第55話 その成り立ち
アナトたちを退けたフォルセール城の中心、住まいと執政を兼ねた領主の館。
その一角にある執務室には、本来の主であるフィリップの他に数人の重要人物が集まり、今後の国の方針を話し合っていた。
「本来であれば、父上の敵を討ってから戴冠式であろうが、どうやら周囲を囲む様々な状況がそれを許さぬようだ」
その中心、王位継承権の第一位であるシルヴェールはそう言うと、部屋の中に居並ぶ者たちの顔を見渡して異論がないか確認する。
「よって仮の戴冠を近日中に行い、本来の戴冠式は魔族を王都より追い払った後とする。また仮の戴冠であることを諸侯に示すため、立会いは教会の者と妹のアデライードのみとする。よいな」
そして反対意見や具申が出てこないと見るや、即座にシルヴェールは執務室を出て城壁の方へと歩き出していた。
後に続くはフォルセール領主フィリップ、フォルセール騎士団団長ベルナール、王都テイレシア騎士団団長フェリクス、王都テイレシア教会司祭ダリウス。
いずれも聖テイレシア王国内に、その名を轟かす知勇の持ち主たちである。
その彼らすら引き連れて歩くに相応しい威厳を発しながら、シルヴェールは第一城壁の上に立つと、広大な空き地すら埋め尽くす大勢の民衆や兵士へ声を張り上げた。
「魔族でも最強と呼ばれるアナトは退却した! だがこれより我らが進む道は、先ほどの戦いより長く苦しいものとなるだろう!」
シルヴェールはそこまで話すと、前方へ伸ばした手の平を胸元に引き寄せ、硬く握りしめる。
「しかしそれでも進まなければ、我らは静謐な夜と、平穏な暮らしと、安穏な語らいを手に入れることはできぬ!」
そして腰に手を伸ばしてジョワユーズを天へと引き抜き、溢れる光によって自らと自らの周辺を彩らせた。
「王都で魔物に怯え、命の危険に晒されながら過ごしている同胞の為にも! どうか諸君らの力を私に貸して欲しい!」
演説が終わると同時に、集まった民衆は熱狂的な叫びをあげる。
シルヴェールの演説にもあった通り、先ほどフォルセール城の近くまで迫っていながらも、恐れを為したかのように引き返していった魔物たちを見て、フォルセールの士気はいやが上にも盛り上がっていた。
もちろん実情は多少違うのだが、あえてそれを民衆や兵士に知らせる必要は無く、自分たちの力で魔物たちが引き返したのだと思わせることがこの場合は重要だった。
「では、後は頼むぞフィリップ」
シルヴェールは後の演説をフィリップに任せると、ダリウスを連れてアデライードの元へ向かい、肉親との久しぶりの再会を喜びあう。
そしてアデライードの身の安全を確約すると、その旨をジュリエンヌとアリアの目の前でダリウスに誓約し、そのままジュリエンヌの部屋を後にした。
「これで一息、とはいかんな。ダリウス殿、エルザ司祭の容態はどうなっている?」
そしてその足で再び執務室に向かい、その道中でも寸暇を惜しむようにダリウスへ矢継ぎ早に質問をしていく。
「それが未だに目を覚ましませぬ。魔物たちも引き返した故に、今は再びラファエラが診ておりますが、彼女と交代しても言葉に反応する気配すらありませんでした」
「そうか……彼女一人に結界を任せていたツケが回ってきたのかもしれんな。エルザ司祭以外に結界を張れる御仁はいないのか?」
「ラファエラであれば可能ですが、その場合は彼女の日頃の務めに影響が出るでしょう。恐らく彼女の法術による信徒たちの治療は、まったく望めないものになるかと」
「しかし他に結界を張れる者が居ないのであれば、エルザ司祭が回復するまでラファエラ侍祭に頼むしかあるまい」
シルヴェールはやや咎めるような視線でダリウスを一瞥し、疑問を口にする。
「民の命を守る結界の発動。そのような重要な役目を、何故今までエルザ司祭お一人に任せきりにしておいたのだ。王都では百余名を超える法術士が四班に分かれ、交代しながら結界を張っているのだぞ」
その疑問に、ダリウスはゆっくりと首を振って答えた。
