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第61話 運命から零れ落ちた村

(恐ろしいほど統率がとれているな……)


 本陣から出陣したアルバトールは、吸血鬼たちを結界の内に包み込むように制御しながら彼らに切り込んでいく。


 しかしその動きは、バアル=ゼブルと戦った時より遥かに鈍いものだった。


 特に精霊魔術に至っては彼の心が乱れている為か、又は結界を張っている故か。


 五種類どころか、二つの同時行使すら危ういものと成り果ててしまっていた。



(無理に打ち合おうとせず、こちらの陣形の中を縦横無尽に駆け回り、隊列が乱れたところを狙う。あるいははぐれた者を囲んで渾身の一撃を放つ、か……)


 業を煮やしたアルバトールは吸血鬼と斬り合おうとするが、テオドール最強の私兵エカルラート・コミュヌである彼らは、流石に戦いに慣れていた。


 少数、かつアルバトールと一定の距離をとりつつその周りを回りながら戦うため、周囲に居る騎士たちは彼らの盾にさせられたような格好になってしまう。


(確かにこちらは重装備だからまともに打ち合う必要は無いけど、なんで持っている武器が短剣のみなんだ? メイスや槍があれば、アルストリア騎士団と言えども死者が多数に上っていただろうに)


 まさか味方を敵ごと焼き払ってしまう訳にもいかず、アルバトールは必死に打開策を見出そうとするが、千々に乱れた彼の心はそれを許さなかった。


(結界や障壁で魔術が弱体、あるいは無効化されることを知らなかったから短剣しか持って来なかった……? いや、いくらなんでもそんなバカげた理由では無いはずだ)


 不死である強みを生かし、こちら側の失策を誘うような粘り強い戦闘を仕掛けてくる彼らを見て、アルバトールは戦っている最中でありながら物思いに沈む。


(テスタ村。運命からこぼれ落ちた村の住人。その目的は一体……)


 アルバトールは戦いながら、昨晩ベルトラムから聞いた話を思い出していた。




「テスタ村か……その名前は初めて聞くけど、どこにあったの?」


「アルストリア領の山奥にあった、小さな村でございます。ですが東方から来た牧師が素朴な村人たちの信仰を集め、貧しくても信仰心に満ちた彼らはそれなりに幸せに暮らしていたそうです」


「それがどうして吸血鬼なんかになったんだろう? 人のみならず、生を営む者すべての理に背く存在じゃないか」


 ベルトラムはその質問に答えぬまま、西方の空を見やる。


 そこには宵の明星と呼ばれる美しい星が輝いており、しかし未だ東からは太陽の光の一部を受けて夜の闇を払う優しき光、月の昇る気配は見受けられなかった。


「アルバ様はバヤールの言っていた、アバドンが引き起こしたという蝗害を覚えていらっしゃいますか?」


「うん、バヤールがアバドンに求婚されて姿を隠した時のだよね」


飛蝗バッタにあらゆる作物、穀物、植物が食い荒らされた為、テイレシアや周辺諸国では食べ物の価格が急騰し、多くの民が飢えに苦しむことになりました」


「アバドンの災厄……か」


「山奥にあるテスタ村には幸いその被害は及びませんでしたが、そこに教会からの要請が来ました。他の地域で苦しむ信者の為に食べ物を融通して欲しい、と」


「村の人はどうしたの?」


「村に備蓄されていた殆どの食物を供出したそうです。銀の髪を持った若い神殿騎士の、すぐに返却するからと言う世迷言に騙されて」


 震える声で言葉は締められ、会話はしばらく途絶える。


 ベルトラムの右手の甲は、彼が槍に込めている力を示すように血の気を失っており、その目は誰に向けられたのかも判らぬ怒りの炎に満ち、口は歯が砕けるのではないかと思えるほどに食いしばられている。


