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第57話 悪夢の胎動

 天魔大戦に限らず、すべての戦いのカギとなるもの。


 身も蓋も無い言い方をすると、戦いは全て金である。


 よってフォルセールでは、シルヴェールとダリウスが無数の書類が作り上げる壁に戦いを挑んでいた。


 一方その動きを知ってか知らずか、王都テイレシアでは魔族の指導的立場にあるジョーカーやモートらが、バアル=ゼブルの天使討伐の結果についての報告を受けるために王城にある謁見の間に集まっていた。



[とまぁ、そう言う訳だ。すまねーなジョーカー]


[ふむ。力が戻っていなかったとは言え、天使に成ったばかりの一人のひよっ子を上位魔神二人のサポートを付けてすらお前が倒せなかったとはな]


 失敗に対する悪気も無ければ、反省の欠片も無い謝罪の言葉。


 そんなバアル=ゼブルを見ても、気を悪くした様子がまるで感じられない口調で、ジョーカーは感想を述べた。


[それにしても、私と戦った時は聖天術の制御も満足に出来ぬ未熟な天使だったものが、少し期間があったとは言え、力天使級になっていたとは到底信じられん]


 ジョーカーは腕を組み、顎に手をやると、まるでそこに誰かがいるのかと言わんばかりに宙を見つめ、次の話題に移る。


[それ以上に信じられんのが、セーレを一瞬で倒したと言うその人間だ。調べておく必要があるが……そのような存在が今まで知られていなかったのは、明らかにおかしい]


 人間が上位魔神を一瞬で滅したという、信じられない事実。


 その真偽を問うため、ジョーカーはヤム=ナハルへと視線を向ける。


[ワシですら中が知覚出来ないほどの多重結界など熾天使級。それもかなり上位に属する者の力じゃ。そんな存在が人間として生きているなど信じられんわ]


 その説明を聞いた後、ジョーカーは彼の方をしばらく見つめてからぼそりと呟いた。


[まるで人事のように言っているが、先ほどの報告によれば天使に止めを刺そうとしていたバアル=ゼブルの邪魔をしたのは、ヤム=ナハル翁ではないのか?]


[まったくだな]


 同時に先ほどから目を閉じて腕を組み、壁に身を寄りかからせて何かを考えている風だったモートが目を見開き、ヤム=ナハルへと渋面を向けた。


[あまり勝手をしてもらっては困るぞヤム=ナハル翁よ。確かにお前しか作りえぬ加護は重要なものではあるが、決して不可欠と言う訳ではないのだ。あまりにこちらの意向を無視した態度を取り続けるのであれば、俺としても考えがある]


 言い終わるとモートはゆっくりとヤム=ナハルへ向かって重々しい一歩を踏み出す。


 一歩毎に部屋の気温が上がっていくような、重厚な歩み。


 それを見た彼らは、体に見る間に汗が浮き出てくるような気持に囚われる。



 ただ一人、軽薄な笑みを浮かべている旧神を除いて。



[おいモート]


[なんだバアル=ゼブル]


[お前暑苦しいから部屋の隅にいろって言っただろ。下がってろ]


[……]


 その青年、バアル=ゼブルからの侮蔑を聞いたモートは眼を見開いて逆上し、そのまま襲い掛かるかと思われるほどの熱気を全身から発する。


 が、すぐに黙って引き下がると、今度は何かを我慢するように目を閉じ、次には再び腕を組んで壁に寄りかかっていた。


 そこまで確認した後に、バアル=ゼブルはジョーカーの方へ向く。


[ま、天使討伐に失敗した俺が言うのもなんだがよ。ヤム=ナハル翁が割って入らなければ、おそらく先ほど話した人間が割って入るだけだったろう。俺が思うに、あの天使はおそらく力ずくで倒すことはできねえ]


[主人公の力、か……厄介な]


 忌々しい口調で、吐き捨てるようにジョーカーが呟くと、バアル=ゼブルは腰に手をあて、ゆっくりと息を吐き出す。


[運命が味方。祝福された未来が盾に、過去の過ちですら現在の剣となる……ってか? まったくよ、どうにもやってられねえな]


 ジョーカーに続き、バアル=ゼブルも愚痴を吐き出す。


[だが、運命の紡ぎ手は気まぐれだ]


 その重くなった雰囲気を見かねてか、モートが壁に寄りかかった姿勢のまま彼らを励ますために声を掛けるが。


[何らかの拍子で我らに味方することもある。今までもそうだっただろう]


[じゃがモートよ、そりゃあまりに都合のいい考えじゃろ。どうにもならないからと言って、何もせずに果報を待つと言うわけにはいかんからの]


 それは即座にヤム=ナハルに反論されることとなっていた。


[確かにその通りだな……ジョーカー、次の一手はどうするのだ? 何も無いなら、そろそろ俺にも動かせて欲しいものだな。そこの怠け者も何やら顔つきを変えて戻ってきたことだし、俺が直接に動いても問題はあるまい?]


