第30話 使者
急使の来訪は突然だった。
いや、急を告げる使者なのだから突然であって然るべきなのだが、それでもベルナールはフィリップが寄こした伝令が告げた内容に、呆然として立ちすくんだ。
"王都陥落"
もちろんベルナールほどの男が、その言葉が持つ意味を理解できずに立ちすくんだわけではない。
しかし頭では理解できていても、体はその理解についてきていなかった。
各領地を治める領主、それらをまとめる立場の国王。
その玉体が居を構えるところの、つまりは国の中心である王都の陥落。
頭の中で反芻される言葉に反応できない体を持て余し、ベルナールは騎士団の詰所において少なからぬ時間を無駄にする。
だが、我に返った後の行動は早かった。
無駄にしたと言っても、その時間を状況の整理と今後の対策に充てていたのだから、まったくの無駄にした訳でもない。
ベルナールは気を取り直し、机の横に掛けていた剣を引っつかむとそのまま馬屋に走りこみ、馬をおびえさせないように慎重に、かつ大胆にその背に飛び乗って駆け出す。
だが大通りに飛び出したベルナールの目の前は、大勢の人で埋まっていた。
(昼下がりとは言え、さすがに中心部は人が多い……しかし!)
ベルナールは即座に精神魔術で肉体を強化し、城へ急用がある旨を叫ぶ。
同時に街の人々は次々と道の脇へ避け、馬が走るに十分な広さが前方に広がった。
領地の成立より幾度もいくさの最前線に立ち、日頃より自警団による訓練が行き届いているフォルセールならではの光景である。
馬に手綱を打ち、城へと走り出すベルナール。
その走り抜けた後には、霧のような水煙がたなびいていた。
名剣オートクレール。
いと高く清き物。
持つ者の感情が高ぶれば霧を呼び寄せ、敵を切ればその剣身からは水が滴り落ち、より切れ味を増す。
王都を離れる際、デュランダルを返納する代わりにリシャールより直接に拝領したオートクレールより湧き出す霧をなびかせ、彼は現在の主フィリップの下へ急行した。
「来たかベルナール。王都が魔物たちにより陥落した件は聞いたな?」
フォルセール領の領主フィリップは、常になく厳しい顔でベルナールを迎えた。
齢五十を超えたその顔には幾多のしわが刻まれ、髪はブロンドから白髪に装いを変えてはいるが、その目と身体から発せられる覇気は若い頃と遜色ない。
やや垂れ下がった口から発せられる、張りのある声に頼もしさを感じながら、ベルナールはフィリップに頷いて質問を返した。
「王都からの使者は何処に?」
「王国騎士団、名はバジル。王都から昼夜問わずに走り続けてきたのだろう、衰弱しきっていたから今は寝かせてある」
「伝えてきた内容はどんなもので?」
「王都陥落。リシャール陛下は死亡。シルヴェール殿下は隠し通路から脱出したようだが、現在の居場所はおろか生死すら不明。そこまで言った所で気を失った」
矢継ぎ早に質問をした後、ベルナールは思考する。
現在を取り囲む状況を、過去の物となった常識を、未来に採るべき方針を。
結果、幾つかの対策案は頭の中に浮かんだが、それを精査する情報を使者に聞くまでは、フィリップに提案する訳にはいかない。
「フィリップ候、使者に話を直接聞きたいので、法術による回復を行いたいのですが」
「うむ。そう来ると思って、使者には続けて教会に向かうように指示している」
フィリップは頷き、腕を組んで目を閉じた。
「……まずはシルヴェール殿下の安全確保が先決か。ベルナールよ、テイレシア城の隠し通路の出口がどこにあるか知っているか?」
諦め半分と言った口調のフィリップの問いに、ベルナールは重々しく首を振った。
「残念ながら……しかし使者が殿下の訃報をもたらさなかったと言うことは、まだ望みはありましょう。もし殿下が討ち取られたのであれば、それを聖テイレシア全土に知らしめてこちらの士気を挫く、あるいは秘密裏に王女殿下との交渉材料にするでしょう」
交渉材料と聞き、フィリップは顔をしかめた。
「シルヴェール殿下の生死も判らぬ時に、死を前提とした交渉の話をするとは不謹慎ではあるが……最悪、アデライード王女に我らの命運を預けることになるやもしれん」
フェーデ。
テイレシアを含む周辺諸国では、死者に対しても刑罰が課されたり、財産を受け取る権利があったり(主に教会に寄付される)決闘や交渉による名誉回復の権利がある。
決闘に関しては事件の関係者などの了解が必要であり、また死体に対する身代金を払うことによって死体を返還してもらい、決闘を回避することも出来た。
魔物に人間の使う貨幣がどれほどの価値があるか分からない以上、身代金の金額に値する別の何かを対価として、要求してくることも考えられる。
