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第38-1話 初顔合わせ

 詰所の空気が、激しい夕立の如き暗く猛々しいものとなっていた頃。



「八雲殿、そろそろ正午ですが一度本部に報告に戻られますか?」


「ああ、そうだな……見回りに出る時の団長とセファールの様子も少し妙だったし、そうすることにしよう」



 王都テイレシア自警団の副官に就任したばかりの八雲は、約二時間ほど休憩にすると言って解散の宣言をし、自分は一度本部に戻ると隊に伝えて歩き始める。


 昨日の手合わせにより、目論見どおり自警団の中に自らの居場所を作り出すことに成功した八雲は、早くも隊員達から一定の敬意を表されるようになっており、解散の宣言をした後も何人かの団員が、彼の後ろを付き従うように歩いていた。


 そんな彼らを愛おし気に見つめた後、八雲はこれから戻っていく場所、つまりは詰所を出立した時のことを思い出す。


 それは自らが得意とする術の説明をした時の、フェルナンとセファールの顔。


 彼らの表情を一気に翳らせた怒りは、どうやら自分に向けられた物ではなかったようだが、ならばあの怒りは誰に向けられたものであったのだろうか。


(詰所に戻ったら、鬼や蛇が居たなどと言うことになっていなければ良いが……くわばら、くわばら)


 八雲がかつて故郷で手痛い目に遭った原因も、女性絡みのことだった。


 東の果てにある島国から大陸の西の果てに来てまでも、また一緒の目に遭うのではないかとの不安に駆られた彼は、その不安を振り払うが如く大きく身震いをし、その様子を不審がる部下の目をよそに、本部への帰途に着く。



 だがその頃、詰所の執務室の中では八雲の不安をそのまま形にしたような場面が展開されていた。



 何食わぬ顔でペンを動かすフェルナンの横では、魔族の中でも重要な地位に着いているはずのバアル=ゼブルが、なぜか床にちんまりと座っている。


 そしてその前に立っている自警団副官、セファールの形相は。


[と言う訳です。アナト様が普段どれだけ貴方様に心をお砕きになられているか、少しは御配慮なさって欲しいものですね]


 般若だった。


[貴方様が報告書を風に飛ばした日の時も、その後始末に追われて帰りが少し遅くなっただけで、今まで二人で会っていたのかと御心配をされ、私が違うと言えば、ではあの死にぞこないかと憤慨され、アナト様の心をお鎮めするのにどれほど苦労したことか]


[いや、でも俺の気持ちにも少しは配慮してほしいなー、なんて思ったりするんだけど……ダメ?]


 黙々とペンを走らせるフェルナンの方は分からないが、どうやらセファールがバアル=ゼブルに対して向けている怒りは、報告書絡みのものでは無いようである。


 セファールの一言ごとに律儀に頭をペコペコと下げ、返事をするバアル=ゼブルであったが、どうやら話が終わりに近づいたと感じ取った彼は、アナトと自分の関係に関してセファールの思い通りにことを運ばれたくないのか弁明を始めようとする。


[そうですね、か弱き女性の心に配慮できない、貴方様のようなぞんざいな心の持ち主に対しても、配慮をしてくれる慈悲深さを持ちあわせた『神』のような方が、魔族である我々の中にも居るのであれば、貴方様の御希望に添えるかと]


 残念なことに、その主張はセファールに一刀両断に切って捨てられたが。


[つまり俺だけが配慮しろってことかよ! 俺が神だったのは昔のことだぞ! って言うかアナトも昔は神だったんだから、俺の立場も少し……少し……は……うーん……?]


 バアル=ゼブルはアナトの昔の素行を思い出して口をつぐむと、過去に彼女が彼の気持ちに配慮した末に起きた、数々の血生臭い事件について思いを巡らす。


(これアナトが俺の立場を考えて行動する方がマズイんじゃね?)


 答えを得たバアル=ゼブルの決断は早かった。


[……俺が悪かった。これからは精進しよう]


[お願いいたします。これは魔族の一員としてのみならず、王都テイレシア自警団の副官という立場からのお願いでもあります]


[うん]


 こんこんと説いて来るセファールに対し、不承不承ふしょうぶしょうと言った感じでアナトの件について了承したものの、バアル=ゼブルの心中はやはり穏やかなものでは済まない。


(ちっくしょう! 気分転換に来たはずなのに、悪い方向に換わっちまってるじゃねえか! ぐぬぬぬぬ……この怒り、どうしてくれよう!)


