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第59-1話 戦場の覚悟

 血煙に彩られた短剣が日の光に煌き、甲高い絶叫の旋律が戦場に響き渡る。


 短剣が刺さった苦痛を耐える為に暴れる吸血鬼はまるで踊っているように見え、尚且つその舞がいびつに感じられるものだったのは、彼らが不死の身体ゆえだろうか。



「アルストリア領を治めるガスパール伯爵の御息女、ジルダ様に触れようなどとは大それたことを考える吸血鬼だ。自らの不死が我らにどこまで通用するか、その身で確かめてみるか?」


「スタニスラス……貴方が援軍に?」


 吸血鬼の上げる絶叫、そして聞き覚えのある声にジルダが目を開けると、そこには一人の小柄な男が立っていた。


 と同時に彼女は、先ほど動揺のあまり年端も行かぬ女子のような声をスタニスラスの前で出したことに気付き、座り込んだままの姿勢で兜の中で顔を真っ赤にすると、下を向いたままとなる。


「ご無事のようで何よりでございますジルダ様。援軍の五十騎は本隊と合流して交戦中。率いてこられたのは此度の天魔大戦で天使に転生なされた、フォルセール候の嫡子であらせられるアルバトール様でございます」


 そんな時にスタニスラスが優しい声をかけてきたため、ジルダの動揺は混乱へと変わり、どう答えればいいのか判らなくなった彼女はしばらく固まってしまうのだが。


「ジルダ様?」


 しかしその彼女の状態を恐怖で動けなくなったと勘違いしたのか、助けに来たスタニスラスの表情は一変していた。


「さて……」


 スタニスラスはジルダの無事を確認すると、彼女に背を向ける。


 そして地面をのた打ち回っている吸血鬼と、その首に刺さった短剣に冷たい視線を注ぐと、彼は辺りに飛び散った血を踏みにじって進みながらジルダに報告を行った。


「ジルダ様がお一人で吸血鬼を追われたと近習に聞き及び、勝手ながら自分のみ急ぎ参った次第。危害を及ぼそうとした吸血鬼を今より成敗致しますゆえに、臣下の礼を後にする無礼をお許しいただきとうございます」


「う、うむ……それは構わんが……」


「おっつけ、アルバトール様たちもこちらに参りましょう。御安心くださいませ」


 スタニスラスの声は、先ほどと同様に優しいもの。


 だがジルダは、それ以上の言葉を口に出せずに黙り込んでしまう。


 スタニスラスの表情は、ジルダの位置から見ることは出来ない。


 だが見ることが出来ずとも、その背中は雄弁にスタニスラスの気持ちをジルダに伝えてきていた。


 戦場であるにも関わらず、辺りを支配する雰囲気は熱気と高揚ではなく、冷たく陰鬱なもの。


 その寒々とした、体の芯までじっとりと冷やす冬の雨のような空気にジルダは歯を食いしばって耐え、遠ざかる背中を見送っていると、スタニスラスはぽつぽつと何かを呟き始めていた。



「……まず手を切り落とし、こちらへの手出しを封じる。次に足を切り落とし、逃走を封じる。そして首を刎ね、貴様らの股の下に置き、すべての動きを封じる。最後に腹を割き、臓腑を一つずつゆっくりと引き剥がして貴様らの目の前に置いてやろう」


