第33-1話 思い思われ
シルヴェールの消息が途絶えた理由は迷子。
そのようなやりとりが執務室であったことも知らずに、書簡を受け取ったアルバトールは出立の準備を自室で進めていた。
執務室に呼び出されるまでの間に、彼なりに急いで準備はしていたのだが、未だ魔物たちに占領されていない領地を進むとは言っても、道中で何が起こるか判らない。
また有事が起こっている今、任務中の騎士が優先して宿泊できる宿に泊まれるか分からないことから、それなりの路銀や装備を整えていたのだ。
更に今回の道中では、彼の身の回りの世話をするベルトラムが随伴することになっており、彼の手を借りることも出来なかったため、思った以上の時間がかかっていた。
そのように慌しく出立の準備を進めている彼に、エルザからの遠話が入る。
その内容は、出立する前に郊外の礼拝堂で、ドワーフからベルトラム用の装備を受け取るように、とのものだった。
≪ちなみに、代金はお幾らほどでしょう?≫
≪その点に関しては心配いりませんわ。以前のことですが、彼らが崩落で大勢の怪我人を出した時にツケで……ではありませんでしたわ。私の慈悲を以って独断で彼らの治療にあたった時に、免罪符相当の金額の品を教会へ納めると契約を結んだのです≫
≪……まさか彼らに強制労働をさせているのでは≫
≪失礼な。私の職業と真の姿を何だと思っているのですか≫
≪申し訳ありません。日頃の司祭様の行動を思い出したら、ついそのような考えが≫
≪自他ともに厳しく律する聖職者であればこそ、そのように見えるのですわ≫
≪……そうかも知れませんね。それでは出立の準備がありますので、これにて≫
エルザとの遠話を打ち切ると、アルバトールは聖霊への接続を絞って持っていく荷物の最終確認に入る。
丁度その時、部屋の扉をノックしてベルトラムが入って来たので持っていく荷物のチェックを手伝ってもらった彼は、お気に入りの外套が無いことに気づく。
「ああ、それでしたら先日ほつれていることに気づいたアリアが補修をしてくれているはずですが。もう出来上がっていてもおかしくない頃でしょう」
「そっか。僕は荷物の確認が残っているから、悪いけどアリアに外套を貰ってきてくれるかい? ベルトラム」
「承知いたしましたアルバ様」
銀色の頭を軽く振って一礼をすると、ベルトラムはジュリエンヌの部屋に向かう。
しかしそこにはアリアはおらず、憔悴したアデライードと彼女を慰めるジュリエンヌがいるだけであった。
ベルトラムが部屋の主に事情を話すと、アリアは先ほど休憩に行ったと言うことで、彼は使用人たちに割り当てられた休憩室へ向かう。
(おや? 扉が……)
ジュリエンヌの部屋を辞したベルトラムが、いつものように余計な物音を立てずに廊下を歩いて休憩室につくと、扉が半開きになっている。
ベルトラムはそのエチケット違反に眉をひそめるも、一応ノックをしようと扉に近づいた時、部屋の中から押し殺したような声が彼の耳に滑り込んできていた。
「アルバ様……どうか御無事で……」
その声に足を止め、気配を殺して半開きになった扉に近づき、部屋の中を見れば、そこには修復を終えた外套を抱きしめ、アルバトールの旅の無事を祈るアリアの姿が。
ベルトラムは軽く溜息をついて首を振り、来た時のように物音を立てずに引き返すと、部屋に近づく方法をやり直すべく振り返る。
(なっ!?)
最初に彼の眼に入ったのは、部屋の扉の前に立つジュリエンヌの姿だった。
彼女のあどけない横顔を見た瞬間、ベルトラムの全身を得も言われぬ悪寒が貫く。
(間に合うか……!?)
