第31-1話 風雲急を告げ
「すまない! 道を開けてくれ!」
アルバトールの叫びと共に、大通りを塞ぎかけていた人々が再び脇へ退く。
領主の館に緊急の出仕、それも短い間に二度である。
大通りの端へ移動していく人々の顔は、いつもの笑顔と違って緊張に満ちていた。
だが走り抜けていく彼らに質問をして、その足を止めようとする者は居ない。
知らせるべき情報と、知らせるべきでない情報。
情報にはその二種類があることをフォルセールの民は知っており、そして彼らの領主が正しい判断をくだすことを知っていた。
その判断に対して、自分たちがどう接するべきかも。
聖テイレシア王国フォルセール領。
その地に住まう民として、彼らは粛々と普段通りの生活を営みながらも、来るべき時に備えて動き始める。
そして届けられた情報を確認するべく、領主の館へ向かって走るアルバトールたちは、思うように縮まらない距離を見て焦燥感に包まれていた。
(館が……遠い!)
もしもこの時、アルバトールとフェリクスだけなら既に城へと着いていただろう。
しかし彼らは女性である(しかも帯で必要以上に体を締め付けた)アデライードを連れており、必然的にその歩みは遅いものだった。
アルバトールとフェリクス、二人のうち一人だけでも先に城に戻り、先に王都陥落の詳細を聞くことも考えたのだが、その場合は重荷である現実をアデライードに否が応でも突き付けることになってしまう。
何よりこの三人の中で一番早く城に戻り、詳細を聞きたいのは当の重荷であるアデライード自身なのだ。
そんな彼女を放って先に戻るなど、彼らには到底出来ないものだった。
「アルバトール様、自分以外の者を抱えて飛行術を使えませんか?」
そんな中、唐突にアデライードより飛行術の使用を求める提案が出る。
しかしアルバトールは単身で飛行術を使用したことはあっても、他人を連れて飛んだことはない。
更に精霊魔術を使うにあたっては細心の注意が必要であり、もし暴走した場合にはアデライードの身の安全は保障出来ないだろう。
それを説明すると、アデライードの表情は瞬時に曇った。
(何とかしたいが、こればかりは……)
馬を連れてくれば良かったのだが、生憎と今日は視察が目的であったために馬は乗ってきていない。
馬に与える飼葉、水の確保、そしてそれに伴う排泄物が出るのはどうしても避けられないため、なるべく市街では(と言うかアデライードと二人きりで行う視察中に排泄物の処理をしたくなかったので)乗りたくないという気持ちもあった。
遅々として進まぬ館への道に、絶望的なまなざしをアルバトールが向けた時。
その頭の中に、鈴のような声が静かに鳴り響いた。
≪話は聞かせてもらいましたわ天使アルバトール。大丈夫です。今の貴方なら王女様を連れて飛ぶこともできるはずですわ≫
その声はエルザのものだった。
≪本当ですか? 数日前までは自分自身すら満足に飛ばせなかったのですよ……しかし何やら思考がまとまっていないようですが、何かあったのですかエルザ司祭≫
聖霊を介した念話をエルザと始めるアルバトール。
だがエルザは自分から話しかけてきておきながら、何故かいきなりうろたえ始めているようだった。
≪心配せずとも仕事はきちんとやりますわ。……あ、いえいえこちらのことです。ええと、天使アルバトール、貴方はつい先ほど、大天使となりましたわね?≫
≪はい≫
≪よって以前より格段に精霊と意思が通じやすくなっているはずですから、王女様お一人くらいなら……失礼な、きちんとやってますわ。ちょっと天使アルバトールに助言をしているだけです。大体先ほど城に行ったのに、どうして貴方がここに居るのですか≫
≪もしもし?≫
送られてくる思念を解読した限りでは、なにやらエルザは取り込み中のようである。
しかしアルバトールも今は急いで館に戻らなければならない身。
やや咎めるような思念をエルザに送ると、すぐに返答が返ってくる。
≪あ、そうそう。王女様お一人なら連れて飛べるはずですが、重要なことが一つ≫
