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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
アルストリア領編

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第42話 蝋燭が燃え尽きる時

 彼方に見えた異変。


 それは領境を警備する守備兵の騎馬隊であった。


 彼らは領境で発生する争い、権利などの諸問題を裁く一定の権限を持っており、領主自身が解決する必要が無い程度の問題であれば、彼らの裁量で処理される。


 おそらく隊商を襲った下級魔物くらいならば、十分自分達で処理できると考えて出動してきたのだろうが、既に事態は急変していた。


 そこに居たのは下級魔物どころではなく、上級魔物の範疇はんちゅうにも収まらぬ存在。


 魔族の中でも最上位の一人である、旧神バアル=ゼブルだった。



[あー、まじぃなこれ……どうすっかな]


 しかしその最上位の一人であるバアル=ゼブルは、困惑の境地にいた。


 先ほどの奇襲失敗もそうだが、今度の警備隊の救援に関しても、これほど早く来ることは彼の計算には無かったことだからである。


 まるで彼らの襲撃を予想し、あらかじめ救援を要請していたかのようなタイミング。


 しかしいきなり上位魔神の一人が滅ぼされた先ほどとは違い、今度の事態への対処は簡単であった。



[とりあえず殺すか]



 積もる雪を必死に押し分け、ひっそりと咲くことの出来た野の花を気にも留めず踏み潰していく馬車の車輪のように。


 厳冬に耐え、ようやくつぼみをつけた木々の枝をへし折って振り回す子供のように。


 バアル=ゼブルは守備兵を殺すことを、人の命を消し去ることを。


 少し片眉を上げただけで、むしろ愉快とも見える表情のままあっさりと決める。


「……そうはさせない」


 対してアルバトールは、人を守護する天使である自分がその場に存在しないかのようなバアル=ゼブルの発言に対し、それだけしか答えることしか出来なかった。


 確かに今の自分は、精霊魔術の効果と同時行使の数において敵に及ばず、切り札の聖天術は存在意義を根底から揺るがされ、武器を振るった戦いすら敵わない。


 それでもそう答えるしかなかったのだ。


 騎士として、天使として。


 いま打てる手を彼は考える。


 今の自分に足りない知恵と力を、自らの内と外へ求めつつ。

 


 しかし、結局彼は何も出来なかった。


 いや、見方を変えれば警備隊への攻撃を防いだと言えなくもなかっただろう。



[なんてな]


 なぜならバアル=ゼブルは、見下すような視線と共にいきなりアルバトールの方へ振り返り、警備隊に撃つかと思われたヤグルシの雷撃をアルバトールに浴びせたのだ。


 力を振り絞り、警備隊を守るための術を調整していたアルバトールは虚を突かれ、無防備な体勢でその雷撃を受けることとなる。


 直撃したヤグルシの威力に息も絶え絶えとなりながら、それでもアルバトールは剣を杖代わりにして、尚も必死にバアル=ゼブルに食い下がろうとしていた。


 そんな彼を見て、バアル=ゼブルは呆れたように首を振り。


[やれやれ、テイレシアの騎士になる条件にはお人よしって項目でもあんのか?]


 そして大袈裟に溜息を一つつくと、彼は忠告めいた言葉を口にした。


[さっき銀髪の小僧に一撃を加えた時もそうだったが、お前さん本当に甘い性格だな]


「だま……れ……」


 とうとう力尽きたか、それとも既に意識が定かではなくなっていたのか、アルバトールは杖代わりにしていた剣と共に前に倒れ、激しい呼吸と共に身体を痙攣させ始める。


 もはや発する軽口に答えることすら出来なくなった天使を哀れむように見つめると、バアル=ゼブルは誰に言うでも無い、ただの独り言を宙に舞わせ始めた。


[自らを捨て、他者を想い、その身を投げ出す。実に立派に見えるが、結果を伴わない自己犠牲にはまったく意味がねえ。他者のために身を投げ出す自分を尊いと思い込み、自己陶酔しているだけだ]


 そこまで言うと、バアル=ゼブルは傍らの地面に唾を吐き捨てて続きを話し出す。


[いや。不要の犠牲を増やしているだけ、またその無意味さに気付かない点に於いて、もはや悪徳とも言えるだろう]


 そして、今度こそバアル=ゼブルはヤグルシを警備隊に向けて発動させる。


 アルバトールと戦っていた時とは比べ物にならない、天地を貫く巨大な雷撃。


 それが数えるのも馬鹿馬鹿しい程の数で、守備兵たちに向かって落ちていく。


 目を焼く閃光が、耳を引き裂く轟音が、心を覆う絶望のとばりが。


 アルバトールのすべてを虚なものとするべく、彼の全身を包んでいった。


[やれやれ、撤退用にもう少し力は残しておきたかったんだがな。ま、これが本来のヤグルシの威力ってやつだ。つまりお前さんは、俺の術の殆どを減じさせてたってことになるな。一応は誉めてやるぜ]



 アルバトールは答えない。


 だが答えずとも、爪が剥がれるほどに地面をえぐる指先が、何よりも雄弁に今の彼の心情を物語っていた。



[じゃあな、天使アルバトール。またこの世に生まれ変わったら、次の人生はもう少し人を疑うことを覚えるんだな……ん?]


