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第4話 戦いの予兆

「随分と久しぶりに思えるな」


 ここ数日で自分の身に起こった目まぐるしい変化に対し、城壁の内にある石造りの町並みや、行きかう人々の変わらない営みを見たアルバトールは、感慨深げにそうつぶやくと、エルザが乗った馬を引いて街中を進んでいく。



 アルバトールが生まれ育ったこのフォルセール領は、聖テイレシア王国に存在する領地の中でも小さく、従って他の領地に比べ、住んでいる民の総数は少ない。


 しかし、領地の中心であるフォルセール城に限ってはそうではなく、周囲に広がる町の住民を含めれば七千人ほどが住んでおり、これは王都テイレシアに次ぐ規模である。


 その最大の理由は、フォルセール城の立地している場所が、各領地から王都に通じる交通の要所に建てられていることにあった。


 従ってその守りは堅牢の一言に尽き、例えば街や城を囲む城壁は三つ、更にそれぞれに水堀が備わっており、中には鯉などが非常食用として飼われている。


 また中心の城から数えて一つ目の第一城壁と、二つ目の第二城壁の間には、延焼防止と住民の避難用に、かなり広く空き地が確保されてある。


 これらの備えもあって、他国からの侵攻は言うに及ばず、魔物との戦いにおいても幾度も最前線に立ちながら、開国以来いまだに落城の憂き目にはあっておらず、難攻不落の名城との呼び声も高かった。



「さて、それでは詰所に報告へ……って大丈夫ですか? エレーヌ小隊長。何やら顔色がすぐれぬようですが」


 心配そうなアルバトールの声にヒラヒラと手を振り、なんでもないと言い残してエレーヌはアルバトールと別れ、騎士団の詰所に向かわずにそのまま直帰する。



 普段エレーヌは、騎士団の地方出身者のための建物の一室に寝泊まりしているが、昔は姉のエステルと一緒に暮らしていた。


 姉が少々変わった経緯でエンツォと結婚してからは、さすがに一人暮らしをするようになったものの、たまに姉と、その子供の様子を見にエンツォ家に顔を出している。


 ただ、最近はその子供――双子の姉弟――が不在のことが多く、彼女が窓の外を見てつく溜息の回数がめっきり増えた、と騎士団で評判になっていた。



(大丈夫かな……って、そう言えばもうすぐアノ日なんだっけか)


 背筋に伝う冷たい汗を振り払うように、アルバトールは任務の報告をする為、詰所へ馬首を向け歩を進める。


 その途中、教会の近くでエルザも彼らと分かれていたが、その際に一つ、彼女はアルバトールに、時間を作って教会に来るように、と告げていた。


「……教会へですか? それは構いませんが、何事でしょう」


 エルザが彼に頼みごとをしてきた時、真っ先に抱くのは嫌な予感。


 そして可能であれば、その頼みから逃走すること。


 逃げられなかった場合には、自分と周囲の安全の確保を図ること。


 これが今までの経験で彼がつちかってきた正しい対処法だが、今日に限ってはそれが必要になることは無さそうだった。



「貴方がこれから生を全うする上で、また周囲の安全を守る上で、非常に重要な話……のようなものがございます。それほど急いではいませんが、必ず来てください」


「なんだか物凄くあやふやで適当なこじつけに聞こえますが」


 エルザが告げた内容に、アルバトールは思わず目の前の顔、そして瞳を見つめなおし、そして一礼をする。


「報告書をまとめて団長に提出し次第、必ず教会へお伺いします」


 真摯しんしな瞳をエルザに向けてそう答えた後、アルバトールは再びエンツォと共に騎士団の詰所へ向かう。


「団長殿に報告するには、少々遅くなってしまったかもしれませんな」


 その途中、エンツォが呟いた言葉の内容にアルバトールは街を見渡し、人々の流れを見つめた。


 確かにこの時、鐘は夕刻を知らせていたが、初夏へと季節が移り始めた今は、周囲の景色はまだ明るい。


「ですが、ベルナール団長はきっと詰所にいるでしょうね」


 エルザが降りた事によって、再び馬上の人となったアルバトールは、隣にいるエンツォに軽く笑みを浮かべて答える。


 ベルナールに渡す報告書はまだまとまっていない。


 しかしそれを提出する前に、相談をしておくべき事案が彼にはあった。


(天魔大戦の兆しでもある、上級魔物があの一匹だけならいいが……)



 開戦。



 その二文字だけの言葉に、アルバトールは得も言われぬ寒気を感じていた。


(天使と魔物との戦い、天魔大戦)


