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第51話 ラビカン

 ある朝、一人の大柄な男がある川のほとりで顔を洗っていた。


 鋼鉄色の髪を短く切りそろえているその男は金属製の鎧を身に付けており、腰に下げた鞘に収まる剣は、すれ違った者の全ての目を引くであろう威圧感を備えている。


「ふう、さっぱりした。それにしても王都を脱出して一週間ほどになる。もうフォルセールについてもいい頃なのだが」


 男の名はシルヴェール。


 聖テイレシア王国のたった一人の王子であり、リシャールが死んだ今となっては次の王になるべき重要人物である。


 そのような人物が、なぜ供も連れずに一人で居るのか。



 突如として攻めてきた魔族に占領された彼の居城、王都テイレシア。



 そこから彼は義母にあたる王妃リディアーヌと共に、二人で隠し通路から脱出しようとしたのだが、その際に堕天使ジョーカーの襲撃を受け、一人となってしまったのだ。


 王都から脱出した彼は、魔物へ反撃する機会を伺うべく王領テイレシアに隣接する領地、フォルセールに向かっていたのだが、慎重に進んだ為か、通常であれば二~三日ほどで着く行程を、彼はその倍以上の時間をかけて歩んでいた。


 しかしその甲斐あって、シルヴェールは誰にも見つかることなく領境に到着する。



 王都の西に位置するフォルセールとは真反対、東に位置するベイルギュンティ領の。



「さて、そろそろ出発するか」


 川の水にさらし、汚れを落とした手ぬぐいで顔を拭くとシルヴェールは立ち上がり、人目を避けるようにして河原に隣接する森の中へ恐れげも無く入り込む。


 野戦訓練に於いて幾度も野宿の経験をし、森の中での行動に慣れている彼にとって、道なき道を進むことなど造作もない。


 ただ時々、少しだけ方向を間違えてしまうのが難点ではあったが。


(む……?)


 森の中をフォルセールに向けて進んでいるつもりのシルヴェールは、程なく近くに生まれた気配を感じ取る。


 それは彼に並走をするかのように、一定の距離を取りながら走っており、彼が方向を変えればそちらに着いてくる。


 と、なれば答えは明らかであった。


(味方であればこちらに身分の確認をしてくるはず……となると追手か)


 シルヴェールは迷うことなく左手を腰の剣に伸ばし、鯉口をきる。


 同時に足を止めると、急に走る方向を変えて並走してくる何者かに突っ込み、抜剣をして斬りかかった。


 王家に伝わる伝説の剣、鞘から抜かれたジョワユーズは光を放ち、その光彩は虹、いやそれ以上のいろどりを見せながら、吸い込まれるように相手に突き刺さる。


「ヒポグリフか」


 一撃で魔物を仕留めたシルヴェールは、地面に倒れ込んだ魔物を観察する。


 ワシの上半身とウマの下半身を持ち、背中には翼が生えている魔物を見て、即座に彼はその正体を見抜き、呟く。


「確か人と馬の肉を好むと聞いているが、私に追いすがってきたのは食う為か」


 完全には動きを止めていない魔物を見て、シルヴェールは慎重に近づき、止めとばかりにその首を切り取り。


「私もまだ死ぬわけにはいかんのでな。これも生きる物同士の営みの一つとして受け入れてくれ」


 そして短く祈りを捧げ、その場を急いで離れた。


 何者かが魔物を倒した。


 その痕跡を完全に消す手段も時間も無い身では、せめてその場から急いで離れると言ったことしか出来なかったからである。


「私に仲間が居ればそなたを持ち帰り、一部だけでも世界の輪の中に留まれるようにしてやれたのだがな……すまぬ」


 体の一部がマジックアイテムの素材に使われることも無く、ヒポグリフの体が土にそのまま還ることを運命付けたシルヴェールは、そう呟くと足早に離れていった。



「ここまで来れば大丈夫か? それにしても流石に疲れたな……」


 しばらく走った後、シルヴェールは一本の木を見つけるとそこに昇り始め、視界を塞ぐ枝をある程度切り取り、周囲の様子を伺えるようにした後、木に軽く自らの体を縛りつけて仮眠を取ろうとする。


