第53話 虚と実
魔族最強。
そう謳われるアナトが率いる魔族に、シルヴェールとレナたちは追われていた。
彼らを導く君主、そして貴重な戦力である術師たちを救うべく、フォルセール騎士団の詰所には多くの騎士、そして自警団の主だった人物が集まり、今や遅しとばかりにベルナールを出迎える。
「簡潔に説明する。殿下を含んだ術師たちの部隊が、城の郊外で魔族に追われている。これを叩いて殿下たちを救出する」
言うと同時に、ベルナールはその場に集まった者たちを見渡す。
共に詰所に戻ってきたエレーヌ、アラン。
そして王都騎士団の団長フェリクス、自警団の団長であるエステル、それに加えて顔に緊張を走らせた自警団の班長たちがそこに居た。
「フェリクスと私はフォルセール騎士団の一斑と三班、王都騎士団を率いて大通りに布陣。エレーヌはエステル夫人とともに敵の牽制、足留めを。アランは二班、四班を率いて自警団と協力し、下級魔物たちを倒してくれ。各自いつもの訓練どおりに頼む」
事も無げにあっさりと魔物討伐を全員に指示するベルナールに対し、エステルが不安げに口を開く。
「訓練どおりと申しますが~、上手く行くでしょうか~……」
その質問に対し、ベルナールは深刻な顔、苦悶の表情を作りあげ。
「エステル夫人。訓練どおりにいってしまうと、私とフェリクスの仕事が無くなってしまうので止めていただきたい」
その場に居合わせた全員が呆気にとられた表情になるのを見届けると、ベルナールはニヤリと不敵な笑みを残し、フェリクスを伴って詰所の外へ出て行った。
「仕事が無くなる、ですか」
やや苦い笑みを浮かべながら、フェリクスはベルナールに愚痴をこぼす。
ここフォルセールに来る途中で魔族に襲われ、不覚をとった彼としては、先ほどのベルナールの発言はやや納得がいかない物だったからだ。
「訓練どおりにいけば、だがな。そして実戦は、決して訓練どおりにはいかない」
しかし返ってきた言葉、そしてそれを発するベルナールの顔は、先ほどの見せかけの厳しい表情以上のものだった。
「負けると?」
自然フェリクスも釣られるように自らの表情を引き締め、続きの言葉を待つ。
「負けはせん。訓練どおりに行かなければ、それに伴って被害が増えるだけの話だ」
「……最悪を極めた場合の被害は?」
「埒も無いことを。最悪を極めれば行き着く先は魔族の勝利であり、我々の全滅」
それを聞き、冷や汗を流すフェリクス。
だが横を歩く後輩の青い顔に気付いたベルナールは、すぐに含み笑いを始め。
「だがそれは絶対にあり得ぬ」
自信満々に勝利を言ってのける。
そんなベルナールに気後れし、フェリクスは一瞬その歩みを止めてしまい。
「怖気づいたのかね、フェリクス」
掛けられた声に慌てて走りだすと、ベルナールに追いついてその真意を問うた。
「ここフォルセールの民は、魔物を一瞬で滅するような連中が連日起こす騒ぎを日常とし、その連中ですら恐れる存在を司祭として崇め接するような人々だ」
「確かに過酷な……あ、いえこれは失言でした」
慌てて否定するフェリクスに、ベルナールは人の悪い笑みを浮かべて答える。
「生まれながらにその過酷な環境で鍛え上げられた人々が、一対一の遭遇戦ならともかく、複数でかかる迎撃戦で下手な魔物ごときに遅れを取るものか」
ベルナールの説明に、合点がいったとばかりに手を打つフェリクス。
「ウチの騎士団や、自警団の団員たちはそんな街の住人が引き起こす騒動を押さえねばならんのだ。訓練を兼ねているとは言え、夫婦喧嘩を筆頭に奴らが市街地で起こす騒動を治めるのに毎月いくらかかっているか……まったく頭が痛い」
途中から内容が愚痴に代わってしまったフォルセールの説明をフェリクスにしながら、ベルナールは白銀の騎士と言う二つ名の由来でもある、その真っ白な髪をなびかせて馬に飛び乗ると、魔物を迎え撃つ為に大通りの方へ走っていったのだった。
ベルナールたちが大通りにつくと、そこには既に布陣を命じた全員が揃っており、使い捨ての簡易結界や障壁発動の道具の設置、発動準備も整っていた。
