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第5話 城での日常

 館に戻ったアルバトールは、玄関のホールで執事とメイドの出迎えを受けていた。



「お帰りなさいませアルバ様」


「ただいま、ベルトラム」


 銀色の頭を下げている男性は、執事のベルトラム。


 城の衛兵を勤めていたこともある、長身の青年である。


 しかし衛兵では大きな手柄を立てにくいと言うことで、程なく辞めて孤児院や自警団の仕事を手伝っていたところ、その剣の腕をフィリップに見込まれて護衛を兼ねた執事と言う立場で仕えている。


 一人っ子のアルバトールにとっては、まさに兄のような存在だった。



「お帰りなさいませアルバ様。今日はこちらでお泊りになられますか?」


 そしてもう一人はメイドのアリア。


 かなり女性的な魅力に溢れた体をメイド服につつみ、黒髪の頭を動きやすいようにショートカットに切りそろえている。


 柔らかな笑顔を浮かべているベルトラムに対し、彼女は冷たい光を放つ眼鏡越しに理知的な、かつ仕事以上の意味を持たない隙の無い笑顔で、主を出迎えていた。


「ああ、いや……残した仕事もあるし、詰所に戻ろうかな」


 その笑顔を見た途端にアルバトールは顔を強張らせ、言葉を濁してアリアに答える。


 アリアが城に仕え始めて既に十年以上たち、年齢もアルバトールとほぼ同じのはずなのに、である。


(なんでいつも不機嫌そうなのかなぁ)


 アルバトールは内心でボヤくと、ぎこちない笑顔をアリアに見せながら腰の剣をベルトラムに預ける。


 その姿をじっと眼鏡の奥で追いかけていたアリアは、続けて質問を口にした。


「承知いたしました。それではお食事のほうは如何いたしましょう? フィリップ様とジュリエンヌ様は、アルバ様のお帰りを聞いた先ほどから、食事を共にするのを非常に楽しみにしておられるようですが」


「そうだね、父上に話したい事もあるし、食事はこっちで食べる事にするよ」


「承知いたしました。それでは私は厨房へ知らせてまいります」


 頭を深々と下げたアリアが廊下の向こうへ遠ざかるのを見たアルバトールは、安心したように息をつく。


 そんな二人を見て、執事のベルトラムは再び優し気な笑みを浮かべるのだった。



 アルバトールに対する態度が対照的なこの二人、ともに教会の孤児院出身である。


 ここフォルセールでは、領主に仕えるメイドや執事を孤児院から一定以上の割合で受け入れるようにしており、アリアやベルトラムもその一人だった。


 自然、召し抱えてもらう恩義が忠義に変わるものなのだが、アリアだけは何年たっても最初のかたくなな態度が変わらず、むしろここ数年でさらに冷え込んだようにアルバトールには感じられていた。

 