≪そうそう、って……とても重要なことには思えませんが何でしょう?≫
≪天使アルバトール。王女様を危険に晒さないように、しっかりとお身体を抱きしめて飛ぶのですよ≫
≪……は? いやまぁ、安全上……あれ?≫
何かがおかしい。
エルザの指示に違和感を感じたアルバトールは間の抜けた返答をし、その返事を受け取ったエルザは相手の理解が追いつく前に納得させるべく、畳み掛けるように次々と言葉を彼に投げつけた。
≪王女様の正面に回り、貴方の左手をきっちりと王女様の腰に回して身体を引き寄せ、右手は左脇から背中を通して右肩に回すのです。何せ危険ですから≫
≪ひきっ……!? い、いや、危険なら別に歩けばいいだけの話であって≫
≪王女様を一刻も早く城へエスコートすることが、今の貴方の最重要事項のはずですわ。王女様の体をガッチリと固定……いえ、ちょっぴり密着することになりますが、貴方の心にやましいことが無ければ何も問題はありませんわ!≫
≪やましいことはありませんが、少しは悩ませてください。こんな街中でそのような姿を皆に見せる訳には……≫
エルザは畳み込む。
「貴方が今悩んでいた時間を飛行術に充てていれば、既に貴方達は城に戻っていましたわ! さぁ! さぁ!」
徐々にエルザの声は力強くなっていき、最初は脳内で鈴のように響いていたものが、今では直接アルバトールの頭を力強く揺さぶる大鐘のような音へと変化している。
(そうだな~あ……悩んで~……いる暇があったら~……早く決断を~……)
遂にアルバトールはエルザの声に屈し、まるで魅入られたようにふらふらとアデライードに近づくと、顔を真っ赤にしてごにょごにょとアデライードへ説明をする。
「お願いしますアルバトール様! それが必要と言うのであれば、すぐにでも!」
即答だった。
むしろ彼の説明は途中でアデライードの返答によって遮られていた。
そしてアデライードの真摯な瞳に釣られるように、アルバトールも決意をする。
(まずアデライード姫の腰に左手を回して、体をぐっと自分の方へ引き寄せる!)
すぐにアデライードもそれに応じ、アルバトールの背中にしっかりと両手を回す。
必然的に二人の顔は接近し、そこで初めて彼らは自分がしていることに気がついたように、顔を真っ赤に染めて固まってしまう。
「おやエルザ司祭。他のお二方まで一緒とは、館に召喚されたのでございますか?」
「え」
すぐ傍から聞こえてきたフェリクスの声にアルバトールは振り返れる。
そこには両手をぐっと握り締め、顔を輝かせてこちらを見ているエルザと、その陰に隠れ、赤らめた顔を両手で隠しつつもその隙間から彼らを見つめているラファエラ。
そして腕を組み、何かを諦めたような顔をして建物に寄りかかって、エルザとラファエラを見ているダリウスがいたのだった。
「城に戻るだけなんだから声援はいらないよ皆!」
アデライードを抱いて飛行術を使用することについて悩んだ結果、その騒ぎを聞きつけて集まった他の住民にまで見送りを受けることとなったアルバトール。
小の犠牲を恐れて決断を遅らせたばかりに、大の被害を招聘してしまう結果を後悔しながら、彼は館へと戻ったのだった。
戻った二人は真っ先にフィリップの執務室に向かう。
しかしそこに人の姿は無く、彼の私室にも、ジュリエンヌの部屋にも人影は無い。
「一体何処に……」
アルバトールがそう一人ごちた直後、非常呼集の鐘が鳴り響く。
その音と共に、バジルを寝かせている客人用の寝室よりフィリップとベルナールの二人が出てきて、廊下に居たアルバトールとアデライードと鉢合わせとなった。
「状況を」
二人に会うなり、アデライードはフィリップとベルナールに向けて短く問う。
すると立ち止まって話す時間すら惜しいのか、それとも別の理由でもあるのか、フィリップはアルバトールとアデライードに後ろに着いて来るように答えて歩き出した。
「王女殿下、非常呼集を掛けております故にまずは概要を。王都は魔族の手に落ち、リシャール陛下は落命、シルヴェール王太子殿下とリディアーヌ王妃殿下は消息不明」