 しかし丁度うとうととしかけた時に近くで老人の叫びがすることに気付いてしまい、彼は軽く頭を掻いて愚痴をこぼす。


「やれやれ、せっかくここまで誰にも見つからずに来たと言うのにな。先ほどヒポグリフに襲われたことと言い、今日は厄日と見える」


 そして彼は木から降り、顔に手ぬぐいを巻きつけながら叫びがした方へ向かった。



「ふぃいいいい!」


 声がする方へシルヴェールが駆けていくと、そこには彼が先ほど倒したヒポグリフとは別の個体がおり、その目の前には森の中へ木の実でも取りに来たのか、やけに長く、立派な髭を生やした小柄な老人がいて、今にも襲われようとしている。


 腰を抜かしているのか、老人は一向に動く気配が無く、手を魔物へかざして何とか逃げようと試みていたが、彼に出来たことといえば後ろに後ずさるくらいだった。


「ふぁふぇふぁ! ふぁふぇふぁふぁふふぇへ!」(誰か助けて)


 動揺のあまり満足に喋れないのか、それとも他に理由があるのか、聞き取りにくい老人の助けを聞いたシルヴェールは、周囲に他の魔物がいないか確認をすると茂みから飛び出し、一瞬で魔物との間合いを詰める。


 後方からの奇襲にも関わらず、ヒポグリフはシルヴェールの攻撃を知っていたかのように後ろ足で攻撃を仕掛けてくるが、シルヴェールはその蹴りを体を捻って交わすと、ジョワユーズの一撃をヒポグリフの胴体に食らわせる。


 剣の切っ先しか入らなかったように見えた斬撃だったが、しかしシルヴェールが老人を庇うようにヒポグリフとの間に入り、次の魔物の攻撃に備えて構えた途端。


 ――グルォォォォ……――


 動きを止めていたヒポグリフは真っ二つとなり、その場に崩れ落ちた。


「大丈夫か御老人」


 シルヴェールは腰を抜かしたままの老人に近づき、膝をついて怪我をしていないか確認をする。


「ふぁ、ふぁいい、ふぃふぉふぃふぉひゃふふぇへふぉらひ、ふぁふぃふぇふぁひ」

(命を助けてもらい、かたじけない)


「気にすることは無い。私は先を急ぐ身なのでこれで失礼する」


 どうやら大した怪我をしていないことが判ると、シルヴェールは安心して立ち上がり、再び休憩の為に森の中に入っていこうとしたのだが。


「ひぁ! ひゃお! ふぇええおふぁあえお!」(せめてお名前を)


 シルヴェールは老人に名乗るかどうか一瞬迷うが、王都を脱出する時にすでに決めていた偽名があったので、せっかくだからと言うことでそちらを名乗ることにする。


「ディルゲール」


「フィフフェーウ」


「いや、ディルゲールだ」


「ウィウヴェーウ」


 老人は歯が何本か抜けている為か、上手く発音できない。


 それでもしばらく教えているうちに、発音は向上していき。


「ディルゲール」


「シルヴェール」


「うむ、それではな」


 老人が自らの教えに基づき、正しい発音と、正しく名前が呼ばれたことに満足したシルヴェールはその場を去っていった。



「さて、今度こそ休憩を……」


 老人と別れたシルヴェールは再び木の上に登り、仮眠をとる。


 王都を脱出してからと言うもの、魔物の時間帯である夜はゆっくりと休養をとることができない為に、シルヴェールは昼間に睡眠をとるようになっており、今ではすっかり夜型の生活になっていた彼は、すぐに眠りに落ちていった。



「ん……?」


 ふと目が覚めると、シルヴェールはいつの間にか池のほとりで寝ていた。


「ここは?」


 一変した周りの様子に驚いた彼は、体を起こそうとする。


 しかし周囲の空気がまるで粘り付く液体と化したように重く感じられ、体を動かそうにも動かない。


(敵か!)