「さてベルトラム、練習用の剣を二本、持ってきてもらえないかな」


 アリアの姿が見えなくなると、アルバトールは気分転換をしようとしてか、ある提案をベルトラムにする。


「二本でございますか?」


「うん、頼むよ。久しぶりに君と剣をあわせたい」


「夕食の準備もありますので、あまりお相手はできないと存じますが……」


「料理長には僕から言っておくよ。少し剣を振って、頭をすっきりさせたい」


 粘るアルバトールを見てベルトラムは溜息をつき、諦めたように承諾する。


「そこまで仰られるのであれば……では中庭の方でお待ちくださいませ。すぐに剣を持ってまいります」


「じゃあ先に厨房に行って、料理長に君が遅れると伝えてこよう」


 だがそう言って振り向くより早く、アルバトールの背後から飛び掛る人影があった。



「アルくううぅぅううん!!」


「おわっ!? は、母上!?」


「無事で良かったよ! ベル君から任務の内容を聞いて、ずっと心配してたんだから!」


「ベルトラムからですか?」


「違う違うよ! ベルナール君!」



 それはアルバトールの母、ジュリエンヌだった。


 今年で三十半ばを越えるというのに、その行動は落ち着きというものが皆無である。


 ライトブラウンの髪と、青色の瞳を持つその体は小柄で、なおかつ顔も童顔のために未成年に見られる事も多い。


 フィリップの鷹揚な性格のためか、それとも生来のものか、未だに子供のような無邪気な性格、行動で周囲のものを振り回すトラブルメーカーである。


 アルバトールが童顔なのも、多分にジュリエンヌの血を受け継いでいると言う証であったろうか。



「私も任務中ずっと、帰ったら真っ先に母上に魔物討伐の話をお聞かせしようと考えておりました。ちょうど今、母上のお部屋に伺おうとしていたところなんですよ」


「それではアルバ様、私は夕食の用意がありますので失礼いたします」


「え」


 主人の弁明の辻褄を合わせるために、その場を去ろうとするベルトラムをアルバトールは慌てて呼び止める。


「そ、そうだ! 誰かに手伝って貰った方が任務の内容を上手く説明できそうだから、少しだけ手伝ってもらってもいいかいベルトラム! 母上からもベルトラムに頼んでいただけますか!?」


「じゃあベル君、忙しいだろうけどちょっとアル君のお手伝いしてもらってもいい?」


「ジュリエンヌ様の仰せのままに。して、私は何をすればよろしいのでしょう?」


 その返事を聞き、アルバトールは心の中で喝采の声をあげる。


「じゃあ、練習用の剣を二本持ってきてくれるかい!?」


 意気込んで話すアルバトールにベルトラムは頭を下げ、武器庫の方へ歩いていく。


 その間にアルバトールは、ベルトラムが食事の用意に遅れる事を厨房へ伝えに行こうとするが、その彼のすそを掴む手があった。



「武勇伝、話してくれるって言ったよね」


「ええと、その前にベルトラムが遅れる事を厨房に伝えてこようと思いまして……」


「じゃあ、あたしが行って来るよ!」


 右腕を垂直にビシッと上げ、威勢よく答えるジュリエンヌを見て、思わずアルバトールは眉間に手をやり、視線を床に落とす。



「いえ、母上にそんなことをさせるわけには……ってもういない」


 そしてジュリエンヌに自らが行く事を伝えようとしたのだが、彼が顔を上げた時には既にジュリエンヌは消えていた。


「そろそろ少し落ち着いてくれないかな。我が母ながらどうも苦手だよ」


 周りに誰も居なくなったこともあり、迂闊うかつにもアルバトールはそんな独り言をホールに残してしまっていた。



 ちなみに幼少時のアルバトールを助けた事がきっかけでジュリエンヌとエルザは茶飲み友達になっており、ウマが合うのかかなり仲が良い。


「あらあら、お母上に向けての言葉とは思えませんわね。私と別れてからこちらに戻るのがあまりに遅いと言う事で、先ほどまで随分と心配しておられましたのに」


 つまりエルザが館の中に居ても、まるで不思議はないのであった。


「……何故こちらに?」


「教会に戻りましたら、ジュリエンヌ様より夕食のお誘いが届いておりましたので、所用を片付けてからお伺いしました。本当は来る予定ではありませんでしたのよ?」


 冷や汗を流すアルバトールに答えるエルザの顔は、ある種の邪悪な笑顔で満ちていた。


 チェシャ猫のような笑いとは、この様な顔の事を言うのであろうか。


「それにしても、お母上に真っ先に任務の事を御報告する予定だったのに、その報告をほったらかしてベルトラムと剣を合わせようとするとは……アルバトール卿も陰険な性格をしておいでですわねぇ」


 何気なくエルザが発する一言一言ごとに、アルバトールの周囲の空気が緊張に包まれていく。


 エルザ自身の口が軽いと言う事は決してない。



 だがアルバトールが秘密にしておきたいことに関しては、その限りでは無かった。



(口止めするなら今なんだけど……この人にそれをお願いしても弱みが増えるだけなんだよなぁ)


 アルバトールが慌しく思考を巡らしている事に気づいているのかいないのか、エルザは続けてアルバトールに声をかける。


「貴方がこの世に生を受けて、二十年ほどですか? その間ずっと愛情を注いで育ててくれたお母上をうとんじるとは色々と不合格。ましてそれを誤魔化そうとするなど、成人し、世間の常識を身に着けて当然の大人のやる事ではありませんわね」


「ぐぬぬ」


 エルザの非難に立ち向かえず、思わず後ずさるアルバトールだったが、守勢に回ってばかりでは相手に押し切られるのみ。


 ここで戦況を覆す、何らかの一手を投じないわけにはいかなかった。



「自省をうながさず、謝罪をうながしもせず、私をなじるのみとは少しお遊びが過ぎるのではありませんか? 先ほどの司祭様の発言、世間ではどれだけ穏便な表現を用いても脅迫と言うようですが、私に何をさせようと言うのでしょう?」


「あらあら、私が貴方に何か要求しているように見えまして?」


「あくまでそのように見える、というだけですね」



(しまった! 僕へ何かを要求している、との言質を取る前に、脅迫行為で追及してしまった! これじゃ白を切られれば、こちらの立場が悪くなるのみじゃないか!)



