第50-1話 礼拝堂の秘密
フォルセール郊外に広がる平原。
その一部に広がる小麦畑の、そのまた一角にひっそりと生い茂る雑木林。
日もかなり傾きかけ、近くを通る街道に雑木林が長い影を落としていたその時、一つの光の玉が無造作に影を押しのけながら側に佇む礼拝堂に近づき、ゆっくりと海底に降り立つ人魚のように、優雅に着地をする。
途端に地面に波紋が広がり、無音で発生した力場が光の玉を中心に広がっていった。
「訪問にノックは必要ですからね」
光の玉はそう呟くと、一瞬にして純白の法衣をまとった美しい女性、つまりはエルザの姿へと転じ、そして緩やかなウェーブのかかった長い金髪を両手で背中へ流した彼女は、頃合を見て礼拝堂の扉へと足を向けた。
「たったたた、大変だべ司祭様! たった今地震が起こって、下はえらい騒ぎになってるだよ!」
「たいへんだーたいへんだー」
扉を開けて入った礼拝堂の中では、ドワーフの夫妻が慌てふためき、ぐるぐると同じ場所を走り回っている。
一向に足を止めそうに無い彼らを見て、エルザは首を少し傾げるとドワーフの夫へニコリと黒い笑みを浮かべた。
「王は?」
「それどころじゃないっぺよ! 下手したら下の集落が崩落してるかも知れな……おら知らない」
微動だにしないエルザの笑顔。
しかし見る見るうちにその内側に充填されていく、エルザのある感情を察知したドワーフの夫が慌てて口を両手で塞ぐが、既に手遅れであった。
「あらあら、今の軽い衝撃で崩落とは……あなたたち、またこちらに黙って坑道を広げたのですね?」
顔を必死に振り回して否定するドワーフ夫の頭を、エルザは片手で軽く持ち上げると、少し声を低くしてドワーフ妻へ質問をする。
「新しい坑道の本数、それぞれの長さと広さ、それと掘れた鉱石の種類、量はどなたが管理されているのですか?」
エルザに頭を掴まれた為に首を振ることが出来なくなり、それでも頑張って否定しようとしたドワーフ夫は、ついに首を支点として頭を振る代わりに、少々嬉しそうに体を振ることとなる。
「あらあら、随分と楽しそうですわね」
それを見たエルザは次第に固形物が上げる断末魔、もとい耳障りな軋み音を鳴らし始めたドワーフ夫から不意に目を逸らすと、にっこりとドワーフ妻へ笑いかけて再び管理者の所在を聞く。
するとドワーフ妻はつぶらな瞳をエルザへ向けて何度かしばたかせ、いつの間にか動きを止め、痙攣を始めていた眼前のドワーフ夫をあっさりと指差したのだった。
「私の帰りまでに詳細をまとめておいてくださいね。ドワーフは頑丈ですが、痛覚が鈍いと言うことはありませんから」
手を離されて程なく目を覚ましたドワーフ夫にそう告げると、エルザは礼拝堂の奥の扉を開けて下に降りていった。
扉の奥は天井や壁が木製の通路となっており、足元は石段で保護されている。
しかし天井や壁は途中から支えの丸太のみとなり、土や岩の肌がむき出しな物となっていた。
その為に周囲の空気は湿気が多く、放置しておけば足元の石段はともかく、天井や壁の丸太が腐り、原因不明の振動が無くとも崩落する可能性が十分にあるものに見える。
「あらあら」
その不安定な通路を恐れげも無くエルザは歩いていき、時々指を指揮棒のように振って通路の所々を指し示した後に感嘆の声をあげた。
「それにしても流石ドワーフですわね。単なる土壁を、聖霊の守り無しにここまで耐久性を持たせるとは……これは流石の人間にも出来ない仕事ですわ」
進んでいくうちに壁や天井の素材は頑丈な石作りとなり、エルザは狭い通路からついに広めの部屋に出る。
しかしそこには頭や体から血を流したドワーフたちが集まっており、戦場さながらの様相を呈していた。
「やー、崩落が起きるとは思わなかっただなー」
「さっきの一瞬で止まった振動は何だったんだっぺなー」
「ゴロダがまだ埋まってるっぺよー」
「おー、さっき掘り返された時にスコップが刺さった額の血が止まらないだよ」
「まぁこの分じゃ仕事にならんから今日はとりあえず飲むべか」
「へぃゾロンのおやっさん」
事故や仲間のことを次々に口にする彼らの脇をエルザは通り抜け、無傷のドワーフたちが走っていく方向へ向かっていく。
その先には通路の行き止まりのような場所に土の壁ができており、そこからぽこぽことドワーフの顔が生えたり引っ込んだりしていた。
「やーすまんだな、おらもちょっと掘り返すの手伝うだよ」
