第32話 次期国王の行方
解散の指示が出されてから数時間が過ぎた頃。
その間にも使者役に選ばれた騎士たちは、完成した書簡をベルナールより手渡されて次々と出立していた。
しかし真っ先に書簡を受け取るだろうと周囲から目されていたアルバトール。
彼は何故か、一番最後に呼び出されることとなっていた。
彼が向かうべき領地は、テイレシア北部から北東部に位置するアルストリア領。
それに対してフォルセールは、聖テイレシア西部のレオディール領と、聖テイレシアの中央を占める王都テイレシアとの中間に位置している。
かつてこの地にあった教会の直轄地を、譲り受ける形で成立したフォルセール。
そこからアルストリアへは、王都テイレシアを経由して向かうのが本来のルートであり、次点でテイレシアの北西部に位置するテオドール公の領地、アギルス領を通過する道程である。
しかし王都が魔物に占領されてしまった現在、王都を経由するのは言語道断。
さらに魔族に寝返った、テオドール公のアギルス領を通過することも危険であった。
よって現在、安全確実にフォルセールからアルストリアへ向かうには、王都テイレシアを大きく迂回して、聖テイレシア王国の東部を遠回りすることとなる。
更にアルストリア領を治める貴族は、今回使者を出す最大の原因であるガスパール。
いかに彼を重要視しているかは、ガスパールの元へと向かわせる使者を見れば一目瞭然だった。
フィリップ=トール=フォルセール侯爵の嫡男であり、この度の天魔大戦で生まれた天使でもあるアルバ=トール=フォルセール。
彼がアルストリア領に向かう使者であるからには、真っ先にアルバトールが呼ばれるだろうと全員が思っており、また当の本人もそう思っていた。
書簡を作るフィリップと、それを使者に手渡していくベルナール以外は。
他の使者が次々と城を飛び出していく中、ようやく自分の名前が呼ばれたアルバトールは急いで執務室へ向かい、扉のノックと自らの身分を証明する宣言を行う。
それに応え、執務室の中からベルナールが入室の許可を言い終わるか言い終わらないかのうちに、既にアルバトールは部屋の中へ飛び込んでいた。
そんな彼へフィリップとベルナールが向けた視線は、この上なく厳しいものだった。
「天使アルバトール。これがアルストリア領、ガスパール伯への書簡である」
ベルナールはそう宣言するが、フィリップより書簡を受け取る気配は無く、立ったままアルバトールをじっと見つめている。
そしてフィリップの方もそんなベルナールの行動を一向に咎めようとせず、アルバトールの顔を見つめるばかりであった。
アルバトールはそんな二人の様子に焦りを覚える。
事は一刻を争う。
そう認識しているのは、誰よりも目の前に居る二人ではなかったのか。
少しでも早くアルストリア領へ出立したいと言う焦燥感。
にも関わらず、執務室を支配したままの沈黙。
その重圧に耐え切れなくなったアルバトールは、自ら発言して書簡を求めるが、それでも二人の反応は無かった。
「……何のつもりですかお二人とも。こうしている間にもシルヴェール殿下は魔物に命を狙われ、王都を支配する魔物は着々と力をつけていると思われますが」
アルバトールがかなりきつい口調で二人に詰め寄っても反応は無い。
遂に彼は自分に何か落ち度があったのかと不安に駆られ、その仕草も落ち着きがないものに変化していったその時。
「こちらが何もせずとも相手の心を追い詰め、疑心暗鬼に追い込むことが出来る。これが駆け引きと言うものだ、アルバトール」
唐突にベルナールの声によって、部屋の沈黙は破られていた。
それを聞いた時、アルバトールは一体誰が、どの方向から声を発してきたのか、瞬時に判断できなかった。
何故ならアルバトールの視線は机の上に置かれた書簡、そして顔の前で手を組み、一向に書簡をベルナールに渡そうとしない父フィリップの姿に集中しており。
それはアルバトールのすぐ傍らに立つ、彼が敬愛する騎士団長ベルナールの存在すら忘れるほどだったからだ。
なぜ父フィリップが書簡を渡そうとしなかったのか、なぜ騎士団長ベルナールが押し黙ったままだったのか。
アルバトールは自分の役目が書簡を渡すだけではなく、ガスパール伯との交渉も任されている立場なのだと言う事に改めて気づき、書簡を届けることだけに思考が固まっていた自分を恥じた。