それらの道具はエルザはおろか、レナたちが行使する結界や障壁より能力は劣るものの、退魔装備と合わせれば人が上級魔物とすら互角に戦えるものとなっている。
しかし。
「ベルナール様、報告によれば魔物たちの中に上位魔神が居るそうですが、対処はいかがなさいますか」
問題は複数の上位魔神と、旧神アナトの存在だった。
ベルナールは現地に着くなり、王都騎士団の紋章を鎧の胸に刻んだ壮年の隊長の質問を受けるが、既に織り込み済みとばかりに即座に答える。
「足留めをエレーヌ、エステルの両者に頼んである。もしここまで上位魔神が来たら、他の魔神と連携が取れない位置まで引き離し、必ず三人以上でかかること。また攻撃は牽制を中心としたもののみとする」
「承知しました。しかしそれではどうやって魔族を追い払うので?」
「君たちが食い止めている間に、私とフェリクスで一体ずつ上位魔神を片付ける。そして最大の障害、旧神アナトが来たら……」
迷うように口をつぐんだベルナールに、彼からの指示を待っていた周囲が息を呑む。
「相手をせずに逃げよ。かの存在に抗うことは、天変地異に抗うような物だ」
そして発せられた指示は戦闘の放棄。
「お、お待ちくださいベルナール殿!」
あまりと言えばあまりなその答えに、フェリクスが慌てて反論をする。
「一合もあわせずに逃げよとは、我らが守るべき存在である市民に対してあまりに申し訳がたたないのでは? 敵味方の士気にも関わりますぞ」
「……フェリクスよ。君は勇敢だが、今回に限ってはその勇敢さが無知に基づいた物であると知るべきだ」
しかし返ってきたベルナールのあまりの言いように、日頃温厚なフェリクスも流石に気色ばんでベルナールに詰め寄る。
「いくらベルナール殿と言えども、侮辱が過ぎるのではありませぬか? 確かに私は若輩ですが、王都騎士団の団長としてそれなりに……見識……も」
反論していくうちに、見る間に落ちていくフェリクスの語気。
何故なら彼を見つめるベルナールの視線はあまりに透明で、あまりに冷たく、あまりに意思を感じさせない物であったのだ。
「君は知らんのだ……人の限界を知った時の絶望、人の限界を超えた存在と出逢った瞬間の絶望をな」
臓腑の底から、ようやくの思いで搾り出されたような言葉。
それに反論できる者は、そこには居なかった。
「皮肉なことに、それを知る機会となったのが味方であるエルザ司祭なのだがな」
だがすぐにベルナールは、重々しくなった場の雰囲気を切り替えるようにエルザの名前を出し、それに乗るようにフェリクスもまた口を開く。
「そう言えば、先日ベイルギュンティ領への使者から戻ったエンツォ殿と、若い隊長の……ブライアン殿ですか。あのお二人はどちらに?」
「ああ、あの二人は魔物たちが城に突入した時にその後背を突かせる為、ラファエラ侍祭と一緒にいる」
あっさりとした顔と口調で答えるベルナールを見たフェリクスは、その表情の裏でどんな悪戯を思い付いたのかと二人の所在を聞く。
「あそこだ」
頭上を指差すベルナールを見たフェリクスは、不思議そうな表情で上を見上げるが、彼がいくら目を凝らしてもそこに人影は無い。
「まぁ、上手く行けば戦わずに済むかも知れんな」
そこに続けられた言葉に、フェリクスは軽い混乱状態に陥ってしまう。
しかしベルナールは、その混乱に気付いているのかいないのか。
「相手がアナトでなければもう少しやりやすかったのだが」
口にした言葉は説明ではなく、独り言に近いものだった。
「ではそろそろ始めるか。全員配置につけ!」
そしてベルナールは腰に帯びたオートクレールを掲げ、指示を次々と出していく。
素早く配置についていく部下に頷くと、ベルナールは大通りの中央にフェリクスと並んで立ち、一番目立つ位置で魔族を待ち構えた。
その頃、シルヴェールたちを追う有利な立場にあるはずの魔族は、言い知れぬ焦燥感に包まれていた。
[アナト殿! フォルセールまで後わずか! 奴らを討つのであれば、そろそろ仕掛けなければ間に合いませぬぞ!]
