第38-2話 刺激的な口直し
「で」
城門が開放され、人や物の行き来が緩和されたテイレシアでは、王都が陥落した直後に比べ、ここ数日で各家の食卓に多くのものが並ぶようになっていた。
だが自警団では少々事情が違い、以前と同じどころか更に寂しいものとなっている。
何故なら王都を魔物が支配するようになってから、商人や教会、王族などの自警団への寄付はほぼ皆無、当の敵である魔族からの支給が財源となっているからであった。
当然ながら自警団の財政は逼迫し、この日も食卓に並んだのはライ麦が混ざった全粒粉のパン、粉っぽさを感じるポタージュ、豆煮である。
「ほう、すると元々は別の土地の主神だったが、事情があってそこを離れ、流れ流れてこのテイレシアに来たと」
[まぁな、しかしそちらも似たような境遇だとは思わなかったぜ]
テーブルを囲む四人は、もうこのような粗末な食事にも慣れたのか、食事の前の祈りを一人で捧げるフェルナンを除いて三人で談笑している。
しかし何故か祈りの途中から声が震えはじめたフェルナンが、最後の聖句を唱えて目を開けた瞬間、その談笑は終わりを告げた。
「なんでお主がここで食事しとるんじゃ! バアル=ゼブル!」
疑問、と言うよりむしろ怒声の類で、詰問を始めるフェルナン。
だがその詰問された当人であるバアル=ゼブルは、意外そうに目をぱちくりとさせると首を振り、やれやれといった感じで手を広げて呆れ声で答える。
[そりゃテーブルが四角だからさ]
「四角であれば四人まで座ることが可能だからな。実に無駄のない良い判断だ」
そして八雲が感心したように同意の様子を見せ。
「ぬ、ぬ、ぬ……」
何か問題でもあるのか、とばかりに超然とした態度を崩さぬ二人の台詞を聞いた途端、目を血走らせたフェルナンが火山の如く怒りを爆発させる。
「四角だろうが三角だろうが、お前に座らせる席はここには無い! それに昼食を摂るなら城に戻れ! 何でわしらの予算でお前が食事をしとるんじゃ! 言っておくがお主はわしらの敵! 決して仲良くするべき存在ではないのじゃぞ!」
先ほど二人が部屋で行っていたやり取りを見ていたまったくの部外者が居れば、その言葉にはまるで説得力が無い、と断じたかも知れない。
だが残念ながら、怒りに燃える真っ最中であるこの老人の目の前で、そのような無作法を口にするような粗忽者はこの場に存在しなかった。
[そんなにケチケチして財産を貯めても、あの世には持っていけないんだぜ爺さん]
「わしが心配しておるのはこの世の生活費じゃ! あの世にまで未練がましく財産を持っていくような考えは持ち合わせておらんわい!」
いきなり立ち上がり、テーブルに手を叩きつけてまくしたてるフェルナンの顔は、その頭上から湯気が出ていてもおかしくないほど怒りで真っ赤に染まったもの。
[団長様……]
今にも卒倒するのではないか、そんな眼でフェルナンを心配そうに見つめるセファールの横では、我関せずと言った感じで八雲がパンをポタージュにつけて口に運んでいたが、やがて頭を振るとぽつりと呟く。
「団長、静かにしてくれ。食事が不味くなるし、周囲の部下の士気にも影響する」
その言葉に冷静になったフェルナンが顔を上げて周囲を見れば、既に食事を終えて昼寝をしたり、談笑したり、ゲームなどに興じていたはずの部下たちが、いつの間にか自分たちの方へ興味の視線を注いでいる。
「くつろいでいる所に、見苦しい物を見せてしまってすまないな皆。気にしないで残りの休み時間を過ごしてくれ」
フェルナンの口が閉じたのを見た八雲は、すかさず周囲の部下たちに向かって手を上げ、その場をとりなす。
フェルナンと言えば先ほどとは別の理由、年甲斐もなくむきになった羞恥心で顔を赤くし、程なく椅子に座ってむすっとした表情になり、すぐに黙々と食事を始め。
「激情にあって冷静な判断を下せる指揮官は優秀。故郷を離れ、このような遠い地まで来た俺だが、それでも団長のような上司を持てて嬉しいぞ」
どうやら頭が冷えたように見えるフェルナンの様子を見た八雲は、食していたパンを手元の皿に置き、彼の左側でニヤニヤと笑っているバアル=ゼブルの方を向くと、その顔に鋭い一瞥を送る。
「バアル=ゼブルと言ったか。貴公がなかなかにいい性格をしていることは分かったが、その行動は時と場合を選んだ方が良いのではないか? 我らが団長のように、貴公のやったことをその場で終わらせる者ばかりでは無いと覚えた方が身のためだろう」
そう言って見つめてくる八雲に対し、バアル=ゼブルは持っていたスプーンを置き、その唇を薄く開いて氷のような酷薄な笑みを顔に浮かべる。
[それは脅しと言うやつか? 副官の八雲殿。力を持っているであろうお前さんは気付いていないかもしれんが、脅しと言うものは無力な人間たちが巻き添えになる可能性を考えてからした方がいい]
何気ない仕草で団員たちを見渡すバアル=ゼブルに、周囲からは息を呑む音が聞こえ、続いて何かを落とすような軽い音がそれに混じる。