「まずフォルセールに、大量の術士を雇う経済的余裕がありませぬ。それに王都で大勢の術士を雇えるのは、テオドール公の豊かな財力による全面支援があってこそ」
「なるほどな」
「また今までエルザが怪我はおろか、病気すらしていなかったことで皆が安心しきっていたこともあるでしょうし、先ほど言ったとおり、エルザ以外の者が結界を張ろうとすれば他の仕事が出来なくなることなどが理由として挙げられるでしょう」
「ふむ……」
それらの情報を聞いたシルヴェールは、廊下を歩きながら黙考する。
民衆の命を守るべき結界。
その発動手段が一つしか無いと言うのは、国、領地を守るべき防衛策として明らかに欠陥があると言わざるを得なかった。
「……正式決定はエルザ司祭が目を覚まされてからにするが、今後、結界の発動はエルザ司祭、ラファエラ侍祭の両者で互いに行う事とする」
「承知しました」
「教会がラファエラ侍祭の法術回復を優先させたい気持ちは確かに判るが、それを優先させるあまりにエルザ司祭に任せっきりにしては、彼女に何かがあった時にすべてを失うこととなる。それでは本末転倒だ」
一つの決を下したシルヴェールはそのまま足早に執務室に入る。
と同時に、確かに先ほどまでは無かったはずの、机の上に積み重ねられた書類を見て彼は顔をしかめた。
「見事な山だ。これをすべて私が見るのか?」
ダリウスはうやうやしく一礼をし、早くも最初の試練が課せられた王国の若き指導者に敬意を表する。
「フォルセール城の謁見室の椅子を仮の玉座とし、フォルセール領に属する物を使って王都を奪還するのであれば、フィリップ候が今まで決済した書類と、今から決裁する書類はすべてシルヴェール様の決済にする必要がありますからな」
「……おお、そう言えば仮の戴冠式であり、かりそめの王であるなら私が一々書類を見る必要もないのではないか?」
だが即座に敵前逃亡の兆しを見せる未熟な主導者に、彼は溜息をついて首を振った。
「エルザのような言い訳をなさいますな。覚悟をお決めください」
「うむ冗談だ。相変わらず固い男だな」
あまり冗談に見えない真摯な顔を書類へ向けると、シルヴェールは腕組みをする。
「それにしても、なぜこれほどの書類が必要なのだ? フォルセールは王国の中でもひときわ小さい領地だ。いくら収穫の時期であり、大量の物資が移動する天魔大戦が開始された直後とは言っても、あり得ぬ量だと思うが」
「それは……そうですな、フィリップ候に直接お聞きした方がよろしいかと」
ダリウスがそう答えた直後、執務室の中には甲高いノックの音が響き渡っていた。
その音はまさに、深山幽谷の景を為す一本の霊木が落とした一つの木の実の音。
肌から癒やしをもたらし、頭の中を澄み渡らせ、胸に生命の息吹が吹き込まれるような、生きとし生けるものすべてを活性化させる音。
目の前にそびえ立つ書類の塔から目を逸らしたいシルヴェールには、客の来訪を告げるノックはそう聞こえたのだった。
「……なるほど、魔族の侵攻があったと言うのに結界が消えていた理由は、魔物たちを城の中におびきよせるためと発表すればいいのだな?」
入ってきた二人の男のうちの一人、フィリップの進言を聞いたシルヴェールは目を閉じ、口の中で文言を繰り返す。
「一体も残さず殲滅し、その遺骸をマジックアイテムとして活用、または売り払って軍資金を得るために、あらかじめエルザ司祭と示し合わせて行ったこと……か」
「然様でございます殿下。既にフェリクス殿に私の書簡を預け、教会の方に届けさせております」
シルヴェールは感心したように相槌を打ち、先ほど彼が決めたばかりの結界の決定事項について、フィリップに告げる。
「承知いたしました。しかし、表向きには未だエルザ司祭が単独で結界を張っている、と言うことにしたく存じますが、よろしいでしょうか」
「それは構わぬが、しかし民を騙すことになるのは少し気が引けるな」
苦い顔でつぶやくシルヴェールに答えたのはベルナールだった。
「仕方ありませんな。敵を騙すには味方から、とも申します故に。こちらに付け込む隙があると魔族に思わせておくには必要なことです」
