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第36-1話 八咫鏡

 それは遥か昔のこと。


 八雲と名乗った男は、生まれ故郷を出奔しゅっぽんした。


 いや、それは自分が作り出した記憶で、実際には追放されたのかも知れない。


 だがそのどちらが故郷を後にする理由であっても、男は自分が努めて思い出さなければならないほどの魅力を感じなかった。


 従って自分が生まれいずる因となった土地と民を捨て、国を出ると言う自らの存続に関わるほどの重大な結末、そこに至るまでの経緯に興味も湧かなかった。


 もしくは特に経緯など無く、故郷に留まる価値、そして意味を感じなかったから、故郷の外に向かって歩き始めた足を止めなかった。


 単にそれだけの話だったかも知れない。


 歩みを始めた男は幾多の山野を越え、多くの村に立ち寄り、数え切れない人々との出会いと別れを繰り返しながら旅を続ける。


 そしてある日のこと。


 谷、あるいは洞窟だったかも知れないが、男がそこを進んでいると遂に旅を終えざるを得ないかと思わせるような、見上げるほどに巨大な岩が男の行く手を遮る。


 しかし男は腰に下げている剣を何気ない仕草で引き抜くと、目の前に立ち塞がる巨岩を一刀の下に切り裂いて更に進んだ。


 岩の向こうは一寸先が見えぬほど暗闇に満ちた、果てしない下り坂。


 しかしその果てにこそ目的があるのだとばかりに男がそこを下っていくと、周囲が急に光に包まれ、男はあまりの眩さに一瞬目を閉じる。


 そして再び目を開けた時には、つい先ほどまで暗闇に満ちた下り坂を歩んでいたはずの男の周囲は、驚くことに無限の広がりを見せる草原へとその佇まいを変えていた。


 周囲に拡がる景色のあまりの落差に男は立ち止まるが、空から降り注ぐ柔らかい陽光に何かを感じ取ったのか、空に手をかざして数瞬の時を経ると、男は西へ歩き出す。


 それが八雲にとって、終わりの知れぬ旅の本当の始まりだった。



 そして今。


 ここはアルメトラ大陸の西端にほど近い、聖テイレシア王国の王都テイレシア。


 国から国を渡り歩く傭兵になっていた男は、偶然なのか奇妙な縁によるものか、王都テイレシアの市民の平和を守る自警団の副官になろうとしていた。


 彼の旅路は苦難に満ちることを約束されているかのような試練を与えられて。



「さて、どうしたものか」


 東方より来たりし、超越した存在。


 そうジョーカーに紹介された男、自らを八雲と名乗った存在はそう一人ごちた。


 新しい勤め先(のはず)であるテイレシア自警団。


 それを束ねる団長フェルナンは、確かに自分のことを歓迎すると言ったはずなのだが、周囲の状況を見渡す限りではとても歓迎している雰囲気には見えない。


 例えるなら、入ったばかりの余所者が副官となり、実戦部隊を率いることになった。


 それが気に入らない複数の古株が、副官を脅しあげているといった所だろうか。


 新入りと言う区分であれば、八雲に先立つこと数日前に副官になったセファールもそうだし、彼女の場合は余所者どころか魔族の一員である。


 しかし八雲と違ってセファールは如何せん容姿が見目麗しい、華奢な女性。


 それにその仕事は、どちらかと言えばフェルナン付きの補佐官と言った所である。


 つまり報告書や陳情書などの事務仕事が主な任務であって、魔物の鎮圧などの実戦の出動は今まで一度も無い。


 勿論その実力は、今のところ自警団に所属している誰よりも上であることは間違いないが、市中の平和を維持する現場仕事より、事務仕事の方がよほど処理案件が溜まっていると言う現実から、現場に出ることをフェルナンが許していなかったのだ。


 一方、屈強な男性であるところの八雲。


 剣を腰に帯びるなど武装もしており、何より出自がはっきりとしていない上に密偵の嫌疑をかけられている、と言うことが今の状況を呼んだ最大の原因だろう。


 隊長格の腕を持つ者たちと手合わせとの名目で、閲兵場の真ん中で立っている八雲を囲んでいる人数は十人。


 内訳は自警団の隊長格が四人、遊撃隊の生き残り(四名が反乱の手引きをした後に城で死亡)から一人、反乱に加わらなかった元騎士団の主だった者たちの五人で計十人。


 元々民兵であった自警団の四人はともかく、他の六人はそこそこの腕を持つ元騎士たちであり、返却された退魔装備を防具のみとは言え全員が装着している。


 これで武器を帯び、結界が完璧であったなら、旧神や堕天使ですら五体満足では済まないであろうほどの戦力である。


 自分の周囲を取り囲むそれら手練れの相手を見ながら、八雲はぼんやりと先ほどのフェルナンとの会話を思い出していた。




「なるほど、なぜ新参者の指示に従わねばならないのか、と言う不満を間違いなく抱くであろう部下たちと試合をして、俺が完膚なきまでに彼らを叩き伏せて言うことを聞かせる契機とするのは、まぁ分かりやすいやり方と言えなくもない」


