第3ー2話 未来設計
次の日。
「いやぁ、昨日の宴は格別でしたな。若様も久しぶりに羽根を伸ばせたのでは」
「ええ」
「それにしてもあのワイン! 思い出すだけで恍惚とした気分になれますな! あのワインに出会えただけでも、今回の任務は実りあるものでございました!」
「はい」
「はて、なにやら顔色が優れぬご様子……さては昨日の怪我がまだ治りきっていないのでは」
「いえ」
「そうですか。それではワシは隊の点呼を取ってまいります」
出発の日の朝、四人が朝食をとっているテーブルからエンツォが勢いよく立ち上がり、宿の入り口に向かっていく。
その後姿を見送るアルバトールは、エンツォの首筋にアザのようなものを見つけていたのだが、それをエンツォに忠告する気にはならなかった。
(ま、一夜の恋を見繕ったと言う事なんだろうな)
エンツォ家とは長く懇意にしているが、アルバトールが見る限り、決して夫婦仲が悪いと言う訳ではない。
子宝にも恵まれているので、これはエンツォの性分と言う事なのだろう。
(戻って早々、仕事になりそうだな……エレーヌ小隊長は、エンツォ殿の見張りをしていなかったんだろうか)
内心でそうボヤいた彼は、エルザにエンツォの治療を頼んでみようか、と考える。
しかしエルザの昨日の様子では、浮気の証拠消しで法術を使ってはくれないだろう(むしろ面白がって告げ口をする可能性の方が高かった)と彼は結論を出し、そのままげんなりとした表情で、柔らかい春キャベツが入ったサラダをつつく。
そんな彼の隣の席では、エルザが象牙のような滑らかな指でパンをつまんでいた。
真向いに座っているエレーヌが、どんよりと暗い顔をして頭を抱えているのに対し、エルザは澄ました顔で、甘めのワインを水で薄め、レモン汁を数滴垂らした物を水代わりに飲みながら、相席の二人を見つめる。
「あらあら、食が進んでいないようですわね、アルバトール卿、エレーヌ様」
「そうですね……」
「うう、酒に酔っていたとは言え、私は何とはしたないことを……」
そして悩むエレーヌの横では、エルザの問いかけに顔も上げず、重い口調で返答するアルバトールが、サラダの中に虫でも発見したかのように、フォークでサラダをもてあそんでいた。
そんな彼が考えていたこととは。
(……頭が重い)
昨日の暴飲暴食、それに加えて徹夜も効いているのだろうが、それだけでは説明できない痛みが、彼の頭と肩にのしかかっていた。
(手伝ってくれたのはありがたいけど、あそこまでする事もないよね……うえっぷ)
とりあえず任務の詳細を忘れないうちに、下書きだけでも、と思って、エルザの手助けを受けたのが彼の間違いだった。
(こちらが眠そうにしただけで手の平や肩を鞭で打つわ、目覚ましと言ってレモンの汁をかけてくるわ、あれではまるで、手伝いどころか子供の悪戯だよ……大体レモンの汁とかどこに持ってたんだ?)
「昔はこのくらいでへこたれるような事はありませんでしたのにねぇ」
手の平を見る仕草で感づかれたのか、まるでアルバトールの考えを見透かしたような言葉をエルザが投げかけてくる。
そのエルザの挑発に対し、黙ったままでは敗北を認めることになるとでも思ったのだろうか。
二日酔いの体に鞭打ち、頑張って急に立ち上がろうとするアルバトールだったが、その瞬間に赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、彼とエルザは声のほうへ注意を向ける。
「子はかすがい、とは良く言ったものだね。子供の前でケンカしちゃいけないよ、お二人さん。年長者からの助言だ」
赤ん坊を背負って出てきた宿のおかみに諭され、アルバトールは拗ねたように口を少し尖らせる。
「別に夫婦と言うわけではないのですけど……」
そのアルバトールの物言いに、エルザは軽口で返答をした。
「私は別に構いませんわ。まぁこの殿方は夫になるにはまだまだ頼りなく、家庭を支えるには忍耐が足りないようにも見えますが」
それを聞き、恨みがましい視線をエルザに向けるアルバトールを見かねたのか、軽く手を叩いて、宿屋のおかみが仲裁に入る。
だが、見た目ほどアルバトールは怒っていたわけでは無く、おかみが仲裁に入った時には、既に別の感情が彼の中に芽生えていた。
(う~ん……家庭と最もかけ離れた存在が、この人なんだけどな)
夫婦に間違われた事は、この際アルバトールの中ではさほど問題ではなかった。
エルザの実年齢がどうあれ、見た目は妙齢、かつ美しい女性であり、夫婦であるか否かを問うのであれば、むしろアルバトールの見た目の幼さの方が問題であったろう。
ともあれ、男女二人が赤ん坊を連れているのだから、夫婦と言われても仕方のない状況ではある。
赤ん坊の世話を宿屋のおかみに任せるのも、子供が生まれても乳の出ない女性もいるので、不思議はなかった。
だが、アルバトールはそれでも、エルザが結婚する、と言った未来をまるで想像できなかった。
(エルザ司祭の浮世離れした容姿、世間の常識を物ともしない性格、世界の事象すら歪める事も可能なのではないか、と思われる圧倒的な暴力……いや法力)