「いててて、そりゃ岩じゃなくてオラの額だっぺ」
「ありゃー、妙に硬いと思ったらアンタだっただかー」
「おう!」
救助活動を行っているドワーフを見たエルザは、天井、壁、床を入念に見つめると、両手を壁に向かって差し出す。
すると今までのんびりと救出にあたっていたドワーフたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始め、壁から生えていたドワーフの顔が一斉に引っ込んだ次の瞬間。
「退き候え」
精霊と通信を終えたエルザが魔術を発動させると、見る見るうちにヒビが入った通路が修復されていき、崩落した通路の土中をクロールで掘り進んでいたドワーフたちは、その支えを失ってぼとぼとと地面に落ちていく。
「王は?」
ドワーフが無事であることを確認したエルザは後ろを振り向き、そこにいたドワーフたちに礼拝堂の時と同じ質問をする。
そして押し寄せる波の如く、一列に並んだドワーフたちが順番に次々と同じ方向の通路を指し示すのを見たエルザは礼を述べ、更に深層部へ降りていった。
「いきなりの査察かね、ご苦労なことだ」
「査察はついでですわ。今日は王に少しお話があって参りましたの」
あれから数箇所。
先ほどと同じように救出活動を行って道案内をしてもらったエルザは、ようやくと言った感じでドワーフの王、と言うよりドワーフの王になる存在たち、ドウェルグの中から王に選ばれた一人に会っていた。
陽気な小人と言った感じのドワーフとは違い、ドウェルグは陰気で陰鬱、容姿も細身で、腕にいたっては立っていても地面に指先がつくほどの異形である。
しかし彼らは細かな気遣いができ、思慮深く、不思議な力を持ち、使い手によっては時に天使や旧神すら凌ぐ武器を作ることすら出来る存在でもあった。
陽気ではあるが、大雑把、少々欲望に弱く、政治と言う面倒なことが嫌いなドワーフたちに王と言う仕事を押し付けられた為、卑屈になって下層に引き篭もっているが、その持てる力はドワーフを含めた地下種族の王を務めるのに相応しい物だった。
「それにしても相変わらず用心深いですわね。少しは訪問する側の立場になってみて欲しい物です。ころころと居る場所を変えられては、面倒なことこの上ありませんわ。そんなにしょっちゅう武器製作の依頼が来ますの?」
ドウェルグの、そしてドワーフの王でもあるアルヴィースは、枯れ木のような老いた顔を歪め、エルザを問い詰めるような眼で見つめる。
「……そうだな、つい先日も上のドワーフから剣を鍛え上げてくれと言う依頼が来たばかりだ」
「流石に人気の鍛冶職人は違いますわね」
しらをきるエルザの顔を半眼で見つめ、アルヴィースは首を振った。
「そもそも貴殿らは、ヴァルプルギス由来の装備品をお持ちだろう。なぜその上に我々ドウェルグが作る物まで望むのだ」
「借金の取立てをしない慈善事業は、流石の教会にも不可能ですわね」
「それもそうだな。さて今日の用件をお伺いしましょうか」
露骨に態度を変えたアルヴィースを見て、エルザはニコリと微笑む。
「そう言えばここに来る前に、坑道の強度を見ようとしてノック代わりの振動を少し起こしたのですが、かなりの箇所で崩落を起こしておりましたわ。安全の確保をさせなかった契約違反と、通路の修復。ドワーフの救助で更に債務は増えることとなります」
そのエルザの勧告を聞いた途端、アルヴィースの口は床に着かんばかりに開き、戻らなくなっていた。
「まぁ、それを帳消しにする方法がございますが……お聞きになりますか?」
それを聞いたアルヴィースは感謝の涙を流し、司祭に必死に赦しを請う罪人のような顔になったのだった。
「さて、これで算段はつきましたわね」
脇に坑道の帳面を抱えたエルザは再び光の玉と姿を転じ、フォルセールの方角へ飛び立っていく。
既にあたりは夜の帳が下りて天空には星々が瞬いており、飛行術を使ったエルザもまるでその星の一つとなったかのような美しい航跡をその帳へ残していった。
「ですから私はフォルセールの為、またジュリエンヌ様の要請を叶えようと……!」
「夜間の飛行術の使用は禁止。何度言わせれば判るのだまったく。罰金の請求書はいつもの通り、後日教会に届けさせておくぞエルザ司祭」
そして街に戻ったエルザはエレーヌに見つかり、詰所で取調べを受けることとなったのだった。