 霧のように実感のない、それでいてしっとりと体に染み込んでくる寒気について考え事をするうちに、彼は昨日のエルザの言葉を思い出す。


――主はいつでも、貴方たちを見守っていらっしゃいますわ――


 神がいつでも見守っていると言うのなら、この二つの超越した種族の戦いに否応なく巻き込まれる人間達を見て、何を思うのだろうか……。



「ふむ」 



 自らの考えに沈むアルバトールの様子を見て、何かを察したエンツォは気を利かせ、先に詰め所へ向かう事を決めてそれをアルバトールに告げる。


「先に詰め所に向かって団長殿にさらっと報告しておきます故、若様は後からゆっくり参られてよろしいですぞ」


 そのエンツォの好意に対して生返事を返し、それから更にとりとめの無い考えに身を任せるアルバトール。


「あれ……どこだっけここ」


 ふと我に返ると、彼は考え事の最中に道を間違えていた。



「あ、若様だー、遊びに来てくれたの? それともまた迷子?」


「若様だ! 今日はどんなお話をしてくれるの!?」


「おやおや、若様また考えごとかい?」



 アルバトールは自分の考えに集中するあまり、よく道に迷ったり、何かにぶつかったりすることが多い。


 それをよく知っている領民たちに彼はからかわれ、しかし事実であるために大した反論もできず、アルバトールはボヤきながら詰所へと向かう。


「あの村だったら誤魔化せたんだけどなぁ……あ、いや何でもないよこっちの話。今日はちょっと用事があるから、また今度お話ししようか」


 任務で向かった村には、自分のクセを知る者が殆どいなかったので虚勢も効いたのだが、子供の頃からクセを知られている領民には、まるで通用しないのだった。



 そしてようやくアルバトールは詰所に着く。


 その二階にある執務室の中では、一人の男が彼の到着を待っていた。



「帰ったかアルバトール。上級魔物を討伐しただけではなく、犠牲者どころか怪我人すら殆ど出さずに戻ったそうではないか。いい指揮官になれるぞ君は」


 フォルセール騎士団の団長であるベルナールのねぎらいの言葉に対して、アルバトールはエルザのお陰だと無難な返答を返すが、それを聞いたベルナールの表情は、何か悪戯を思い付いた子供のようだった。


「君は本当に謙虚だな。しかし詰所に来るのがやけに遅かったな。今回の任務で君に同行していたエンツォは既に退出して、詰所を出たようだぞ?」


「久しぶりに戻って来たもので、街に異常がないか気になりまして」


「そうか。まぁエルザ司祭の手助けに関しては、そう自分を卑下するな。力を持つ者が自ら協力を申し出てくれる、それは君の今まで培ってきた人間関係のたまものだぞ」


「そうでしょうか……」


 自分の慰めを聞いても自信なさげに答えるアルバトールを見て、ベルナールは困ったような表情を作り、腕を組む。


「まぁエルザ司祭の場合は、時々引っ掻き回すのが目的であることが玉にキズだが」


「その通りです!」


 だが間髪入れずに同意してきたアルバトールに、ベルナールは若干身をひきながら忠告をした。


「う、うむ、妙に元気がいいな。ああ、それと歩きながら考え事をするのは程ほどにしておくように。君がぶつぶつ呟きながら町外れへ歩いていくのを、見回りの隊が見ていたそうだ。子供の時と同じように、荷馬車にぶつかっては恥だぞ」


 昔の事を例に出し、苦笑しながら忠告してくるベルナールに対し、アルバトールも顔を赤くして昔のことを思い出しながら、反省の意を返す。



(バレてたか……そう言えばエルザ司祭にあの時回復してもらったんだっけ。それが無ければ命を落としていただろう、と後で父上に叱られたな。さて)



 注意されたばかりの考え事を早々に切り上げ、アルバトールは質問をする。


「恐れ入ります。……ところで、エンツォ殿からは、どの程度まで情報をお聞きに?」


「全て大筋で聞いている。準備、実行、戦果、そして新たに発生した問題まで」


 そう答えるベルナールの顔は、肩まで伸ばしている白い髪が顔に落とす影と、夕日の逆光によってよく見えない。


 だがアルバトールにはその表情が、なにか楽しげなもののように感じられていた。



 フォルセール騎士団の団長を務めるベルナールは、その職に就く前は王都で神殿騎士を務めていた。


 エンツォやエレーヌに比べ、武術にはそれほど長けていないが、騎士とは思えぬほどに秀でた魔術の腕と、国に比する者なしと呼ばれる程の知略で、騎士団の団長と言う要職に就いている。


 その手腕は国王ですら一目置いていると言われる程で、この地の領主フィリップが王都へ幾度となく着任を要請、あるいは自ら出向き、わざわざ呼び寄せたほどである。


 また人格者として有名で、その柔らかな物腰と柔和な顔立ちは、40半ばを越えた現在でも未だ社交界での人気が高かった。



「エンツォからエルザ司祭の意見についても聞いている。天魔大戦が起こると断定できる情報が得られるまで、もしくはそう判断できる量の情報が寄せられるまでは様子を見るべき、と言う意見は至極当然だ」


