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第44-1話 ヤム=ナハルの苦労

 彼は追い詰められていた。


 何故なら対峙している敵に対抗する手段を今の彼は一つしか持っておらず、しかもそれさえ通用しなかったから。



 よって彼は、切り札である聖天術が再び通用する状況へ相手を追い込もうとしたのだった。



(王子の為、王女の為、人々の安全の為、国の、領地の平和の為……ベルトラムは……領境警備隊……すまない……大丈夫……きっと戻ります……アデラ……イー……)



 そこまで夢の中で呟いた彼、アルバトールは、全身を包む虚脱感と共に目を覚まして飛び起きる。


[起きたか、若いの]


「貴方は……」


 起き上がったアルバトールの眼前には、ナマズの様な長い口ひげを生やした老人の顔があり、その横には額に銀の星が輝く一頭の馬が、優しげな黒く濡れた瞳をヤム=ナハルと同じように彼に向け、興味深そうにその顔を見つめていた。


[今更ワシの名に用などあるまいが、考えてみれば正式な自己紹介はしておらんかったの。ワシはヤム=ナハル。闇の四属性、水の座にいるものじゃ。人によっては……まぁ龍帝などと呼ぶ者もいるようじゃな]


 数日ぶりに会うことになった老人の姿を、アルバトールはその上から下までつぶさに見つめる。



 中背であるアルバトールより遥かに小さいその背丈に、アルバトールより遥かに大きい節くれだった樫の杖を持っているその老人は、肩まで伸びた真っ白な髪の毛の上に小さい六角形の帽子のようなものを被っている。


 服はトーガのような白い布を巻きつけた物で、顎鬚あごひげの長さはそうでもないものの、ナマズのような口髭は腰の辺りまで伸びていた。


 ややユーモラスに感じるその外見からは想像もつかないが、発する声、そして体から感じられる重圧感は相当なもので、その目で見つめられるだけで、アルバトールがやや気圧されるほどのものであった。


 そこまで見た所で、アルバトールはヤム=ナハルが何かを待っているように、じっと自分を見つめていることに気付く。


(何だろう?)


 彼の顔を無遠慮にジロジロと見つめるヤム=ナハルの機嫌は段々と悪くなり、遂には持っている杖でアルバトールの頭を殴ると、その場で彼を叱りつける。


[年長者が率先して挨拶しとると言うのに、返礼しないどころかワシの観察を始めるとは何事かッ! 恥を知れぃ天使の若造がッ!]


「も、申し訳ありません! 私の名はアルバ=トール=フォルセール! 大天使の座にあるものです!」


 いきなり落ちてきたカミナリに肝を冷やし、平謝りに謝りながら慌てて自己紹介を始めるアルバトール。


[うむ、まぁ良い。所詮ワシとお主は敵同士よ。いくらあの村の一件で気心の知れた仲になっていたとは言え、な]


「はぁ」


(じゃあ別に怒らなくてもいいよね……なんか殴られ損の気が)


 若干口を尖らせたアルバトールを見て、ヤム=ナハル爺は再び杖で彼を殴りつける。


「痛いっ! 人の頭をポンポンと気軽に叩くのは止めて下さい! 私は教会の鐘じゃないんですよ!」


[ワシの慰めの言葉が気に入らないとお主の顔に出てたからつい殴った]


 慌てて自分の顔をペタペタと触り始めるアルバトールの様子を見て、ヤム=ナハルはため息をつく。


[やれやれ、お人よしと言うよりは間抜けじゃのう……昔のバアル=ゼブルにそっくりじゃ]


 ヤム=ナハルが発した独り言の中のバアル=ゼブルと言う名前に反応し、慌ててアルバトールは先ほどの激闘の爪痕が残る周囲を確認する。


「あ……」


 しかし彼の視界に入ったバアル=ゼブルは、髪を乱したまま地面にうつ伏せになっており、気絶しているようであった。


 その左腕はアルバトールの聖天術で撃ち抜かれて消失しており、しかし戦っていた相手である自分は五体満足。


 更に立ち上がっているアルバトールに対し、バアル=ゼブルは気を失って倒れたままであった。


(勝ったんだ……旧神の一人に、この僕が!)


 自分でも信じられない大金星に、身を震わせるアルバトール。


 その横では、ヤム=ナハルが倒れたバアル=ゼブルの頬をぺちぺちと叩いており。


[おい、そろそろ起きんかい。幾らバヤールの蹄で蹴倒されたと言っても、そろそろ起きていい頃合じゃぞ]


(あれっ!?)


