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第60話 舞い踊る真意達

 突如としてアギルス領からアルストリア領へと侵入してきた吸血鬼たちと領境で戦っている、ガスパールの長女ジルダが率いるアルストリア軍。


 それへの援軍を率いたアルバトールが到着した次の日の朝。


 結界を張った成果か、それとも吸血鬼たちに何らかの思惑でもあるのか。


 夜の活動を得意とする彼らが夜襲をかけてくることは無く、東の稜線から彼らの不安を消し去るように朝日が顔を出し始めていた。



「見事に肩透かしを食らっちゃったな。到着した日の夜襲に気をつけろってガスパール伯の助言は無駄になったけど、それが一番なのかもね……」


 アルバトールは緊張が解けた証である欠伸をすると続けて背伸びをし、緊張で凝り固まった体をほぐそうとする。


 本陣に張られた幾つもの天幕の間には、朝の炊事当番に任じられている若い兵士たちが数人ほど忙しそうに動き回っており、夜を徹して見張りを努めたアルバトールや他の兵士に軽く会釈をしながら、食料の保管場所と炊事場を往復していた。



「おはようございます我が主。随分と目が赤いようですが、不寝番ですか」


「おはようバヤール、君も不寝番かい?」


「はい。神馬である私は殆ど寝なくても大丈夫な存在ですし、外敵の察知にも優れておりますゆえ」


「なるほど」


 アルバトールは逞しい体躯を持つバヤールを、頼もしそうな目で見上げる。


「おはようございますアルバ様」


 そこにかけられた挨拶に彼が振り向けば、銀髪の髪を持ち、緋色に輝く槍を手にした長身の男がこちらに近づいてきていた。


「おはようベルトラム、何かあった?」


「いえ、特に何かと言う訳ではありませんが、そろそろ朝食の準備が整いますのでお呼びに参りました。見張りを交代して食事をした後、夜の間に何か異変が無かったかを確認してから休養とのジルダ様の仰せです」


「今日、こちらからの出陣はなさそうかな?」


「おそらくは。陣中を見た限りでは疲労困憊ひろうこんぱいと言った様子でございました」


「そうか……こう言っては何だけど、それは助かるな。早くフォルセールに戻りたい気持ちはあるけど、今は戦うより少し考えたい気分だから」


 アルバトールはそう言うと、朝食を貰いに炊事場の方へ向かったのだった。




「少数精鋭による敵の探索。それで良いな? 皆の者」


 決定事項の確認と言った簡素な軍議が終了し、参加した全員の同意を見たジルダが解散の指示を出すと、周囲の物よりひときわ大きな天幕から次々と人が出て行く。


 ジルダの脇に座っていたアルバトールもそれに倣い、自らに割り当てられた寝所に向かおうと席を立った時、彼を引き留めるか細い声がジルダより発せられる。


 何かと思ってアルバトールがジルダの方を見れば、最後まで中に残っていたスタニスラスも敵の探索に行くと言って座を辞し、気付けば天幕の中はジルダとアルバトールの二人きりとなっていた。



「どうなされました? ジルダ殿」


 嫌な予感を微笑みで隠しつつ、アルバトールは敷物の上で体を休めているジルダへ声をかける。


 陣中である故か、今朝のジルダはいつもの全身鎧ではない。


 上半身は太ももの少し上までを包むゆったりとした赤いチュニック、下半身はゆるやかなラインを描く黒いズボン。


 背中まである金髪はうなじの辺りで銀製の髪飾りで留められており、ここが戦場であることを忘れさせる姿であった。


「少し相談したいことがあるのだアルバトール殿……いえ、天使様」


「僕で判ることであればよろしいのですが」


「いえ、貴方様でなければ判らないことなのです」


 ジルダはアルバトールのすぐ脇まで近寄ると、耳の辺りに口を寄せる。


「実は、私はこの年になるまで男性に想いを告げられたことがありません。思い当たる理由があると言えばあるのですが、出来れば私に会ったばかりで先入観をお持ちの無い貴方様に、私が男性に思いを寄せられない理由の指摘をして頂きたいのです」



