第59-2話 口伝
本陣に戻ったジルダ。
そこには一人の……いや、異物が一頭紛れ込んでいた。
「……なんだこの小娘は。人の顔をじろじろと見おって、無礼な奴だ」
「あ、ああ、すまぬな。私より背の高い女性を見ることなど殆ど無いもので……いや、そなた以前どこかで私と会わなかったか?」
「私が人間にこの姿を見せる訳がなかろう」
それは父であるガスパールに匹敵するほどの体格を持つ人間、しかも服装を見るに女性である。
自分より背の高い女性など、幼少の頃ならともかく成長してしまった後のここ数年は見たことは無い。
尚且つ生半な鎧では体を包めないほどの逞しい体躯をした女性が存在しているなど、今までジルダは想像すらしていなかったのだ。
「ん? この姿を見せる訳が無いと言うが、今まさに見せている最中ではないのか?」
「黙れ小娘。首根っこをへし折られたいか」
だがどうもオツムの方はあまりよろしくないようである。
そう感づいたジルダは相手の心を開くべく自分から自己紹介をし、女性? の名を聞いたのだが。
「私の名はバヤール。そこにおわすアルバトール様を主人とする神馬だ」
「バヤー……ル……?」
名を聞くなりジルダは血相を変え、バヤールに飛びついた。
「思い出したぞ! 貴様その昔、一人の女の子が持ち歩いていたリンゴの篭を奪い取った覚えがあるだろう!」
「とんと覚えが無いのう。と言うか、私に持ってきた供え物を私が貰って何が悪い」
「しっかりと覚えているではないか! あの篭はお気に入りだったのだぞ! 父からの数少ない贈り物を奪い取りおって!」
いきなり始まる、大柄な女性二人の取っ組み合い。
その様子を横から見ていた小柄な(あくまで彼女たちに比べれば、だが)アルバトールとスタニスラスは、女性のいざこざに巻き込まれる不毛を避け、現在の戦況をジルダの近習たちに聞くことにしていた。
「負傷者は軽傷者を含めて二百を超えるが、死者は十人に満たない程度。加えて吸血で仲間を増やすわけでもない、か……明らかにあやしいな」
スタニスラスが感想を述べると、アルバトールもそれに同意するように頷く。
「吸血鬼の方にはどれほどの損害を与えたのか、教えてもらえるかい?」
そのアルバトールの質問に、近習たちは顔を見合わせてざわめき始める。
しかしいつまでもそうしているわけにもいかぬと気づいたのか、一人の年かさの騎士が手を上げ、答えにくそうに説明をした。
「一体も仕留めていないか……しかし吸血鬼である奴らは、滅びると同時に灰と化し、四散すると聞く。諸君が討ち取ったことを気付かなかっただけではないのか?」
アルバトールの慰めに年かさの騎士は目を伏せ、白くなった頭を振る。
そもそも奴らの素早さに、こちらはまともに攻撃を当てることも出来ないと。
そして彼は地面を拳で叩き、その無念のほどを表した。
「いや、諸君は良くやっている。幾ら結界があると言っても、相手はテオドール公の私兵の中でも最強との呼び声高い、エカルラート=コミュヌなのだから」
アルバトールは頭を下げたままの騎士を慰め、心の中でその騎士に感心をした。
(フォルセールとアルストリアの関係を加味して考えれば、正直に良く話してくれている……裏を返せば、そこまで窮状に追い込まれているとも考えられるが)
彼らにしてみれば、主君であるガスパールと犬猿の仲と言われるフィリップの嫡子に、このような情けない内情を話したくはなかっただろう。
だが、彼らは正直にアルバトールに話してくれていた。
(応えなければいけないな。その誠実さに)
アルバトールは癖っ毛の頭に手をやって視線を隠し、同時にある決意を固める。
「明日……いや、今度の戦いからは僕が先頭に立って戦わせてもらう。勇敢、かつ勇猛なるアルストリア騎士団の諸君を差し置いて、余所者の僕が先頭に立つことは如何にも諸君にとって情けなく、または憤慨に相当する物だと承知している」
アルバトールはその場に居る全員を見渡すと、大きく咳払いをしてバヤールに冷たい視線を送り、争いを止めさせる。
「が、僕はガスパール伯にこの身を以って支払うべき借りがあり、それを伯に返さなければ胸を張ってフォルセールに帰ることが出来ない。どうか諸君も情けを以って、僕の先陣を許していただきたい」
ちなみにこの場合の借りとは、空飛ぶウィッグと鬼気迫るガスパールの表情に我慢できず、アルバトールが爆笑してしまったことである。
しかし彼らの主君を笑い飛ばしてしまったために援軍に来たなどとは説明できず、アルバトールはガスパールに対する借りとだけ説明したのだ。
「しかし、あの時のガスパールは傑作でしたな主。まさか偽物の毛を慌てて追い始めるとは、このバヤール思いもしませんでした」
だがあっさり裏の事情を明かしてしまったバヤールのせいで、主君の受けた恥辱は自分たちの恥辱とばかりに怒りに満ちた近習たちの視線を、アルバトールは全身で受け止めることとなる。
「まぁ待て。何を置いてもアルバトール殿は……森の守り神たるバヤールの主人だ」
全身に冷や汗を浮かべ、口をへの字に曲げて何やら言い訳を考え始めたアルバトールを救ったのはジルダだった。
「守り神と認めたくは無いがこのような碌でもない性格をしていてその図々しい顔面を見るだけで殴りつけたくなるような奴でも! 我らが領地における森の守り神らしいバヤール馬……彼はその主人と言うことだし、許してやってくれないか皆の者」