「すまないが君を試させてもらった。アルストリア領のガスパール伯は武一辺倒の男だが、その側近まで武に凝り固まっているわけではない。細心の注意を払って対応してくれ。交渉には時に押し、時に引くことが必要だからな」
「心得ました」
部屋に入ってきた時とは顔つきが見違えるように変わったアルバトールを見て、フィリップとベルナールは満足そうに微笑む。
「例えば一日の遅れが出そうになる状況が目の前にあったとする。だがその遅れを回避しようとした結果、十日を犠牲とすることもあると覚えておいてくれ」
「迅速と性急を一緒にするな、ですか」
「その通りだ」
ベルナールに代わり、アルバトールの言葉に頷いたのはフィリップであった。
「天使アルバトール、私の前へ」
言葉に従い、彼はフィリップの前に進み出ると跪き、次の言葉を待つ。
「例え一人が相手の弁に優位に立てても、相手が複数になればそうはいかぬ。多方面からそなたの発言を分析した結果の質疑は、たちまちそなたを不利とするだろう。相手の弁に即答は避け、熟考してなるべく多くの立場の目線から判断し、返答をするように」
「承知いたしました」
「そなたの言葉は我が言葉、そなたの意思は我が意思と心得るように」
アルバトールがフィリップより書簡を受け取って執務室より退出しようとした時、フィリップが最後の一言を送る。
「殿下の御性格は、自らを優先する余りに他のものを犠牲にすることを良しとはせぬお方だ。判断に迷う時はそれを念頭において返事をするように。責任は我らでとる」
その言葉に対し、アルバトールは口へと出して返答をせず、一礼を以って応える。
そして彼は任地へと赴くべく、胸を張ったまま廊下を進んでいった。
「行ったか……」
「寂しがっている暇はありませんぞフィリップ候。やることはまだまだ山積みです」
アルバトールを見送ると、フィリップとベルナールは魔物の侵攻、及びシルヴェールの探索の準備などを進めるためにフェリクスを呼んだ。
顔、名前の双方ともに王国中に知られている彼を他領地への使者に送らなかったのには、少々理由がある。
それは王都騎士団がフォルセールの機構に組み込まれてしまった、との印象を諸侯に与えることを避けるためであり、またフォルセールの戦力を必要以上に分散することによって、王都陥落の二の舞を避けるためでもあった。
すぐにフェリクスは到着し、挨拶もそこそこに彼らは議論を始める。
「しかし、これほどの騎士を使者を出せばどうしても戦力低下は否めませんが、魔物が攻めて来た時はどうしますか?」
エンツォほどではないものの、堂々とした偉丈夫であるフェリクスが疑問を発する。
ダークブラウンの髪を短く切りそろえ、まだ30にもなっていない彼の声には、他の二人には無い勢いがあるものだった。
その質問に答えるベルナールの髪は既に真っ白なもので、フォルセール騎士団をまとめる心労がどれほどのものなのかを如実に物語る色である。
「魔物の侵攻はほぼ無いと見てよいだろう。離間の策をこちらに仕掛けてきたことでもそれは明白だ」
フェリクスの疑問に対するベルナールの返答は明快だった。
「もし魔族がこちらに攻め寄せてくるのなら、わざわざ使者をこちらに寄越さずに不意打ちした方が余程効率がいい。つまりバジルを使者に寄越したのは、報告の内容に対して我々が議論、それに基づいた対応をすると想定した、時間稼ぎと考えて間違いない」
「時間稼ぎですか」
「また攻めてくるにしても、王都と違ってフォルセール城の結界はエルザ司祭を中心としたフォルセール教会によるもの。それが破られたり、効力を失うことは考えられん。かの聖女が裏切ることは、天地がひっくり返ってもありえないことだからな」
「しかし、テオドール公が裏切った事実を軽く見ることは出来ないかと」
フェリクスの言は正しいものであったが、ベルナールはエルザが間違いなく裏切らないことを、理屈ではなく直感で確信していた。
「確かにそうだ。しかしエルザ司祭がいなければ、フォルセールや聖テイレシアどころか、アルメトラ大陸すべてがとっくに魔族のものとなっていただろう。今になって裏切るような理由が無い」
「我々が各領主に使者を出すと魔族が予測し、使者を一人ずつ叩くと言う計略を立てた可能性は?」