中に居るアリアに気づかれないように慎重に、それでいて出来る限り急いでジュリエンヌを遠ざけようとする。
だがその苦労は徒労に終わった。
「アリアちゃん何してるの?」
ジュリエンヌがまるで悪気の無い声でアリアへ問いかけると同時に、ベルトラムは顔を右手で覆って天を仰いだ。
「……どうしたんだいベルトラム? 何か元気が無いみたいだけど」
外套をその手に持ち、部屋に戻ってきたベルトラムの表情は暗かった。
「いえ、少々ありまして……それはそれとしてアルバ様、アリアより外套を受け取ってまいりました」
「君がそんな歯切れの悪い答えを返すのも珍しいな。本当に大丈夫かい? 体調が悪いのなら誰か別の者についてきてもらうけど」
心配そうに顔を覗き込んでくるアルバトールに、ベルトラムは首を振って否定しながら先ほどの出来事を思い出す。
ジュリエンヌに質問された直後、顔を真っ赤にして狼狽し、呂律も回らなくなってしまったアリア。
あまりに気の毒な先ほどの彼女の姿を思い出し、ベルトラムは再び溜息をついたが、何か言いたげなアルバトールの顔を見てすぐに気を取り直すと笑顔で応える。
「そう? それじゃあ詰所で馬を用意してもらおうか。道中の街で次々と馬を換えて、順調に行けば五日ほどでアルストリアの中心、アルストリア城につくはずだ」
「承知しましたアルバ様」
「それと君のための装備を受け取りに、郊外の礼拝堂に行くようにエルザ司祭に言われてるから、まず最初の目的地はそこかな」
アルバトールのその言葉に、ベルトラムは怪訝そうな表情を浮かべる。
「まるで今回の任務の途中で、何かが起こることを予見しているようですな。何かが起きて欲しいと願っている、との表現が正しいかもしれませんが」
辛辣なベルトラムの物言いに、アルバトールは苦笑した。
「かも知れないね。でも本当に何かが起こる可能性は高い。天魔大戦が始まった今、魔物に遭遇する可能性は平時とは比較にならないほど高くなるみたいだし」
「確かにその通りでございますな」
「では行こう……っと、その前にアデライード様に挨拶をしておこう。先ほど別れた時の様子だと、精神的にかなり参っている様だったし」
ベルトラムが開けた部屋の扉からアルバトールが出て行くと、ベルトラムはその背中を見ながら静かに扉を閉める。
そして外套をアリアから受け取るにあたり、休憩室であったことをアルバトールに話すべきかどうか、ベルトラムは迷った。
逡巡の後、ベルトラムは主に忠実に仕える執事として、大事が起きているこの時に新たな問題をアルバトールに伝えることは、主の性格から言って好ましくないと判断し、胸の中に閉まっておく決断をしたのだった。
アルバトールがジュリエンヌの部屋の扉を開けた時。
アデライードはソファーに横になっていたが、アルバトールの声を聞くなり起き上がり、彼の目を真っ直ぐに見つめる。
その顔は先ほど別れた時より、随分と落ち着きを取り戻しているように見えた。
すぐにでも彼女を元気づけたい気持ちに駆られるものの、ここは淑女の部屋であり、彼は成人した男性。
入室の許可をまずは得るべきだが、それを取り継ぐ立場であるメイドのアリアの姿は無く、仕方なくアルバトールはジュリエンヌが話しかけてくるのを入り口で待つ。
「アル君どしたの?」
「出立前の挨拶に参りました」
それを聞いて、部屋の主人であるジュリエンヌはアデライードのそばへトコトコと近づき、なにやら耳打ちをする。
そして見送りの準備をすると言って部屋を出て行ってしまい、部屋の中にはアルバトールとアデライードの二人が残されることとなった。
二人は思わず顔を見合わせ、少しの間無言で見つめあうが、その間にも出立の時刻はが押し迫っている。