よって、まずシルヴェールを探し出して安全な場所にかくまうことが、この時点での最優先事項だった。
そう、この時点では。
二人の相談が始まってから少し時を経て、教会に行った使者が戻ってくる。
だが使者が連れてきた聖職者はエルザやラファエラではなく、ダリウスだった。
確かにダリウスは王都教会の司祭だが、法術を使いこなす聖霊力や、今までに積み重ねた実績ではなく、政治力によって司祭に就いたとの噂を二人は聞いている。
更にトラブルがあれば何でもかんでも顔を突っ込みたがる、エルザの厄介な性格を知る彼らにとっては、青天の霹靂と言っても良いくらいであったが、しかしそれを本人の居る前で話題に出すわけにもいかなかった。
「これはダリウス司祭直々にお越しいただけるとは」
とりあえず歓迎をするフィリップ。
その顔を見たダリウスは皮肉めいた顔で頷き、その挨拶に応えた。
「現在エルザは労働の喜びを主へ捧げている最中で、ラファエラはその手伝いをしている。本来であればエルザ一人で片付けるべき仕事なのだが、火急の時であればそうも言っていられないのだろう」
フィリップとベルナールは顔を見合わせ、まずはダリウスをバジルの元へ案内した。
ベッドでかすかに寝息を立てているその顔は死人のようで、目の下には色濃いくまが出来ており、頬はげっそりとこけている。
一目見ただけでここまでの道中の様子がありありと目に浮かぶバジルの容態に、感傷的になるフィリップとベルナール。
それに対し、ダリウスは眉一つ動かさずにバジルを見ると、右手をその体にかざし、頭から爪先までゆっくりと動かす。
最後に腹部の辺りに手を乗せるとダリウスは目を閉じ、笛のような甲高い音を一瞬口から紡ぎ出す。
すると次の瞬間、バジルの顔に薔薇の花のような赤みが差し、彼は眼を覚ました。
「う……ここは一体……」
「目が覚めたかね、バジル君」
「ダ、ダリウス様!?」
フォルセールに来る途中から、ほぼ意識を失った状態だったのだろうか。
バジルは自分が置かれている状況が判らないまま、いきなりかけられた声の持ち主がダリウスであったことに肝を冷やしたようだった。
「君が疲労で倒れたので私はそれを癒した。後は自力で何とかしたまえ。主は君がいつまでも居心地の良い親元に根付き、巣立たぬことを好ましく思わぬであろう」
ダリウスはそう告げると、側に控えてバジルの世話をしていたアリアに麦粥を作るように言いつけ、そのまま教会に戻っていった。
「……と言うわけで御座います」
意識が戻ったバジルの頬はこけたままだったが、先ほどと違って顔には血色が戻り、意識もはっきりしているように見える。
すぐにベルナールは王都が陥落した様子などを詳しく聞き、そしてバジルから返ってきた答えに自らの見通しの甘さを悔やんだ。
(まさか今までの天魔大戦が、すべて今回に備えての布石だったとは)
ベルナールは天を仰ぐ。
(結界の責任者たるテオドール公の裏切り。そして聖霊を強制的に偏在させて連絡をとれなくさせた上で、火計による分断か……周囲に燃え移っていく火を見ては、状況を正確に判断することは難しい。少数で王都が落とされたのも無理はない)
在りし日の王都の栄光。
それを思い出しながら、ベルナールは首を振った。
(おまけに最後は圧倒的な力を見せつけた後に離間の策か。こうまでされてはフェルナン殿も手の打ちようは無かっただろうな)
しかし、絶望的な状況にあったであろうフェルナンが苦渋の選択をしたこと。
つまり死なずに生きる道を選んだことに、ベルナールは一筋の光明を抱いていた。
(フェルナン殿が生きておられるなら、城内の人々の取りまとめ役をお願いすることもできよう。そうなれば今度は、我々が内より魔物を攻め滅ぼすことが出来るのだ)
もちろん内部の戦力を取りまとめやすい、自警団の団長に就いたフェルナンの存在を逆手に取った罠を仕掛けられる可能性も十分にあった。
例えばフェルナンに反抗勢力の旗印になってもらい、彼に反乱の勢力をまとめてもらった後でそれを一気に叩き潰し、反抗勢力の一掃を計る。
十分にありえる罠だが、それでも完全にフェルナンの存在を無視することはベルナールには出来なかった。
王都テイレシアは堅牢な城塞都市。
正面からの力攻めでは無駄に死者を出すだけに終わると、かつてそこに居を構え、警備にあたっていたベルナールは熟知していた。
テイレシア城を包む堀は広く深く、城壁は分厚く高い上に魔術で補強されている。
更にテイレシア城全体を包む結界の効果もあり、かつて堕天使や魔神たちが数体がかりで行った魔術の攻撃ですら、城壁には通用しなかったと書物にあるほどなのだ。