[判っている! 後少し奴らに動きが無ければ突っ込むぞ! 良いか! 私の攻撃と共に全員前方の人間たちに向かって突撃せよ!]
フォルセール、またシルヴェールやレナたちの動揺を知らぬ魔族は、目に見えぬ人間たちの思惑を推し量りかね、あるいは自己の利益のみを考えていた為、その進軍の速度は緩やかなものとしてしまっていた。
敵地の喉元まで迫っていると言うのに、人間たちからは目立った反撃も無く、伏兵による攻撃も無いままに、フォルセール城はその美しい姿を目の前に現す。
既にシルヴェールたちは後十分少々で城内に入れるであろう位置におり、彼らが城内に入る前に追いつくには、率いている魔物たちを高速で移動させるための補助が必須。
いや、例えそれをしたとしても間に合うかどうかと言った所であった。
もちろんアナトやアンドラスらのみで突撃すれば追いつくことは出来るだろう。
しかしそれではフォルセールにいるエルザを中心とした天使、人間たちに逆撃を喰らい、シルヴェールたちを討ち果たすどころか一方的な敗走をすることになりかねない。
微妙なバランスをとっている天秤には勝利と敗北が乗っており、一つの判断ミスが複数の敗因を呼んで一気に情勢は敗北へと傾く。
人間を追っていたはずの自分たち。
だが実際に窮地に追い込まれつつあるのは、こちらなのではないか。
次第にアンドラスは自らの思考を追い詰め始め、戦況を見つめる視野はどんどんと狭まっていく。
そんな彼の目にフォルセール城が映し出される。
そして彼は自分が気づいた現実、目の前に広がる光景を認めることができずに、しばらく呆然、唖然とした。
何故なら常にフォルセールを包んでいるはずの結界は……
(……バカな! 結界が消えかけているだと!?)
あり得ない。
アンドラスは錯乱状態に陥った。
(テイレシアの落城の原因は、結界の消失によるものだと使者によって奴らも知っているはず。それに加えてここに至るまでさしたる反撃も無いとなれば、導き出される答えは一つ! 明らかにこれは我々を城の中に誘い込む為の罠!)
アンドラスはそこまで考えると、慌てて横に居るはずのアナトの顔を見やる。
(おお、これは……)
そこには彼と同じことを思ってか、前方のフォルセール城を見て先ほどまでの不敵な笑みを消したアナトがいた。
そしてすぐに全軍に停止の指示を出し、彼女は王都テイレシアへの帰還を命じる。
[興を削がれた。帰るぞ]
その言葉に数体の上級魔物が異議を示すが、アナトの顔を見ると同時に彼らは即座に命令に従っていく。
だが、個人の力を拠り所にする上位魔神の一体が、明らかな不満と共にアナトに詰め寄り、あろうことか彼女を罵倒してしまっていた。
[冗談ではない! 無防備な姿を晒した敵を前に何もせずに退却するのでは、何の為にここまで大人数を苦労して移動させてきたのか判らんではないか!]
その名はハルファス。
頭部を鳥とするアンドラスと違ってその姿は鳥そのものであり、強いて言えば巨大なハトと言った姿であった。
[見れば先ほどから一向に人間共に追いつこうともせず、そればかりかジョワユーズを持つシルヴェールすら逃す決定を下すとは、我らを率いる将は戦い方を知らぬ無能か! それとも敵に通じており、自分のみ身の安全を図ろうと……しッ!?]
いずれにせよ、彼がアナトと言う旧神を侮っていたことは間違いない。
彼女が手に持っていた巨大な剣をしまい、ゆっくりと近寄ってきていた為に、話し合いでもすると思っていたのだろうか。
[引き上げるぞ。狭い場所に引きずりこまれては大軍の優位は損なわれる。それに加えて後方から奇襲をかけられてはたまらん]
アナトは上空を睨み付けると、上半身をあり得ない形にまで縮小させたハルファスの死体に蔑んだ視線を送り、王都テイレシアに帰還していった。