[……いや、この場合は自警団について何も知らぬ俺に対する忠告。そう受け取っておいた方がそちらには都合がいいか? まぁ自警団の者だけならともかく、町の者たちが怯えるような事態が起こってからでは遅い。気をつけることだな]
「なるほど、この国の魔族について何も知らぬ俺に対して忠告をしてくれるのはありがたいが、そうさせない為に自警団はある。心配は無用だ」
二人の会話、それ自体は短いもので終わる。
だがその短い間に、周囲の空気は肌寒さを感じるような冷たい物へと変化していた。
「気は済んだか? ソルベ代わりの口直しとしては、少々刺激が強すぎたようじゃな」
先ほどの熱波の如きやり取りとは違う雰囲気に、周囲の団員達は興味ではなく不安そうな視線を彼らへ向けていることにフェルナンは気付くと、むすっとした表情は変えぬままに二人に警告を発する。
「まったく、先ほどワシに忠告をした者がやることとは思えんわい」
八雲とバアル=ゼブルのやり取りに対してではなく、全粒粉のパン特有の硬さと匂いに顔をしかめながら、フェルナンはぼやいた。
「これは面目ないな。今度からは気をつけるとしよう」
「さて、怒るとお腹が空くでしょう。お三方に新しいパンをお持ちしますね」
そして、一応困った様子を見せておこう、と言う感じに見える顔でその場を見守っていたセファールが、落ち着きを見せた場を見て安堵の表情となり、一服の清涼剤とも言える一言を放ってその場を離れる。
「これからも仲良くするなら、今朝届いたばかりの絞りたての牛乳もお出ししますよ」
おっとりと言い放って席を立つ彼女を見送ると、三人はそれぞれ顔を見合わせ、全員ばつが悪そうにすぐにそっぽを向いたのだった。
「そう言えば、お主は相談事があるから来たのではなかったのか」
新しいパンをセファールが持ってきた後、フェルナンは新しいパンを千切りながら、思い出したようにバアル=ゼブルの方を向いて問いかける。
「ああ、そういやそうだったな……」
だがその問われた本人と言えば、相談事の内容も言わずに生返事だけ返し、自分だけの殻の中に閉じ篭ったが如く黙り込んでしまう。
日頃あれだけ陽気に振舞い、他者と話をする(からかう)のが大好きな彼が。
(なんつーか、馬鹿らしくなっちまったな。天使討伐の任務に爺さんが助言してくれる訳はないだろうし、この八雲って奴がいるとどうも爺さんをからかいにくいしな)
そのまま口を尖らせ、不満げにパンをかじるバアル=ゼブルを奇異の目で見るも、フェルナンはそれ以上会話を続けてやぶ蛇になることを恐れたのか、こちらも黙ってパンを食べ始める。
そんな二人の様子を心配そうに交互に見つめていたセファールは、先ほど持ってきた絞りたての牛乳を二人に注ごうとする。
「あ、あら……?」
しかし彼女が手に持っている白い陶器が溶解したと見えた瞬間、それはまるで日光にあたった吸血鬼の如く、中に入っていた牛乳ごと宙に霧散していた。
「申し訳ございません、すぐに替えをお持ちします」
それを見た八雲は、セファールのせいではない、と慰めの言葉をかけ、手を付けずにいた自らの牛乳を二人に差し出す。
「すまないな。昨日の手合わせの後に、団員たちに俺が施術した後、続けて君が法術を使用したからかも知れん。法術なるものと、ほぼ時を同じくして施術したことが無かったことを、俺も見過ごしていた」
「いえ、私も団員の方たちが苦しんでいるのを見て思わず法術を行ってしまいましたが、今思えば軽率でした。私の方こそお詫び申し上げます」
(ん……?)
その二人のやり取りを聞くともなく聞いていたバアル=ゼブルは、いきなり目に眩いばかりの光を取り戻すやいなや、下品な笑みをその顔に宿し、身を乗り出してわざとらしく八雲に質問をする。
[おやおや? 八雲殿は副官に就任してから一日も経っていないと聞いていたが、もうセファールに手を出されたのかな? その手の早さを市中の災いを未然に防ぐ手際に変えていただければ、市中の人間たちももう少し心を安んじていられるだろうになあ]
[は? 今なにかおっしゃいましたか?]
だが瞬時に変化を遂げたセファールの表情を見て、バアル=ゼブルは閃光の如き速さで頭に後悔の念を浮かべると同時に、両手で自分の口を塞ぐ。
そして八雲はそんなバアル=ゼブルを横目で見ると、すかさずセファールに新しい牛乳を持ってくるように頼み込み、空になった自分のグラスを彼女に手渡す。
すぐに笑顔となった(見せかけかも知れないが)セファールが部屋を出て行ったのを確認すると、八雲はバアル=ゼブルに忠告をした。
「……発言は時と場合を選んだ方がいいぞ。と言うか選んでくれ」
[す、すまねえ]
古今東西、権力を持つことを成し得た女性はそれほど存在しない。
そして、権力を持った女性に抗える男性もそれほど存在しない。
更に、権力を持つ女性に抗う男たちを賞賛する言葉もそれほど存在しないのだった。
女性をすべからく立てるべきことを推奨する言葉はあったとしても。