第34-1話 灼熱の槍
体を包む痛みにアルバトールが目を覚ました時、その体は礼拝堂の寝室にある人間用のベッドの上にあった。
「大丈夫でございますか、アルバ様」
聞きなれたその声に横を向けば、そこには椅子に座ったベルトラムがおり、心配そうな表情でアルバトールの顔を見降ろしていた。
「ちょっと痛むけど大丈夫かな……ん?」
返事と同時に額から何かずり落ちるような感触を感じた彼は、それが何なのかを確かめるために手を伸ばそうとする。
しかしすぐにベルトラムの手がそちらに差し伸べられ、水を絞る音と共に彼の額に柔らかい感触のもの、おそらくはタオルが再び乗せられていた。
「僕が気絶してからどれくらいの時間が経った?」
「およそ三十分ほどかと」
「そうか。まさかドワーフたちに会うだけで、こんなに時間を使う羽目になるとはね」
アルバトールは苦笑すると、ベルトラムの気遣う声を聞きながらベッドから起き上がり、寝室の扉を開こうとするが。
(物音や話し声は聞こえない……大丈夫か)
先ほどの一件を思い出したのか、アルバトールはドアノブに伸ばしかけた手を止め、慎重に隣の部屋の気配を探り、しかる後に扉を開けて寝室を出る。
するとそこには、見覚えのあるドワーフの男女がいた。
「あんれー、天使様、ようやく目を覚ましなすっただかー」
「申し訳ねっぺ。この前天使様に会ったことを皆に話すたら、そりゃあもう羨ますがってな。そんで今日また天使様がここに来るってうっかり口を滑らせちまったら、皆地上に上がってきちまってよう」
「皆?」
「すかす驚いちまったなや。天使様だけかと思っでだら神父様まで戻ってきちまって」
「……神父様?」
彼が修行に来た時、ドワーフの夫妻が話していた不在の神父。
本来の礼拝堂の主人であるらしき、その人物が帰って来たのかと思ったアルバトールは、訪問の挨拶をしようと神父の所在を聞くが、それを聞いたドワーフの妻は不思議そうな顔をし、アルバトールに答える。
「あんれまーやだよー、天使様の介抱をされてた方が神父様だよー。あんれー? どうしただ神父様そんただ顔してー。もしかして二人きりで過ごしたあの熱い夜を忘れちまっただかー?」
「ええええええ!?」
ドワーフ妻の大胆な告白に驚いたアルバトールが横にいるベルトラムを見れば、彼の表情もまた困惑をそのまま形にしたものだった。
それからしばらくして。
「つまりこのベルトラムは我が家に仕えている執事であり、この教会に立ち寄った覚えも無ければ、ましてや神父になった覚えもないと」
いつの間にか十人以上に膨れ上がったドワーフたちを前に、アルバトールはベルトラムに関する来歴について説明をしていた。
と言うのも、どうやらこの礼拝堂はドワーフたちの集落の上に建っているらしく、地下へ向かう扉の先がその集落へ通じる通路とのことで。
従ってドワーフがいつの間にか増えたり減ったり、膨らんだり縮んだりするのも不思議は無い、との説明を彼はドワーフ夫妻から受けたアルバトールは、いや人数は膨らんでも縮みはしないだろうとの感想を述べていた。
(それにしても紛らわしいなぁ。炉の炎で負った火傷を一晩掛けて癒してくれた。と言えば済む物を、なぜわざわざ二人きりで過ごした熱い夜などと言う表現にするのか)
アルバトールのそんな気苦労を余所に、ドワーフたちは未だにベルトラムを昔この礼拝堂に居た神父と思い込んでおり、ベルトラムを集団で取り囲んでじっと見つめ、時折つついたり、その頬をぺちぺちと触ったりしている。
「そんただこつ言っても天使様。おらたつドワーフは人間一人一人の顔の見分けに苦労するくらいなのに、一目で神父様と執事が同じ顔と判る時点でおかしくねっぺか?」
「……そう言えば私もあなた達の見分けがつきにくいですね」
「なんだと! ふつーは髭のツヤと形と本数で見分けがつくっぺよ!」
「無理です」
そのドワーフとのやりとりを契機とし、周囲を巻き込んだヒゲ論議に花が咲き始めた場を尻目に、アルバトールはベルトラムの顔を見ながらその過去を今一度振り返る。
彼は孤児である。
そして孤児院を出た後、少しだけフォルセール城の衛兵となったが、手柄を立てる機会があまり無い為に衛兵の職を辞して再び孤児院に戻り、その後に剣の腕を見込まれてトール家の護衛を兼ねた執事となった。
(つまり、神父になる時間的余裕がまるで無いんだよね……これで神父様って言われても、ベルトラムも困るよね)
思い出している途中で、困った顔をしているベルトラムと視線が合ったアルバトールは、その周囲を囲んでいるドワーフたちに視線を移し、そしてベルトラムを放置したまま、ヒゲは染めるべきか染めないべきかで会話がヒートアップしている様を見る。