 シルヴェールは思わず腰に視線を向けるが、既にそこにジョワユーズは無く、身を守る為の武器と言うだけではない、それ以上に重要な物が失われたことに気づいた彼は、全身を冷たい汗が流れるのを感じた。


(王家の……王の証たるジョワユーズが!?)


 何とか上半身は起こせたものの、未だ立つことすら叶わず池のほとりに座っていた彼は、気力を振り絞って飛び起き、未知の危険から逃れようと走り出すが、体のほうはまるで言うことを聞いてくれなかった。


(クッ……ここまで見つからずに来れたものを……これまでか)


 彼の視界に魔物の姿は無かったが、体を動かなくされているこの状況では何者かに襲われていることは明白。


 シルヴェールはとうとう観念し、好きにしろと言わんばかりに体を地に投げ出すと、それを待っていたと言うようなタイミングで、突如として池の水面に変化が起こる。



[お前が落とした剣は、この金の剣と銀の剣のどちらじゃ?]


 そこには、先ほどシルヴェールがヒポグリフより助けた老人が水の上に立っていた。



「……何者だ? 貴様ただの老人ではないな」


 問い詰めてくるシルヴェールに構わず、水面に浮かぶ老人は同じ問いを繰り返す。


[お前が落とした剣は、この金の剣と銀の剣のどちらじゃ]


(茶番……で片付けられるものでは無さそうだな)


 山野に伏する生活を送るうちに、すっかり伸びた髭を撫で付けながらシルヴェールは答える。


「金や銀と言う価値に代えることの出来ぬ我が剣、返してもらいたい」


 氏素性が知れない相手に、正確な情報を渡したくないシルヴェールは、ジョワユーズの銘を明かさぬままに返還を求め。


[うむ……そなたたちがこの剣と共に積んだ経験は、確かに金や銀などの価値で図ることは出来ぬ重要な物。正解じゃ若き英君よ]


 そしてシルヴェールの答えをいい方向へ勘違いした老人はそう告げると、ゆっくりと池の中に沈んでいった。


「待て! 私が落とした剣を……!」


[……ワシの名はヤム=ナハル。何か迷うことがあれば、遠慮なく助けを求めよ]



「待て! 待てと……む?」


 老人を呼び止めようとしたシルヴェールは、全身に汗をかいた状態で目を覚ます。


 自分が木の上に居ることを確認したシルヴェールは周囲に気を配り、何かいないか探るが周りには何の気配も無く、腰に手をやればそこにきちんと剣は下げられていた。


 念のために鞘からジョワユーズを抜いてみると、途端に剣身からは鮮やかな光が発せられ、また見る間に光彩を変え始めるそれが、本物のジョワユーズであると立証する。


「夢か? だがヤム=ナハルと言う名前、確かに聞き覚えが……」


 シルヴェールは黙り込み、しばらくジョワユーズを見つめる。


 まるでジョワユーズに問いかけるように。


「……なるほど、闇の四属性の水の座に着く者。不死身の龍帝か」


 ジョワユーズの柄に目をやり、そして握り締めながら、シルヴェールは呻くようにその名を口から搾り出す。


「助けを求めよ、か。あの老人が本当にヤム=ナハルと言うのであれば、先ほど魔物に襲われていたのは私を試したということになるが……助けを求めよ、と言うのは夢見によるお告げか?」