 アルバトールは墓穴を掘ったことに気づき、慌てて次の対応策を考え始めるが、そんな時に丁度ベルトラムが剣を取って戻ってくる。


「剣を取ってまいりましたアルバ様。それとなかなか言うタイミングがありませんでしたので申し上げるのが遅れましたが、エルザ司祭が登城なさっておられます」


「目の前にいるし見えてるよね。と言うかわざと報告を遅らせたりしてないよね」


「口止めはされておりました」


「そう」


 元気なく応えるアルバトールにベルトラムは剣を渡し、二人で中庭へ歩いていく。


 そしてエルザはその後を当然のように着いて行くのであった。



「料理長に言ってきたよー……ってあれ? 誰もいない」



 誰もいなくなったホールに、ジュリエンヌが戻ってきたのはその後の事である。




「それじゃあ始めようか。いつも通り一通りの型を試して体を温めることとしよう」


「承知いたしました」


 二人は一礼して剣をあわせ、先にアルバトールから軽く剣を打ち込んでいく。


 しかし何を感じたのか、すぐにベルトラムは怪訝そうな表情を浮かべ、剣を交えながらアルバトールに声をかける。



「何やら剣先に迷いがある様子。何か試しておきたい技でもあるのですか?」


「いや、そう言う訳じゃない……と思う」


「練習では迷う事も必要です。何かを試せば、成功するにせよ、失敗するにせよ、それから得られる物があるでしょう」


「しかし本番で迷う事があれば、何かを得られる事が永久にできなくなることにもなる……かい?」


「左様です。此度こたびの任務で何かあったのでは?」


「やれやれ、君に隠し事をするのは一苦労だって事を忘れていたよ」


 上級魔物と戦う決断をするのに、迷いがあった事は確かである。


 だがそれを抜きにしても、天使に転生した原因であるあの声。


 エルザ司祭は、何故あのタイミングであんな声を出したのだろうか。


 そう考えるアルバトールの目の前に、いきなりベルトラムは鋭い突きを繰り出した。



「戦場では、自分以外の誰にも責任を被せる事はできません。自分の死はもちろん、僚友の死にも」


 そう語りかけてくるベルトラムの眼は、厳しさに満ちていた。



「すまない、心のモヤモヤが少し晴れたよ。やはり君と剣を合わせて良かった」


「お役に立てて幸いです」


 剣を下げ、ベルトラムはアルバトールにこう続ける。


「たまの御帰宅の時くらいは十分に愚痴をこぼしてくださいませ。私も仕事が終われば少しは酒のお相手もできますれば」


 そう談笑する二人を、少し離れた場所で見守っていたエルザは、何やらブツブツと呟きながら不満そうな顔をしていた。


「ベルトラムに早く夕飯の支度をさせないと、デザートの品数が……何とか中断させなければ……」


 聖職者らしからぬ言葉を呟くその姿に、威厳を感じられる者は皆無であったろう。



 そして二人が再び剣を合わせ始めて少し経った頃に、二度目の異変が起こる。



「アルくううぅぅううん!!」


「う、うわっ!? 母上!?」


「あたしを放置して何してるの!? 探し当てるの大変だったんだから!」


「申し訳ありませんジュリエンヌ様。ジュリエンヌ様に喜んでいただこうと、アルバ様と二人でこっそり練習していたのです」


 すぐに助け舟を出すベルトラムに、ジュリエンヌは屈託のない笑顔を向ける。


「あ、そうなんだー。じゃあもう武勇伝聞かせてくれる?」


 ニコニコと笑いながら二人を見つめるジュリエンヌに、アルバトールとベルトラムは打ち合わせを始めると説明して少し距離を取る。



「どういたしますか? アルバ様」


「大体の説明は僕がするから、君は上級魔物との戦いの時に僕と多少切り結んでほしい。それで終了しよう」


「承知いたしました」



 綿密と言うほどでも無い打ち合わせを終え、二人がジュリエンヌのいる場所に戻ろうとした時だった。


 先ほどの邪悪な笑みを浮かべたエルザが、何かを思いついた顔でジュリエンヌに近づいていったのは。