 戦いに関する質問と思いきや、男女の仲に関する質問であるとジルダに告げられたアルバトールは、心の中でため息と言うよりは深呼吸に属するほどに深い吐息をつく。


「僕の目にはジルダ殿が非常に魅力的に映ります。理由があるとすれば、それは貴女の頑なな心にあるのではありませんか?」


 その指摘を聞くなりジルダは地面に敷いた敷物の上に手をつき、微かに唇を開けると上目遣いになって、アルバトールの両眼へ静かに視線を合わせる。


「私の心は、それほど頑なな物に感じられますでしょうか?」


「軍を率いる将。その立場を気にするゆえか、貴女が持っている魅力を表に出すことを遠慮しているように見えます」


 アルバトールは脇に置いてあった白湯さゆをとり、ジルダの目の前を経由させてからそれを飲み干す。


「また伯の御息女という立場ゆえに、身を心のままに異性に委ねることも出来ず、相手の心を知ることを恐れ、真意から逃げているように僕には見えますね」


 ジルダはアルバトールの目では無く、その手に持った器へ恨めしい視線を送った後に寂しげな表情となる。


「身を近づけることは許しても、心には一線を置いて遠ざける。意地悪な方ですね、貴方様は」


 そう言いつつもジルダはアルバトールに寄り添い、不寝番で立ちっぱなしだった彼の太ももをいたわるようにそっと手をさしのべ、滑るように表面を撫で付けた。


「心に一線を引いておかなければ冷静な判断は出来ませんからね。意地が悪いどころか、性根が悪い女性を見て育ったもので」


「……?」


 その言葉に意外なものを感じたのか、ジルダはきょとんとした顔になる。


 先ほどまで漂わせていた色香は薄れ、指揮官としての仮面も剥がれ、それによって露わになったジルダの素の表情を見たアルバトールは、思わず鼓動を速めてしまう。


(う~ん、やっぱりこっちにはエルザ司祭の真実は届いてないのかな……それにしても可愛い……と言ってしまっては軍の指揮官でもあるジルダ殿には失礼にあたるか)


 軍を率いる立場であっても、その身は二十歳にもなっていない多感な少女。


 アルバトールは正しい現実を脳裏に浮かべ、何とか衝動を理性で抑え込むことに成功すると、ジルダへ一つの質問をした。


「さて、僕からも質問があります。言伝を頼まれた、と言ってガスパール伯の戯言を貴女にしゃべった者はいませんか? ジルダ姫」



 アルバトールが余裕の笑みを浮かべながらジルダに話しかけた時、天幕の外には一人の男がやや気の抜けた顔をして見張りをしていた。


 その見張りの名は、先ほど敵の探索に行くと言って天幕を後にしたスタニスラス。


 アルバトールとジルダが話している天幕の内側には、防音と断熱を兼ねた柔らかな羊毛の素材が使われており、また二人が小声で会話をしている為に、その内容までは知ることが出来ない。


 だが彼は、その会話の流れをあらかた想像することができた。


(伯はよっぽどあの天使様を気に入られたのだな……)


 スタニスラスは陣を囲む柵の外側に目をやり、異常が無いか確認をする。


 いや、そうすることで天幕の中の誰かから目を逸らそうとでもしたのだろうか。


(しかしジルダ様をフィリップ候の御子息へ嫁がせるには、現在の両家の関係を考えるとそれ相応の理由がいる。今回の援軍はその理由……既成事実を作らせることも目的に入っているのかも知れん)


 そして彼は千々に乱れる心を治めるため、自分を納得させるために、なぜガスパールがあのようなことを言ったのか、その思惑について理由を探し始めていた。


(……いや、考えすぎか。それに私がジルダ様を諦めざるを得ない理由を幾らこの場で思いついた所で、吸血鬼たちが退く訳でもない)


 スタニスラスは拳を握り締めると、殊更に平然とした顔を作り上げ、胸を張って陣の外を見つめる。


 ……が、ふと彼が気付くと、隣には銀髪の男が槍を持って立っており、呆気にとられるスタニスラスに会釈をすると、倣ったように天幕の入り口の反対側に位置取る。


(何のつもりだ!)


