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第39-1話 基準

 昼食を終え、四角いテーブルのそれぞれの辺に座っていたそれぞれの面子は、それぞれの仕事をこなす為に食堂を後にする。


 しかしその中でただ一人、バアル=ゼブルだけは何もする事が無い、いわば手持ち無沙汰の状態であった。


 だが、それは彼が無能だからではない。


 むしろ比べるも愚かと言うほどに重要な任務、天使討伐の指令を受けているのだが、作戦の内容上、標的が領境付近につくまでの間は動く必要がない。


 必然的にそれまでは待機と言うことになり……つまりは傍から見れば暇そうに見えなくもない、と言うのが今の彼の状況であった。


(まぁ、本当なら城の中でゆっくり休養して力を取り戻さなきゃいけないんだろうな)


 目を尖らせて怒るジョーカーの顔を思い浮かべ、バアル=ゼブルは苦笑する。


 魔物たちの大量転移に使った力が戻っていないのに、休養もせずぶらぶらと街を出歩くのは、彼の立場を以ってしてもそれなりに不味いことであり、更に普段からこのような不可解な行動をとるから、他の魔物たちからいらぬ反感をかうのだが。


(ま、成るようになるさ。それだけの功績は立ててきたし、これから立てに行くしな)


 当の本人は、それをまるで気にしていない。


 だが小言を聞かされるのだけは御免こうむりたいと言うわけで、彼はジョーカーに対する言い訳として、現在の魔族における懸案事項の一つである自警団の副官、つまり八雲を調査していたのだと言い張るため、人間たちに交じって王都を見回っていた。



[しっかし暇だな。見回りってのはこんなもんなのか?]



 だが目的が不純なだけに彼は十分もせずに見回りに飽きたようで、街に存在する異常を見ずに街を歩く異性を見つめ、更には手を振ったりしていたが、全員が恐れを成して逃げていく姿に肩を落とし、ようやく隣を歩く男性、つまりは八雲に話しかけていた。


「ああ、我々の姿を見せることで魔物や犯罪者を牽制し、何かが起こらないようにするのが見回りらしい」


[らしい、って……お前さん、仕事の内容を判らないままにやっていたのか?]


 八雲は首を振り、少し呆れた顔でバアル=ゼブルを見つめた。


「昨日就任したばかりと言っただろう。それに俺は、傭兵と言う目の前の敵を倒すだけの日々で生きてきた男だ。俺が敵を倒すことでどんな目的が達せられるかなど、知っていても恩賞の額が増える訳では無いし、敵を倒しやすくなるわけでも無いからな」


「まぁ、そりゃそうだわな」


「人を率いる立場であれば、仕事の内容や目的、意味を知ることも重要なのだろうが、俺のような者にとっては不要、却って邪魔なだけだ。もちろん今は違うがな」


 真面目ぶってそう答える八雲の隣を歩いていたバアル=ゼブルは突然に中腰となり、怪訝そうに見つめる八雲をからかうように、にんまりと笑いながら見上げる。


[つまり自分の面倒だけを見ていれば良かったお前さんも、ここに来て他人の面倒を見なければならない副官と言う立場になったわけだ。今の自分を見てどんな気分だ?]


 人を怒らせる為だけの仕草と発言をするバアル=ゼブルを、八雲は一顧だにせず視線と心を周囲の市民、そして気配を殺して地を這うように移動する魔物に向けつつ、面倒そうな声だけをバアル=ゼブルに分け与える。


「生きるのに必要ならば役職にも就くし、それに必要な物も身に付ける。それだけだ」


[生きるのに必要ねぇ……んじゃお前さんの役職や仕事に必要な物は、どうやって選別してるんだ?]


「まるで判らん」


[おまっ……!]


 無責任とも取れる発言を堂々とする八雲を見て、バアル=ゼブルは呆気にとられる。


 そんな彼の顔を見て八雲はニヤリと笑みを浮かべ、即座に言葉を続けた。


「だが俺にとって必要かどうかすら判らない。その判断を下したこと自体が、今やっていることが俺にとって必要なのだと言うことを証明している」


[あん? どういう事だ?]