 そう言うとバアル=ゼブルは左手を天にかざし、地に向かって振り下ろす。


 しかしヤグルシは彼の思い描いた通りにその効果を発揮せず、それどころか発動する気配すら見せない。


 バアル=ゼブルは不思議に思い、先ほどまで倒れていた天使にその理由を探した。


[ほう? 並みの天使であればとっくに立ち上がる意思すら消え失せているはずだが……モートから聞いてはいたが、本当にお前さん今回の主人公らしいな]  


 顎に手をあて、興味深そうに呟くバアル=ゼブルの眼の前では、悔し涙を流しながらも、歯を食いしばって立ち上がろうとするアルバトールの姿があった。


「……その言葉には意味が無い」


 あやうく聞き逃しそうな程の小さな声。


 だがバアル=ゼブルは、その小さな声に計り知れぬ重圧を感じ、全身に緊張を走らせていた。


(こいつは……対応を間違ったって奴か?)


 そしてアルバトールの背後に次々と姿を現し始めた精霊を見て、彼はその緊張が間違っていなかったことを知る。


 単なる大天使には制御出来ない領域に達している精霊の数々。


(チッ、こいつぁそんなレベルじゃねえな)


 いや、そんな次元すら遥かに超え、主天使レベルにまで到達していることに気付いたバアル=ゼブルは、先ほどの自らの推論が間違っていなかったことを、アルバトールが発する重圧によって感じ取る。


(与しやすく、また更なる増援を招きかねない警備隊の方を先に叩く。この常識とも言える判断が状況の悪化を招いた。こいつは紛れもない……!)


 マイムールに対抗する術、ヤグルシに対抗する術。


 そしてそれぞれの対抗魔術を強化し、更に自らの身体の強化を始めるアルバトールを見て、バアル=ゼブルは驚愕した。


(同時に五種類の精霊魔術を行使だと!? 俺でも体調がほぼ完璧に近い時にしか出来ねえってのにか!)


 アルバトールが編んでいる身体強化の術が行使される前に、バアル=ゼブルはマイムールで牽制の攻撃を仕掛けつつ、ヤグルシを発動させようとする。


 だがその双方の術はアルバトールにほぼ無力化され、彼に届いたのはマイムールの矛の部分だけであった。


(おいおい! やべえなこりゃあ!)


 自らの術が二つとも無効化された危機的状況。


 だがそれすら楽しむが如く、バアル=ゼブルはアルバトールと剣戟を交え始める。


 マイムールの一撃が盾で交わされ、反撃の剣閃を紙一重で見切り。


 攻撃の手段しか持たぬバアル=ゼブルが圧倒的に不利に見えるその状況ですら、闇の風に座する者がその笑みを消すことは無かった。


(ハッ! 相手は切り札の聖天術が使えねえが、こっちはマイムールとヤグルシを無効化された! 言ってみりゃあこれで平等な戦いになったってもんだ!)


 左肩を狙ってきたアルバトールの剣をマイムールで弾くと、バアル=ゼブルはその勢いのまま踏み込んで身体を回転させ、左拳でアルバトールの顔面を殴りつける。


 その衝撃により、踏み込んできたバアル=ゼブルに振るわれようとしたアルバトールの剣には力が入らず、バアル=ゼブルの二の腕に浅く傷を付けただけに終わった。


「……意味が無い」


[あん? 何なんださっきから]


 癒すまでも無いその傷を見たバアル=ゼブルは体勢を整え、再び斬りかかろうとするが、目の前で再び呟きを始めたアルバトールに不気味なものを感じ、追撃を止めてその場で動きを止めてしまう。


 そうしている間にもアルバトールはぶつぶつと呟き、遂に叫びを上げた。



「意味が無い! 助けられなかった! 敵を打ち倒すことも出来ない! 何が主人公だ! その言葉に何の意味がある!」



[やれやれ、自分の無力さを受け入れられずに狂ったか?]


 バアル=ゼブルは目前の敵が予想以上に脆かったことに失望し、戦いを終わらせるべく近づいていく。


 だが、彼は近づくことが出来なかった。


「僕が存在する意味も無かった……! 何が騎士だ! 何が天使だ……」


 臓腑をえぐる無形の痛み、魂を絞り上げて滲み出た無限の痛みとも思わせるアルバトールの言葉によって。



――クソッタレ! 何が神だ! 何が主神だ!――



 バアル=ゼブルはその言葉によって何かを思い出したのか、一瞬呆然としたように立ちすくむ。


 しかし、それは一瞬のことだけであった。


[……位階が瞬時に、それも非常識な段階の高さまで上がったのかと思えば、燃え尽きる最後の輝きって奴だったか]