「そう言えばジュリエンヌ様。アルバトール卿についてお話が」


 そしてエルザがこそこそと耳打ちをし。


「ううぅ……ひどいよアル君……」


 自分を見るジュリエンヌの目に、大粒の涙が溜まっている姿までは確認できた。


 だがそこから先に起こった事を、アルバトールはよく覚えていない。


 彼の記憶にあるのは真っ白になった目の前と、吹き荒れる猛吹雪のような泣き声のみである。




「ふぅ、悪い事はできないものですわね」


「全くです」


「まさかベルトラムまで巻き込まれるとは思いませんでしたわ」


「母上が泣き出すと、手が付けられませんから」


「夕食のデザート……」


「……あの時エルザ司祭がもう少し気の利いた弁明が出来たら、デザートも一つくらい出てきたかもしれませんね」


 半眼でエルザを見つめ……と言うか睨み付け、アルバトールは愚痴をこぼす。



 先ほど泣き出したジュリエンヌをなだめるのに三人の手だけでは足りず、ついにアリアまで呼び出す羽目になった彼らは、四人の力を合わせてとうとうジュリエンヌの機嫌を直すことに成功していた。


 その後に待っていたのは、アリアからの説教だったが。



「少しお二人にお話がございます」


「はい」「あらあら」


「アルバ様。夕食には孤児院で働く子供達が手足が凍りつくような厳冬の中、それでも懸命に育ててくれたニンジン。そして酷暑の中、水を飲む時間さえ我慢して丹念に世話をしてくれたピーマンをお出しします」


「そこまで詳細な説明をする必要って無いよね」


「アルバ様、良く聞こえませんでしたが何か言いたい事でも?」


「いえなにも」


「エルザ司祭、貴女はデザート抜きです。見たところ少々あごの線が緩やかなものになっているようですから」


「いやですわ」


「では夕食の間、私がつきっきりで食事制限のお手伝いをいたしましょう」


「私もそろそろデザートを抜く必要がある頃と思っていましたわ」 



 そして数分後。


「暇ですわね」


 アリアの説教が終わった後、泣き止んだジュリエンヌはアリアと共に化粧を直すために自室に戻り、またベルトラムも夕食の準備に向かったため、アルバトールとエルザは手持ちぶさたんになっていた。


「仕方がありませんわね。アルバトール卿の経過観察でもいたしましょう。本音を言えばもう少し時間が経ってからの方が良かったのですが」


「経過観察?」


「御自分が天使化したこともお忘れになったのですか? これは思ったより重症かもしれませんわね」


「ああ、そう言えばそうでした」


「まったくのんびり屋さんですこと」



 呆れた顔をした後、エルザは祝詞のりとを口にして、神への奇跡を祈る。


 そして手に宿った光をアルバトールの額にかざすと、エルザはにっこりと笑った。


「大丈夫なようですわね。報告書はいつ頃までに仕上がりそうですの?」


「何とか明日、遅くとも明後日までには仕上げようかと思っております」


「それではこちらも、その予定で組んでおきますわ」


「わかりました、しかし用事とは一体なんなのでしょう」


「貴方が天使として生きていくための処方です。今この場で説明するには時間が足りませんので、食事の時にでもまたゆっくりと」


 エルザは人差し指を立て、それを軽く振りながらアルバトールに答える。


「何か用意するものは?」


「時間。後は他人の目が無い場所ですが、場所のほうはこちらで御用意しますわ」


「ではそれに合わせて、休みを取ることにいたしましょう」



 天使として生きていくための処方。


 アルバトールには何も感じられなかったが、夕方エルザと別れた際に周囲の安全、と言われた事を思い出して不安になる。


「ではご案内いたします」


 だが考える間もなく、食事の知らせを持ってきたベルトラムと共に二人は城の広間へと向かったのだった。

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