「つまり必要か不必要かの判断を下す基準。それすら今の俺の中に備わっていないという証と言うことだ。今の俺はどんどん周りの物を口の中に入れ、食べても良いか悪いかの基準を学ぼうとする生まれたての赤ん坊のようなものだ」


[あー……へー、なるほど。お前は赤ん坊と]


 八雲の言葉にバアル=ゼブルは目を丸くすると、彼は頭の後ろに腕を組み、素直に賞讃するのも悔しいのか変な納得をした後、黙って八雲の隣を歩き始める。


 彼らの行く手には昼食や休憩を終えた人々がぽつぽつと路地に出てきていたが、彼らはバアル=ゼブルと八雲が並んで歩いている姿を見るなり、多くは目を伏せ、道の脇にその身を寄せていく。


 八雲はそんな彼らを見ても気を悪くした様子もなく、人々に軽く手を振りながら、また露天の店主に声をかけ、何かあれば言ってくれ、と笑顔を見せ。


 それだけで周囲の雰囲気が落ち着いていくのは、いっそ不思議なことであった。


[……昨日就任した割には慣れたもんだな]


 先ほど八雲の顔を見て蕩けた表情となっていた女性に近づこうとした途端、その下品な笑みに怯えて逃げ出されてしまったバアル=ゼブルが、不貞腐れながら口を開く。


「団長に言われたとおりにやっているだけだ。もっとも団長であればもっと多くの情報を得られるだろうし、民衆に安心だけではなく、笑顔も与えられるだろうな」


 首を振り、そう自嘲する八雲。


 だが彼に向けるバアル=ゼブルの視線は、鋭いものだった。


[先ほど俺と爺さんをやり込めた直後に、爺さんのお前に対する評価を自ら下げるような行動をとったのを見て不思議に思ったが……なるほど、如才ないなお前さん]


「何のことだ?」


[いや、忘れてくれ]


 八雲は急におとなしくなったバアル=ゼブルから視線を外すと、先ほどから気配を殺して移動していた下級魔物が、路地の片隅で遊んでいる子供たちに触手を伸ばそうとしたのを見てそちらへ気を飛ばし、萎縮させて退散させる。


[殺さなくていいのか?]


 音もなく逃げていく下級魔物を見て、バアル=ゼブルは不思議そうに尋ねる。


「この街の魔物たちには、まだ俺の風評が広がっていないからな。いくら俺に力があろうが、この街すべてを一人で守りきるのは不可能。よってあの魔物には、せいぜい俺の恐ろしさを宣伝する為に役立ってもらおう」


[……あの魔物、おそらくシャドウ族だ。身隠しの触媒の素材になるから、死骸は結構な値段で売れるはずだ。自警団の財政は今、火の車ではないのか?]


 甘い誘惑。


 魔族の一員であるバアル=ゼブルの面目躍如と言った台詞に、八雲はうっすらとした笑みを浮かべた。


「ほう……闇の風よ、仲間を売るか? 最初に会った時はなかなか見どころのある人物だと思っていたが、俺の見込み違いだったか」


 その八雲の答えにバアル=ゼブルは自嘲の表情を浮かべると、瞬時に探知の眼を周囲に走らせ、力を持った魔物が近くに居ないことを確認する。


 そして周囲に術による力場を展開すると、二人の会話が他者に漏れないようにした。


[仲間ではあるが、同胞はらからではない。こう言っちゃあなんだが、いつ誰が利己的な理由で裏切るかどうか分かったもんじゃねえのが魔族だ]


 肩をすくめ、バアル=ゼブルはシャドウ族が逃げて行った方へ目をやる。


[特に下級魔物は意思疎通もロクに出来ない、獣に等しい存在。それでいてそれなりの力はあるから、集えば時に俺ですら手を焼く存在になる。全く始末に負えん]


「それを率いなければいけないのが上に立つ者の役目だ。諦めろ」


 こぼした愚痴に対し、にべもない回答をする八雲を見てバアル=ゼブルはぐうの音も出ない、と言った様子で体を引くと、顎を突き出してズボンのポケットに手を入れ、拗ねたように歩き始める。


[……お前さん、面白みがないって言われないか?]