 その激変とも言える仕草にそ知らぬ振りをして、アルバトールはベルトラムに会話の続きをうながし、ベルトラムもそれに従った。


「ガスパール伯は、その時に代々伝わってきた自らの財産を使って、領民に配る穀物を聖テイレシア中はおろか、近隣の諸国からも必死に買い取ろうとしたそうです。しかしこの世に存在し得ない物は、幾ら伯に財産があっても買うことは不可能」


「ガスパール伯が……」


「ガスパール伯の財産は一気に目減りし、しかしそれでも僅かの穀物しか得られず、ガスパール伯のしたことは、無駄に穀物の価格を高騰させただけに終わりました。そして伯はそれから更に強欲に自らの財産を求めるようになったそうです」


「ガスパール伯にそんな事情があったとは」


「しかし、事はそれだけに終わりませんでした」


「……それは?」


「領民の為、貯めこんでいた財産の半分以上を消費したガスパール伯を待っていたのは、隣国であるヴェイラーグ帝国の侵攻でした」


 ベルトラムが告げた内容に、アルバトールは絶句した。


「冬となれば極寒が全領土を襲うヴェイラーグは、凍死の心配の無い温暖な気候を持つ聖テイレシアの領土を獲得しようと、長年にわたって度々侵攻してきたことはアルバ様もご存知のことと思います」


 ベルトラムの顔は次第に下を向いていく。


「食料を得るために財産を放出し、それでも飢えて弱体した兵士しかいないアルストリア領。他国に聖テイレシアの防壁とまで称される、屈強のアルストリア兵が弱りきった今が攻めいる絶好の機会と睨み、侵攻してきたのでしょう」


 やや弱弱しさを感じる声で、それでもベルトラムは話を続けた。


「その時の侵攻自体は、全領土の力を総結集させた聖テイレシア側が何とか退けました。しかしその時の混乱で、テスタ村への穀物返却の書類が紛失してしまったのです」


「テスタ村はどうなったんだい?」


「テスタ村は……村の畑に撒くはずの種……穀物さえ供出していました……村に建てられた礼拝堂の……主の教えに従い……隣人を助ける為に……」


「助けを求める使者は!」


「礼拝堂に居を構えていた牧師が責任を感じ、助けを求めに。しかし彼は村に帰ること無く、しばらく後に胸の部分に大穴を開けた血塗れの服だけが発見されました」


「大穴……まさか魔物に……」


「そして牧師の帰りを待つ村では彼の娘が、自分も瀕死であるのに一人一人に割り当てられた数少ない食事を差し出してくる幼馴染を見て、ある決意を固めていました。故郷に伝わるまじない、禁術、吸血鬼への転生による村人の救出を」


「それは……!?」


 その衝撃の事実に、思わずアルバトールはベルトラムへと詰め寄っていた。


「そんなことをしたらただじゃ済まない! その場は助かったとしても、教会に滅ぼされるだろう! おまけに勝手に吸血鬼にされる村人の気持ちは考えていたのか!?」


 ベルトラムは首を振り、少女の考えでは仕方が無かったのだろう、と彼なりの推測の言葉を喉から搾り出す。


「少女ノエルは己自身を供物に、魔神、あるいは堕天使と言った存在に願い、その身を吸血鬼に変えました。そして自分の両親……つまり自分の家族がこの村に広めた教えのせいで死に瀕してしまった村人を救う為に、吸血を繰り返しました。そうして出来上がったのがエカルラート=コミュヌ。吸血鬼の集団です」


「生きるため……自らの罪を償うために新たな罪、比較にならないほど重い罪を……」


「幸いアルバ様が先ほど心配された村人からの反発は無かったらしく、それどころか自分たちを助ける為に少女の人生を犠牲にさせてしまってすまないと、逆に謝罪されたそうです。また恐れていた教会の目も、テスタ村への穀物返却の書類が紛失していたことでしばらくは教会の視察が来ることが無く、誤魔化せていました」