 天幕の中にいるジルダに黙ってここに居る以上、銀髪の男――ベルトラムを大声で咎めることも出来ないスタニスラスは、しょうがなくどこかへ行けと言わんばかりにベルトラムを睨みつける。


 だがその鋭い視線をベルトラムは微笑で受け止めると、じっと陣の外を見据えてから口を人差し指で押さえるジェスチャーをする。


 スタニスラスは腹に据えかねた表情を作って抗議としたのだが、一向に応える様子の無いベルトラムに根負けした彼は、先ほどのように本陣の外へと顔を向けたのだった。



「御存知でしたか……などと白を切る必要はありませんね。父が貴方様に託した言伝を聞いた配下が、私に伝えてきたのですから」


「伝えた者はスタニスラス殿ですね?」


 ジルダはアルバトールの肩にしなだれた格好のまま頷く。


「なるほど、道理で貴女の瞳と表情が憂いを帯びている訳だ」


「お分かりになりますか」


「判らざるを得ないでしょう。先ほどからの貴女の行動は性急に過ぎます。まるで自暴自棄になっているかのように。言っておきますが、ガスパール伯ご自身がすぐに冗談だと否定されたのですよ」


 アルバトールは呆れたようにかぶりを振って告げるが、その事実を突きつけられても尚ジルダはまっすぐに瞳を見つめ返したままであり、すぐに紅を塗った鈍い反射光を放つ艶めかしい唇を開く。


「父のヅラ……いえ、ウィッグはその時、どのような仕草をしておりましたか?」


「ええと、言いにくいことながら……その時ウィッグはバヤールに伯ごと吹き飛ばされて瀕死の状況でして、私にはその動きが殆ど判らないものでした」


 出立の日のことを思い出しながら、アルバトールは答える。


 ネコの後を追いかけてガスパールに突撃してきたバヤールと、とてもいい笑顔の残像をその場に残して吹っ飛ぶガスパールとウィッグ。


 一応ネコも巻き込まれはしたのだが、ガスパールと違って華麗に体を捻らせて地面に着地した彼は、余裕の態度で前足を舐めていた。


「そうですか、バヤールの件に関しては後ほど主である貴方様にお伺いするとして」


 音程が一段下がったジルダの声色を聞き、アルバトールは軽い頭痛を覚えつつ次の言葉に耳を傾ける。


「ヅラが父の本心を真似ることは御存知ですか?」


「一応は」


 アルバトールは膝を進めてきたジルダを見て、内心で飛び上がりつつも答える。


「ではお分かりでしょう。スタニスラスはヅラの仕草を見て父の本心を知り、私にその旨を伝えてきたのです。父の詳細な思惑までは判りませんが、アルストリア領を治める領主の娘である私としては、その意思に従わざるを得ません」