「僕もそう思います」



 不確かな状況に備えるにしても、そのために犠牲にするものが多すぎる。


 そう考えた瞬間、ベルナールから不意に質問が飛び、アルバトールは慌ててその顔を見つめた。



「君自身の考えはどうなのだ?」


「僕……ですか?」


「そうだ。多くの経験を積んできた者の意見は確かに重要。しかしそれ故に自己の経験と過去の事例を重んじ、現在の状況を軽んじる傾向が多く見られる」


 アルバトールは、自分を見据えるベルナールの視線に気後れしつつ、耳を傾ける。


「情報が少ない中で未来について予測するには、複数の立場からの、より多くの者の意見が必要となる。例えば君のような若者の直感など」


「僕の立場からの意見……直感」


 ベルナールの言葉に、アルバトールは急いで考えを取りまとめようとする。


(新参の騎士でありながら領主の息子。色々な立場という観点から見れば、確かに僕のような立場の者はいないか。さて)



 先ほどからぼんやりと感じる、天魔大戦が始まるのではないかという恐怖。


 魔物と戦争をするのは初めてであり、開戦と断じていいかの諸条件が不明。



 その相反する二つの考えを天秤にかけ、その揺れた先をアルバトールは見つめた。



「……開戦。と言いたい所ですが、やはり様子見で。本格的に魔物が暴れはじめるまで三か月ほど猶予があるのなら、急ぐ必要はないと思われます」


「ふむ、君も様子見が一番か」


 いささか拍子抜けといった感じで、ベルナールは答える。


「父には戻り次第、上級魔物と一戦して討伐したと報告します。報告書に関しては明日中、遅くとも明後日までには仕上げて提出させていただきます」


「確かに君が言ってくれれば助かる。だが報告書についてはそう急がずとも良い。君は任務も終わったばかりだし、いい仕事をするには、充実した休養が必要だからな」


 ベルナールは非番を示す赤い木札をとり、アルバトールの名前の下にかけようとするが、アルバトールはそれを断り、退出の挨拶をする。


「お心遣い痛み入ります。しかしエルザ司祭との約束がございますので、なるべく早く仕上げようかと。それでは僕はこれで」


「君も大変だな。任務以外でも何か思い出したこと、気づいたことがあれば、いつでも遠慮なく言ってくれ」



 退出したアルバトールが扉を閉じると、ベルナールは窓辺に移動し、街の雑踏に消えていくアルバトールを見送る。


(さすがに論じる対象が天魔大戦とあっては、慎重も過ぎれば小さくまとまってしまう原因になる……とは言えんな)


 そして自嘲をした彼は、机のほうを振り返り。


「しかし上級魔物の話、気になるな……実際にエルザ司祭に話を聞いてみるか」


 エルザの顔と、エルザが起こした騒ぎを思い出しつつ、帰宅の準備を始める。


 この町に赴任してから、幾多もの婚姻の話を持ちかけられ、更に女性からの人気も高い彼は、未だ独身であった。




 一方その頃、ベルナールの部屋を退出したアルバトールは、城へ戻る前に同僚へ挨拶をしていた。


「エンツォ殿から少しだけ話は聞かせてもらったが、なかなかの働きだったようだな」


 そう言ってくるのは、アルバトールより十歳ほど年長のアラン。


 ベルナールと同じく、元は王都の神殿騎士団にいた男である。


 ただ隊長になったのは最近の事であり、隊長歴はアルバトールと殆ど変わらない。


(そう言えば結局、エンツォ殿には首のアザの事を伝えなかったな)


 そんな事を考えながらアルバトールは同僚に挨拶を返す。


「ありがとうございます。しかし今回の任務を命じられた時は、私のような実戦経験が少ないものが無事に任務を達成できるのかと、途方に暮れておりました」


「私も行きたかったが、団長の決定に逆らうわけにもいかぬし、町の守りと警備をおろそかにするわけにもいかないからな。ままならないことだ」


「アラン殿であれば、これからいくらでも任務が回ってまいりましょう。今回の件では当直の順番もあったことですし、致し方なかったかと」


「そう願いたいな。神殿騎士の一員として、邪悪な魔物の存在は許しておけん」



 そう意気込むアランは、神殿騎士にありがちな融通の利かないタイプで、エルザやエレーヌとは別の意味でアルバトールは苦手としている。


 ベルナールが事ある毎にフォローをしているお陰でなんとか隊長としてやっていけているが、若い騎士の間では酒を飲む時の格好の肴だった。



「それでは私は報告書を仕上げねばならないので、急ぎ戻ることといたします」


「久しぶりの帰宅か。後はこちらに任せてゆっくりするといい」


 アルバトールはそそくさとアランに別れを告げ、急いで城に戻るが、着いた頃には既に辺りは暗くなっていた。



 城門を守る衛兵に、身分を証明する騎士団の隊証を見せ、通行の許可を得る。



 自分の顔を見知っているはずの衛兵が、自分を特別扱いせず、入門に関する規律をきちんと守らせた事を頼もしく思いながら、アルバトールは城の中へ入って行った。

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