[うっせーな……まぁあのボウヤと戦ってから、確かに少しずつ昔の調子が戻りつつあるみてえだがよ]


 拗ねたように答えるバアル=ゼブルを見て、モートは思わず口中で呟く。


(我々が数百年かけて出来なかったことをあっさりとやってのけるとはな。だがそれとこれとは別だ少年よ)


[まぁ少し待てモートよ]


 それらのやりとりを見ていたジョーカーは、いくつかの質問を口にして確認をとる。


[バアル=ゼブルは力が回復し次第、アルバトールと再戦したい。そしてモートもアルバトールの首を所望か……ヤム=ナハル翁はどうしたいのだ?]


[うんむ、ワシはどうでも構わんよ。ただあの若いのはワシャなかなか気に入ったのでな。出来るならやり合いとうは無い]


[判った。では次の質問だ。天使と戦った際にお前たちの過去を話したのだな?]


[ああ。この爺さん話す必要も無いものまで喋りやがった。おかげであのボウヤしょげ返っちまってたぜ]


 横からバアル=ゼブルが口を挟むが、ジョーカーは腕を組んだままそちらを見もせずに更に質問を続けた。


[人間たちで死んだものも無し。それでいいのだな?]


[お前もしつこいのう。どこぞのお人よしがワシまで巻き込んでヤグルシを発動させおったから、自己防衛のついでに人間たちを庇わずにはおれんかったわい。それに信仰心を集めるには、慈悲深い神を演じるのが一番じゃからの]


[なるほど……ではお前たちが当分動く必要は無さそうだな]


[あ? 何だそりゃ?]


 訝しがるバアル=ゼブルを小馬鹿にするように、ジョーカーは嬉しそうに含み笑いをしながら、その場でバレエダンサーのようにクルクルと回りだす。


[意思を超えた意思。存在を超えた存在によって、天使の意思に拠らずその身が勝手に守られるなら、天使の意思そのものを刈り取ればよい]


[ああ、なるほどな。お前ホント性格悪いな]


 ジョーカーに向かって、誉め言葉になっていない誉め言葉を送るバアル=ゼブル。


[性格がいいなら、そもそも堕天使などになっておらんだろう]


 それにうんざりとした表情でモートが横槍を入れると、それに合わせたようにジョーカーは回転を止め、ビシリと北東を指差した。


[少しアルストリア領に行って来るとしよう。後は三人に任せる]


 そう言うやいなや、ジョーカーの姿は霧に包まれるかのように掻き消え、謁見の間にはバアル=ゼブル、モート、ヤム=ナハルの三人が残されることとなる。


[……おいモート。任せるって、俺たち何をするんだ?]


[領境においては警備につく魔物どもを運用するためのあれこれ。街中においては理性を持たぬ下級魔物の統制、人間からの訴状や苦情の処理、その他諸々の雑用だな]


[ほう、大変だなモート]


[ああ、三人の力を合わせなければ出来ない仕事だ。行くぞ]


 そして他人事のようにその説明を聞いていたバアル=ゼブルは、王都で力を温存していたモートに力ずくで引きずられていったのだった。




「五十騎ほどを援軍として率いていけばよろしいのですね?」


「うむ。頼むぞ天使アルバトール殿」


 そしてその頃アルバトールは自らの失策によって。


 つまりガスパールを侮辱した償いのため、アルストリア領に攻め入ってきたエカルラート=コミュヌの討伐に向かうことになっていた。



(吸血鬼の集団、エカルラート=コミュヌ……テオドール公の私兵の中でも最強と謳われているが、公式に戦場で活躍した記録は無い)


 同じ国内に住む彼ですら、エカルラート=コミュヌについての詳細は知らない。


 それでもアルバトールは持てる知識を総動員し、彼らについての分析を始めていた。


(そもそもなぜ至高の不死者とも言える吸血鬼の集団が、人であるテオドール公の私兵になったのか。また天寿を許容せず、人として生きることを止めた彼らがなぜ教会や国に存在を許されているのか、一切が謎に包まれている)


 夜の闇に紛れ、朝もやに紛れ。


 人里近く、あるいは野山に住む動物に紛れることが出来る彼ら。


 吸血鬼の力を正しく運用する暗殺集団、エカルラート=コミュヌについての分析を。


(判っているのはテオドール公の政敵や、敵対勢力の主だった者がいつの間にか死ぬことが多い、と言った程度か……まぁ、それはそれで暗殺の十分な証拠とも言えるんだけど、それだと今ガスパール伯が無事である理由が判らないんだよね……)