仕方なくアルバトールはアルストリア領へ使者に発つこと、そしてその理由をアデライードに切り出し、見る者を安心させる笑みを浮かべた。
「きっとアデライード様をお救い申し上げます」
「ありがとうございます、アルバトール様」
その言葉を最後にアルバトールはアデライードの前に跪き、彼女の手の平に口付けをして部屋を出て行く。
(どうかご無事で……)
少し震えた唇の感触が残る手の平。
アデライードはソファの上でそれをじっと見つめながら、アルバトールの旅の無事をいつまでも祈ったのだった。
そして姿を消したジュリエンヌは。
「アリアちゃん、アル君の見送りに行かないの?」
何故か使用人の休憩室にいた。
誰がいるとも知れぬ休憩室の片隅に向かい、話しかける彼女の姿はひどく奇異なものだったが、その眼差しが向いている方向を良く見れば、メイドであるアリアがカーテンの影に隠れ、背中を丸めて座り込んでいる。
背中しか見えない彼女の表情を窺い知ることはなかなか難しかったが、かすかに震えるその後姿と、わずかに聞こえてくる鼻をすする音を聞く限りでは、どうやらアリアは泣いている様であった。
「いいんです私なんて。どうか放って置いて下さい」
「でも見送りの準備するって、アル君に言ってきちゃったもん」
背中を見つめるジュリエンヌは、珍しく困ったような顔をしていた。
悩む前に動け。
それが身上であるジュリエンヌがそのような顔をすることは滅多に無かったが、彼女自身で解決出来ないものは、流石に他人の助けを借りるしかない。
「見送り……」
ジュリエンヌのその言葉を聞いたアリアは、何か思う所があったのだろうか。
のろのろと立ち上がって顔に掛けていたメガネを手に取ると、空いている手を使って目をこすり、鼻をすすってジュリエンヌの方へ向き直り、手を前で組んで会釈をする。
「何をしたらよろしいのでしょう、ジュリエンヌ様」
目と鼻の頭を真っ赤にし、必死にいつもの表情を取り戻そうとしているアリアを見ると、ジュリエンヌはその両手を握り、ニカッと彼女に笑いかけた。
「じゃあアル君を見送りに行こう!」
喜ぶジュリエンヌを見たアリアは不思議そうに顔を傾げ、疑問を口にした。
「あの、私は何の準備をしたらよろしいのでしょうか?」
主が何を言っているのか解らない。
きょとんとしたアリアの手をジュリエンヌは握りしめ、部屋の外へ懸命に引っ張る。
「もう準備できたよ! さ、行こう!」
「え? え?」
「アリアちゃんがアル君を見送らずに、誰が見送るの!」
それを聞いたアリアの目には、再び涙が浮かんでいた。
「でも、私こんな顔ですし……とてもアルバ様の前に出られるような状態では……」
いつになくおどおどとしているアリア。
まるでこっぴどく叱られた子供のように陰に籠ったアリアの表情、そして声を聞いたジュリエンヌは途端に頬を膨らませ、金切り声でアリアを元気づけ始めた。
「やる前から諦めない! アル君もいつもお世話してくれてるアリアちゃんが見送ってくれなかったら、アリアちゃんに何かあったんじゃないかって気にして、自分のお仕事に集中できなくなっちゃうよ!」
「は……い……はい、はい! はいっ!」
ジュリエンヌの勢いに押され、思わず返事をするアリア。
「急いで急いで! アリアちゃん走るよ!」
そうして廊下を走り、ホールへ向かう二人の姿を偶然見たベルナールは、淑女にあるまじき行為と彼女たちを咎めようとする。
しかしその肩を掴んできたフィリップの顔を見たベルナールは、一つ溜息をつくだけに留め、結局それを実行には移さなかった。
ジュリエンヌとアリアがホールに着いた時、そこには彼女たちの到着を待つアルバトールとベルトラムが居たのだが、まさか走ってくるとは思っていなかったのか、息を切らせた二人を見て彼らは軽く驚いた表情となっていた。