 そしてバアル=ゼブルが気絶している理由は、どうやら彼との戦いに起因するものではなく、まったく別の理由に拠るものらしいとアルバトールは知る。


 思わずアルバトールはヤム=ナハルに詰め寄り、自分が気絶してから目が覚めるまでの状況を聞き、その詳細を知ってがくりとその肩を落としてしまう。


「……そう言えば、何故ここに?」


 先ほどの戦いで囮に使った鎧と盾を再びその身に纏いながら、アルバトールは大きな目を不思議そうに見開き、ふと思い浮かんだ疑問を口にする。


 するとヤム=ナハルはバアル=ゼブルの後頭部を再び地面に落として放置すると、アルバトールの方へ振り向き、何度目かになる大きなため息をついた。


[何を言っとるんじゃお主は。馬が無くて困っているから助けてくれ、と祈ったのはお主自身じゃろうが]


 目を逸らし、頭をかいて誤魔化そうとするアルバトール。


 それに白い目を向けた後、ヤム=ナハルは赤毛の馬を見つめ、そして遠くの景色へと視線を向けた。


[夢見で我が意を告げた後、お主がすぐに願いを言うと思っていたらいたずらに放置され、用が無いのかとワシが移動を始めた途端に願いを告げる。慌てて戻って願いを聞けば、その内容は抽象的なことこの上なしときたもんじゃ]


「あー、えーと……」


[困っているから何なんじゃ! 売買のための馬が欲しいのか、目的地にすぐに着きたいからなのか、それともお主個人ではなく国全体に馬が不足しているのか、全然判らんかったではないか!]


 向こうを向いたままのアルバトールに対し、ヤム=ナハルは遠慮なしに次々と苦情をぶつけていく。


[とは言っても願い事をされてしまったものはしょうがない。何とかして願いの内容を見極めようとお前さんたちの後を着け、それからバヤール馬を苦労して捕獲し、思うように操れぬこの馬を何とかなだめすかしてここまで持ってきたと思ったら……]


 そこでなぜか、しばしヤム=ナハルの口が止まる。


「思ったら?」


[ちょっと二人ほど轢いてしまっての。なに、目撃者はおらんから心配せんでもいいぞ]


「天使の前で何言ってんのこの人」


[よくそんな自分を棚に上げた発言が出来るのう。お主がすぐ願いを言わんからこのような悲劇が起こったのに。なるほどそうか、今までのワシの苦労を知らんから呑気に人の文句を言えるんじゃな? いいか、このバヤール馬と言うのは……]


 いつの間にか苦労話から自慢話に移行したヤム=ナハルの話を聞き流しながら、アルバトールは犠牲になったバアル=ゼブル以外のもう一人のことを考える。


(好意的に考えればベルトラムだ。好意的に考えた結果が、馬の蹄に踏まれたって言うのもあんまりだけど、一人だけ立っていたと言う話を信じるなら、彼がセーレに勝ったって言うことだし……好意的って表現してもいいよね)


 ピサールの毒槍や対魔装備の補助があったとは言え、人間であるベルトラムが上位魔神に勝利した。


 考えられない……いや、考えたくない内容と言った方が正しいかもしれなかった。


――天使にならなくても、人は上位魔神に勝つことが出来る――


 それは、天使になったアルバトールの存在意義の否定に繋がりかねない現実。


 頭を振り、不安の元になった考えを追い出すと、彼はその現実から目を逸らすようにバヤール馬についてヤム=ナハルに説明を求めた。


[うむ、こいつは不思議な馬でな、元から巨大な体をしているが、更に乗り手の数によって身体の大きさを変えるんじゃ。しかも普通の武器ではこやつを傷つける事すら出来ず、自分を打ち負かした騎士にしか仕えることが無い]


「それは凄い」


[伸び縮みする上に大きく、赤く、硬い。ワシが所望したいくらいじゃ]


「……ちょっと言ってる意味が分かりませんね」


 思わずヤム=ナハルから遠ざかり、身の安全を確保するためにアルバトールが身構えた時、その横でうめき声があがる。


[あークッソ……やけに後頭部がガンガンしやがる……昔ロキと一晩中やらかした時みてえ……だ……]


[ようやっと起きたか、バアル=ゼブル]


[お休み]


 だが頭を押さえながら上半身を起こそうとしたバアル=ゼブルは、起きしなにそう言い放つと再び地面に転がってしまう。


 ヤム=ナハルはそれを見てゆっくりとバアル=ゼブルに這いより、耳うちをするが、バアル=ゼブルはそれでも起き上がろうとはしなかった。


[うっせえ、もう俺は死んでるも同然なんだよ]


 拗ねたように言い放つバアル=ゼブル。


[ほう、死んだも同然か……それは良い]