 深刻な顔をするアルバトールを余所に、今日のガスパールは上機嫌であった。


 濃いヒゲの中心にあるその笑顔は、良く言って悪巧みをしている悪党たちの親分と言った雰囲気だが、それでも彼はこのアルストリア領を治める伯爵であった。


「にゃー」


「ブルルル」


 その悪党の親分がいつも頭に着けているウィッグと言えば、持ち主である彼の後方で同じく彼の飼い猫に追いかけられて必死に逃げ回っており、そしてその猫を追いかけるように、バヤールも馬の姿で走り回っていた。


(ああ、平和だなぁ……いつもこうであればいいのに……)


 心の敏感な感じやすい部分をゆっくりと優しく撫で回してくるかのような、猫のしなやかな動き。


 見ているだけで、全身がふわふわとした毛皮に包まれたような気分にさせてくれる、無邪気な様子でウィッグと戯れる猫を見たアルバトールは、胸がキュッと引き締められるような心地になる。


「ブルルウゥ……」


「……アルバトール殿?」


 そんなアルバトールの姿を見たバヤールは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ガスパールは不審者を見る目で彼に声をかけた。


「……心ここにあらず、と言った様子だが、きちんとワシが今言ったことを聞いておったのであろうな?」


「あ、はい! ウィッグを少々太り気味なネコの運動相手として選んだって感じでしょうか!」


「うむ、全然違う。……おいヅラ、戻って来い」


 アルバトールの返事を聞き、呆れた顔となったガスパールがウィッグに向かって呼びかけると、ネコに追いかけられていたウィッグが彼の元に戻ってくる。


 一目散に駆け寄ってくるウィッグを見て、アルバトールは素直な感想を述べた。


「ヅラ、とはあのウィッグにつけた名前ですか? まるで聞き覚えが無い名前ですが、どのような由来が?」


「ああ、以前ここに逗留していた傭兵が名づけてくれた物だ。幻と言われる召喚魔術を使って、あのウィッグを作ってくれたのがその傭兵でな」


「なるほど」


「恐ろしいほどの切れ者で、ここを去る時も随分と引き留めたのだが、世界の全てを見てみたい、と言って結局出て行ってしまった。今はどこで何をしているのやら」


 その会話の間にヅラとネコは足元まで来ており、その二つを抱きかかえるとガスパールは満足げな表情をしてアルバトールの方へ向き直る。


「……あ」


 だがさしものガスパールも、流石にその二つを追って飛び込んできたバヤールまでは受け止めることは出来ず。


 横に居たアルバトールに出来たのも、とびきりの笑顔を見せたまま数メートルほど吹き飛んでいくガスパールを見送ることだけだった。




「と、言うわけだ。戦力不足で防戦に回ることしか出来ん我が軍を助けてやってくれ」


「承知しました」


 その後、アルバトールは全身いたるところに生傷がついたガスパールに見送られる。


「ふん、私だけでも吸血鬼の群れなど蹴散らしてくれるものを」


 見送りに対して不敵に答えるバヤールの全身にも、ガスパールと同じような打撲傷が至る所に作り上げられていた。


「アルバ様、いつでも出陣可能だそうです」


 そしてベルトラムはそんなバヤールを見て、上機嫌になりながらアルバトールに出立の準備が出来たことを告げる。


「では行ってまいります。何かジルダ殿に言伝があれば承りますが」


「む? そうだな……」


 先ほどのベルトラムの報告を受け、出立するアルバトールが発した何気ない一言。


 それがよほど想定外だったのか、ガスパールの頭の上のヅラはしばし考え込むような姿を見せていた。


「フッフフ……そうだな、言伝の内容を言おう。目の前の男を落とせ。以上だ」


「は!?」


 数秒後、返ってきたあまりの内容にアルバトールは噴き出し、目を白黒させる。


「冗談だ。ワシとフィリップ候は犬猿の仲であるのに、可愛い娘を憎き男の下につかせるような真似をするものか」


「そ、そうですか。それは残念です。ジルダ殿が嫁いでミュール家が後ろ盾に立てば、我がトール家の安泰は約束されたような物でしたのに」


 その反応を気に入ったのか、ニヤニヤと笑うガスパールに対して何とか体裁を取り戻すことに成功したアルバトールは、馬首を返して出発の合図を送る。


 アルバトールを先頭としたアギルス領との領境への援軍が全員出て行くと、ガスパールは不敵な表情から一気に顔を引き締め、城の中へ戻っていった。



「ジェラール! カロン! 軍議を開くぞ! 隣国ヴェイラーグの動向と、最近の領内における魔族の動向を貴様らに問う!」



 貴族の誇り、その一言で全てを表せるガスパールの顔は、まさに統治者の威厳に満ちた物であった。

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