それに加え。
「アリア、何かあったの?」
「何でもありません。料理のお手伝いでタマネギを剥いていただけです」
「そ、そう……?」
目を腫らしたアリアの顔を見たアルバトールは、何か彼女にあったのではないかと心配そうに話しかけてくるが、既にアリアはいつものように澄ました顔になっており、その口調も冷たい物に戻っていた。
「それでは行ってまいります母上。行ってくるね、アリア」
「余計なことを考えず、任務に邁進されますように」
「うん頑張る」
そう言い残すとアルバトールは振り返り、アリアたちに背を向けて外へと歩き出す。
その背中を見つめるアリアの目は再び潤み、艶やかな唇は固く引き締められ。
その直後だった。
アリアの背中を、ジュリエンヌが渾身の力を振り絞って押し出したのは。
「あっ!?」
「どうしたアリア!」
アリアの声に驚いたアルバトールは振り返り、そしてその瞬間、押し出されたアリアの身体が、ジュリエンヌの標的であるアルバトールの胸へと飛び込んでいく。
思わずアリアを抱きしめたアルバトールは、女性らしさを感じさせるアリアの肉体に、健康な男性ならば当然の感情を抱いてしまっていた。
慌ててアリアの細い肩を両手で掴み、そしてすぐに優しく握りかえてアリアを支えるアルバトールだったが、ほぼ密着してしまった状態を経てしまった後では、二人ともお互いの存在を意識せずにはいられなかった。
「も、申し訳ありませんアルバ様」
「け、怪我……は……なか……った……アリア?」
だがそのやりとりの後に、顔を赤くしたままだったのはアルバトール一人だけ。
その顔を見てニコリと笑い、ジュリエンヌは二人の旅の無事を祈って手を振るが。
「危ないではないですか母上!」
顔を赤くしたアルバトールに詰め寄られ、彼女は不服そうに頬を膨らませる。
「アルストリア土産は何がいい? アリア」
ベルトラムはそれを横目で見ながら、アリアの方を振り返って簡単な別れの挨拶をするが、返ってきた言葉はアルバトールの無事が一番の土産、と言うものだった。
「……私はどうでもいいのか?」
「ベル兄様は責任の無いお立場ですから」
「やれやれ。どうやらアルバ様のお話も終わったようだ。行ってくる」
そうして玄関のホールに二人の女性を残し、彼らは出かけていった。
向かうは遠く離れたアルストリア領。
アリアは遠ざかっていく二人の背中が、次に帰って来る時は一回りも二回りも成長していることを信じ、手も振らずに頑なな表情のまま見送る。
隣のジュリエンヌはそんなアリアを見て、何か思う所があるのか少し遠慮がちな口調で彼女に話しかけていた。
「……身分なんて物に、そんな大層な価値は無いって思っていいよアリアちゃん。フィル君も辺境の領主の娘だったあたしを、望んでお嫁さんにしたくらいだしね」
「でも私は孤児で、出自も分からない卑しい身の上の者ですし……」
「国王だったリシャール陛下も、街娘のセシリアちゃんと結婚したよ? 結局は二人の気持ちの問題だよ」
「そのお気持ちも、アデライード様の下にあるのでは」
寂し気な笑顔を浮かべるアリアに、ジュリエンヌは思わず難しい顔をして腕を組む。
「うっ……う~ん……そうかも知れないね……」
「なので、私はこのままで満足です」
およそ感情が籠められていない、淡い笑顔。
そんな顔をされては、これ以上の会話は出来ないとばかりにジュリエンヌは声を張り上げた。
「それじゃあ、あたしも無理強いはしない! どうせアル君は使者のお仕事でしばらく留守だし、急いで結論を出すような問題でもないからね!」
そして二人は憔悴したアデライードのいる部屋へ戻って行き。
人のいなくなったホールは、しばしの間沈黙に包まれることとなる。