 バアル=ゼブルが感慨深げにその言葉を口にした少し後。


 初夏の涼しく、柔らかな風がその場を撫でていく。


 今までの殺伐とした雰囲気を洗い流すかのような清々しいそれに、バアル=ゼブルの青く透き通った長い髪と、光を乱反射するアルバトールのくせ毛が応え、風をもたらしたシルフたちに、それぞれの髪が戯れるかのようにしばらく揺れ動く。


[……後悔ってのは、取り返しの付かないことが起こってしまった後に悔やむから後悔って言うのさ]


 しかしバアル=ゼブルの言葉に、シルフたちは天使と旧神の仲を取り持てなかったことを悲しみながら、ゆっくりと凪いでいき。


 バアル=ゼブルの両手に、これまでとは比較にならない程の力が宿る。


[退却のために力を残しておいた俺が愚かだったようだ。これで終わりにさせてもらうぜ、天使アルバトール]


 その昔、闇の四属性を始めとする旧神を率いる立場にあったバアル=ゼブル。


 そして今、かつての彼にも恥じぬほどの絶望的な力が、見渡す限りから彼の掌に集中していく。


[これは月並みって奴だ。それを知っていて、尚言わせてもらおう。……出来ればお前とは別の出会い方をしたかった]


 構えるバアル=ゼブルに対応するように、アルバトールも盾を構える。



 だが次の瞬間に発動したのは、マイムールの暴風でも、ヤグルシの稲妻でも無い。


 言うなれば、それは地獄の業火だった。



[なっ!?]


 バアル=ゼブルの周囲に巻き起こった、ピサールの毒槍による轟音と灼熱の炎に、彼は少なからずたじろいでしまう。


 既に周囲には油断無く障壁を張り巡らしており、多少の攻撃で傷つくことは無く、よしんば障壁を貫いたとしても、その効果は相当に削られるはずである。


 しかし、今の攻撃は彼を狙ったものでは無かった。


 よって障壁の効果は得られず、バアル=ゼブルは予想外の方向から来た攻撃、つまり人間とセーレが戦っている方向から来た攻撃に少なからずの動揺をしてしまっていた。


(障壁を張ってさえ地面が溶ける程の威力……! 今のは俺を狙ったんじゃねえ! まさか目眩まし……しまった!)


 一瞬気を取られたバアル=ゼブルは、その間にアルバトールを見失い動揺する。


 慌てて周囲に天使の姿を探すも、周囲はピサールの毒槍の余波が立ち込め、その影響によってすぐに見つけることは出来ない。


(チッ! 俺としたことが目前の敵のみに心を奪われちまうとはな!)


 バアル=ゼブルは慌てて身を翻し、その場を離れようとする。


 天使には聖天術があり、それをまともに喰らえばいくら旧神である彼でも、力が衰えていることもあって無事では済まない。



 つまりその場に留まり続けることは、危険を通り越して死地に飛び込むも同然。



 そう判断した直後、バアル=ゼブルのすぐ横を光が貫く。


 光が消えた後にぽっかりと開いた底の見えぬ穴を見て、彼は改めて聖天術の威力と自分の判断の正しさを知った。


(くっそ、上かよ! こちらの動きを把握しやすくするために飛ぶのは当然だろうが、いつの間に飛行術を行使しやがったんだ!? だが初撃を外したのは命取りだったな。祈りを捧げる隙に……!)


 バアル=ゼブルはアルバトールが主へ祈りを捧げる隙を狙って攻撃を仕掛けようとするが、上空を見上げた彼が見たのはアルバトールではなく、雨あられと降り注ぐ無数の光の矢だった。


[正気か!? 堕天したいのかてめえ!]


 天使にとって死にも等しい堕天。


 それを気にも留めずに攻撃を仕掛けてくるアルバトールに対し、バアル=ゼブルは叫びを上げた。


 だがその叫びの対象は、暗い視線を向けたまま一言も喋らずに光の矢の術を撃ち続け、しかし遂に何かがその身に起こったのか、不意に脱力して地面に墜落を始める。


[バカ野郎が……言わんこっちゃねえ]


 その一変したアルバトールの様子を見たバアル=ゼブルは、言い表せぬ虚無感に胸を包まれ、堕ちゆく天使に何もせずにそのまま見送ってしまう。


 しかしアルバトールは地面に激突する瞬間に飛行術を再び発動させ、呆気にとられるバアル=ゼブルを尻目に遠く離れ、神への感謝の言葉を捧げ初めていた。


[……まんまとやられたな。まったく間の抜けた話だ]


 先ほどまで胸に満ちていた虚無感は消え失せ、代わって到来するのは敵への期待。


[まだ楽しませてくれそうだな、天使アルバトール]


 バアル=ゼブルはマイムールを握りしめ、アルバトールへと歩いて行き、距離を徐々に縮めていく。


 その周囲ではピサールの毒槍による炎上が起きており、所々で竜巻となった炎の高さは、彼らの背丈を遥かに超えていた。


 青草が上げる白い煙は理不尽に燃やされることへの不平か、それとも天使と旧神へ送る声援か。


 二人の戦いは、いよいよ決着の時を迎えようとしていた。

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