(……ダメだこりゃ)
これ以上時間を無駄にしてはいけない。
そう感じたアルバトールは、本来の用件であるベルトラム用の装備を出してくれるようにドワーフたちに告げると、意外とあっさりその頼みは聞き届けられる。
「んじゃすぐに持ってくるだよ。その間に天使様と神父様に、黒と茶のどちらのヒゲが強いのか決めてもらうだ」
「無理です」
その冷たい反応に対し、再びヒゲについての熱い思いを語り出すドワーフたち。
「ヒゲなんてまだ殆ど生えてもいない僕に聞いても無駄でしょう。それより神父様はいつ頃お姿を消してしまわれたのです?」
流石にヒゲ談議に耐えかねたアルバトールは、神父が居なくなった時期を聞いて話題の切り替えを図る。
「んー? いつだっただか?」「おらの娘っこがザグンのとこに嫁に行った時期だったような」「ん? 確かダッガが産まれた年じゃなかったっぺか?」「んじゃ30年くらい前だっぺかね」「言われた装備持ってきただよー」「持ってきただー」「鎧だけだったっぺか?」「槍もあっただよ」「あっただかー?」「面倒だから一緒に渡すっぺよ」「んだな、渡さなかったら司祭様に怒られっけど渡して怒られることはなかっぺよ」
鎧が一揃い持ってこられた後、割とどうでも良さそうな適当な理由で槍が持ってこられるが、その槍は緋色に輝き、どう見てもただの槍には見えない業物。
一言で例えるならば、魔槍と表現するにふさわしい鬼気を放っていた。
「……こんな槍を僕たちに渡して本当に大丈夫なんですか?」
そのアルバトールの忠告に対し、ドワーフたちは一斉にウンウン、と頷く。
「ピサールの毒槍? とか言うものらしいっぺ。まぁ怒られたら返してもらうかもしれないから大事に使ってほしいっぺ」
「毒って……なんか物凄く不安になる銘なんですけど本当に大丈夫なんですか?」
アルバトールの言葉に、今度は一斉にザザザッと首を傾げるドワーフたち。
「まぁ大丈夫だっぺ。司祭様から預かる時に、東に居る天使様から預かった大事な槍って言ってただから、大事に扱えばいいと思うっぺ」
「不安しか残らないのでお返しします」
「そこまで言うなら仕方ないだ。任務が失敗しないように万全を期してください、と司祭様に言われてたから、おらたちは万全を期しただけだのに」
そう言うとドワーフ夫が、槍からなるべく体を遠ざけた体勢で腕を伸ばし、受け取ろうとする振りをしてそのまま後ずさる。
背けた顔は目を閉じて歯を食いしばっており、その姿を見た誰もが憐憫の情を感じるであろうものだった。
「……この槍の性能を教えていただけますか? 呪われてはいませんよね?」
その顔を見て、またエルザから任務に万全を期す為、とドワーフが聞かされていたことを知り、諦め半分と言った感じでアルバトールはドワーフに詳細を聞く。
しかしその答えは存外、あっさりとした口調で返って来た。
「ドワーフの主義は安全第一だから大丈夫だっぺ。ええと、たしか東に居る天使様から施された封を完全に解いた時は、町一つが溶解する程度の威力らしいっぺ」
「任務に万全を期すどころか不安材料しかないじゃないですかッ! 安全第一のドワーフの主義はどこいった!?」
「落ち着くだよ天使様。完全に封を解けば、の話しだっぺ。それにおらたつもあんな物騒な……じゃなかっただ。天使様の役に立ちそうな槍を、ここで持ち腐れにしておく訳にはいかないだよ」
あからさまな厄介払い。
つぶらな瞳で見上げてくるドワーフに、アルバトールが覚えたのは絶望だった。
(こちらが望んでいない時に、望んでいない結果を押し付け、唐突に去って行く……天使や神が天災に例えられるわけが、ちょっぴり分かった気がするなぁ……)
きちんと聖霊との接続を完全に断った後にそう考えると、アルバトールはドワーフから押し付けられた槍を手に持つが、ドワーフたちから口々に神父様用の槍と文句を言われた彼は、しぶしぶピサールの毒槍をベルトラムに手渡す。
「使用法は?」
完全に封を解けば、町一つを溶解するほどの槍。
先ほどの恐ろしい説明を聞いても、まるで動ずる気配を見せないままにベルトラムは槍を受け取る。
「水のガブリエルに許しを請えば封印が解けると言ってたっぺが……どうやって許しを請うのかはさっぱりだっぺ」
「ふむ、ガブリエルと言えば、大天使ミカエルに次ぐ力を持つと言われる天使のことですが、それに許しを請うとは一体? お分かりになりますか、アルバ様」
「ちょっとエルザ司祭に聞いてみるよ」
その言葉と共に、アルバトールは再び聖霊との接続を強め、槍についての仔細を聞くべく、エルザとの遠話を試み始めたのだった。