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第43-1話 水の恵み

 天を覆う分厚い黒雲。


 とうとうそれは今まで後生大事に抱え込んでいた大地への恵み、水と言う甘露を手放し、天使と魔族の双方が激しくぶつかりあう草原に、この時期には珍しいほどの豪雨を降らせ始める。


 雨雲から産み落とされ、行く手を阻む大気の壁にその身を散らしつつ、辿り着いた大地で水滴が見たのは、天使と魔族の周囲を包む激しい炎と煙。


 世界を支配する法則に従い、大地へと降り立った彼らは目の前の二人の戦いを邪魔していた炎を打ち消し、褒美として天使と悪魔の戦いを鑑賞する権利を得ていた。


 周囲を囲む群衆とも言うべき、立ち昇る水煙の中で対峙する天使と旧神。


 雌雄を決するその瞬間は、彼らに向けてひたひたと近づいていった。




[満足したか? 天使のボウヤ。もう少し付き合ってやりたかったが、わりぃがそろそろ時間切れだ。街から次の救援が来るまでにはもう少し時間があるはずだが、さっきみたいに予想外の援軍や横槍が入ることがあるかも知れねえからな]


 答えは返ってこない。


 アルバトールは黙って剣と盾を構えたまま、バアル=ゼブルを見つめている。


 バアル=ゼブルもアルバトールの返事を期待していた訳ではなかったが、先ほどまでのがむしゃらな戦い方から、急に動かなくなった目の前の天使に違和感を感じた彼は、慎重に周囲の力場を探りはじめずにはいられなかった。


(見える術は先ほどと同じ対抗魔術と強化魔術だが……なんか引っかかるぜ。おそらく奴の狙いは防御を固め、援軍が来るまでの時間稼ぎのはず)


 知らず知らずの内に背中を伝っていた冷たい汗に、バアル=ゼブルは身震いをする。


(しかし理性と我慢強さを必要とする時間稼ぎと、さっきの後先を考えねえ捨て鉢な戦い方は、まるで相反するものだ。何を考えてやがる……あークソ、せめてこの場にセーレがいればあいつに攻撃を任せて、俺は防御とサポートに徹することが出来るのによ)


 バアル=ゼブルは歯噛みをし、先ほど攻撃が飛んできた方向を横目で見る。


(セーレの野郎、何してやがる。人間なんかさっさと片付けてこっちに来いっての)


 先ほど彼が活を入れてからかなりの時間が経っているのに、未だセーレはバアル=ゼブルの前に姿を現わさない。


 もしや人間にかなりの痛手を喰らったのかと思い、念のためにセーレが戦っている方向をバアル=ゼブルは探ろうとするが、先ほどのピサールの毒槍による炎上の余波と、天が投げつけてくる豪雨のためにさしもの彼も上手く探ることは出来なかった。


(チッ、あのクソッタレな槍の攻撃で異常な精霊力がそこら中に散らばってやがる。これじゃ上手く探知できねえ。おまけにこの豪雨で物理的な視界も遮られるとは……こりゃ何かを仕掛けるには絶好の機会って奴だな。ああ、まったく面白くねえ)


 セーレが堕天使、あるいは旧神であれば聖霊に接続して即座に連絡が取れるのだが、魔神であるセーレは聖霊に接続することが出来ない。


 聖霊と似た性質を持つダークマターを介する念話であれば意思の疎通を取ることも一応は可能なのだが、その場合はセテルニウスの外に在るダークマターを介した接続となるため、かなりの時間差を生じることとなる。


 従って常時状況が変化していく戦闘中では、ダークマターによる会話は殆ど意味を成さないものとなってしまうのだった。


 増して普通に声を出して話そうにもこの豪雨では声が通らず、その上こちらの心情をみすみすと教えることになる。


 そんなバカげた真似を、バアル=ゼブルはさらさらする気は無かった。


(と、なると……ちっとカマかけてみるか)


 そこでバアル=ゼブルは、アルバトールの動揺を誘いそうな話題を考えて口にする。


[そういやさっきの人間は大丈夫なのかね。俺のヤグルシを喰らった後に、更にセーレの攻撃で吹き飛ばされてたが]


(お、動いた動いた。俺と天使との間に産まれた動揺よ、ってか?)


 剣を握るアルバトールの右手が、若干動いたのを見たバアル=ゼブルはほくそ笑む。


[セーレは攻撃系の術はそこまで得手じゃねえが、その分高速移動の術に長けている。つまり先刻の攻撃は、セーレが避けた攻撃がたまたまこちらに来た、流れ弾としか思えねえ。お前さん、あの銀髪の小僧を助けに行かなくていいのか?]


 今度は動かなかった。


 特に新しく術を使う様子も無く、またバアル=ゼブルから視線を外してベルトラムが戦っている方角の様子を伺おうともしない。


(こちらの出方を待っているのか? それとも本当に援軍待ちか?)