ベルナールの言に、シルヴェールは喉に小骨が引っかかったような違和感を感じる。
先ほどダリウスが発した、直接聞いた方が良い、とフィリップがなんらかの秘密を握っていることを匂わせる発言。
その言い方から察するに、ダリウスはその内容を知っているが、王に成る予定の自分に対してすら、おいそれと口に出来ない内容なのだろう。
そして机に積み上げられた、フォルセールには必要以上の量である書類の存在理由。
その違和感がシルヴェールの頭の中で合わさる。
結果、少し躊躇いはあったものの、シルヴェールはそれらの違和感を消しさろうとしてフィリップに質問をした。
「そう言えばフィリップ。机の上の書類だが、少々量が多すぎではないか? それに先ほどのベルナールの言い回しもそうだが、このフォルセールには何か私の知らない秘密。王になる私にすら秘密にしなければいけない何かがあるのか?」
そう言葉を発すると、シルヴェールはフィリップを真っ直ぐに見つめる。
するとフィリップは少し考え、問いかけるようにダリウスへ顔を向けた。
「殿下が王となられると確定したなら、知っておかねばなりますまい」
「では……」
ダリウスの許しを得たフィリップが頷き、口を開こうとした瞬間。
「フィリップ候、エルザ司祭に直接の許可を頂いてからにしたほうがよろしいのでは」
ベルナールが口を挟み、今少しの熟考を促す。
フィリップがこれから口にする話題には、よほどの内密事が隠されているのか。
それを察したシルヴェールは生唾を呑み、フィリップと、自らの傍らに立つダリウスの顔を交互に見つめた。
「いや、先日エルザ司祭から聞いたのだが、私がフォルセール領主を継いだ時の列席者にダリウス司祭も居たらしい。そのダリウス司祭の許可も得たのだから大丈夫だ」
「然様でございますか」
何ごとも無く二人が口にした会話には、既に見過ごせない内容が含まれていた。
ダリウスの年齢は公称で三十を少々超えたばかり。
だがフィリップが領主となったのは、二十年ほど前のことである。
それが代々のフォルセール領主に受け継がれているらしき、秘密の継承に立ち会っていたとは一体……?
「どう言うことだダリウス司祭。貴殿は幼少の頃、王都で聖職者としての修行をしていたはずだが」
シルヴェールは、やや不機嫌とも言える表情になってダリウスに質問をする。
この場にいるシルヴェール、フィリップ、ベルナール、ダリウスの四人のうち、自分だけが目の前の三人が共有する情報の輪に入り込めていない。
それは出自の問題で周囲に溶け込めない幼少時代を過ごした彼にとって、如何にも面白くない状況であった。
「有り体に言えば、今の私と当時の私は記憶と意志こそ同じなれど、まったく別の体でございます。もうどのくらい昔のことか自身でもはっきりと覚えておりませぬが、ある日の朝、天啓としか思えぬ声が頭の中に響き渡りました」
「声?」
目をぱちぱちと開け閉めするシルヴェールに、ダリウスは静かに口を開く。
「汝はこれから体を取替えながら永遠の時を生き、天使の導き手となる、と」
(まぁ、嘘は言っておらぬ。私が人か天使か、当時の私がいつの頃の私を指すのかなどの説明は不要で、どうでもよい問題だ)
そしてダリウスが心の中で舌を出して説明を終えると、シルヴェールは納得がいかぬ顔をしながらもダリウスの弁明を許容し、それを見たフィリップが続けてシルヴェールに向けて口を開く。
「では御説明いたします殿下。書類が多いのは、このフォルセールに秘められた役割に理由がございます。フォルセールの成り立ちは御存知でございますな?」
質問自体は至極簡単なもの。
ややもすれば自分の能力を疑ってかかる無礼なもの、と受け取られても不思議は無い内容だったが、しかしその質問の答えがこれからの話に重要な要因となるのだろう。
シルヴェールはそう判断すると、真摯な面持ちと口調で答え、フィリップは新しき王の資質に感じ入ったかのように一礼をし、ゆっくりと口を開いていった。