「そ、そうか。それは良かっ……」


「……が、それも少しの間だけでした」


「で、でも今こうして対峙しているってことは、ノエルたちは生き延びたんだよね!?」


 しかし、アルバトールの目を見る銀髪の執事の目は、絶望に満ちていた。


「彼女たちは生き延びました。ノエルが一番大切に思っていた、彼女が吸血鬼に転生する決断をした要因にもなった、彼女の幼馴染を犠牲にして」


 ベルトラムは胸中にわだかまる思いを吐き出すかのように、大きく息を吐き。


「彼は孤児で、血の繋がりの無いノエルの両親に育てられたそうです。その恩義に応えるべく、彼はノエルが召還した使い魔と共に囮となったのです」


 歪んでいくベルトラムの凄まじい表情に、アルバトールの目は釘付けとなる。


「危険な吸血鬼の集団がいる、と何者かから通報を受けた神殿騎士たちに、彼女たちは村を追い出され、そしてその後に増援に駆けつけた銀髪の騎士に、囮となったノエルの幼馴染は討伐されたのです。討伐する吸血鬼たちが、彼自身が穀物の供出の依頼をしたテスタ村の住人と知らなかった銀髪の騎士に……邪悪な吸血鬼として」


「そうして……テスタ村の人々は逃げ延びた?」


 ベルトラムは力なく首を振る。


「その場を逃れえた彼女たちを追撃する軍勢がありました。教会の要請を受けたアルストリア騎士団です」


「なっ……!?」


「ヴェイラーグの侵攻と蝗害で甚大な被害を出したアルストリア領。ガスパール伯にはそれを立て直す義務がありました。そんな時に教会の教えに反する吸血鬼が、自らの領内に巣食っていると聞かされ、またそれを討伐すれば、教会からの信用と褒賞が同時に得られると聞かされたのです」


「それ……は……」


 アルバトールは自分がそのような立場になった時のことを想像し、そしてその時のガスパールの気持ちを想像して蒼白となった。


「アルストリア領を治める伯の立場としては、その依頼に対して否も応もなく、ただ承知するしか出来ませんでした。一方、身内から吸血鬼と言う呪われた存在を出した教会はその不祥事を無かったことにする、存在を抹消するだけに注目し、どのように吸血鬼が発生したのか、その詳細、経緯を調べませんでした」


「その結果は……?」


「依頼を受けたガスパール伯はテスタ村の追討を行います。ノエルたちは逃げようとしたものの、遂にある谷の合間に追い詰められます。観念した彼女たちが天に祈りを捧げ、討伐される直前に、その間に割って入ったのがテオドール公の軍でした。ガスパール伯は彼らの追討に集中する余り、領境を越えていたことに気付かなかったのです」


