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第54話 繋がる思い

「魔物たちが引き返して行きます!」


 その結果を予想していたとはいえ、やはり実際に報告を受けるまでは安心できなかったのだろう。


 物見櫓ものみやぐらからの報告を受けたベルナールは、内心で胸を撫で下ろしていた。


 その微妙な表情の変化を見て取ったのか、フェリクスは馬の歩を進め、ベルナールの隣に行って声を掛ける。


「犠牲を出さずに済みましたか、ベルナール殿」


「ああ、本当であれば喜ぶべきことなのだがな」


「……何か気になることが?」


 ベルナールの物言いが気になったフェリクスは、勝利に湧く周囲の様子を伺い、自分たちにそれほど注目が集まっていないことを確認してから言葉の先を促す。


「実は魔物たちを率いている将に、場を見通す力があればあるほど、城の中に入らずにそのまま引き返す状況になっていたのだ」


「それは先ほど言っていた、ラファエラ侍祭とエンツォ、ブライアン両名を上空で待機させていたことと何か関係があるのでしょうか」


「ああ、その三人は敵に退却の決断をさせる最後の一押しと言うべき指し手だ。さて、どこから話したものか……」


 ベルナールは口に手を当て、少しの間だけ考え込む。


「まず今回の状況は、殿下の迷……フォルセールへの到着が遅れたことに端を発する」


「はい」


「殿下をレオディール領との領境付近で発見した魔物たちは思っただろう。なぜ未だにこんな所に居るのかと。ジョワユーズを持ち、人間にとって何者にも変えがたい存在であるはずの殿下が、フォルセール城ではなくこんな辺境にいるのはおかしい、とな」


「しかし、殿下が……ああ、ええ、何らかの妨害? を受けて? 遅れたと考えることも出来るのでは」


 いずれ彼らの王となるシルヴェールの威厳をおとしめる訳にはいかないのか、到着が遅れた理由をぼかし、あるいはこじつけながら二人の会話は進む。


「確かに。だがそれならば当の魔物にもその報せが行くはずだし、殿下を発見すると同時に足留めの成功を喜びながら襲い掛かるだろう。しかし殿下たちからの報告は、奴らは着かず離れずの距離を置いて追いかけてきている、と言う物だった」


「距離を置いて……つまり何かを警戒していたと?」


「我々の伏兵を警戒していたか、あるいは殿下たちを迎え入れようとした我々が城門を開けるのを見計らい、強引に突入するのが目的だった、と言うことだろう」


「その計画を覆し、引き返す決定打となったのがラファエラ侍祭たちだと?」


 ベルナールは上空を見上げ、役目を終えて降りてくる、だが未だ小さい点のようにしか見えないラファエラたちに目を向ける。


「ラファエラ侍祭にはなるべく上空、恐ろしいほどの能力を持つ旧神や上位魔神ですら感知できるかどうか、と言う位置に居てもらった」


「なるほど、やはり伏兵を置いた訳ですか。しかしその割には中途半端な位置ですな」


「いや、伏兵であって伏兵ではない」


 ゆっくりと首を振るベルナールに、フェリクスはきょとんとした顔になる。


「もし魔族を率いている将が用心深い者であれば、上で待機しているラファエラ侍祭を発見し、それを結界が無い状態と照らし合わせ、我々が城内に罠を張って奴らを待ち伏せしていると考えて引き返したであろう……が、今回は相手が相手だったからな」