「ガスパール伯にその真意を聞いてから、ではなく?」


「逆でしょう。父が真意を表さず、すぐに訂正して冗談で済ませたからこそ私もスタニスラスもその言伝に従っているのです」


 そんなアルバトールの動揺に気付いていないのか、ジルダは迷うこと無く即座に答えを返していた。


 その表情、その行動は確かにガスパールの真意を汲み取った上での物。


 しかし自らの真意を押し殺し、作り上げた感情を上塗りした表情は、まるで自分の意志を持たぬ操り人形のようであった。


「ではお伺いしましょう。ガスパール伯の真意とは何なのです?」


「それは私と貴方が結婚すること」


「伯のお言葉を直接に聞いたわけでも無く、ウィッグの仕草を見たスタニスラス殿が気を回して貴女に伝えただけなのに、ですか」


 アルバトールは何度目かになる溜息をつき、そして短く強い言葉を口にした。



「では、貴女の真意は?」


「それを貴方に話す必要はありません」



 即答だった。


 穏やかではあるが、凛とした拒絶の笑顔をジルダはアルバトールに向け、はっきりとした口調で断言していた。


「なるほど」


 アルバトールは満足そうに軽く頷くと、ジルダに穏やかな笑顔を向けていきなり彼女の鼻先ほどの近さまで顔を近づける。


 いきなり距離を詰めてきた男性に驚いたのか、ジルダは少なからずの間その伸びやかな肢体を硬直させてしまい、アルバトールはそれを機として彼女から距離を取る。


「求婚をしようとする相手に秘密事をし、近づいた僕を恐れた時点で貴女の真意は判りました。続きはガスパール伯の前ということで」


「それは……」


 抗弁を始めようとしたジルダの口を封じるように、アルバトールは言葉をかぶせる。


「貴族としてのガスパール伯は知りませんが、父親としてのガスパール殿は子煩悩で家族想い。きっと貴女に幸せになってもらいたいと願っていますよ」


 アルバトールは立ち上がってジルダにそう告げると、彼女を残したまま天幕の出口へと向かった。



「あれ? 見張りを交代したのかいベルトラム」


 天幕の外に出れば、そこには槍を持ったベルトラムが一人で出入り口の横に立ち、見張りをしていた。


「はて、見張りは最初から私だけですが」


 とぼけるベルトラムを見たアルバトールはクスリと笑いをこぼす。


「おかしいな。どうも天幕の中に忘れ物……と言うか、何かを置いていったままに探索に出た御仁がいたように感じたんだけど、気のせいだったのかもね」


「はてさて、物でなければ何を置いて行かれたのでしょうな、その御仁は」


 ジルダに聞こえない程度の大きさの声で二人が話していたその時。


「東方より敵襲! 東方より敵襲!!」


 物見櫓の上にいる見張りが告げた異変が、朝食をとって程よい心地よさに満ちている本陣のまどろみを切り裂く。



「やれやれ。東方って、いつの間に背後に回られたんだろ」


 今日の天気について話しているかのように、のんびりとした声でアルバトールがベルトラムに問いかけると、ベルトラムも今日の朝食のメニューを主人に告げるかのような口調で、あっさりと返答をする。


「少数ですから隠密行動も得意のものなのでしょう。まぁそれがこちらに知れ渡っている故に、こちらの退路を断つという脅しも、こちらを包囲するという戦術もとることが出来ないのが欠点といえば欠点でしょうが」


 東の地平線に数人程度が立っているように見えた吸血鬼たちは、次第にその数を増やしていき、最終的には五十人ほどの集団となる。


「鐘を鳴らし、狼煙を上げ、偵察に出た者達を呼び戻せ! ……ん? スタニスラス、お主偵察に出たのではなかったか?」


 いつの間に着替えたのか、天幕から出てきたジルダは既にその身を黒色の全身鎧に包んでおり、迎撃の指示を出す。


 そしてその指示に真っ先に駆け寄ってきたのは、敵の偵察に出るといって先ほど天幕を出たはずのスタニスラスであった。


「はっ! 吸血鬼の対処の為に、皆に銀の武器などの確認をするように指示、また装備の支給を行っていた為に、まだ陣の中に居たのでございます!」


「そ、そうか……流石に気遣いが出来るな。しかしその割には汗まみれに見えるが……まぁ良い! 出るぞ!」


 アルバトールとベルトラムはそのやりとりを聞いた後に顔を見合わせ、走ってきたバヤールと合流し、馬を駆って陣の外に出る。


「スタニスラス殿も大変だね。僕が出る何分前に見張りから離れたんだい?」


「一分も経っておりますまい。かなりの速さで走り去っておられました」


「……?」


 先ほどの天幕での一件を知らないバヤールは、不思議そうな顔をしながらも可笑しそうに話す二人についていくのだった。

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