 ベルトラムはそこで長い、長い溜息をつき。


「関わるすべての者たちがすれ違った結果、最も力なき者たちにすべての責任が押し付けられた。それがテスタ村に降りかかった悲劇でございます」


 真実を知ったアルバトールは、誰に言うともない疑問を口にした。


「そしてノエルたちはそのままテオドール公の私兵に……か。でもどうして教会はそのことを追求しなかったんだろう」


「そのやりとりまでは知りませぬが、かつて王国一の権勢を誇っていたテオドール公には国王陛下ですらなかなか意見を言えなかったほど。そのあたりが原因かと」


「……二つ質問をしていいかい? ベルトラム。何故テスタ村の彼らと――エカルラート=コミュヌと戦う直前になって、そのことを僕に話したんだい?」


 既に彼らの周囲は闇に包まれており、またベルトラムが陣中に焚かれたかがり火の明かりを背負っている為に、その表情は見えない。


 しかし今ベルトラムがどんな顔をしているか知りたくもなかったアルバトールは、先ほどから少し歪んで見えるベルトラムの顔をそのままに見つめた。


「もしも今の話を聞かないまま彼らを討伐してしまった時、その後でもしも真実を知った場合。アルバ様は正気でいられますか?」


 アルバトールは首を振る。


「判らない……そうだよね。ありがとうベルトラム。二つ目の質問だけど……銀髪の神殿騎士はノエルの幼馴染を討った後、どうしたの?」


 ベルトラムはその問いを聞き、力なく微笑んだ。


「彼はその後すべてを知り、絶望しました。自らの行為を後悔と言う言葉で済ませられず、絶望と言う思考ですべての感情を満たした彼は自らの存在の内に閉じ篭り、外に向かって解放すべき力を自らの内に向け始め、堕天寸前の状態に陥りました」


「堕天寸前……」


「その彼を救い出したのが、天使を束ねる者ミカエルです。彼女の御力によって銀髪の騎士は、安定した存在である人に転生します。体に秘められた巨大な力とやりきれない怒りに満ちた記憶はミカエルと、彼女と同等の慈愛に満ちた存在であるガブリエルの力を借りて、一本の炎の槍に封じ込められました」


 アルバトールはそれを聞いて合点がいったように。


 もしくは他の行動をとることができなかったように。


 あるいは目を合わせられなくなったが如く。


 ベルトラムに向かってゆっくりと頷き……地面に視線を落とした。


「しばらく周囲を見て回ってまいります、アルバ様」


「気をつけてね」


 ベルトラムが闇に消えると、アルバトールはあることに気付く。


 それは先ほどから周囲の景色と、ベルトラムの顔が歪んでいた原因……涙だった。


「主の手は……運命は……善良なる人々の命を、思いを、すべて受け止められないのか……力の無い人たちは利用され……消えていくだけなのか……」


 彼は呟き、流れる涙を拭いもせず、かつて平和だった頃のテスタ村の情景を思い描き、更にその涙の色に深淵の深みを添えていったのだった。




(くそっ! 巧妙な!)


 昨日ベルトラムに聞いたそれらの話はアルバトールの剣を鈍らせ、判断に非情さを欠き、思考に整然さを欠く原因になっていた。


 もちろんベルトラムは、これらを予想していたであろう。


 しかしエカルラート=コミュヌの成立した経緯を、テスタ村の末路を聞かされていないままに真実を知れば、アルバトールは発狂していたかもしれなかった。


(帰るんだフォルセールに。過去は、起きてしまったことは取り返しがつかない……僕に出来るのは、その悲劇を繰り返させないことだけ)


 そう思い込む努力をした後、彼は光の矢の術を使おうとする。


 しかしその調整は上手く行かず、門の向こうではアルバトールの呼びかけに応じた精霊たちが、次々と帰っていく姿が感じられた。


 上手くやろうと思えば思うほど、体はそのイメージに着いて来ない。


 アルバトールが焦りを感じたその瞬間に、彼の視界の横に黒い影がよぎった。


「危ない!」


 その警告の声にも気付かず、アルバトールが顔を横に向けたのは、ジルダの悲鳴が上がってからだった。


「スタニスラス殿!?」


 横を見れば苦痛に顔を歪めたスタニスラスと、その肩に食いついた吸血鬼の顔。


 それを見て、瞬時にアルバトールは頭の中が真っ白になる。


 吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になる。


 今回の戦いで吸血鬼になった者はいないと聞いてはいたが、それが今現在においても通用する情報とは限らなかった。


 周囲で怒声が上がり、騎士たちが次々と、しかしばらばらに吸血鬼たちに切りかかっていく。


 その彼らの姿をどこか白けた、俯瞰ふかんで見ていることに気付いたアルバトールは突如として我に返り、今まで使ったことの無い雷撃の術を吸血鬼たちに撃とうとするが、それに気付いた彼らは霧に姿を変えてその場から消え失せる。


 それを防ぐ為に張られていたはずの結界は、既に効力を失っていた。

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