結界の責任者であるテオドールが死んだ今では、結界そのものが無くなっている可能性があったが、魔物たちによる新しい結界が張り巡らされているかもしれない。
今のベルナールに、楽観視は出来なかった。
「私の他に、ですか?」
そしてベルナールがバジルに質問した結果について思考している最中。
フォルセール領の領主であるフィリップもまた、バジルに一つの質問をしていた。
フィリップはフォルセール領を治める領主である。
リシャールが亡くなり、シルヴェールの消息が不明である今では、所在が明らかになっている直系の王族はアデライードのみ。
よって、彼にはアデライードが居るこのフォルセールを死守する義務があった。
例え彼女が、裏切り者のテオドールの血を引く存在であったとしても。
また第一王位継承者シルヴェールが王都から脱出した後、真っ先に向かうであろう領地を治めるものとして、他の領地を治めている領主との連携を密にし、魔物への反撃の準備を整えておく必要があったのだ。
先ほどのベルナールの質問の内容は、テイレシア城が陥落した時の状況。
過去の出来事から、王都を奪還するための現在の対応を導き出そうとした。
対してフィリップが聞いたのは、陥落後の現在に於けるテイレシアの状況。
テイレシア奪還に備えて他の領主と連携する為、フォルセール以外に誰をどこの領地へ使者に出したかの質問をしたのだ。
立場の違いによる視点の違い、そこから導き出される別の質問。
必然的にそれは、使者であるバジルより別の情報を引き出すこととなる。
そしてその新しい情報は、ベルナールが立案しようとしていた方策に、大幅な修正を余儀なくされるほどの物だった。
「公式な使者としては私一人のみ。他の領地へ使者は出されておりませぬ。しかしテイレシア城は今もって完全に封鎖されている訳ではありません。傭兵たちが解放され、その後にフォルセールを除いた他の領地へ向かったと出立の時に聞きました」
その返答を聞き、ベルナールは瞬時に悟る。
王都の守備兵のみならず、聖テイレシアの各領地を治める領主同士にも離間の作が仕掛けられたことを。
「フィリップ侯、一刻も早く信頼の置ける者を他の領主たちに使者に出さなければ、我々は動くに動けない状況となりましょう。特にアルストリア領のガスパール伯には」
そのベルナールの進言を聞き、フィリップは重々しく頷く。
「確かにガスパール伯には、なぜか快く思われていないからな」
フィリップは嫌われている理由を承知しているが故の苦笑を顔に浮かべると、ベルナールに使者に出す人員に心当たりがあるかどうかを尋ねる。
「フォルセール騎士団からはエンツォ、アルバトール。王都騎士団から出す人員はフェリクスに任せましょう。性格に問題が無ければエレーヌも出したい所ですが」
「また何かやったのかね」
フィリップの問いに対し、ベルナールは苦笑しながらアルバトールが天使としての洗礼を受けた日に、詰所で起こった出来事を話す。
フィリップはあご髭を撫で付け、女傑とはかく言うものか、などと妙な誉め方をし。
そして非常呼集の鐘を鳴らすように、側に控えていた衛兵の一人に伝えたのだった。
衛兵が出て行き、バジルも再び寝息を立てはじめ、部屋にベルナールとフィリップの二人のみが残されたも同然な状況となった時。
ベルナールはフィリップへ真摯な眼差しを向け、沈痛な面持ちで告げた。
「最悪、アルバトールにはガスパール伯の元で人質となってもらうやも……」
「……私は息子の外交手腕を信じるよ」
答えるフィリップの顔は強張り、垂れ下がった手は固く握り締められ、顔と同じ白いものへと変わっていた。
今回のお話には、フェーデと言う中世における自力救済の制度を元にしたモノが出てきます……と言うかほぼそのまんまです。
詳細はwikiに載ってますが、簡単に言えば殴られたら殴り返しても良いし、盗られた物は自分で取り返しても良い、と言った制度だったようですね。
仲間や身内の助力を請う事もでき、の〇太がジャ〇アンとスネ〇に殴られたり物を取られたりしたら、ド〇えもんに助けを求めて仕返ししても良い、と言った感じでしょうか。
次第に悪用されるようになり、勝手に因縁をつけられた挙句に誘拐されて身代金を取られる人や、略奪される人が出てきたので廃止になったとか。
そしてオートクレールと言う剣を出しましたが、この剣って困ったことに外見以外の性能などがググっても殆ど紹介されてないんですよね。
唯一と言うか、外見以外の説明としては、いと高く清きもの、と言う紹介がされているらしいので、勝手に解釈と言うか、清きものと言う説明を、清流、清らかな水と解釈して、南総里見八犬伝に出てくる村雨の性能とくっつけてみました。