 解答を出しあぐね、逡巡しゅんじゅんするバアル=ゼブル。


 しかしその時には既にもう一つの戦いは終わりを告げており、そして天使と旧神の戦場に劇的な変化をもたらす存在が近づこうとしていたのだった。



 バアル=ゼブルの逡巡から遡ること数十分。



(空気が湿ってきた。雲の色も暗いし、これは一雨来るな)


 ベルトラムはセーレ越しに空を見上げ、世界の在りようを見つめる。


 先ほどヤグルシの雷撃は喰らってしまったものの、その直後に彼の身に迫ったセーレのハルバードの一撃は槍で防いでいたベルトラムは、セーレが打ち込んでくるハルバードの重い斬撃を軽くいなしながら機会を窺っていた。


[何者だ? 貴様]


「おや、人間風情に上級魔神が口を利くとは。それで、その質問の意図は?」


 そして間合いを取ったセーレが質問をしてくるのを見たベルトラムは、不敵な笑みを浮かべながら質問で返答していた。


 ひ弱な人間がとった横柄な態度にセーレは少なからず苛立ちを見せるが、しかし人のような取るに足らない存在に上位魔神が感情を表に出すのは恥と考えたのか、すぐに外面を取り繕い、再びベルトラムに質問をする。


[バアル=ゼブル殿のヤグルシを受けながら目立った外傷は見られず、続く私の一撃を喰らって吹き飛ばされ、天使と分断されても動揺すること無く、そのまま平然と打ち合っているのは異常だ]


 冷静に見えつつ、セーレの言葉から垣間見えるのは心の揺らぎ。


 だがベルトラムは一流の執事として、目の前にいる来賓の動揺を指摘するような真似はしなかった。


「なるほど。では今からその種明かしをするとしよう。私はフォルセール領を治めるトール家の次期当主、アルバ様の護衛を兼ねた執事でね。このまま主の側を離れたまま戦うのは如何にも都合が悪いと思い始めた所だ」


 事も無げにそう告げてくるベルトラムに対し、セーレは牙を剥いてハルバードを地面に叩き付ける。


[面白い! 天使の根城、フォルセール領を治める悪名高きトール家に仕える執事の歓待、この上位魔神セーレがしかと見極めさせてもらおう!]


 そう言うがいなやセーレが飛行術を組み合わせた高速移動でベルトラムに近づこうとした瞬間、ベルトラムが胸の前で槍を両手で持ち、そこから右手で横へ一文字に薙ぐ。


 すると同時に彼が身に付けていた対魔装備は体から外れ、ベルトラムは鎧の下に着込む肌着のみの無防備の状態となってしまっていた。


[その行為に意味があるかどうか判らぬが、無防備となったその姿! ありがたく攻撃させてもらうぞ!]


 巨大なハルバードを持ちながらも、まるで隼のように素早く間合いを詰めてくるセーレを見てベルトラムは鼻で笑うと、天に向かって槍を突き上げる。


「トール家執事、ベルトラムの出迎えにより館の中へ!」


[なにッ!?]


 セーレが驚きの声を上げるのとほぼ時を同じくして、彼らの周囲には数十層にも及ぶ結界が張られる。


 その効果は絶大なもので、セーレの力は見る影も無いほどに失われていた。


「ホールで来賓の上衣を受け取り!」


 一変した周囲の状況についていけないセーレに向かって、ベルトラムは素早く間合いを詰め、激しい踏み込みと共に槍を突き出しながら、ベルトラムは再び高らかにその場で宣言を行った。


 ピサールの毒槍の穂先から発せられた不可視の力が、セーレが周囲に張り巡らしていた障壁をすべてかき消し。


[グオオッ!?]


 降り始めた雨に濡れていく体を見てセーレは苦しげにうめき声をあげ、ベルトラムに背を向けて逃げ出そうとするが、そこをベルトラムの更なる掛け声が襲った。


「テーブルの椅子を引いて御着席!」


 ベルトラムが槍を上段から振り下ろすと、逃げ出そうとしたセーレは背中を向けたまま動けなくなってしまう。


 本来の顔の上に、もう一枚の顔を張り付けていたかのような、不自然であった彼の貴公子然とした表情は歪みに歪み、雨なのか、それとも汗なのか判別のつかない液体でその顔の表面を覆っていった。


 しかし先ほどまでの人間に近い美少年の物より、今のセーレの邪悪で狂気めいた表情のほうが余程自然で、親しみやすく見えるものだったのは皮肉と言えただろう。


[あ、あまま、あっえくえ、だ、ぁぃいいい、あ、待あ、って、待ってくだ、さい!]


 喉が引きつり、くぐもった声で、セーレは命乞いに聞こえる単語の羅列を、口からやっとの思いで搾り出す。


[わ、私にはまだやることが残って、るんんだ! そ、そう、そのお、お前ら人間に殺された! 部下の死を悔やみ弔いががっあが!]


 とうとう喋ることも難しくなったか。


 ベルトラムはセーレの訴えを聞くと、その言葉の底に沈む真偽を図るかのように、セーレの顔と言うよりは彼の背後にいる何者かを見つめるように目を凝らす。


「なるほど」


 そしてベルトラムは顔を鋭利な氷の刃へと変え、その目を深遠の闇へと転じた。



「メインディッシュを御来賓へ」



 槍の穂先がベルトラムの視線の先に在るモノへと差し向けられ、その先に在ったモノは一瞬にして常人であれば近付けないほどの炎に包まれる。


「汝の今までの所業は聞かせてもらった。この上は神の炎に焼かれ、しかる後にその身をコキュートスへと転じ、尽きぬ肉体への苦痛、精神をさいなむ亡者の囁きで永劫にその罪を悔いるがよい」


 既にセーレの身は炎の柱と変わっていたが、下された判決の内容を理解した彼は、何かの意味を持つ叫びを、声帯ではなく周囲の空気を振るわせることで伝えようとする。


「ただの――」


 その叫びを聞いたベルトラムは毒槍を地に突き刺し、誰にするとも無い一礼を折り目正しく行うと、誰に言うともない自己紹介を始め、同時にベルトラムの目の前でかつて上位魔神セーレと言われた存在が、炭から灰となってくずおれていく。


「――執事で御座います」


 その挨拶は、この世に存在する誰の耳にも届くことは無かった。

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