とにかくその存在に関わる何もかもが、家庭に入ると言う幻想を打ち壊す脅威。
それがエルザと言う女性だった。
(それでも平和になれば)
アルバトールは賑やかに笑う赤ん坊に、微笑みながら考える。
(魔物がいない世の中になれば……エルザ司祭も、人並みの幸せを得る事が出来るかもしれない)
そう連想した彼は、即座に次の段階に進んで思案を始める。
その時までに、エルザにあてがう人物をリストアップしておくこと。
条件としては、自分の生まれ育った城より、遠く離れた場所に住んでいる。
そして、あの性格にも付いてこれる、もしくは引きずり込まれる性格であること。
実はアルバトールは二つ目の条件に見事に当てはまっているのだが、それに気づかないまま彼はアゴに手を当て、含み笑いをする。
エルザが自分の方を向き、何やら言ってきているようだが、どうせ昨日の件に対するお小言だろうと判断して無視を決め込んだアルバトールは、自らの思案に耽った。
そんな彼が、自分の朝食をエルザに全て取られてしまった事に気づくのは、エルザが席を外し、しばらく後になってからである。
「まだむくれていますの? あれほど何度も聞きましたのに」
馬上から聞いてくるエルザに、アルバトールはプイとそっぽを向いて無言を貫く。
結局あれからアルバトールは、泣く泣く朝食を諦めていた。
すぐに代わりを頼もうとはしたのだが、既に出立の刻限は迫っており、宿の主人から今からでは無理だと言われたのだ。
朝食がとれなかったこと自体は、二日酔いと睡眠不足で食欲が無かった事もあり、彼はそれほど悔やんではいない。
だがこの村の特産である、ワイルドベリーのジャムが入ったヨーグルトだけは食べておきたかったのだ。
もちろん単品で追加出来ないか、と宿の主人に頼み込みはしたものの、丁度先ほどの朝食で、ジャムの在庫が切れたと言われてしまったのである。
なぜ在庫が切れたのかと言えば、それもお代わりを頼んだエルザの仕業だった。
(むきいいいいい!)
と言うわけで、彼は歯ぎしりをしつつ、後ろ髪を引かれる思いで村を出立する羽目になっていた。
(……そう言えば、昔からエルザ司祭は食事を残すことに非常に敏感だったな)
だが同時にアルバトールは、司祭付きであった子供の頃を思い出していた。
「食事は、目の前に見えるものだけでは成り立ちません。野菜を作る人、肉をとってくる人、それらを運ぶ人、調理する人。その人たちへの感謝と、自らの命を供してくれた食材達に、感謝を忘れてはなりませんよ」
アルバトールが食事を残すたびに、エルザはそう言って悲しそうな顔をして彼に説き、そしてその後に残っている食事を口に無理矢理に詰め込むのだった。
おかげでそれがトラウマになり、二十歳になろうかと言う今になっても、ピーマンやニンジンを口にすることができない。
「それにしても、あのジャム入りのヨーグルト……あのヨーグルトに出会えただけでも、今回の任務についてきた甲斐があったと言うものですわ」
(チクショオオオオオ!)
朝食の件の非は彼に在るために反論もできず、アルバトールは仏頂面をしたままエルザの乗った馬を引く。
馬を引くなどと言う仕事も、貴族であり、騎士である彼の本来の仕事ではなく、馬の世話をする馬方の仕事なのだが、今回は危険な任務の為に連れてきていない。
また、報告書をまとめる仕事を手伝ったからその報酬だ、と言い張るエルザをなだめる為だ、と自分に言い聞かせた彼は、とぼとぼと馬につけた手綱を引いていた。
女性を歩かせ、自らが馬上に乗ると言う事は彼の信条に合わず、また人より格段に力を持つ馬を、人の歩く速さに合わせて引くと言う、意外に難しい作業の経験があるのがアルバトールとエンツォしかいない事。
それに村に来た時は、エンツォが馬を引いてきたので、帰る時は自分が引くと宣言をしていたこと、それらを考えるとやむを得ない、とアルバトールは自分を納得させようとしていた。
(ぐぬぬ……それでも納得いかない! いや、女性をいたわるのは至極当然の事だけど! そのいたわる対象がエルザ司祭と言う事が気に入らない!)
だがこの場合、そもそも馬を引く事になった原因は、自分の仕事を手伝ってくれたエルザへの報酬である。
そこに個人の好き嫌いを元にした不満を持つあたり、アルバトールも精神的にはまだまだ子供であった。
そして、不満そうな顔をしているはずの彼に、不満げな声がかけられる。
「随分と楽しそうだな……。夫婦に間違われたのが、そんなに嬉しかったのか?」
「えええっ!? いや楽しくなんてありませんよむしろ苦行……」
「あらあら、苦行だなんて騎士としてあるまじき言動ですわね」
「エエエエエエエエ!?」
エルザと夫婦に間違われた事が今になって問題となり、彼はエレーヌとエルザへその釈明をするのに、一苦労をすることとなる。
その後は、たわいもない話をしながら、彼らはこまめな休憩を挟みつつ歩き続けた。
魔物討伐の任務後で疲労が溜まっている事を考慮したせいもあって、その歩みは遅いものだったが、それでも夕刻になる頃には、彼らが生まれ育ったフォルセール城へ戻ってきていた。