 ベルナールは苦笑いを浮かべ、そして前方にシルヴェールらしき人影が手を振っているのに気付き、フェリクスに目配せをして臣下の礼をとるべく下馬をして口を開く。


「闇雲に突っ込んでくる猪武者との評判が高いアナトだと、これらの布石に気付かずに突っ込んできて、こちらにもそれなりの被害が出るかも知れなかったのさ」


「それは……確かに……しかし実際に引き返したのですから良いではありませんか」


「悠長なことを言っている場合か。引き返したと言うことは、彼女が将としての才覚を身に着け始めたと言うことだ。それを素直に喜んでどうする」


 ベルナールの指摘にフェリクスは顔を強張らせ、背筋に冷たいものを感じた。


「だがこちらに犠牲が出ずに済んだのもまた事実だがな。さて、これからの戦場も厳しい物となるぞフェリクス。ペンと言う武器を振るう準備は整っているか?」


 ベルナールは底意地の悪そうな笑いをフェリクスに見せると片膝をつき、新しい王となるべき人物の無事を祝う言葉を述べ始めるのだった。




 その頃、フォルセール城の最奥部では。


「ねね、フィル君。皆喜んでるみたいだけど、魔物たちはどうなったの?」


「先ほど入ってきた兵士の報告では、どうやら魔物たちは引き返して行ったようだよジュリエンヌ」


 このフォルセール城の主であるフィリップが、万が一の時に備えて武装をした姿で、妻であるジュリエンヌと共に待機をしていた。


「あ、そうなんだ。じゃあ、皆無事なんだね!」


「うむ、喜ばしいことだ。君にも今回は色々と気苦労をかけてしまってすまないな」


 ジュリエンヌはフィリップにはちきれんばかりの笑顔を向けると、友人に会って来ただけなのに、それを気苦労と言ってはエルザに失礼だ、とフィリップに説教を始める。


 だがフィリップが続けて謝罪をしたため、ジュリエンヌが頬を膨らませた瞬間。


「フィリップ候、エレーヌだ。団長から報告をせよとの指示を受けてまかり越した」


 執務室の扉がノックされ、入室の許可を得たエレーヌが中に入ってくる。


「夫婦水入らずの所を邪魔してすまないな、フィリップ候」


「状況が状況だ。気にするなエレーヌ」


「そうだよ! あたし今日はちゃんと花瓶の水をこぼさずに、お花を入れ替えられたんだから!」


「やれやれ。ではいつもは花瓶の水をこぼしていると言うことか? ジュリエンヌ様」


 先ほどまで城の外には魔族が迫っていたと言うのに、普段と変わらぬ日常を会話に持ち込むジュリエンヌを見て、苦笑するフィリップとエレーヌ。


 その二人に満面の笑みで笑いかけると、ジュリエンヌは何かに気付いたようにフィリップの横に移動して身を隠し、警戒心を浮かべつつ時々背伸びをしながら机越しにエレーヌの顔を覗き込む。


 そんな彼女をエレーヌは不思議そうに見つめると、一枚の紙を取り出して魔族が攻め込んできたことによる損耗状況の報告を始めた。


「シルヴェール殿下、宮廷魔術士レナが率いる部隊、及び我が方に損害無し……ああ、厳密に言うなら、エンツォとブライアンが少々風邪気味になったと言う被害が出た」


「……まぁ、両者にはゆっくりと自宅で休養してもらおう。せっかく魔物による被害が街に出なかったと言うのに、別の原因による被害が出てしまっては堪らんからな」


「不甲斐ない部下で申し訳ないことだ」


 そう言って報告を終えると、エレーヌは部屋のあちこちに視線を移動させ、彼女としては珍しいことに戸惑う様子を見せてその場に留まる。


「他に何も無ければ、退室して良いぞエレーヌ」


 そしてエレーヌが何か問いたげな視線を向けてくるのを、フィリップが笑顔を浮かべてそ知らぬふりを決め込むと。


「……分からぬことがある」


 ようやくエレーヌは、フィリップの顔を見つめて一つの疑問を口にした。


「何故魔物たちは攻めこんでこなかったのだ?」


「そのことか。詳しいことはベルナールに聞いた方が良いと思うが」


 フィリップは首を振って告げるが、よほど気にかかる疑問なのか。


 エレーヌは珍しくフィリップに食い下がり、この場で答えを得ようとした。


「団長には、城内に攻め込まれても勝てる算段があるように見えた。だが実際には戦おうとせず、我らを無視するように奴らが去ったと言うのに悔しがりもせず、それどころか安心した表情すらしていたのだ。団長は魔物を討伐したくは無いのか?」


「なるほどな。その質問であれば答えられるぞエレーヌ」


 フィリップは優しい視線をエレーヌに向ける。


「戦いになれば、何をどうしても双方に犠牲が出る。つまりベルナールは犠牲を出したくなかったと言うことだ。それに市街戦となれば、あれの封も解かれることとなるだろう。切り札はなるべく最後までとっておきたいからな」


「それなら戦わずに魔物に降伏すればいいではないか」


「降伏が受け入れられるまで、降伏が受け入れられた後で。我々を待ち受ける末路がどんな物になるか、考えたことはあるかね。そもそも我々の降伏は相手に受け入れてもらえるのか? 相手は我々のような人間では無い。魔族なのだぞ」