 ニタリと笑い、ヤム=ナハルは再び念入りにじんわりと耳うちをする――と、ようやくバアル=ゼブルは起き上がる。


[まったく手のかかる奴じゃ。そんなことじゃから……]


 だがようやく起き上がったと思えば、矢継ぎ早に繰り出されるヤム=ナハルの小言に耳を貸さず……と言うより逃げるようにアルバトールの方へ体を向け、バアル=ゼブルは再び右手に魔力を集め始めていた。


「まだ力が残っていたのか!」


 アルバトールも機敏に反応し、対抗魔術を編もうとするが、しかし先ほどのように術を編めないことに気付いて彼は愕然とする。


[ヘッ、どうやらお前さん力が尽きたようだな。まぁこっちもろくすっぽ残っちゃいねえが、今のお前さんを倒すくらいの……いてっ!?]


[いい加減にせんかい! さっさと帰るぞ!]


 ヤム=ナハルの怒声と共に、杖で思いっきり後頭部に何度目かの衝撃を受けたバアル=ゼブルはマイムールを中断し、同時にアルバトールも術を中断させる。



 いや、中断せざるを得なかった。



 何故なら目の前にいる老人が、足が震え、体が押しつぶされるかと思うほどの殺気を彼に向けており、更にその意図を言葉にしてきたからである。


[そちらも今日はここまでにしておけ。セロ村の一件でお主を気に入りはしたが、流石にワシの仲間を滅ぼそうとするならば容赦せん]


 背中につたう一筋の冷や汗。


 その悪寒に従うままに、アルバトールは頷いて了承の意を返す。


[では、その馬はお主の物じゃ。好きにするがいい。後はこれをやろう]


 それを見たヤム=ナハルは顔を温和な笑顔を浮かべる好々爺のものとすると、手の平ほどの大きさをした巨大な一枚の鱗をアルバトールに授けた。


「これは?」


 鱗を裏返しにしたりなどして、不思議そうな顔をするアルバトールを見て、ヤム=ナハルはにんまりと満足げな笑みを浮かべる。


[通称ヤム=ナハルの加護。その鱗を持っていれば洋上でワシに襲われることはなく、また下級の魔物程度であればワシを恐れて逃げ出すことじゃろう]


[おい! いきなり何してんだこのクソジジイ! 俺が言った時は渋って相手にしなかったくせに!]


 血相を変えたバアル=ゼブルの苦情を無視し、ヤム=ナハルは説明を続ける。


[と言うように、身内にも譲るのを渋るほど貴重な物だから大切にするようにの。ワシは天魔大戦以外の時はもっぱら海におるし、天魔大戦になれば天使や人間たちとは基本的に敵対する仲じゃから、これを手にする機会は殆ど無いと言っていいのじゃぞ]


[ジジイ! そいつは天使であって人間じゃねえんだぞ! 昔から気に入った人間には甘かったが、天使にもいい顔をするんじゃ流石に見逃すわけにはいかねえぞオイ!]


[黙れ。お主も人のことを言えんじゃろが]


 凄みを利かせた声で一喝するヤム=ナハルに、バアル=ゼブルは尚も食い下がる。


[テメエの娘、セファールは王都にいる。後は判るな?]


[判るのは、娘に何かあった時点でその犯人が消滅するということだけじゃな]


[……フン、犯人が判ればいいけどな。まぁいい、帰るぜヤム=ナハル爺]


 騒がしいひと時を過ごした後、旧神の二人はその場を後にしようとする。


 だが、アルバトールにはどうしても聞いておきたい疑問があった。


「別れる前に、一つ聞きたいことがあります」


[……なんじゃ?]


[なんだよ]


「私が昔のバアル=ゼブルにそっくり、と言うのは一体どう言うことでしょうか」


 そのまっすぐな瞳を見て、去ろうとしていた旧神たちが息を呑む。


 そして数瞬の後、ヤム=ナハルは口を開いていた。


[それはじゃな]


 アルバトールは寂しそうに口を開いた老人の横顔に、まるで吸い寄せられるようにその視線を向けていった。

 今回でてくるバヤール馬ですが、適当にググった程度だと体がどんな風に大きくなるのか書いていないんですよね

 胴が長くなると筆者としてはこの上なく幻滅ですし、かと言って体その物が大きくなると、今度は乗り降りが出来なくなる上に走ってる最中に上下移動が激しすぎて振り落とされそうな……

 とりあえず赤い毛並みって言うんで、細々とした描写は汗血馬について書いてある記事から飛んだ、実在するアハルテケって馬の品種を参考にする予定です。

 ぱっと見ただけでもかなりの逸話に富んだこの馬、興味がある方は調べてみるのも一興かも知れません。

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