれている。


 その肌色は不健康なまでに薄く、白く、それに対して唇は毒々しいまでに赤くなっており、既にその端からは鋭い犬歯が見え始めていた。


 その様子を見て全員が緊張を顔に走らせる中、ベルトラムは平然と近づき。


「ジルダ様、この十字架は不要ですので取り除きますぞ」


 そう言い放つやいなや、十字架の上部に右手を添えると一気に引き抜く。


「なっ……!?」


 それを制止しようとした者もいたが、十字架の土に汚れている部分がほぼ人の腕の長さに匹敵していたのを見てとると、周囲の者は一斉に口をつぐみ、または唖然として十字架を軽々と持ち上げているベルトラムに視線を集中させた。


 その成り行きを見ていたアルバトールは、ベルトラムが引き抜いた十字架を静かに地面に置き、直後に気合の声と共に槍の石突を十字架が刺さっていた場所に突き入れ、それに向かって祈りを捧げ始めるのを見て声をかける。


「それがスタニスラス殿を解呪する方法なのかい?」


 しかしベルトラムはゆっくりと首を振り、説明を始めた。


「今の祈りは吸血鬼化進行を遅らせるものでございます。樫の十字架でも良いのですが、この槍は形状もさることながら、聖女エルザ司祭の祝福を受けた逸品。彼女の力も合わさって、樫の十字架より吸血鬼化を止める効果がありましょう」


 周囲はどよめき、表情は次々と安心したものとなっていく。


 しかしジルダの顔だけは不安に彩られたままであった。


「そ、それでスタニスラスを救う方法とは何なのだベルトラム殿! いやその、先に言っておくが、私が貴殿を急がせておるのは、スタニスラスがこのままでは吸血鬼どもと安心して戦えないからだぞ!」


「クク……」


 周囲の視線を気にしながらベルトラムに詰め寄るジルダの様子を見て、少し離れた所でバヤールがニタリと笑う。


「では直答させて頂きます」


 そしてベルトラムは自らの身分を理由に、直接ジルダ様のお耳に入れるのは畏れ多きことながら、と前置きをして口を開いた。


「まず最初の解呪方法は、一般に言われている吸血鬼を殺す方法でございます」


 その発言にアルバトールは青ざめ、反対にジルダは喜色満面と言った様子になる。


「ですがそれには問題があります。まずスタニスラス殿を吸血した者が判らない為、吸血鬼を皆殺しにする必要があること」


「どうせ奴らは穢れし吸血鬼ども、皆殺しにしても……」


「あまりに時間がかかりすぎるとその間に吸血鬼化が再び進行を始め、最悪の場合は吸血主が死ぬと同時にスタニスラス殿も巻き添えで滅びてしまう可能性があります」


 ジルダは途端に顔を青ざめさせ、ベルトラムに詰め寄った。


「それではどうすればいいのだ!?」


「二つあります。一つ目は私が昔、ある人物に聞いた情報によるもの。その方によれば血を吸った吸血鬼が人間になれば、その吸血鬼に連なる眷属たちも人間になると」


「おお、それではその方法を……」


「しかし私が聞いた時点では、その方法は古文書を解読中で判らないとのことでした」


「そなたは私を喜ばせたいのか! それとも困らせたいのかどっちだ!」


 腕を振り回し、眉を吊り上げて悲鳴を上げるジルダにベルトラムは困った表情を見せると、すぐに微笑みを浮かべて周囲を見渡す。


「そして残る一つは、吸血鬼たちの頂点に立つ者による解呪……破門です」


 遂に解呪の方法が判明し、人々は喜びに包まれ、場の雰囲気は一気に晴れやかな物へと転じると見える。


 しかし、それもバヤールが口を開くまでの、束の間のことであった。


「だがその方法にしても、やなり問題が残るのではないか? ベルトラム殿。吸血鬼どもの頂点に立つ者とはどんな姿形をしており、どこに存在している? どうやって小僧の解呪をさせる? それが判らねば、結局は問題の解決にはならん」


 バヤールの質問は当然の物であった。


 ベルトラムの持っている情報は、確かに山積みとなっていた問題の大半を解決したが、未だ最後に立ちはだかる問題の解決には至っていない。


「それは今から説明していただきます」


「ほう、説明……? 一体誰に説明してもらうのだ?」


 しかしベルトラムは落ち着いた声でバヤールの質問に応じると、スタニスラスの額に指を当て、しばらくそのままの姿勢で動きを止める。


 するとスタニスラスの唇がかすかに動き始め、そして彼は小さな声で喋り始めた。


「スタニスラス! 私だ! 大丈夫か!?」


 ジルダはベルトラムを即座に押しのけ、顔を近づけて呼びかけるが、スタニスラスは彼女に気付いた様子も、それどころか意識も回復しないままにある単語を口にした。


「ス……タ……ムラ……」


「何を言っている! お前の名前はスタニスラスだ! スタニムラスではない!」


 さすがに体を揺り動かすような乱暴なことはしないまでも、スタニスラスに叫びを上げ続けるジルダを見て、ベルトラムはバヤールを一瞥してからジルダへ話しかける。


「ジルダ様、少し黙っていてくださいますか」


 その視線の意味を正確に察したバヤールが、兜などを外しているとは言え、フルプレートメイルを着込んだままのジルダの襟首を軽々と摘まみ上げて離れていく。


 その間にもスタニスラスは喋り続け、とうとう彼を破門するに必要な情報はあらかた揃うこととなった。


「それでは再び眠っていただきます。……ああ、心配はいりませぬアルバ様。スタニスラス殿に侵入した吸血鬼の血流。それが持っていた記憶を読み取っただけです。大丈夫、未だスタニスラス殿は人間のままでございます」


 昨晩の話を聞いていたアルバトールは心配そうにベルトラムを見つめるが、それに対して簡潔な説明をすると、ベルトラムは全員をその場に再び集める。


「では、これよりスタニスラス殿を救う手順を説明いたします」


 ベルトラムは皆の顔を見渡し、その中の誰の目を見つめると言うことも、誰の顔も見ないことも無く、説明を皆に聞かせていった。




[ようやく出陣かね。ではこちらもそろそろ動くとしよう]


 打ち合わせも終わり、静かに動き始めたアルストリア騎士団、そして天使たちを遥か遠くから見つめるものが居た。


 その姿は人々に恐怖と災厄をもたらす禍々しい悪魔のようでありながら、人々に笑顔をもたらす道化師のようでもあった。

 吸血鬼に吸血された者が同じ吸血鬼になる仕組みの説明です。

 この作品では、吸血鬼の牙は毒蛇が持つ牙と似た構造となっており、牙の先に小さい穴があってそこから対象者へ自らの血を流し込む形式にしております。

 小さい穴より少しずつ流し込むので、しばらくの間は吸血対象から体を離すことが出来ず、場合によってはそこを狙われて滅ぼされますので滅多に行わない……というものです

 よって積極的に仲間を増やそうとする吸血鬼は余り居ません。(大規模、かつ継続的な戦闘時は除く)

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