「……!」


「わざわざお前たちに、不死である喜びを実感させてやるのだから感謝するがいい。このスタニスラスの慈悲深さにな」


 スタニスラスの呟きを聞いたジルダは血の気が引き、足や手に力が入らなくなり、全身の震えが止まらなくなっていた。


 なぜなら彼女の記憶にあるスタニスラスは、彼女に常に敬意を払い、優しく笑顔を向けてくれる忠実な配下なのだ。


 自ら率いる配下が傷つくことを好まぬ彼は、常に自らが最前線に立ち、敵からの攻撃をその身で受け止めるような優しい男であるはずだった。


 たとえ人の節度、法の規律、自然の摂理を守らぬ吸血鬼が相手とは言え、敵対した者の命を弄ぶような発言をするような、酷薄非情な男ではなかった。



――いや――



 そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。


 自分はこの戦いまでは戦場らしい戦場、最前線を経験したことが無い。


 常に父に、部下たちに守られ、後方で控えていた。


 その世間知らずの自分だけが、戦場での彼を知らなかったのではないか……。


 ジルダは恐怖におののき、ついには指先一つ、髪の毛一筋すら動かせぬ石像と化す。


「何も語らぬか」


 そんなジルダの様子に気付かず、スタニスラスは抜いた剣を吸血鬼たちへ向けた。


「ならばこちらから行くぞ。卑しき吸血鬼ども」


 その時だった。


「ご無事ですか! ジルダ殿!」


 ジルダの後方より、一人の青年が馬に乗って駆け寄ってくる。


 その頭は金色に光り輝く柔らかな癖っ毛で覆われ、目は大きめの澄んだ青。


 よって受ける印象は幼げな物ではあったが、その身体から溢れる力で周囲を満たす一人の天使が、ジルダとスタニスラスの元へ馬を全速で走らせていた。


 だがその天使、アルバトールの声にスタニスラスとジルダが気を取られた瞬間、四人の吸血鬼たちは霧に姿を変え、即座に姿を眩ます。


「ふむ」


 吸血鬼が霧に姿を変えたことにより、首から抜け落ちた短剣を地面から拾い上げると、スタニスラスは短剣の柄を握り締めて残念そうに呟いた。


「このスタニスラスとしたことが、吸血鬼相手だと言うのに銀の短剣を持ってくるのを忘れるとはな……だが、顔は覚えたぞ」


 一滴の血すら認められない短剣を見て、それでも布で丹念に刃を拭った彼は、ジルダの方へと振り返る。


 既にその顔はいつもの温和な表情へと戻っており、かけてくる言葉も優しいもの。


「ジルダ様?」


 だが、ジルダは動くことができなかった。


 不思議そうに彼女に問いかけてくるスタニスラスを見ただけで、ジルダは怯えて動けなくなっていたのだ。


 それを見たスタニスラスは、ジルダが疲れて動けなくなっているとでも思ったのか、へたり込んだ彼女の傍らにゆっくりと近づくと膝をつき、肩の下に頭を差し入れ、腕を抱え込み、肩を貸して立ち上がらせようとする。



 しかし残酷なことに、彼の身長ではジルダの肩を支えることは不可能であった。



 それでも懸命に背伸びをし、なお足りぬ分を気合で支えようとでもしているスタニスラスの姿を見て、ジルダは思わず噴き出してしまう。


「~~~ッ~! ~~!!」


 そのジルダの様子を見たスタニスラスは顔を真っ赤にして爪先立ちになるが、それでも彼女を完全に立ち上がらせることは出来なかった。


(ああ、スタニスラスだ。間違いない……いつもの彼だ)


 ジルダが安心して涙を流したのは自分が助かった故か、それとも彼女の知っているスタニスラスが戻ってきたからか。


 ジルダは頬を伝う涙を感じ、顔を覆うフルフェイスヘルムに感謝をしながらスタニスラスの肩に手を置き、足に力を籠めて立ち上がる。


 胸を張り、四肢を凛とさせ、数回ほど呼吸をして感情を落ち着かせると、ジルダは声を張り上げて近づいてくる天使に自らの無事を知らせた。


「遅参して申し訳ありませぬジルダ殿。吸血鬼どもの撃退に少々手間取ってしまいました。私の名はアルバ=トール=フォルセール。此度の援軍を率いるものとして、ガスパール伯に任じられし者でございます」


 下馬して挨拶をしてくるアルバトールに対してジルダも返礼をする。


 が、その裏で彼女は別の――スタニスラスのこと――を考えていた。


「一旦引くぞ! 吸血鬼どもの追い討ちに警戒しつつ、本陣へ後退する!」


 まだ日は高かったが、敵が居ないのでは戦いようが無い。


 そしてそれ以上に、今の千々に乱れた心では全軍の指揮を執ることが出来ない。


 一旦区切りをつける為、心の整理をする為、ジルダとアルストリア軍は、後方の本陣へと戻っていった。

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