 エレーヌはその答えを聞き、なるほどといった感じで表情を明るくする。


 しかしそれでも気になることは残っているのか、それとも新しく浮かんできたのか、彼女はすぐに新しい疑問をフィリップにぶつけていた。


「それは……しかし、王都の民衆はそれなりに平和に暮らしていると聞くぞ?」


「王都がそうだからと言って、フォルセールでもそうだとは限らぬ。表沙汰に出来ぬ理由、密かな企みを以って奴らが人々を生かしていることもあり得るのだ」


「そうか」


 黙ってしまったエレーヌを見て、フィリップは椅子の背もたれに体を預け、彼女から視線を外すと周りに知れぬ程度で自嘲する。


「少々言いすぎてしまったな。すまんエレーヌ。魔物が近くまで来ていたことで少々興奮していたようだ」


「いや、こちらこそ差し出口をききすぎたようだ。それにしても封を解くと言ったが、あんなたわいも無いものが切り札になるのか? それに異常なまでにアレの情報漏洩に気を遣う団長を見ていると、無くしてしまった方が良いように思えるのだが」


「たわい無い物、からくりを知ってしまえば何でもない物だからこそ、無価値な物として見逃される。こちらにとっての当たり前が、敵にとって予想外の脅威に裏返るのだ」


 フィリップはニヤリと笑い、手を組んでその上に顔を乗せる。


「だからこそ軍事に関する情報は機密事項とされ、大っぴらにならないようにしているのだ。機密事項は、その一文字につき金貨一枚の価値を持つと言われる由縁さ」


「そして民衆の命を守る切り札だからこそ、その漏洩は死を以って罰する、か。候がそこまで言うなら、私もこれ以上は言うまい」


「まぁ、切り札を大事にとっておくあまりに、いざと言う時に使えないまま全てが終わってしまうこともあるようだがね」


「……? 使えないまま?」


 つい先ほどまですっきりとした顔をしていたエレーヌは、新しくわいた疑問によって眉間にシワが寄り、意味が判らないと言ったようにフィリップを見つめた。


「ベルナールがまだ王都に居た時の話だ」


 そう呟くと、フィリップは背もたれに体を預けて遠くを見つめる。


 北東、つまりアルストリア領の方角を。


「その時にある騎士から相談を受けたそうだ。自分は家にある膨大な財産に心が揺らいでいる。その財産は何かしら問題が領地におこった時のものと知っているが、しかし自分にはそれを使う機会を見出す自信が無い、と」


「……すまないが、候が何を言いたいのか私にはさっぱり判らん。先ほどの切り札と財産がどう関係してくるのだ?」


「その騎士は、我が家は領地に何かが起こった時に備え、いざと言う時の為に財産を取ってあるのだと言っていたそうだ。それと同様に、このフォルセールの市街戦における切り札も、いざと言う時に備えて秘密にしておきたいのだよ」


 フィリップは椅子の肘掛に腕を預け、上半身を起こしてエレーヌへと視線を戻す。


「財の運用に限らず。戦略や戦術においても、切り札と言う物は使わないと価値が無いが、使ってしまえばその効果は半減、あるいは永久に失われてしまう物が多い」


「……ああ、そうだな。本当にそうだ」


 意味ありげに自分の体を見下ろすエレーヌを不思議に思いつつも、フィリップは説明を続ける。


「だからと言って使わなければ、切り札としての存在価値が無い。切り札にきちんと切り札としての役割を与える機会を見極められずとも、使用に対してきちんと責任をとる覚悟を持つ者が、領主や王となる資格がある。そうベルナールは騎士に答えたそうだ」


「その騎士は何と答えたのだ?」


「君のおかげで、私は今からでも領主になることが出来るだろう、と答えたそうだ」


「なるほどな……ちなみに、その騎士は今どちらの領主なのだ?」


「今アルバが向かっているアルストリアの領主だよエレーヌ。ガスパール=ミュール=アルストリア伯爵、それが今のお名前だ」


 エレーヌはその名前に絶句する。


 嬉しそうに話すフィリップの口調ぶりから、ガスパールの名前が出てくるとはまるで思っていなかったのだ。


「そう、私と犬猿の仲であり、私を快く思っていない連中をまとめあげている方だよ」


 そしてそのエレーヌの顔を見たフィリップは、静かに微笑んで口を開く。


「この私――私利私欲に走らず、蓄財をせず、領地、領民に何かがあれば私財すら放出する――を、"なぜか快く思っていない"ガスパール伯だ。エレーヌ」


 そこで口を閉じたフィリップの顔を、エレーヌは不思議そうに見つめた。


「……快く思われていない、と言う割には……そう、まるで相思相愛の恋人のようにガスパール伯のことを話すのだな、フィリップ候は」


 フィリップ、そしてフィリップの顔を見て嬉しそうに笑うジュリエンヌを見たエレーヌは、二人に釣られるように笑顔となり、クスクスと声を殺して笑い始める。


 その顔は美しく、そして光り輝くもので、フィリップ以外の者が見ればたちどころに魂の全てを彼女へ捧げる決意を固めることは間違いない。


 それほどのものだった。

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