 シルヴェールは少し考えた後、頭の中に今最も欲しているモノを想像し、念じる。


「やはり無駄か……おや?」


 木の上で無駄に時間を消費したことを残念がる様子も見せず、自嘲しながら木から降り立った彼は、遠くからこちらにゆっくりと近寄ってくる気配を感じる。


 敵意は感じられなかったが、真っ直ぐに自分に向かってくるその気配をシルヴェールは警戒し、再び木に登って姿を隠すが、それは徒労となった。


「聖テイレシア王国第一王子、シルヴェール様ですか?」


 姿は見えないが、女性と思われる声が周囲に響き渡り、シルヴェールは先ほどの願いを思い出して返答をする。


「如何にも」


 すると近くに生えている木の陰から一人の女性が姿を現し、再びシルヴェールに話しかけた。


「私の名はラビカン。ヤム=ナハルより貴方の元に行けと懇願されたものです」


 シルヴェールは女性が名乗った名前を聞き、我が意を得たりと言わんばかりの笑みを浮かべると、木から降りて女性に近づく。


「まさか本当に願いを叶えてくれるとはな。伝説に聞くラビカン馬……しかしなぜ女性なのだ」


「この方が何かと都合がいいのです」


「そうか。いやすまぬが、私が今必要としているのは馬なのだ。確かに女性が居た方が助かることもあろうが、今はそれ以上に欲している物がある。私には今すぐに行かなければならぬところがあり、そこに行く為の手段が欲しいのだから」


 ラビカンはシルヴェールの誠実な回答を聞き、草原の風のような爽やかな笑みを浮かべて答える。


「もちろん馬に戻ることも出来ますが、その前に貴方様にこの私に乗る資格があるかどうか試させていただきます」


「それは?」


「私と戦っていただきます。剣をお抜きください」


 しかしそう言うとラビカンは瞬時に表情を引き締めて構えた。



 およそ戦いには向かぬと見える、細身の体を包むのは濃い緑色をしたワンピース。


 その上に袖のない短めの白い上着を着て、頭には花のような模様を織り込んだ布を被り、そこから黒く長い髪を背中に流している。


 両手にはいつの間にかそれぞれ短剣が握られており、腰を落としていつでもシルヴェールに飛びかかれる体勢。


 だがシルヴェールは、ラビカンに応じようとはしなかった。


「……ならば私はそなたを欲さぬ。去るがいいラビカンよ」


「よろしいのですか? 王子」


 ラビカンはシルヴェールのその言葉を聞いても短剣をしまわず、真意を問うようにじっと目の前のダークブラウンの瞳を見つめた。


「戦えばそなたを手に入れることが出来るかも知れぬ。しかしどちらかが傷つくかも知れぬ。どちらが傷つくにしてもこの先旅を共にするのであれば、負傷は好ましく無い。傷口から毒が入るかも知れぬからな」


「なるほど」


「また争いで手に入れた物は、争いによって奪われる物であり、そして……女性は腕づくではなく、こちらに心服してもらうものだと子供の頃に教わったからな」


 はにかむシルヴェールを見たラビカンは目をきょとんとさせ、口に手を当ててくすくすと笑いだす。


「……どうやら、貴方は王者の片鱗を見せつつあるようですね」


 そしてラビカンは短剣をしまい、片膝をついてシルヴェールに臣従の意を見せる。


「試すような真似をして申し訳ありませんでした。このラビカン、殿下に永遠の忠誠を誓わせて頂きます」


 シルヴェールはラビカンの手を取り、口付けをした後に立ち上がらせる。


「こちらこそ頼むぞ、神馬ラビカンよ」


 漆黒の身体、額に白い星を持ち、空気のみを餌とする神馬ラビカン。


 その伝説の馬に跨り、シルヴェールはフォルセールへの道を急いだ。




 そして三日後、シルヴェールはついにフォルセール領に入る。


 なぜかフォルセールの西に位置する、レオディール領の側から。


 王都テイレシアを出立していた味方を引き連れながら。



 その後になぜか大量の魔族をも引き連れて。

 ラビカン馬の登場です。

 バヤール馬もラビカン馬もヨーロッパに伝わる叙事詩、狂えるオルランドに登場する馬です。

 陽気なイタリアの方が書かれただけあって、非常におおらかな内容になっているみたいですね。

 そのうち読んでみたいものです。

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