「伯爵様もその件に関してはさほど気にした様子はありませんでしたから、我々も気にしないほうがいいでしょう。むしろ伯御自身がそう仕向けた節もあります」
続けてスタニスラスが説明すると、近習たちはようやく怒りを収める。
ニコリと笑みを浮かべたスタニスラスを見たアルバトールは、この身に変えてもアルストリア騎士団に勝利をもたらしてみせると宣言し、吸血鬼が仕掛けてくる戦術について説明を受けていくのであった。
軍議が終わった後。
「とりあえずこんなものかな。皆がこれでゆっくりと休めるようになればいいけど」
アルバトールは本陣を包む結界の発動を依頼され、それを遂行していた。
編んだ結界の目は粗く、エルザが作るものはおろか、ナターシャが作る物にすらその精度は劣っていたが、結界そのものの広さは流石大天使というべきか、本陣の周囲まですっぽりと覆う広さが確保できていた。
「しかし結界は初めて作ったけど、結構聖霊の力を使うんだな……これは消費した霊気の返還も全力でやらないと、あっという間に聖霊力が偏在することになりそうだ。聖天術の制御の復習をやりたかったけど、これじゃ無理かな」
アルバトールはそう呟いた後に、先日戦ったバアル=ゼブルの言葉を思い出し、陰鬱な気持ちとなる。
(バアル=ゼブルの指摘はほぼ事実……つまり自分自身の能力を上げなければ、いくら聖天術に威力があっても、どうしようもなく格上の敵には通用しない。だけど)
彼はこうも考えていた。
敵である自分に、わざわざ聖天術が役に立たないと忠告をしてきたこと。
そしてヤム=ナハルからお人よしと称される、バアル=ゼブルの性格の分を差し引いて残る真実。
つまりバアル=ゼブルの真の思惑に注目する必要があると、アルストリア城を出立した一昨日からアルバトールは考えていた。
(聖天術を魔族は恐れている。多少の実力差くらいならあっさりと埋めてしまうその攻撃性能だけではない、それ以上の何かが聖天術にはあるのだろうか)
結界を発動させる為、本陣を包む柵の外に出ていたアルバトールが気付けば辺りは既に闇に包まれており、彼は天幕から漏れる灯りや、その間を動く人影をぼんやりと見つめながら、自らの考えに沈んでいく。
その時、考えを妨げぬようにとしてか、ゆっくりと一人の人影が近づいて小声でアルバトールの名を呼ぶが、しばらく経ってもアルバトールが気付かないことに苦笑した人影は更に数歩の間を縮める。
「アルバ様」
「え!? あ、ああ、ベルトラムか……びっくりしたよ」
「先ほどから何度かお呼びしたのですが、お気づきになる様子がございませんでしたので少々近づいてみました」
そう言ってくるベルトラムは、アルバトールから三歩ほど離れた位置に控えていた。
「全然気付かなかったよ。そう言えばピサールの毒槍の調子はどう? 僕が軍議に参加している間に、随分と槍に関しての質問攻めにあってたみたいだけど」
「なかなかに目立つ槍ですので、上手く誤魔化すのに苦労しました」
「エルザ司祭の悪名は通用しなかったの?」
クスクスと笑いながらアルバトールはからかうようにベルトラムの顔を見る。
「それが神職である司祭様が、毒槍などと言う不吉な名前を持つ武器を下賜するはずがないと申す者がおりまして、説得するのになかなか往生しました。どうもここまでフォルセールから離れると、事実とは違った認識を持つ者もいるようでございます」
「なるほどねぇ……確かに見た目だけなら神聖と言えなくもないしね」
アルバトールはエルザの神秘的な美しい顔立ち、豪奢な金糸で編み上げたベールのような滑らかな髪、高山の頂に積もり、溶けることの無い雪のような白い肌を思い出して頭痛を引き起こす。
「で、何か用事でもあるのかい? 今ならまだ結界作成に集中したい、と言って人払いをしたままにすることも可能だよ」
「なかなかにお鋭い。肉体的にも、精神的にもフォルセールにいらっしゃった頃とは別人でございますなアルバ様」
「そうならないと戻った時に大目玉だろうね」
悪戯っぽい笑みを浮かべて話すアルバトールに、ベルトラムは同意しながら槍の穂先を見つめ、静かに口を開いた。
「初めまして、と申しておきましょうか。私は四大天使の一人である土のウリエル。現在は故あって人の身に転生しております」
「初めまして。大天使の位階に身を置くアルバトールと申します」
「私の正体に驚かれませぬか」
「無論驚いております。上位魔神を滅ぼした時点で普通の人間ではないと思っておりましたが、まさか……いや、予想通りですか。既に四大天使のうち、火と風が私のすぐ近くに存在していたのですから」
一大決心と言ったベルトラムの告白を聞いたアルバトールは、穏やかな微笑を浮かべたままにベルトラムに一つの提案をする。
「急に態度を変えるのも周囲に不自然がられますし、今まで通りに接しても構わないかな? ベルトラム」
「勿論でございます。今の私は人間であり、トール家に仕える執事でございますから」
「用事と言うのはそれだけ?」
「いえ」
ベルトラムは首を振る。
「むしろ本題はこれからでございます。私の人間になった経緯と目的はまた別の機会にするとして、とりあえずは目の前の敵、エカルラート=コミュヌについての情報です」
ベルトラムの話が進んでいくたびに、日が落ち、暗闇が押し寄せた後の冷え方とは別の冷気が辺りを包み。
その告解を聞いたアルバトールは拳を握り締め、世の不条理を嘆いた。