「おかげ様で、足りない部分を補ってくれるお前のような存在に事欠かない」


[あーそうかよ、ケッ。普通はさっきのような会話の後は、敵に付け入る隙と見て突っ込んだ返事を返すべきなんだがな]


「面白みに欠ける性格なばかりか、気遣いも出来ない性格で誠に申し訳ない限りだ」


[ちくしょう分かったよ、俺の負けだ]


 その投げやりな返事と同時に、バアル=ゼブルは周囲に展開していた力場を消すとうんざりとした表情を浮かべ、だがそれでも隣に着いて来る彼を見て八雲は軽く笑う。


「……先ほど食堂で団長が言っていた悩みと言うのは何だったんだ?」


 八雲が唐突に発したその質問。


 ぶつぶつと口中で呟いていたバアル=ゼブルは、それに対してすぐさま反応すると八雲の顔を見て、何を考えているのか見抜こうとする素振りを見せる。


 しかし迷ってもしょうがないとでも思ったのか、彼はあっさりと悩みを口にした。


[フォルセールの天使討伐の任を受けたんだが]


「待て、それは極秘任務と言うやつじゃないのか。俺に話すな」


 しかしあっさりと八雲に聞かなかったことにされた悩み事を蘇らせるべく、バアル=ゼブルは八雲に突っかかっていく。


[悩みについて聞いてきたのはそっちだろう!]


「極秘任務を外部の者に相談するな。その悩みは同僚に相談しろ」


 だがその甲斐も無く、彼の悩みは即座に返却される。


 八雲としては親切心からそう答えたのだが、バアル=ゼブルにはそうでは無かったらしく、すぐに下を向き、口を尖らせ、ぼそぼそと歯切れの悪い口調で呟きだす。


[だからさっきも言っただろ、仲間でも信用出来ないってよ]


「すぐに拗ねるとは、まるで子供だなお前は」


 八雲はやれやれ、というように溜息をついた後、静かに口を開く。


「極秘任務をお前に与えた時点で、少なくとも向こうはお前を信頼しているということだろう。悩んでないで任務を与えた本人に聞いてこい」


[と言っても任務遂行の条件がひどすぎてな。まるで俺の失敗を望んでいるかのような作戦内容だから、そっちの方が気になって聞けねえんだよ]


「条件が悪いなら改善要求を出せ。俺が言えるのはそれくらいだ。要求を言っても聞き入れられないなら自分でやれる範囲内でお膳立てをしろ。闇の風と言う地位についているものであれば尚更だ」


[改善ねぇ……]


 バアル=ゼブルと話している間にも、八雲は市民への挨拶や魔物への牽制を行い、気が向いた時には時々横を歩く旧神に目をやるも、彼がその視線に気づく様子は無く。


 そうこうしている内に日は傾き、八雲たちが自警団へ戻る刻限も近づいていた。


「俺たちはそろそろ戻る時間だが、お前はどうするのだ」


[ん……? ああ、そうだな。俺も城に戻る。邪魔したな]


「そうだな、邪魔だからもう着いて来ないでくれ」


[容赦ねえなオイ! ……まぁアレだ、なんつーか、今日お前と話が出来て良かった。感謝してるぜ]


 照れたようにそう告げると、バアル=ゼブルの姿は一瞬にして掻き消える。


 それを見送った団員の一人は数瞬の後、改めて気づいたようにぽつりと呟いた。


「……悪い人には見えませんでしたね」


「ああ、そうだな。さぁ! 戻って報告書をまとめるぞ!」


 八雲のその声に、周囲からはうめき声と溜息が次々とあがり。


 それら弱音を吐く団員たちをなだめすかすと、八雲は先頭をきって歩き始める。


 そして歩いていれば否が応でも目に入ってくる、街の中心に佇む王城に気付いた彼は、足を止めて顔を上げ、城を見つめ。


 そして今日会ったばかりの、青く長い髪を持つ旧神の顔を自然に思い出してしまった八雲は苦笑いを浮かべ、詰所の方へ足を踏み出していった。

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