「非効率極まりない。討つ価値があるとすればアルバトールくらいだろうが、どこに誰を使者に出すか分からない状況で、彼を倒せる実力者を何人もテイレシア全体に捜索に出して戦力を分散させるくらいなら、シルヴェール殿下の捜索を優先させるだろう」
「なるほど……つまり我々と同じく、魔物も余剰戦力が無い、と見ていいと?」
腑に落ちた様子であるフェリクスを見て、ベルナールは問題点は自分たちではなく別にあると告げる。
「気をつけるべきは我々ではなく、むしろ王都より出立した戦力だ。もし魔物が各個撃破を狙うとしたら、使者ではなく余剰戦力として動いている彼ら。王都陥落を知った彼らが無理に王都へ反転攻勢を行えば、無駄に戦力を削られることとなる」
フェリクスはベルナールより告げられた事実に、瞬時に顔を青ざめさせた。
「何か……打つ手は……?」
ベルナールは頭を振り、フェリクスに冷淡に事実のみを告げる。
「無い。一応レオディール領に向かった部隊にのみ聖霊による遠話が通じたらしいが、こちらに向かうか、レオディール領に逗留してあちらの守りを固めるかの決定は、レオディール領を治めるディオニシオ泊との交渉次第と言う事だ」
「おお、では宮廷魔術師の者たちは無事ですか」
「出来ればこちらに合流してもらい、王都奪還の戦力となってもらいたいものだが」
フォルセール領はそれほど広くはないものの、王都に最も近く、防御に優れたフォルセール城をその中核としている。
それだけに他国より攻められた場合には王都の最後の防壁となるが、同時にフォルセールが敵勢力に落とされた場合はテイレシアの喉に突きつけられた刃となる。
つまりフォルセールと言う難攻不落の拠点に遊軍を集中させることが、王都を奪還するために現状でとり得る最良の手だった。
そのような議論が白熱していると、殆ど議長のような役割に回っていたフィリップが、ベルナールとフェリクスに冷静さを取り戻させようとしてか、シルヴェールの身を案じる一言を呟き、我に返ったベルナールがそれに応じる。
「殿下は脱出の際に、陛下よりジョワユーズを譲り受けたと聞いております。ならば殿下の剣の腕と合わせれば、なまなかの魔物では相対することすら適わぬかと。……それでも未だ殿下の生死すら判らぬのは気にかかりますが」
「うむ、幾ら何でも遅すぎる」
「……」
二人のそのやりとりを聞いたフェリクスが、しばし迷う様子を見せる。
が、いつまでも黙っておいてもしょうがないと思ったのか、彼は顔に決意を漲らせて口を開いた。
「……殿下が未だどの領地にも辿り着いていない理由に、一つ心当たりがあります」
そのフェリクスの言葉を聞いて、ベルナールが不思議そうな顔をする。
「辿り着いていない? 辿り着けていないの間違いではないのか?」
だがそのベルナールの疑問を聞いて、何故か情けない表情になったフェリクスを見て、フィリップとベルナールは顔を見合わせた。
「実は、殿下は大変方向に疎く」
フェリクスはそこで続きを話してもいいのかどうか、迷ったように言葉を止める。
それを見たベルナールが、すぐにフェリクス続きを話すように促し、それに後押しされた形でフェリクスは先ほどの話の続きを喋り始めた。
「騎士団の野戦訓練に参加されれば、指揮された部隊を幾度と無く迷わせ、殿下自ら偵察役に出ると志願されれば、訓練が終わった後に殿下を捜索に出るのが当たり前となっていた始末。おそらく今もどこかで……」
「なるほど、な……確かにそう言う体質をお持ちであったな」
流石に近い将来、主君となるべき身分のシルヴェールが現在も迷子になっているであろうとは言えず、そこで再び口をつぐむフェリクス。
目を閉じ、天井を仰ぎ見るフィリップ。
腕を組み、考え込むベルナール。
三者三様の反応を導き出す原因となった、聖テイレシアの次期君主たるシルヴェールの安否は、この時点ではまだ不明である。
今回、まるで取ってつけたようにシルヴェールに迷子属性が実装されましたが、実際に取ってつけた設定です。
ジョーカーに色々悪さをさせすぎたせいで、彼が王都より脱出してから1週間以上が経つのに、未だフォルセールについていない、魔物にも討伐されていない事になっている事態に気づき、慌ててつけた次第です。
ごめんよシルヴェール君。君の犠牲は無駄にはしない。