 八雲は目の前に並ぶ男たちを見ながら、隣にいるフェルナンへ呆れた声で呟く。 


「……しかしその手法は、少々古典的過ぎて面白味に欠けるな団長殿」


「どうせワシは古くて頭の固い老人じゃ。面白味に欠けてすまなんだな」


「拗ねたのか?」


 その軽口に鼻を鳴らし、眉間にシワを寄せたフェルナンが八雲へ指先を向ける。


「人生の先達からの忠告じゃ。皮肉を言った相手の機嫌を気にするくらいなら、最初から余計なことを言わないことじゃ……っと、お主は人間ではないし人生とは言わんか」


「気にするな。我々は不老と言っていい存在だが不死ではなく、また姿形も人と近しいから間違われることも多い」


 八雲は軽く首を振ってから、先ほどの補足をする。


「俺が言いたいのは、これから仲間になる者ではなく、モートやジョーカーと言った力を持つ魔物と戦った方が、俺の実力を示せるのではないかと言うことだ」


 フェルナンはそれも考えなくは無かったが、と前置きをすると、今回の手合わせの組み合わせになった理由を話す。


「今は反乱を鎮圧したばかりで、人と魔の間柄が微妙な状態だから無闇に刺激するな、とのことじゃ。今回ばかりは先人の知恵に倣って部下とやりあってくれ」


「これから上司になる者の言葉とあれば仕方が無いか。しかし先人の知恵とは、物は言いようだな」


 再び苦笑する八雲に対し、フェルナンはお手上げと言った姿勢を見せると、彼と試合をする自警団と元騎士団の間に進み出で、試合開始を告げると戦いに巻き込まれない程度の位置まで後ずさる。



(ま、ワシの目的はお前の力を見極るだけでなく、この機会に自警団の力を外部に知らしめること。騎士団や市民が魔物のみならず、自警団まで敵に回して反乱を起こすことを未然に防止することじゃがな。反乱の度に戦力を逐次投入させては無駄死にじゃ)



(……と言った事を考えているのだろう。まったく人と言うのは食えない存在だな)


 八雲は自分より遠ざかったフェルナンを半眼で見つめると、それから彼の周囲にいる相手を順番にゆっくりと見つめる。


 彼らが少しでも動きを見せれば腰を落とし、肩の動きで牽制をする彼の肩からは、少し前かがみになっていた体勢のせいか、背中に流していた艶やかな長い黒髪がゆっくりと前に流れ落ちていった。


(彼らと俺との力量差が圧倒的であることを見せ付ける……それもなるべく怪我をさせないように、だな)


 不意に八雲は相手に向けていた気を霧散させ、ほぼ同時に相手への牽制としていた構えを解くと、棒立ちになってゆっくりと正面の相手に歩みより始める。


「な、なんだっ!?」


 彼らが予想だにしていなかった八雲の動き。


 全員が虚を突かれ、思わず後ずさりをする者も出る中、八雲はその後ずさる動きに合わせたかのように気勢を上げる。


 気圧けおされたか。


 まるで申し合わせたかのように、全員が八雲へ一斉に飛び掛っていく。


 気合の声をあげ、次々にかかってくる手合わせの相手に対し、八雲は自然体のまま周囲に気を配ると、小さく口中で呟いた。


八咫鏡やたのかがみ


 消えた。


 斬りかかっていく彼らがそう思った瞬間、八雲の姿は全員の目の前に現れていた。


 驚愕、あるいは呆然と言った表情を浮かべた彼らが、防御の考えに至った時には、既に八雲が両の掌を重ね、鋭い踏み込みと共に彼らのみぞおちに押し当てていた。


 自己強化を主な目的とし、防御にはそれほど優れていない退魔装備。


 それでも金属鎧を身に着けているはずの彼らが、八雲に軽く手を押し当てられたとしか見えない彼らが、悶絶して地面に崩れ落ちる。


「もう少し手加減しておくべきだったか。宿っている力の大きさにしては、防御はそれほどでもないな」


 彼を囲んでいた全員が地面に転がり、苦悶の表情を浮かべる中。


 八雲だけが涼しい顔をしたまま、その白い装束を風になびかせていた。

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