 すべては彼の招いたことなのだが。


 それでもバアル=ゼブルが床に縮こまったまま拳を人知れず握り締め、歯軋りをしていると、部屋のドアがノックされる。


 ノックに応じたフェルナンが、ドアの外に居る人物に詰問の声を飛ばすと、少し間を置いてドアの外から返って来たのは、高原の風のような涼しげな声。


「俺だ、団長。午前の市内の見回りから戻ってきた」


 それはフェルナンについている二人の副官のうちの一人、八雲であった。



「なるほど、やはり客人が居たか。お初にお目にかかる、俺は王都テイレシア自警団で副官を勤める事になった八雲と言う者だ」


 執務室に入ってきた八雲は、そう言って床に座っているバアル=ゼブルに会釈をし、そしてその座り方――背筋を伸ばした姿勢での正座――を見て軽く目をみはる。


「しかしこのような西方に来てまで、我が故郷の作法を見ることになろうとは。その姿勢、振る舞い、魔族の中でもかなり上の階級にいる方とお見受けしたが、どうだ」


 実情はまるで違うのだが、どうやらその座り方は八雲にとって大層お気に召すものだったらしく、外の快適な空気を軽く肌にまとわせながら入ってきた彼の顔は、実に機嫌が良さそうに見えた。


 そして不思議な事に、八雲と自己紹介した男が部屋に入ってきた途端、今まで重く感じられていた部屋の雰囲気は若干軽くなったように感じられ、またフェルナンとセファールの機嫌も良くなったように思える。


 その隙に……と言うわけでもないだろうが、八雲が差し出してきた手を受け取るためゆっくりとバアル=ゼブルは立ち上がり、しっかりと握り返し。


[俺は闇の四属性、風の座に着いているバアル=ゼブルと言う者だ。よろしく頼む]


 二人が手を取り合い、挨拶を交わすその光景は美しく壮麗。


 吟遊詩人が見れば必ず詩にするであろうと思わせるほどだった。


 そして二人が手を離した後、フェルナンの方を見た八雲が溜息交じりに口を開く。


「そう言えば団長、合言葉と言うものはいつ撤廃するんだ? 一々覚えなければいけないから面倒だし、負担が増えたと副官に就任したばかりの俺にすら部下からそれとなく苦情が来ている。何より、魔族に見つかったら色々と面倒ではないか?」


 その魔族の目の前で堂々とフェルナンに進言する八雲の表情は、上司に具申すると言った真剣な面持ちではなく、まるで我を張る子供に対して大人が呆れながら説得を試みている、と言った物である。


 確かに合言葉はここにいるバアル=ゼブルの勝手な侵入、悪戯を防ぐ為に導入したのだから、当の本人が中にいるこの状態では導入した意味がまったく無い。


 さらにこの先も部屋の中に入れることがあるのなら、合言葉は不要と断じざるを得ないだろう。


「……今回は特例じゃ。セファールも何か言いたいことがあったようなのでな」


 腕を組み、重々しく答えるフェルナン。


 その眉間には、彫刻刀で刻まれたような深く長いしわが縦に入っていた。


 まるで互いの間に出来た溝の深さそのものにも見える眉間のしわを見た八雲は、これ以上の説得は今は無理とでも考えたのか、肩をすくめると午前の見回りで何も無かったことを伝える。


 そして先ほど席を外して食堂の様子を見に行ったセファールが、昼食の用意が出来たと呼びに来たために二人は食事にするべく食堂に向かうが、その途中で再び八雲はフェルナンに苦言を呈した。


「意地は張るより通す方が見栄えがいいぞ団長」


「……分かった分かった、確かにあやつを入れてしまった時点で合言葉の意味は失われておる、わしの負けじゃ。合言葉は無しとしよう」


「助かる」


 短く謝意を表すと、八雲は安堵した表情をフェルナンに見せる。


「これでようやく子供の口喧嘩のような合言葉を、部屋に入るたびに言わなくて済むようになるか。モート、ハゲ、などと言う合言葉を聞かれたら、恥ずかしくて二度と本人の目の前に出られなくなる所だった。一応は俺を推薦してくれた恩人だからな」


「ふん、わしにとっては忌々しい不法占拠者じゃ」


 八雲は毒を口から吐き散らすフェルナンを見て溜息をつき、更に忠告をする。


「そもそも団長もハゲだろう。ハゲはハゲ同士、仲良くやってはどうだ」


「だまれ! 貴様とバアル=ゼブルにだけは言われとうないわい!」


 たちまち頭に浮き出る血管の様子が手に取るように判る頭部の持ち主フェルナンは、そのままずかずかと廊下を踏み鳴らしながら足早に食堂へ向かう。


 原因となった八雲と言えば、その後を苦笑しながら追いかけていくのだった。

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