それを聞いた瞬間、アデライードは足をよろめかせて壁によりかかる。
それを見たアルバトールが真っ青な顔になった彼女の体を支えようとするが、アデライードはそれを制止すると、フィリップへ真っ直ぐに眼差しを向ける。
「……万が一の場合、私が女王に就くと言う事ですね」
だが彼女が見せた、健気ながらも気丈な決意に対し、あまりにも非情にすぎる答えがベルナールの口から発せられた。
「そん……な……」
「アデライード姫!」
アデライードはベルナールから告げられた内容に絶句し、すぐにその場に呼ばれたジュリエンヌとアリアに寄り添われ、ジュリエンヌの私室へと向かう事になる。
それは、彼女の祖父であるテオドールの裏切りが王都陥落の最大の原因である、と言う物であった。
「ベルナール団長……何も今あのようなことを言わなくても良かったのでは」
執務室に三人が着くと、アルバトールは開口一番に先ほどのベルナールの発言について非難を始めていた。
「仕方がなかった。いずれは話さねばならないことだし、何よりこれから先にする話の方が、アデライード様にとってはつらいことになるかも知れぬ」
「先ほどの話以上にですか?」
性急に話を進めようとするアルバトールを諌めようとしてか、ベルナールはすぐに返事をせずに溜息を一つついて間を置く。
「……君も既に分かっているだろう。魔物に寝返ったと言うだけならともかく、王都陥落、陛下の落命にテオドール公は関わってしまった。謀反、謀叛、大逆。一つでも犯せばその命を以って償うべき大罪を、三つとも犯してしまったのだ」
「それは……」
熱かった頭が急激に冷え、その体を震わせるほどの寒気がアルバトールを襲う。
事態は彼の思惑を遥かに超えて深刻だったのだ。
「最早テオドール公一人の命で償えるものではない。テオドール公の血縁に連なる方々にも処罰を下さないわけにはいかん……つまりリディアーヌ王妃とアデライード王女のお二人は、極刑を免れ得まい」
「そんな! お二人は何もしていないではないですか!」
「だがテオドール公は罪を犯した。それも最悪のな。国家は法に依って立ち、法に依って保つ。例え王族と言うやんごとなき身分におわす方々と言えども、その例外ではない。一つの例外は更なる例外を呼び、遂には国を滅ぼす原因となろう」
ベルナールの弁は正論だった。
反論の余地がないほど完璧なものだった。
だがそれ故に、アルバトールの説得は出来ても、納得させる物には成り得なかった。
「納得できません」
アルバトールの返答は、理性ではなく感情の産物であり、彼の顔と同じく子供の我儘そのもの。
言った本人ですら、分別のある大人がそんな我儘を言うな、とばかりに怒鳴られるとばかり思っていたが、その返答はあらかじめ予想されていたものだったらしい。
ベルナールはアルバトールに視線を合わせると、自分も、そして主であるフィリップも同じ気持ちである事を暴露する。
そして法を守らせる立場にある者が、進んで法を破ることは出来ないとも。
場を包む重い雰囲気。
悔しさに歯を噛むアルバトール。
だが、そこに重苦しさを払う羽根は舞い降りた。
「……だが打つ手が無い訳では無い。例外を認める例外があるのだ」
フィリップは言った。
そしてその為にはアルバトールに一働きしてもらう必要があるとも。
「フィリップ候、その話題は皆が集まってから、ではなかったのですかな」
呆れ顔でボヤくベルナールに、フィリップは苦笑いを浮かべて答える。
「甘い親ですまんな。だがこれから可愛い子をつらい旅に出さねばならんことを思うと、つい口が滑ってしまった。すまぬがこれくらいは勘弁してくれ」
「まったく、貴方の甘さは私がフォルセールに着任した時からまるで変わりませんな」
ベルナールはフィリップと同じく苦笑いを浮かべ、だがまんざらでもないと言った口調で苦言を呈した後、非常呼集がかかったメンバーが集まるまでの時間でアルバトールに簡単な説明を始めたのだった。